第90話「ガラスの変革」
研究所(仮)で、三つ目の羅針盤を仕上げてた。チタンのケースに、コバルトとニッケルの合金の磁石針を慎重に取り付ける。精密な作業だけど、三つ目ともなると慣れてきたかな。
一つ目は航海用。二つ目は予備。三つ目は研究用。
できれば、透明なガラスで蓋を作りたいなあ。
「よし、できた」
三つの羅針盤を並べて眺める。チタンの銀色が美しい。でも、蓋がないと、針がむき出しで、埃や水が入ってしまう。
「透明ガラスが完成したって聞いたし、ヴィトリア島に行って職人さんに相談してみようかな」
ヴィトリア島は、セレニアのガラス工房が集まる島だ。
透明ガラスを使って、どのくらい加工してくれるかわからないけど、相談してみるのはありだよね。
「ルカ、作業中か?」
ロレンツォ兄さんが入ってきた。
「あ、兄さん」
「ちょっと視察に行かないか?ドージェから、炭とガラスの件で、現段階での成果を確認してきてほしいと言われててな。おまえから渡されたアレ、おれには正しい結果がわからないから一緒に来て欲しいんだ」
「いくいく!先にガラスの成果を見たい!というかヴィトリア島行きたい!」
「…随分食いつきがいいな。なにかあったのか?」
「うん!これを見て!」
僕は羅針盤を指さした。
「なんだこりゃ?」
「えっとね、常に北を知ることができる道具」
「北?…ああ、あれか?水に針を浮かべて方向を調べるやつ」
「それそれ!でも、これは水もいらないからどこででも使える道具なんだ!」
「ほう、面白いなそれは」
「でも、今の状態だと、この針がむき出しになってしまうから、このままだと精度が落ちていくし、携行するにも向かないんだよね」
「…確かにな」
「そこで、これに透明なガラスで蓋をつければ、針が見えるし、埃や水も入らない」
兄さんが羅針盤を手に取って眺めた。
「なるほど。確かに、蓋があった方がいいな」
「ヴィトリア島に行って、職人さんに相談したいなと思って」
「それならちょうどいいな。今からだと遅いから…明日で大丈夫か?」
「うん!」
◆◇◆◇◆
翌日、僕とロレンツォ兄さん、それにヴァレリアさんとニーナさんの四人で、僕の船に乗り込んだ。
セレニアからヴィトリア島まで、普通なら三十分くらいだけど、僕の船ならゆっくり行っても十分で着く。
春の海は穏やかだった。今日は波も低くて、風の具合もちょうどいい。海鳥が、船の上を飛び回ってる。
「…ルカ、速すぎないか!?」
「そんなでもないよ!」
船体が浮上するほどには速度を上げていない。そこまで急ぐわけではないしね。
やがて、小さな島が見えてきた。いくつもの煙突から煙が上がってる。
「あの煙は?」
「ガラス工房でしょう。ガラスを溶かすための炉から、煙が出ているんです」
ヴァレリアさんが即座に答えてくれた。
船が島に近づくと、港が見えてきた。小さな港だけど、いくつもの船が停泊してる。
手近な場所に接岸して降りた。ニーナさんが留守番しててくれるというので安心!
