第15話 嘲笑う愛人
【渋谷莉乃視点】
お昼のピークタイムを迎えた『|SunSunDiner』のフロアは、いつにも増して異様な空気に包まれていた。
普段なら、僕たちパート従業員がサボり気味に動くのを、店長が鬼の形相でフォローし、厨房とフロアを縦横無尽に駆け回っているはずの時間帯だ。しかし、今日の店長は明らかに違った。
「いらっしゃいませぇ! お客様は、3名様ですね!素晴らしいわっ、3名様、ご案内いたします!」
店長は、目の下にくっきりと隈を作った土気色の顔に、耳まで裂けそうな満面の笑みを貼り付けたまま、来店した三人組の客を大声で出迎えていた。
案内された客たちは、店長のあまりのテンションと、1ミリも瞬きをしないバキバキにキマった瞳に見つめられ、明らかにドン引きしている。
「ご注文は、サンサン・フレッシュバーガーのセットですね? もちろん、ポテトは3本ずつお召し上がりいただけるように、3の倍数本です!」
店長が狂ったように「3」という数字を強調しながらオーダーを取る姿を、僕はレジカウンターの死角から、音の出ないカメラアプリで連写していた。
ヤバーい、ウケる。マジでホラー映画のモンスターじゃん。
僕は笑いをこらえるのに必死だった。
あんな狂った接客をして、客が離れていったらどうするんだろう。まあ、別に店の売上が落ちたところで、僕には痛くも痒くもない。どうせ時給で働いているだけのパートだし、足りない分は社長におねだりすればいいだけだ。
僕は隠し撮りした何枚もの写真の中から、一番店長の目が血走っていて、口元が引きつっている「奇跡の一枚」を選び出した。そして、すぐさまそれを『秘密の同盟♡』というグループLINEに投下した。
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ピークが過ぎた午後三時。
店長から「今日は3回休憩をとってね!」と意味不明な指示を出されていた僕は、涼子さん、桃華ちゃんと一緒に、バックヤードの狭い休憩室でパイプ椅子にふんぞり返っていた。
「ねえ、見た? さっきLINEに送った写真。マジでヤバくない?」
僕がスマホの画面を見せながら笑うと、向かいに座っていた涼子さんが、長い足を組み替えながら冷たい鼻で笑った。
「見たわよ。なにあれ、完全に頭イカれてるじゃない。今日なんて、ハンバーガーのバンズを縦に三等分に切ろうとしてたわよ。あの女、自分が何してるか分かってないんじゃない?」
涼子さんは、手元にある高級ブランドのポーチからリップを取り出し、薄い唇に塗り直しながら呆れたように息を吐いた。
相変わらず冷めた人だ。でも、社長を「金づる」としか見ていない涼子さんにとっても、働き蜂である店長が壊れていくのは、滑稽なエンターテインメントでしかないらしい。
「モモも、あの笑顔見たら鳥肌立っちゃいましたぁ……」
隣に座っていた桃華ちゃんが、自分の両腕をさすりながらぶりっ子全開で身を縮こまらせた。
「なんかぁ、モモたちがお仕事でミスしても全然怒らないし、逆に『休憩3回ね』とか言ってきてぇ……。優しくされると、余計に気持ち悪いっていうかぁ。早く社長に帰ってきてほしいですぅ」
「ほんとそれ! 絶対社長の浮気疑って、ストレスで頭パーンってなっちゃったんだよ。ウケるよね、社長に直接文句言う勇気もないから、こうやって店で奇行に走ってストレス発散してんの」
僕はゲラゲラと笑いながら、自分の考察を披露した。
惨めなババアだ。夫が自分たちの店のパート従業員「三人」全員と不倫して、店の金で旅行三昧だなんて知ったら、そりゃあ発狂もするだろう。でも、それがこんな形で現れるなんて、最高にマヌケで笑える。
「まあ、都合がいいじゃない」
涼子さんが、ポーチをパチンと閉めて冷ややかに言い放った。
「あのババアが狂って私たちに優しくしてくれるなら、今まで以上にサボれるってことだし。それに、店長があんな状態なら、社長だって家に帰りたくなくなるでしょ?私たちのところに転がり込んでくる回数が増えれば、もっとお財布の紐が緩むわ」
