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没落寸前の男爵令嬢なのに、冷徹な美貌の公爵が我が家を買い取って私のすべては俺のものだと迫ってくる  作者: 黒崎 隼人


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第14話「ほどけない指先」

 アリアが深い眠りから目を覚ますと、窓の外はすでに深い茜色に染まっていた。

 厚いカーテンの隙間から差し込む夕日が、部屋の床を赤く染め上げている。

 ベッドのすぐ横には、セリウスが椅子に深く腰掛けてアリアを静かに見つめていた。

 彼はすっかり乱れていた服を着替え、普段の隙のない洗練された公爵の姿に戻っている。

 しかし、その瞳に宿る熱を孕んだ光だけは、朝と何も変わらずにアリアを捉え続けていた。


「おはよう、アリア。気分はどうだ」


 低い声とともに、彼の大きな手が伸びてきてアリアの頬を包み込む。

 その指先が肌を滑るだけで、身体の芯に火をつけられたように熱くなっていく。


「申し訳ありません、こんな時間まで眠ってしまうなんて」

「謝る必要はない。君が眠っている顔を見るのも、私にとっては至福の時間だったから」


 少しも冗談めかした様子のない真剣な言葉に、アリアは熱くなった頬を隠すように視線を下に向ける。

 そこへ、静かなノックの音とともに数人の使用人が銀のトレイを幾つも運んできた。

 部屋の中に、香草で焼かれた肉と、温かく濃厚なスープの芳醇な香りが広がる。

 使用人たちが手際よくテーブルに食事を並べると、セリウスは手の合図だけで彼らを部屋から一掃した。


「ベッドから出る必要はない。私が運ぼう」


 セリウスは温かなスープ皿を手に持ち、ベッドの端に腰を下ろす。

 銀の匙でスープをすくい、アリアの唇へと真っ直ぐに差し出した。


「あ、あの、食事くらいは自分で食べられます」

「君はまだ疲れている。大人しく私に甘えなさい」


 有無を言わさない強い眼差しに押され、アリアは小さく口を開いてスープを飲み込む。

 温かな液体が胃の腑に落ち、冷え切っていた全身に活力が隅々まで巡っていくのを感じた。

 セリウスは満足そうに目を細め、次々と食事をアリアの口へと直接運んでいく。

 かつての冷淡だった彼からは想像もできないほどの、過保護で甘やかな手つきだった。


 ◆ ◆ ◆


 食事が終わる頃、執事が数通の分厚い封筒を持って静かに部屋を訪れた。

 セリウスはアリアの隣に座ったまま、片手でその封筒の硬い封蝋を乱暴に砕く。

 羊皮紙に目を走らせる彼の横顔は、一瞬にして冷酷な権力者のものへと変わっていた。


「王宮からの呼び出しと、幾つかの有力貴族からの抗議文だ。予想よりも少し遅かったな」


 彼は短く鼻で笑い、羊皮紙を無造作にテーブルの上へと放り投げる。


「問題はないのですか。あの茶会での振る舞いは、王室への反逆と取られかねないのでは」


 アリアの不安に満ちた声に対し、セリウスはすぐに優しい顔に戻って彼女の髪を撫でた。


「反逆などという安い言葉で片付けられるほど、私は無力ではない」


 彼の声には、揺るぎない自信と冷酷な計算の跡が深く刻み込まれていた。


「王家の財政の大部分は私が握り、軍部の主要な将軍たちも私の息がかかっている。彼らは建前として抗議のポーズを取るだけで、実際に私を罰することなど不可能だ」


 アリアを守るために彼が水面下で築き上げてきた力の巨大さに、背筋がゾクッとする。

 セリウスはアリアの手を取り、その手の甲にゆっくりと唇を落とした。

 男爵邸での水仕事や庭いじりで荒れてしまった指先を、アリアは慌てて引き抜こうとする。

 しかし、彼の手はそれを許さず、硬くひび割れた皮膚の表面に何度も愛おしそうにキスを落とした。


「隠さなくていい。君のこの手は、気高く生き抜き、私のために傷ついてくれた証だ。世界中のどんな宝石よりも美しい」


 荒れた指先を一つ一つ丁寧に唇でなぞられ、アリアの胸の奥が熱く溶けていく。


「来月、この屋敷で我々の婚約を披露する大規模な夜会を開く。君はただ、私の隣で笑っていてくれればいい」


 彼の甘く重い誓いの言葉に、アリアは静かに、しかしはっきりとうなずいた。

 もう逃げることはしない。

 彼が長年をかけて守り抜いてくれたこの特別な場所で、彼の隣に堂々と立つ覚悟を決める時期が来たのだ。

 アリアは震えの止まった自らの手を裏返し、セリウスの大きな掌をしっかりと握り返した。

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