◆◇◆◇◆
ヴィトリア島は、ガラス工房だけが集まっている島。
昔はセレニアに点在していたらしいんだけど、ある時、当時のドージェの方針でヴィトリア島の強制移住という形で集められたって聞いたことがある。ドージェの意向なら仕方なかったんだろうなあ。
港から続く道の両側には、ガラス工房が並んでる。大きな建物もあれば、小さな工房もある。どの建物からも、炉の熱気が漂ってくる。
そして、あちこちにガラス製品が置かれてる。花瓶、コップ、皿、ランプ…。色とりどりのガラスが、太陽の光を受けて輝いてる。
「どこの工房に行くの?」
「マエストロ・ジャコモの工房だ。今回の件の責任者だし、技術も確かな人だ。おれも以前お世話になったことがある人だしな。相談相手としてもいいんじゃないか?」
兄さんが、道の奥を指差した。そこには、一際大きな建物があった。
僕たちは、その建物に向かった。扉を開けると、中は熱気でムッとした。炉の火が、赤々と燃えてる。そして、数人の職人たちが、ガラスを吹いてる。溶けたガラスを、長い棒の先につけて、息を吹き込んで膨らませる。職人の技だ。
「おお、ロレンツォ!久しぶりだな!」
奥から、大柄な男性が出てきた。四十代くらいだろうか。顔には汗が光ってて、エプロンをつけてる。
「マエストロ・ジャコモ、お久しぶりです」
ロレンツォ兄さんが挨拶した。
「そちらは?」
「弟のルカと、当家のメイドです」
僕は頭を下げた。
「ロレンツォの弟か。よく来たな」
マエストロ・ジャコモが笑顔で握手してくれた。大きくて、ゴツゴツした手だ。
「で、今日は何の用だ?」
「まず、改良されたクリスタッロを見せてもらえますか?ドージェ経由で伝えた技術の成果確認を依頼されまして」
「おう、いいぞ。こっちだ」
マエストロが奥の棚に案内してくれた。そこには、透明なガラスの器が並んでた。
「これが、今のクリスタッロだ」
マエストロが一つの器を手に取った。透明で、光を通す。前のクリスタッロよりも、ずっと綺麗だ。
「すごいな…」
ロレンツォ兄さんが感心してる。
「お前たちが教えてくれた技術のおかげだ。最初は失敗ばっかりだったが、今はこれだけ透明なガラスが作れるようになった」
兄さんが器を一つ手に取り念入りに確認してる。
「良さそうですね。どうだ、ルカ?」
僕に手渡ししてきた。
光にかざして見ると、予想以上の仕上がりだった。僕の知っているガラスと遜色のない透明度。以前あったような、薄い緑色はどこにもない。まさに無色透明。これなら…。
「マエストロ、素晴らしいです。こんな短期間で、ここまでの成果がでるとは思いませんでした」
「そうかそうか!そう言ってもらえると、おれたちも頑張った甲斐があったってもんだ!」
マエストロの笑い声が工房に響いた。声の調子からもうれしさが伝わってくる。
「…マエストロ、その腕前を見込んで相談したいことがあるのですが…」
「相談?」
「ええ。これに、透明なガラスで蓋を作ることはできませんか?」
僕は、箱から羅針盤を取り出して、マエストロに見せた。
「…これは?」
「常に北の方角を教えてくれる道具です」
「…なんだと!?これで!?」
マエストロはまじまじと羅針盤を見た。三つとも針が同じ方角を向いていることを見てから、その指し示す先を見た。方角を確認しているのかな。
「…確かに北を向いてる。必ず北を向く、水に浮かせた針があるてぇのは聞いたことがあったが、これで同じことができるのか…すげぇな」
「これにですね、透明なガラスで蓋を作ってほしいんです。このままだと、針がむき出しで、埃や水が入ってしまいます。だから、透明なガラスで蓋を作って、針が見えるようにしたいんです」
マエストロが羅針盤をじっくりと見ている。
「なるほど…透明な蓋か。この小さなものにはまる小さな円盤状のガラスということだな」
マエストロが腕を組んだ。
「できないこともないかもしれん。やってみるか…」
「本当ですか!?」
「ああ、試してみようぜ」
◆◇◆◇◆
ガラスの炉の扉が開くたび、紅蓮の光がマエストロの顔を焼き、影を壁に長く引き延ばした。