「たしかにー! 涼子さん、頭いい!」
僕が手を叩いて賛同すると、桃華ちゃんも「モモも、そう思いますぅ♡」と満面の笑みで頷いた。
表面上は仲良し三人組。でも、裏ではそれぞれが社長を独占しようとドロドロの駆け引きをしている。それでも、こうして共通の敵である「狂った妻」を馬鹿にしている時だけは、妙な連帯感で結ばれていた。
「よーし、じゃあちょっと、あの狂ったババアの限界を試してみよっかなー」
僕はニヤリと悪魔のような笑みを浮かべ、パイプ椅子から立ち上がった。
どれくらい都合よく使えるのか、実験してやる。
+++
休憩室を出て厨房に戻ると、店長は相変わらず鉄板の前で、何やらブツブツと呟きながら肉をこねていた。
僕は軽い足取りで彼女の背後に近づき、わざとらしく甘えたような声を出した。
「てんちょぉー、ちょっとご相談があるんですけどぉ」
ピクッ、と店長の肩が揺れ、ゆっくりとこちらを振り返った。
やはり、目は一切笑っていないのに、口角だけが異常に吊り上がったあの不気味な表情だ。
「あら、莉乃ちゃん。どうしたの?なにか『3』つ、足りないものがあった?」
「えっとぉ、そうじゃなくてぇ……実はお休みのご相談なんですけどぉ」
僕はわざとらしくもじもじと指を絡ませ、上目遣いで店長を見た。
「来週なんですけどぉ、僕、どうしても外せない用事があってぇ。できれば……『3連休』、欲しいなぁって。ダメですかぁ?」
言いながら、僕は店長の反応を伺った。
来週は、社長が僕をテーマパークのオフィシャルホテルに連れて行ってくれる約束の週だ。もちろん、店長にそんなことを言うわけにはいかないが、この忙しい時期に突然の3連休の要求なんて、普段の店長なら絶対にブチギレて「ふざけないで!」と怒鳴り返してくるはずの相談だ。
さて、どう出るか。
すると、店長の目が見開かれ、バキッ、と顔全体がさらに歪な笑顔の形に引きつった。
「……3、連休……?」
「は、はい……」
店長は油にまみれた手で自分のエプロンをギュッと握りしめると、なぜか嬉しそうに体を震わせ始めた。
「いいわね!! 素晴らしいわ、莉乃ちゃん!」
バンッ、と大きな音を立てて、店長が両手を叩いた。
「3連休! なんて完璧な数字なの! もちろんオッケーよ! むしろ、3連休じゃなきゃダメよ! 休むなら絶対、3日よ!」
「えっ……マジっすか?」
僕はあまりのあっけなさに、思わず素の声を出してしまった。
本当にオッケーしちゃったよ。人員がカツカツで、ただでさえ店長がワンオペで死にそうになっているのに。
「ええ、もちろん! 莉乃ちゃんはしっかり『3日間』お休みしてちょうだい! お店のことは、私が全部、ぜーんぶやるから! 私がハンバーガーを焼いていれば、みんな幸せになれるんだから!」
店長は狂ったように笑いながら、再び鉄板に向き直り、「3日、3連休……ふふふっ」とご機嫌な様子でパティを焼き始めた。
その後ろ姿を見つめながら、僕は歓喜のあまり飛び跳ねそうになるのを必死にこらえた。
チョロすぎ!!マジでウケる!!
社長の言っていた通りだ。この女は、社長と僕たちの関係に気づいていないか、気づいていても怖くて現実逃避してるだけの、壊れたマシーンだ。
こんなに簡単に休みが取れるなら、これからはやりたい放題だ。社長の経費で高級ホテルに泊まって、エステに行って、美味しいものを食べて……。その間、この狂ったババアは、僕たちのために一生懸命、油まみれになってハンバーガーを焼き続けるのだ。
「ありがとうございますぅ、店長! 僕、しっかりリフレッシュしてきまぁす!」
僕は背中越しに元気よくお礼を言い、バックヤードへと引き返した。
スマホを取り出し、社長のLINEにすぐさまメッセージを打ち込む。
『社長ぉ! 店長から来週の3連休、あっさりもらえちゃいました♡これでゆっくりお泊まりできますねっ!』
自分の思い通りにすべてが回っていく快感。
僕は自分がこの店の、いや、社長と店長という愚かな夫婦の運命すらもコントロールしているような、圧倒的な万能感に酔いしれていた。




