第12話 すべてが3
【潤視点】
翌朝。俺は二階の寝室で、窓から差し込む柔らかな朝日を浴びて気持ちよく目を覚ました。
一階からは、微かに肉を焼く匂いと仕込みの物音が聞こえてくる。妻の紗枝はすでに起き出し、店でいつも通りに働いているようだ。
俺はふかふかのベッドの中で、昨夜の出来事を思い出しながら一人ほくそ笑んだ。
隠していた裏帳簿と不自然なシフト表、そして愛人たちとの旅行の領収書。それらを見られた時はさすがに終わったと焦ったが、蓋を開けてみればどうということはなかった。
紗枝の奴、自分が裏切られた事実を受け止めきれず、「私はハンバーガーを焼いてるのが幸せなの」などと完全に現実逃避を始めたのだ。
馬鹿な女だ。結局、俺がいないと生きていけないんだな。
浮気を問い詰める勇気すらない妻を心の中で嘲笑いながら、俺は大きく伸びをしてベッドから抜け出した。
ふと、枕元のサイドテーブルに視線を移した時、微かな違和感を覚えた。
そこには、俺が今日着るためのワイシャツがきれいに畳まれて置かれていた。妻が夫の着替えを用意しておくのは我が家の日常風景だが、今日はおかしい。
パリッとアイロンがけされた、全く同じ柄の白いシャツが「3着」、寸分の狂いもなく均等な間隔で並べられていたのだ。
「……なんだこれ?」
俺は怪訝な顔で首を傾げた。
出張に行くわけでもないのに、なぜ今日着るシャツが三着も出ているんだ?
一枚手に取ってみるが、下の二枚と全く同じものだ。襟の角度から袖の折り目まで、まるでコピー機で量産したかのようにピタリと揃えられている。
「あいつ、寝不足で洗濯物の仕分けでも間違えたか? まったく、使えないな」
俺は呆れながら、そのうちの一着に袖を通した。少し気味が悪かったがそのまま部屋を出た。
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リビングに隣接するダイニングに向かうと、テーブルの上には俺の朝食が用意され、ラップがかけられていた。
紗枝はすでに一階の厨房に降りているため、部屋は静まり返っている。
俺は「今日は何かな」と軽い気持ちでラップを剥がし——その瞬間、思わず息を呑んで動きを止めた。
大きめの白いプレートの上に盛り付けられていたのは、異様な光景だった。
目玉焼きが「3つ」。
こんがりと焼けた粗挽きウインナーが「3本」。
そして、分厚くカットされたトーストが「3切れ」。
ただ数が多いだけではない。それらの食材が、お皿の上で不気味なほど完璧な「正三角形」を描くように、幾何学的に配置されていたのだ。
黄身の大きさまで揃えられた三つの目玉焼きが、まるで三つの眼球のようにこちらをじっと見つめ返しているような錯覚に陥る。
「……ッ、なんだよこれ……」
食欲が一瞬にして胃酸に溶けて消え去った。
いくら俺がよく食べるからといって、朝からこんな量を、しかもこんな異常な盛り付けで出すか?
不気味なメッセージが家庭内に侵入し始めていることに、俺の背筋を冷たいものがツーッと這い下りた。
ここまで3にこだわる理由は何だ……?
きっとあいつは、ショックのあまり精神的に少し不安定になっているだけだ。俺に尽くそうとするあまり、量がバグってしまっただけだろう。
俺は無理やりそう自分に言い聞かせ、ウインナーを一本だけ口に押し込むと、残りの異様な朝食をそのままにして足早に玄関へと向かった。
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「こんな家に長居してられるか。今日は適当に外で時間潰して、夜は涼子か莉乃でも呼び出すか……」
一人でぶつぶつと文句を言いながら、俺は出かけるために玄関の土間へ足を踏み入れた。
そこで、俺は三度目の硬直を余儀なくされた。
下駄箱の前に、俺の靴が置かれている。
いつも履いているお気に入りの高級ビジネスシューズ。それと全く同じブランド、同じデザイン、同じサイズの真新しい靴が、なぜか「3足」、つま先をミリ単位でピタリと揃えてきれいに並べられていた。
「……は? なんで同じ靴が三つも……」
足元から、這い上がるような恐怖がじわじわとこみ上げてくる。
シャツが三着。朝食がすべて三つ。そして、靴が三足。
偶然で片付けるには、あまりにも異常だった。
俺はゴクリと唾を飲み込む。
「……あいつ、俺のカードで勝手に同じ靴を三足も買いやがったのか? 出張が多いからって、こんなにローテーションする必要ねぇだろうが……」
震える声でどうにか自分を納得させようとした。
その時だ。
「あなた、お出かけ?」
背後から、不意に声がした。
ビクッとして振り返ると、そこには一階の店舗から上がってきた紗枝が立っていた。
店のロゴが入ったエプロン姿の彼女は、昨夜と全く同じように、目の下に真っ黒な隈を作っている。
そして——その目は、1ミリも瞬きをしていなかった。
カッと見開かれた虚ろな瞳。
それなのに、口元だけは耳まで裂けそうなほどの満面の笑みを浮かべている。バキバキにキマったその表情は、人間の感情が完全に欠落したマネキンのようだった。
「ひっ……!」
俺は思わず小さく後ずさり、下駄箱に背中をぶつけた。
「あ、ああ……ちょっと、近所の視察にな……」
「そう。お仕事、お疲れ様」
紗枝はカクンと首を右に傾げ、玄関に並んだ三足の靴をじっと見下ろした。
そして、一切の抑揚がない、機械音のような声でゆっくりと口を開いた。
「3足あれば、毎日ローテーションできて『誰と会っても』安心でしょ? いってらっしゃい」
ドクンッ!!
心臓が、肋骨を突き破りそうなほど激しく跳ねた。
『誰と会っても』。
その言葉が、鋭い氷の刃のように俺の鼓膜に突き刺さった。三足の靴。
こいつ……一体何を考えてやがる……っ!?
俺は恐怖で顔を引きつらせたが、紗枝は相変わらずバキバキの笑顔のまま、首を元の位置に戻した。
怒っていない。泣いてもいない。ただ、狂っている。
俺は本能的な命の危機を感じ、這うようにして一番端の一足を乱暴に履くと、逃げるように玄関のドアを押し開けた。
「じゃ、じゃあな!!」
バタンッ!!
逃げるように家を飛び出し、乱暴にドアを閉める。
秋の冷たい風に吹かれながら、俺は心臓をバクバクと鳴らし、自宅のドアを振り返った。
「な、なんだよあいつ……気味悪いな……」
震える手でネクタイを緩めながら、俺は必死に呼吸を整えた。
大丈夫だ。あいつはただ頭がおかしくなっただけで、俺に復讐しようなんて気はないはずだ。やっぱり、俺に惚れてるから逆らえないんだ。意味不明なメッセージを送って、俺の気を引きたいだけなんだ。
俺は強引に自分の都合の良いように思考を書き換え、足早に駅の方へと歩き出した。