マエストロは長大な鉄の吹き竿を炉の深淵へと差し込み、どろりと溶けた黄金色の塊を巻き取る。あれが、ガラスが溶けたものか…。これだけでも綺麗なのがわかる。二酸化マンガンと炭酸カリウムってすごいなあ。
マエストロは竿を口元へ運ぶと、祈るように一息に息を吹き込んだ。
「ふうっ」
竿の先で、熱い塊がぷうと膨らむ。まるで灼熱のシャボン玉だ。膨らんだことを確認するやいなや、竿をあやとりでもするように回すと、重力に従って形を整えながら、それは完璧な球体へと成長していった。
間髪入れず、助手が「ポンテ」と呼ばれる鉄棒の先に少量の溶けたガラスをつけ、球体の底部へ音もなく接着した。マエストロが吹き竿を鋭く叩くと、ガラスの首がパリンと小気味よい音を立てて離れる。
今や、ガラスの球体には黒い「口」が開いていた。
「ここからだ。離れていろ」
マエストロは再び火の前に立ち、ポンテ棒を両手で挟むようにして猛烈に回転させた。
遠心力が働き、ガラスの開口部がひまわりの花が開くように、じわじわと、しかし確実に広がっていく。
熱気と回転が頂点に達した瞬間、ガラスは「パッ」と音を立てるような鮮やかさで平らな円盤へと変貌した。
直径約十五センチ。羅針盤のサイズとほぼ一緒だ。
それはまだ赤く熱を持ちながらも、冷えゆくにつれて、透明度を現し始めた。マエストロがポンテ棒を切り離すと、中心にわずかな「ヘソ」を残し、世界で最も澄んだ円盤が机の上に横たわった。
「いいんじゃないか?これなら…針が指す北を、疑いようもなく見つめられるはずだ」
マエストロは汗を拭い、宝石のようなそのガラスを見つめて満足げに喉を鳴らした。
「すごいな…」
ロレンツォ兄さんが感心してる。僕も一緒だ。匠の技ってすごい。
僕は、冷えたガラスを見つめていた。中心の「ヘソ」は気にならない。羅針盤と見比べてみても針の先をみるための障害にはならないだろう。ヘソを含めた中心部が少し厚ぼったいが、透明度がこれまでのガラスとは桁違いだから特に気にならない。美しいとさえ言える仕上がり。
「大きさはどうだ?だいたい、合わせたつもりだが」
言われて、ガラスの上に羅針盤を持って合わせてみる。
「…ほんの少しはみ出す程度ですね」
「研磨して整える部分だ。問題なさそうだな」
そうか!そこまで計算して作ってくれたのか…すごいなあ。
◆◇◆◇◆
マエストロが丁寧に大きさを確認しながら研磨している。少しずつサイズ感が合っていっていくのがわかって感動もの。
やがて、マエストロの手が止まった。
「これでどうだ?」
言われてガラスを受け取り、羅針盤のケースにはめてみると…外縁の溝の部分に、吸い込まれるように嵌った。
「大丈夫そうだな」
「はい!」
「じゃあ、あと二つ作るぞ?」
「お願いします!」
透明なガラスの蓋がついた羅針盤。針がガラス越しに見える。埃も水も入らない。
後で、外縁に爪のような張り出しを追加して固定すれば完成。
その時、ふと思った。
この丸いガラス…僕や兄さんが使っている眼鏡のレンズと構造的には同じだよね。真ん中が盛り上がってて端が薄い、典型的な凸レンズ。今のままだと「ヘソ」を研磨しないとダメだけど、この透明度の高い新しい眼鏡は欲しいな。今、使ってるのは少し濁ってるし、微妙に色がついてて見えにくいもんね。もう少し、透明ガラスの製造が軌道にのってきたら、マエストロにお願いしてみようかな。
…あれ?そう言えば…。
凸レンズはあるけど、凹レンズはまだ見たことがない。というか、もしかしてまだないのかも?幸い、僕は完成形を知ってる。研磨次第で充分作れることも知ってる。凹レンズができれば近視の人も助かるよね。
…いやいやいや!それだけじゃない!凸レンズと凹レンズがあれば…望遠鏡が作れるじゃないか!
(第90話「ガラスの変革」終わり)
◆◇◆次回予告◆◇◆
「アディです!ルカが、すごい羅針盤を完成させたの!透明なガラスの蓋がついてて、針が見えるの!それに、レンズっていうのも作れるかもしれないんだって!ルカ、また新しいことを考えてる。どうなるんだろう?」
「次回、『透明なナニカ』。レンズに出来るのはガラスだけじゃない!」




