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没落寸前の男爵令嬢なのに、冷徹な美貌の公爵が我が家を買い取って私のすべては俺のものだと迫ってくる  作者: 黒崎 隼人


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第10話「黎明の追撃」

 王都の城壁を背にして進むにつれ、空は少しずつ夜明けの光を帯びていった。

 地平線の彼方が薄紅色に染まり、朝靄の中から広大な平野の輪郭が浮かび上がる。

 舗装されていない土の道は酷く荒れており、馬車は車輪を取られて何度も大きく傾いた。

 アリアは硬い床板の上で姿勢を崩し、痛む腰を庇いながら荷台の木壁に背中を預ける。

 手足の感覚は寒さで麻痺し、自分の身体ではないようにひどく重かった。

 それでも、あの関所を抜けられたという事実だけが、彼女をかろうじて支え続けている。

 ここからさらに西へ向かえば、セリウスの勢力圏から抜け出せるはずだった。

 太陽が半分ほど顔を出し、朝の眩しい光が荷台の中を黄金色に照らし始めたそのとき。

 後方から、複数の馬が地を蹴る規則的な音がかすかに聞こえてきた。

 その音はただの旅人や商人のものではなく、訓練された軍馬特有の重く鋭い響きだ。

 地鳴りのような足音が、信じられない速度でこちらに迫ってくる。

 御者が慌てて手綱を引き、馬車を道の端へと寄せる激しい動きがあった。

 土煙を高く巻き上げながら、数騎の馬が馬車の真横を通り過ぎて前方を塞ぐ。


「馬車を止めろ。そこから動くな」


 怒声とともに、荷馬車の進行が前と後ろから完全に絶たれた。

 アリアは息を呑み、幌の隙間から震える目で外の様子を窺う。

 立ち上る土煙の向こう側から、一人の騎兵がゆっくりと馬を進めてきた。

 漆黒の馬に跨がっているのは、見間違えるはずもない銀色の髪の青年だった。

 セリウスだ。

 しかし、彼の姿は昨日王宮の庭園で見た公爵のものとは程遠かった。

 上着は着ておらず、白いシャツの胸元は乱暴に引き裂かれたように大きく開いている。

 整えられていた銀の髪は風と汗で無残に乱れ、疲労と焦燥にまみれていた。

 彼の青い瞳は血走り、獲物を追い詰めた猛禽類のように鋭い光を放っている。

 馬が完全に停止する前に、セリウスは馬の背から地面へと勢いよく飛び降りた。

 着地の衝撃に構う様子もなく、大股で荷台の後方へと歩み寄ってくる。

 御者が何かを言いかける前に、彼は荷台を塞いでいた幌の紐を素手で引き千切った。

 朝の眩しい光が、薄暗い荷台の奥深くまで一気に流れ込む。

 積み上げられた木箱の奥で身を縮めるアリアの姿を、彼の瞳が正確に捉えた。


「アリア」


 喉の奥から血を吐き出すような、ひどくかすれた声だった。

 彼はためらうことなく荷台に足を掛け、狭い空間へと強引に身体を滑り込ませる。

 逃げる間も与えられず、アリアの腕が強い力で前へと引かれた。

 次の瞬間、肋骨が軋むほどの強い力で彼の腕の中に抱きすくめられる。


「セリウス様、離して、ください」


 混乱と恐怖に突き動かされ、アリアは彼の胸を両手で力いっぱい押し返そうとする。

 しかし、彼女を包み込む腕は鉄の鎖のように微動だにしなかった。

 彼の胸の奥から響く激しい心音と、荒い呼吸の熱が、薄い布地越しに直接伝わってくる。

 土埃と馬の汗の匂い、そして彼自身の肌の香りが、アリアの思考を白く塗りつぶしていく。


「こんな真似をして、王室の方々が何とおっしゃるか。王女殿下も」

「王女など関係ない。婚約などしていないし、誰とも結婚する気などない。私が妻に迎えるのは、君だけだ」


 セリウスが怒鳴るように遮り、アリアの言葉を強引に断ち切った。

 耳元で囁かれた言葉の意味が理解できず、アリアの全身が氷のように硬直する。

 彼は抱きしめる力をさらに強め、アリアの首筋に額を深く押し当てた。


「君を安全に私の隣に置くためだけに、王家の権力争いを利用した。あの噂は、君を狙う者たちを欺くための目眩ましだ」


 長年冷たい氷の下に抑え込まれていた彼の真意が、ついに決壊した水のようにあふれ出した。

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