第85話「再出発」
「さて、始めるか」
ロレンツォ兄さんが、居間のテーブルに資料を広げた。
お父様、アレッサンドロ兄さん、そして僕の四人。
家族会議だ。
「まず、親父とアレッサンドロの兄貴に説明しなきゃならないことがある」
兄さんが一枚の図面を取り出した。
防波堤と灯台の設計図だ。
「これは…」
お父様が図面を覗き込む。
「防波堤と灯台だ。エスト島の北端に作る」
「防波堤と灯台!?」
アレッサンドロ兄さんが目を丸くした。
「ああ。セレニアの交易を守るための大事業だ」
兄さんが説明を始めた。
コンクリートのこと、鉄筋のこと、工場のこと。
そして、海の民が全面協力してくれること。
「海の民が…協力?」
お父様が驚いている。
「ああ。ルカが縁を作ってくれたおかげでな。四月になったら、三の長であるマルコって人が率いる『三番衆』がやってくる。そこから本格的に建設が始まる」
「三番衆…」
「六百人規模だ。船も二十隻」
「ろ、六百人!?」
アレッサンドロ兄さんが椅子から転げ落ちそうになった。
「マジかよ…」
「マジだ」
お父様は、じっと図面を見つめている。
「…すごいな。こんな大事業を、お前たちが」
「ルカのおかげさ」
「いや、兄さんがいなかったら無理だったよ」
僕は首を振った。
兄さんが苦笑する。
「まあ、役割分担ってやつだな」
そして、兄さんが別の紙を取り出した。
「それと、親父に話がある」
「私に?」
「ああ。実は、ドージェから伝えられたことがあってな」
兄さんが真剣な顔になった。
「防波堤と灯台の建設が成功したら、親父を評議員に推挙したいとのことだ」
「評議員!?」
お父様が驚いて立ち上がった。
「ああ。今、評議員は定員十一名のところ、二名欠員らしい。そこで、マルチェッロ家から一人出してほしいって」
「しかし、私は…」
「ドージェが言ってたぞ。若い頃、親父には何度も助けられたって」
「…フランチェスコか」
お父様が懐かしそうに呟いた。
「あの頃は、一緒に商売で競い合ったものだが…」
「ドージェは、親父が評議員にふさわしいと思ってる。それに、最近のマルチェッロ家の躍進も評価されてる」
「…私には荷が重すぎる」
お父様が首を振った。
「お父様」
僕は立ち上がった。
「隠居するにはまだ早いよ」
「そうだぜ、親父。まだまだ働いてもらわないと」
アレッサンドロ兄さんも笑った。
「親父、頼むよ」
ロレンツォ兄さんが頭を下げた。
お父様は、三人の息子を見回した。
そして、深く息を吐いた。
「…わかった。引き受けよう」
「本当か!」
「ああ。お前たちがそこまで言うなら」
お父様が微笑んだ。
「じゃあ、今度、俺と一緒にドージェのところに行こう。受諾の挨拶をしないと」
「ああ」
兄さんとお父様が頷き合った。
何だか、すごいことになってきた。
◆◇◆◇◆
「次は、アレッサンドロの兄貴の話だ」
兄さんがアレッサンドロ兄さんを見た。
「俺?」
「ああ。兄貴、これからどうするつもりだった?」
「そりゃあ、来年の三月までのんびりして、それからまた東方交易船団に戻ろうかと」
「だよな」
兄さんが頷いた。
「でも、頼みがあるんだ」
「なんだ?」
「ヴィチェンツァの行商を任せたい」
「ヴィチェンツァ?」
「ああ。今、メイドのニーナに担当してもらってるんだが、マルチェッロ商会の事業が拡大してきて、人手が足りなくなってきたんだ」
兄さんが資料を広げた。
「ヴィルゴ・ロサルム(リンス)とラクリマ・エーテラ(柔軟剤)の売れ行きがすごくてな。ヴィチェンツァでも需要が高い」
「へえ」
「もし、兄貴が望むなら、ヴィチェンツァに支店を作って、そこで自由にやってもらってもいい」
「支店!?」
アレッサンドロ兄さんが驚いた。
「ああ。最初はニーナと一緒に行商して、慣れてきたら全部任せる。どうだ?」
アレッサンドロ兄さんが、しばらく黙って考えていた。
指で机をトントンと叩いている。
そして、顔を上げた。
「…いいぜ。やってみる」
「本当か!」
「ああ。支店運営か。面白そうだな」
アレッサンドロ兄さんがニヤリと笑った。
「それに、その方が気楽でいい」
「気楽って…」
