第12話「雪解けの朝」
これまで必死にせき止めていた感情のダムが、音を立てて決壊する。
アリアの目から熱い雫が次々とあふれ出し、頬を伝って滴り落ちた。
堪えきれずに嗚咽が漏れ、彼女の小さな肩が激しく震え始める。
「私、ずっと……あなたが遠くに行ってしまうのが、怖かった」
震える両手を伸ばし、乱れた彼のシャツの胸元を強く握りしめる。
「私の方こそ、君が消えてしまうのではないかと、毎日生きた心地がしなかった」
声を殺して泣くアリアの背中を、セリウスの大きな掌が何度も撫でた。
その手つきは先ほどまでの乱暴さが嘘のように、どこまでも柔らかく、壊れ物を扱うかのようだった。
彼の身体から伝わる確かな熱が、アリアの骨の髄まで染み込んでいた冷えを少しずつ溶かしていく。
「もう二度と、私の側から離さない。君の全ては私のものだ」
誓いのような言葉とともに、彼の顔がゆっくりと近づく。
鼻先が触れ合い、視界が彼の青い瞳だけで満たされた。
熱を持った唇が、アリアの震える唇を静かに、しかし逃げ場を奪うように塞ぐ。
火傷しそうなほどの熱が、触れ合った皮膚から全身の血管へと瞬時に広がっていく。
涙の塩気が二人の間に混ざり合い、甘く溶けて消えた。
息継ぎの隙間すら与えられない深く長い口づけに、アリアの思考が白く染め上げられていく。
力を失いそうになる身体を、彼の力強い腕がしっかりと支え続けていた。
どれほどの時間が過ぎたのか、彼がゆっくりと唇を離す。
銀色の髪がアリアの額にかかり、互いの荒い吐息が熱く交わり合った。
セリウスは名残惜しそうにアリアの頬をなでると、荷台の入り口へと身を翻す。
外では、御者が怯えた様子で立ち尽くしていた。
「この件については、口外を禁じる。これまでの積み荷の代金と、口止め料だ」
セリウスは腰の袋から、金貨が詰まった重い皮袋を御者の足元へと投げ渡した。
御者が震える手でそれを拾い上げ、何度も深く頭を下げる。
セリウスは荷台から外の土の道へと降り立ち、アリアに向かって両腕を差し出した。
朝の眩しい太陽の光が、彼を後光のように照らし出している。
アリアは鞄を置いたまま、迷うことなくその腕の中へと身を投げ出した。
確かな重みとともに彼に受け止められ、身体がふわりと宙に浮く。
セリウスはアリアを抱き上げたまま、待たせていた漆黒の軍馬へと向かった。
彼は先にアリアを鞍の上に乗せると、自らもその後ろに素早く跨がる。
背中を彼の広い胸が覆い、両脇から伸びた腕が手綱を握ることで、アリアは彼の中に完全に閉じ込められる形となった。
「帰ろう。私たちの家へ」
耳元で囁かれる甘い声に、アリアの胸の奥が幸福で満たされていく。
セリウスが手綱を引くと、馬は力強い足取りで王都へと向けて歩みを進め始めた。
来たときの冷たく暗い馬車の荷台とは違う、温かく守られた特別な空間だ。
風がアリアの髪を揺らし、朝の澄んだ空気が肺を満たしていく。
昨夜の死に場所を探すような孤独な逃亡劇が、まるで遠い昔の出来事のように思えた。
◆ ◆ ◆
地平線から昇りきった太陽が、平野の緑を鮮やかに照らし出している。
世界はこんなにも美しく、色に満ちていたのだと、アリアは初めて気づいた。
背後から伝わるセリウスの規則的な心音に身を預けながら、アリアは静かに目を閉じる。
長く冷たい冬が終わり、二人の本当の時間がここから始まろうとしていた。




