第18話 特定作業
【柚木七海視点】
重い鉄扉を押し開けて路地に出た瞬間、大柄な男性と危うくぶつかりそうになった。
「っと、すみません……あ、あなたは」
日焼けした肌に清潔な作業着。両手に空のコンテナを提げたその人は、翠星市で農家を営んでいる大地誠也さんだった。姉から「一番信頼している生産者さん」だと何度も聞かされていたし、以前手伝いに来た時に何度か挨拶を交わしたこともある。
「柚木……七海さん、でしたね。お久しぶりです」
大地さんは実直そうな顔に、深い憂いの影を落としていた。
「大地さん、こんにちは。いつも姉がお世話になって——」
「七海さん」
挨拶を遮るように、大地さんは真剣な眼差しで私を見据えた。
「……紗枝さん、最近少しおかしいんです。自分のような出入りの業者が口出しすることじゃないかもしれないですが、あの人はこんなところで潰れていい職人じゃない。妹さんからも、気をつけて見てあげてください」
その短くも力強い言葉には、純粋な姉の技術への尊敬と、本気で心配している人間特有の熱がこもっていた。
姉は一人じゃなかった。こんなに誠実に姉を評価し、案じてくれる人がいる。その事実が、氷のように冷え切っていた私の心に、確かな勇気を与えてくれた。
「……ありがとうございます。姉のことは、私が全力で守ります。絶対に」
私が深く頭を下げると、大地さんは少しだけ安堵したように頷き、軽トラックへと戻っていった。
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サンサン・ダイナーから徒歩五分ほどの場所にある、落ち着いた雰囲気の純喫茶。
ほのかにサイフォンのコーヒーの香りが漂う薄暗い店内の隅の席で、私はノートパソコンを開いた。
ブルーライトカット眼鏡の奥で、私の目は完全に冷徹なハンターのそれに変わっている。
ターゲットは、義兄の潤と、あの店で姉を嘲笑っていたパート従業員たち。
まずは一番隙の多そうな、派手なメイクの女——確か、渋谷莉乃とかいう名前だったはずだ。彼女の身辺調査から始める。
SNSの検索窓に、彼女のフルネームや関連しそうなキーワードを打ち込む。案の定、鍵もかけていない公開アカウントがあっさりと見つかった。承認欲求の塊のようなSNS依存症の女は、必ずどこかに痕跡を残すものだ。
表のアカウントには、カフェのスイーツや安っぽい自撮りが並んでいるが、そんなものはどうでもいい。私は彼女のフォロワー欄や『いいね』の傾向から、裏アカウント(別名義の愚痴や自慢用アカウント)をたった数分で特定した。
画面に表示された裏アカウントのタイムラインには、案の定、不愉快な投稿が並んでいた。
『今日は社長と地方出張♡ホテル広すぎヤバい!』
『ババア狂っててウケるw早く消えればいいのに』
そこには、匂わせるようなブランド物のバッグや、高級そうなディナーの写真が見せびらかすようにアップされている。
「馬鹿ね。デジタルタトゥーって言葉、知らないのかしら」
私は冷たく鼻で笑い、最新の『社長と地方出張♡』という投稿に添付された写真を拡大した。
夜景が広がるホテルのスイートルームらしき部屋。
「窓ガラスに反射しているネオンサイン……反転させて解読。ご丁寧に、テーブルの木目もこのホテルの最上階特有の特注家具と一致するわね」
さらに別の投稿。昼間に撮られたと思われる、海辺のカフェの写真。
「背景に小さく写り込んだカーブミラー……拡大。写っているのは国道沿いの標識と、特徴的な赤い屋根のガソリンスタンド。この位置関係から逆算すれば……はい、場所特定。静岡県内のホテルと店ね」
私の指が、キーボードの上で目にも留まらぬ速さで踊る。
投稿日時、写真から割り出した位置情報、天候のデータ。それらすべてを、義兄の潤が「視察」と称して出張に出かけているSNSに挙げている日程と照らし合わせていく。
結果は、見事なまでの完全一致だった。
「ビンゴ。言い逃れのできない証拠の山ね」
私は画面上に表示された、潤とパート従業員たちの醜い不倫の軌跡を、一つ残らずスクリーンショットで保存し、後で突き付けるための隙のない報告書として淡々と作成していく。
しかし、これだけではまだ足りない。法廷で相手を完全に息の根を止めるためには、「ホテルに出入りする決定的な瞬間の写真」など、言い逃れのできない強力な証拠が必要だ。
「ネット上の証拠集めは終わった。次は物理ね」
私はスマートフォンを手に取り、仕事柄繋がりのある、腕の立つ探偵事務所の連絡先を呼び出した。
潤と愛人たちが次に「視察」と称して密会する日時は、これまでの行動パターンから容易に予測がつく。そこに雇った探偵を送り込み、ぐうの音も出ない証拠写真を撮らせるのだ。
サイフォンで淹れられたこだわりのコーヒーは、すっかり冷めきっていた。
私はそれを一口で飲み干し、ノートパソコンをパタンと閉じた。
「傲慢なクソ野郎と、それに群がる寄生虫ども。……絶望のお会計の準備は、着々と進んでいるわよ」
暗い純喫茶の窓ガラスに映る私の顔は、冷酷な復讐者の笑みを浮かべていた。