「だって、東方交易船団だと、船長や先輩たちに気を使わなきゃいけないだろ?でも、支店なら俺が責任者だ。自由にやれる」
「…なるほど」
兄さんが笑った。
「じゃあ、決まりだな」
「おう」
二人が握手した。
◆◇◆◇◆
「よし、これからの体制を整理するぞ」
兄さんが紙に書き始めた。
「俺とルカは、これまで通り。技術開発と商会の運営」
「はい」
「アレッサンドロの兄貴は、ヴィチェンツァ担当」
「了解」
「親父には、評議員になるまでの間、ヴィルゴ・ロサルムとラクリマ・エーテラの製造・販売の監督役をお願いしたい」
「わかった」
お父様が頷いた。
「これで、マルチェッロ商会も一段と強くなる」
兄さんが満足そうに笑った。
なんだか、本当に大きな商会になってきた気がする。
僕は、少しドキドキした。
◆◇◆◇◆
それから数日後。
ロレンツォ兄さんとお父様が、ドージェ宮殿に挨拶に行った。
そして、夕食の時、その報告があった。
食卓には、お父様、お母様、マリアさん、ロレンツォ兄さん、アレッサンドロ兄さん、僕、アディ、ランさん、そしてメイドさんたちも集まっていた。
「報告がある」
ロレンツォ兄さんが立ち上がった。
「ドージェから、いくつか良い知らせを聞いてきた」
「良い知らせ?」
アディが目を輝かせた。
「ああ。まず、ミョウバン鉱山の採掘が始まった」
「雪も融けてきただろうしね」
ミョウバン鉱山。あの時提案した、型枠とコンクリートを使った採掘方法。
「ルカが提案した方法のおかげで、予想以上に安全に順調に進んでるらしい」
「良かった…」
僕はホッとした。
「それと、コンクリートの需要が高まってきてるって」
「需要が?」
「ああ。鉱山でも使われてるし、他の建設にも使いたいって声が上がってるらしい」
兄さんが笑った。
「ドージェの手配も早くてな。もうナポリタニア王国から火山灰がどんどん運び込まれてる。石灰岩と砕石も溜まってきてるって」
「すごい…」
「防波堤と灯台の成果を待たずして、コンクリートがヒットしてる。ドージェはご機嫌だったぜ」
兄さんがニヤリとした。
「それと、ルカが提案したガラスの改良と炭の改良も順調だって」
「本当!?」
「炭は試作品ができて、ドージェが使ってみたらしい。効果が高くて喜んでた」
「白炭、成功したんだ!」
僕は嬉しくなった。
「ガラスもな。ようやく無色透明なガラスができたらしい。これから本格的な製作に入るって」
「透明なガラス…!」
これで、羅針盤にガラス蓋がつけられる!
「つまり、全部順調ってことだ」
兄さんが腕を組んだ。
「マルチェッロ商会にも、お金がどんどん入ってきてる」
「素晴らしいわ!」
母さんが嬉しそうに手を叩いた。
「でも、一つだけ気になることがあった」
兄さんの表情が引き締まった。
「ドージェが最後に言ってたんだ。『警戒だけはしておけ』って」
「警戒?」
「ああ。ドージェとしては最高の結果が得られて満足してる。でも、それを面白くないと思う者もいるってさ」
「…敵対勢力か」
ランさんが呟いた。
「すぐに何かが起きるってことはないだろうけど、油断するなってことだな」
兄さんが僕たちを見回した。
「わかった?」
「はい」
僕たちは頷いた。
確かに、これだけ急速に大きくなれば、面白く思わない人もいるだろう。
でも、僕たちには仲間がいる。
家族がいる。
きっと、大丈夫。乗り越えられる。
「さあ、食べよう」
お父様が笑顔で言った。
「これからが本番だ。しっかり食べて、力をつけないとな」
「そうだね!」
アディが元気よく答えた。
賑やかな食卓。
温かい笑い声。
家族みんなで囲む、幸せな時間。
僕は、この瞬間を大切にしたいと思った。
そして、これから始まる新しい挑戦に、胸を躍らせた。
春が来る。
新しい季節が、始まる。
(第85話「再出発」終わり)
◆◇◆次回予告◆◇◆
「四月になった!マルコおじさんたちがついにセレニアにやってくる!三番衆、六百人!船、二十隻!ウルカニア島での工場建設も始まるし、防波堤と灯台の建設も始まる!ルカ、なんだかワクワクしてる。私も手伝うよ!みんなで、セレニアの未来を作るんだ!」
「次回、『巨人、到来』。歴史が、動き出す」




