第13話「陽だまりの鳥籠」
王都の中心部に位置する公爵邸は、一つの城と見紛うほどの広大な敷地を持っていた。
高くそびえる黒鉄の門が重厚な金属音を立てて開き、漆黒の軍馬が敷地内へと真っ直ぐに足を踏み入れる。
馬の背に揺られながら、アリアは腕の中から目の前に広がる光景を見つめた。
手入れの行き届いた菩提樹の並木道がどこまでも続き、その奥に白亜の壮麗な本館が姿を現す。
昨夜の暗く冷たい荷馬車での逃亡劇が、遠い過去の幻であったかのように思えるほどの眩しさだった。
本館の巨大な玄関の前に広がる白い石畳には、数十人にも及ぶ使用人たちが整然と一列に並んでいる。
馬が止まると同時に、最前列にいた初老の執事が深く一礼をした。
「おかえりなさいませ、セリウス様。そして、アリア様。公爵家一同、この日を心よりお待ち申し上げておりました」
執事の言葉を合図にするように、背後に並ぶ他の使用人たちも一斉に深く頭を下げる。
彼らの動きには一切の乱れがなく、公爵家としての厳格な規律が隅々まで行き届いていることを示していた。
身分違いの男爵令嬢に向けられるような、侮蔑や好奇の視線はただの一つも存在しない。
そこにあるのは、未来の女主人に対する深く揺るぎない敬意と、心からの歓迎の意志だけだ。
アリアが戸惑って瞬きを繰り返している間に、セリウスは素早く馬から地面へと飛び降りた。
彼はアリアに向かって両腕を伸ばし、彼女の腰を掴んで軽々と空中に抱き上げた。
地面に下ろされるものと思っていたアリアは、そのまま彼の腕の中に収められて短く息を呑む。
「歩けます、セリウス様。私を下ろして」
「君は昨夜から一睡もしていないはずだ。冷たい床で身体の芯まで冷え切っている」
セリウスはアリアの小さな抗議を全く意に介さず、腕の力をさらに強めて彼女の身体を自身に密着させた。
使用人たちの視線が自分たちに注がれているのを感じ、アリアは居たたまれずに彼の胸元に顔を埋める。
セリウスは彼女を抱きかかえたまま、迷いのない足取りで本館の大階段を上っていく。
高い天井には幾つもの水晶のシャンデリアが輝き、壁には歴史を感じさせる重厚な風景画が飾られていた。
大理石の床に敷かれた分厚い深紅の絨毯が、彼の重い靴音を柔らかく吸収していく。
◆ ◆ ◆
本館の最奥、当主の私室がある区画の一番日当たりの良い部屋の前で彼の足が止まった。
細やかな百合の花の彫刻が施された重厚な木扉を片手で押し開ける。
セリウスはアリアを抱えたまま、部屋の中へと静かに足を踏み入れた。
室内に広がる光景を視界に収め、アリアは再び言葉を失う。
壁紙は柔らかな淡い空色で統一され、窓辺には大ぶりの白百合の花が飾られている。
精緻な銀糸の刺繍が施された天蓋付きのベッド、座り心地の良さそうな背もたれの高い椅子、美しい細工の書き物机。
それらは全て、かつてアリアが幼い頃に「こんな部屋に住んでみたい」と無邪気に語った夢そのままの配置だった。
「この部屋は、私が公爵位を継いだその日に完成させた」
セリウスはアリアをベッドの端に座らせ、自らもその前に片膝をつく。
「いつか必ず君をこの場所に迎えると誓い、他の誰にも使わせず、毎日整えさせていたんだ」
彼はアリアの足元に手を伸ばし、泥にまみれた粗末な革靴の紐を自らの手で解き始める。
公爵である彼が、泥で汚れることもいとわずに彼女の靴を脱がせる行為に、アリアは慌てて身を引こうとした。
しかし、彼の強い手が足首を掴み、その動きを止める。
「汚れなど気にするな。君の全てを受け入れるために、私は権力を手に入れたのだから」
彼がアリアの足首を撫でる手つきは、恐ろしいほどの熱と深い執着を帯びていた。
長年分厚い氷の下に秘められてきた彼の想いの重さに、アリアの胸の奥が甘く締め付けられる。
セリウスは靴を脱がせ終えると立ち上がり、アリアの額に唇を落として優しく囁いた。
「何も心配しなくていい。今はただ、泥のように眠りなさい」
温かなシーツの感触と、部屋を満たすラベンダーの香りが、彼女の張り詰めていた神経を少しずつ解きほぐしていく。
彼の言葉に従うように、アリアの意識は深い安心感とともに急速に温かな闇へと沈んでいった。




