第98話「弦の残響」
七月中旬。あれから二ヶ月ちょっとたって、僕もようやく落ち着いてきた。
いろいろと問題はあったけど、工場は安定稼働しているし、防波堤作りも軌道にのってきた。
防波堤予定地の海底の一部に予想以上に軟弱な箇所があり、そこの工事が難航。結果的には、アストリア半島から二十メートルの長さの樫をたくさん切ってきて、それを打ち込むことで安定した。岩盤層まであんなに深いとは思わなかった。
マルコさんたちに力を貸してもらえてなかったら、無理だと途中で匙を投げるとこだったよ。そのくらいに大変だった。
僕がやったのは助言と一部のお手伝いだけ。実際にはランさんが指揮してたから、聞いたことの方が多い。
僕自身は、ほとんどナーヴェ・マードレ(ドック船)で船作り。マルコさんに助言をもらい、三番衆の船大工の人たちと協力して、船体を作り上げてた。おかげで、船体自体はだいたい完成。キールもできたし、船体へのチタン合金入りCNF浸潤も完了。これまでの船よりずっと大きいから、その分だけ手間もかかる。でも、マルコさんのおかげで、デッキ部分は、想定していたよりもずっと滑らなくなって良かった。
CNFはどうしても滑らかで滑りやすい。なので、デッキ部分にだけは、チタン合金ではなく、珪砂(石英)を混ぜてみた。結果、デッキの表面には、細かく砕いた珪砂がたくさんの突起物となり、靴の裏をがっちり止めてくれる。前世のヨットの「ノンスリップ・デッキ(ザラザラした塗装)」と同じ仕組み。これなら嵐の時でも作業できそう。
クリート(紐留め)やスカッパー(排水孔)もきちんと作ったし、伸縮式のマストと帆とロープも目途がついてきた。
「ルカ、武装はどうするんだ?」
ある時、マルコさんが聞いてきた。やはり気になるよね。丸腰というわけにはいかないし。
「弓…ですかねえ」
「弓?ああ、バリスタかスコルピオか?」
「あ、それですそれです。…ん?その二つって別物なんですか?」
「いや、構造的には似たようなもんだ。大きく分けての話だがな、バリスタは大型の投射機、城壁を壊すような重兵器を指すな。スコルピオは、小型から中型の精密な弩のことだな」
「なるほど。それだと、スコルピオの方が近いですね」
「ふむ。それをどうするんだ?常設か?格納式か?」
「あ、そっか、格納式いいですね。戦闘時以外は邪魔だし」
「じゃあ、そろそろ作らんとな」
「…うーん、そうですよねえ」
「ああ、ルカの指示通りの位置でマスト周辺はもうほぼ完成してるし、スコルピオを設置するならマストの前方だろう?格納式にするなら、それこそ早く作らんとな」
「…わかりました!考えてきます!その間はお任せしていいですか?」
「任せておけ!おれとおまえで作った設計図通りなら何も問題はない。ルカやアディのスキルでしかできないとこだけ残しておくさ」
「ありがとうございます!」
◆◇◆◇◆
マルチェッロ家の工房。
ヴィルゴ・ロサルム(リンス)とラクリマ・エーテラ(柔軟剤)の作業場となってからは、ほとんど立ち入らなくなっていた。僕の手がかかる工程はまったくないし、こういうのは完全にお任せしていた方がうまくいくもんだし!
「エリシアさん、お願いしたいことがあるんだけど、時間とれます?」
扉を開けると、すぐ近くにエリシアさんがいたので聞いてみた。弓のことならエリシアさんでしょ!
「…ルカ様、えーと、今日の分担分は終わったので大丈夫ですよ」
「ありがとう!『黒弓』を持って居間に来てください」
「弓を?…わかりました」
◆◇◆◇◆
「ルカ様、お待たせしました」
「あ、エリシアさん、忙しいとこごめんね」
「いえ、大丈夫ですが、弓がどうかしましたか?」
「僕の船に弓の大きいの…スコルピオを設置したいと考えているのね」
「スコルピオですか…それだと基本はクロスボウになりますね」
「うん。それで、どんな材質で作るのがいいか考えてて、黒弓の使用感がどんなものか聞きたくて」
「そうでしたか…この弓の良いところは「返りの速さ」と「軽さ」です。それは、これまで使ったあらゆる弓の中でも群を抜いています」
エリシアさんは、そう言いながら、人差し指・中指・薬指の三本の指で、弦を軽く引いてみせた。最初の時よりも無駄のない動きで引いている感じがする。随分と慣れたように見える。そして、いつのまにか、左腕に革製の籠手らしきものをつけていた。
「軽さのおかげで狙いをつけやすいですし、そして…」
指を離した。空気を切り裂く乾いた音が響く。
「返りの速さとは、初速の速さです。この大きさの短弓にも関わらず、ロングボウ以上の速度と威力をもっています。ですが、問題点もあります」
「あ!そういうの聞きたい!教えて!」
「はい。私が感じている問題点は三つあります」
僕は紙にメモを取り始めた。
「一つ目は衝撃の強さです。返りが速いために、弦を離した際の衝撃が強く、少しでも弓の動作を間違えれば、左腕がえぐれます」
「そんなに!?」
「ええ。ですので、私は、このように革製の籠手で守るようにしています」
「なるほど!」
「二つ目が弦の強度の問題です」
「強度?」
「はい。あまりにも返りが速いため、弦自体が持ちません。通常の麻の弦だと、三射程度で焼き切れてしまいます」
「三射!?それしかもたないの!?」
「もしかしたらもう数回は持つかもしれませんが、私は念のために三射で張り替えています。そのため、いつも予備の弦を持ち歩いています」
「ふむふむ」
「三つ目は矢の強度です。普通のトネリコの矢では、目標にたどり着く前にバラバラになってしまうことがあります」
「バラバラ!?壊れちゃうの!?」
「ええ。ですので…」
エリシアさんは、矢筒から一本の矢をとりだした。
「私が今使っている矢は、念入りに乾燥させた樫材で作っています。これならば、この弓の威力でもなんとかもちます」
「…なんかごめんなさい。そんな大変なことしながら使ってくれていただなんて…」
「いえ!ルカ様!この弓は最高です!最高だからこその悩みです!」
「そこまで評価してもらえてうれしいよ。でも、実際問題として、弦の強度問題は致命的だと思うんだ。そこは、なんとかしなくちゃならない」
「はい…三つとは言いましたが、一番の問題はそこなのです」
「弦の素材って、麻が普通なの?他に使ってる素材ってなにかあるのかな?」
「麻が一般的ではありますが、地方によっては絹を使っていたりもします」
「絹か…弦にした場合の麻と絹って、違いがあるのかな?」
エリシアさんは、いろいろ思い出しながら教えてくれた。
「麻の最大の長所は「伸びにくさ」です。引いてもほとんど伸びることがないので、弓の力を逃さず矢に伝えることができます。反面、衝撃と湿気には弱いです」
「ふむ」
「絹の最大の長所は「引張強度と粘り」です。おかげで、急激な衝撃を受けても引きちぎれにくいのが特徴です。反面、麻よりも伸びやすいです」
「…なるほど。だとすると、伸びにくくて、引張に強くて、粘りがあって、湿気にも強い素材だといいわけか…」
「そうですね。加えていえば、繊維が太い方が望ましいです。それだと、寄り合わせて弦にした時にコシが強くなり、弓の反発力を受け止める骨格として優れたものとなります」
「…なるべく太い繊維…うーん」
そんな都合の良いものが…あっ!
「エリシアさん!ちょっとここで待ってて!」
◆◇◆◇◆
「これを試してみよう!」
僕は、倉庫から持ってきた糸の束と、研究所からもってきたチタン合金粒子入りCNFブロックをテーブルの上に置いた。
「薄緑色の糸?」
「そう!これはね、野蚕の絹糸なんだ!」
「家蚕(養殖の蚕)ではなく、野蚕(野生の蚕)ですか…あ、少し太いですね」
「そう!これを加工すれば、弦の強度がかなり増すはず。この糸を使って弦を作ってみてくれる?」
「はい、わかりました…あ、このテーブルの足を使わせてもらいますね」
エリシアさんはそう言うと、居間の大きい重厚なテーブルの足に、手慣れた動作で糸を掛け始めた。
十本以上の極細糸を一束にまとめると、膝の上で転がすようにして予備の撚りを糸に加えていく。
あ、すごい…応力集中を防ぐための精密なプリプレグ(予備成形)工程だ。指先の感覚だけでやっちゃうのか。一瞬の内に三つの束ができちゃった。
エリシアさんは、二つの束を左手で固定し、右手でそれぞれの束を時計回りに強く「捻り」上げる。そして、その捻じれが戻ろうとする力を利用し、今度は二つの束を互いに反時計回りに「交差」させていく。
「撚って、戻す。戻る力が、隣の束を締め上げるのです。回すところは、指が『ここだ』と教えてくれます」
エリシアさんの指先は、まるで精密な定ピッチ送り機構のように、一ミリの狂いもなく交互に糸を編み上げていく。
仕上げに、弓の末端に掛ける「ループ(耳)」を作る段になると、エリシアさんの技はさらに冴え渡った。糸の端を少しずつ間引き、「テーパー(先細り)」をつけながら本体の撚りの中に編み戻していく。これにより、結び目を作ることなく、弦そのものの摩擦だけで固定される仕組みの完成だ。
「できました」
「…ありがとう!」
エリシアさんの技に見とれてしまった。
「じゃあ、これに…」
僕はCNFブロックを置いた。
「圧縮」
みるみる内にCNFブロックが形を変え、エリシアさんが作った弦に染み込んでいく。ブロックの半分くらいが消えたところで、野蚕シルクの隙間はすべてCNFによって満たされ、外側も薄い膜で覆われた。
「…完成。じゃあ、この弦を弓にかけてみて」
「わかりました」
エリシアさんが、僕が差し出した弦を手に取った瞬間、彼女の眉がピクリと跳ねた。
「…重い。いえ、質量というより、この糸の中に『芯』が通ったような、妙な手応えです」
エリシアさんは、弓を床に立て、熟練の足捌きで弓を抑え込んだ。通常の木弓なら、ここで「ギギッ」と繊維が鳴くはずだが、この弓は無音だ。代わりに、凄まじい反発係数で彼女の力を押し返そうとする。
エリシアさんの額に汗が浮かぶ。通常のロングボウを凌駕するテンションを、彼女は全身のバネを使ってねじ伏せて、弦が固定された。
その瞬間、弓は完璧な静止状態に入った。
弦は、野蚕シルクの緑を残しながらも、CNFの被膜によって一本の細い金属棒のようにピンと張り詰めている。指で弾いても「ビーン」という振動すら起きず、ただ「コツッ」という、硬質な物体を叩いたような音だけが返ってきた。
弦を引いたエリシアさんの表情が変わる。
「ルカ様…これ・・・」
「大丈夫そう?」
「はい…これまでのような頼りなさが一切ありません。以前よりも硬いですが、安心感のある硬さです」
「良かった。計算上は、これまでの倍近い威力になると思うので、半分程度の引きで充分だと思うよ」
「…そうですね。そのくらいの力を感じます」
エリシアさんが、弦にかけていた力をふっと抜いた。
パシュン、という短い風切り音とともに、弦が定位置に戻る。
通常の弓なら弓体が激しく震え、弦が空気を叩く「ビーン」という低い残響が尾を引くはずだ。しかし、この弓は違った。
「…っ」
エリシアさんが息を呑む。
振動が、一瞬で消えたのだ。
手元に残ったのは、弦が戻りきった瞬間に放たれた、キィィィィン…という、耳の奥を突き刺すような鋭い金属音の残響だけ。
「振動が…手に来ません。放した瞬間に、弓が静止しました」
エリシアさんの言葉通り、弓はピクリとも動いていない。
「エリシアさん、それ、弓が振動していない証拠の音なんだ」
僕は満足げに頷いた。
これなら、矢を放った瞬間に射手の腕がぶれることもない。命中精度は、理論上の上限に限りなく近づいているはず。
「…恐ろしい弓です。音が、まるで見えない刃物のように空気を切り裂きました」
エリシアさんは、まだ指先に残る微かな痺れを確かめるように、弦をそっとなぞった。
「エリシアさん!ありがとう!おかげで方向性は見えたよ!」
ようし!必要な材料を集めて作っていくぞ!
あ、その前に設計図を描こうっと!
(第98話「弦の残響」終わり)
◆◇◆次回予告◆◇◆
「スコルピオの設計開始!弦の強化は成功したけど、問題は弓本体。CNFとチタン合金の複合材で作れば理論上は可能だけど、格納式にするには駆動機構も必要だし…うーん、問題はいっぱいあるけど、一つ一つこなしていけばなんとかなる!」
「次回、『スコルピオ』。必要な時に使える力を持つことは重要」




