第83話「航海の目」
昨日、アストロラーベの裏蓋を開けて見つけた、あの複雑な歯車機構。
アンティキティラ島の機械。
前世で何度も本や番組で見た、古代ギリシャの謎のオーパーツ。
その実物が、このアストロラーベの裏側に組み込まれていた。
「ルカ、あの歯車、すごかったね」
アディが昨日のことを思い出したように言った。
「うん。天体の動きを計算する機械だと思う。太陽や月、星の位置を予測するための…」
あの精密に加工された真鍮の歯車たち。三十以上はあった。
おそらく、太陽の年周運動、月の満ち欠け、惑星の逆行運動…そういったものを再現する仕組みだ。
前世の知識と照らし合わせても、あの精度は驚異的だった。
「…詳しく調べたいけど、今はこっちが先だね」
僕はテーブルの上のアストロラーベを見た。
昨日、歯車を確認した後、裏蓋を再びネジで閉じておいた。
開けたまま動かすと、歯車がずれてしまうかもしれない。
それに、今は航海計器を作る方が優先だ。
「今は、これを参考に、もっと精密な航海計器を作ろう」
「うん!」
アディが頷いた。
僕は乾式羅針盤とアストロラーベを改めて見直した。
その時、アリアさんが顔をだした。
「アディ様、チェチリア先生がお見えですよ」
「あ、はーい。ありがとう!じゃあ、ルカ、行ってくるね!」
「うん!頑張って!」
◆◇◆◇◆
さてと、まずは羅針盤からにしようかな。
乾式羅針盤の最大の問題は、磁針の精度。
東方から来たこの羅針盤の磁針は、おそらく鉄を磁化したもの。
でも、鉄は錆びる。磁力も弱まる。もっと強力で、絶対に錆びない磁石にしないとね。
僕は棚からいくつかのマンガン塊を取り出した。
この塊から、タングステンやチタンを取り出してきたけど、他にもいけるはず。コバルトとニッケルがあれば…。
僕は『粉砕』スキルでマンガン塊を分析した。
意識の中に、様々な元素の名前が浮かび上がる。
マンガン、タングステン、チタン、そして…
(あった。コバルトとニッケル)
どちらも強力な磁性を持つ金属だ。
そして、この二つを合金にすれば…
(アルニコ磁石…いや、今回はコバルト-ニッケル合金で十分かな)
僕は『粉砕』スキルでマンガン塊を粉砕し、『圧縮』スキルを発動した。
以前は手で物質を選り分けてたけど、今は、『粉砕』スキルの分析と『圧縮』スキルを併用することで、狙った物質だけを生成することができるようになった。
これもレベルアップの恩恵なんだろうなあ。
青みがかった銀色のコバルト、白銀色のニッケル。二つの物質ができあがった。
「ここからが本番」
僕は二つの金属粒を混ぜ合わせ、『圧縮』スキルで成形していく。
磁針の形だ。長さ五センチ、幅二ミリ、厚さ一ミリ。
できた。まじまじと眺めるくらいに美しい仕上がり。
さて、次はこれを磁化しないと。
強力な電磁石があればいいんだけど、この世界にはまだ電気がない。
だから、永久磁石を使って磁化する。
手持ちの磁石を総動員して、磁力線が集中する配置を作った。
コバルト-ニッケル合金の針を、その中央に置き、そのままにしておく。
磁力線が、合金の中の磁区を整列させてくれるはず!
◆◇◆◇◆
翌日。アディはニーナさんと一緒にヴィチェンツァに行っている。だから今日は僕一人。少し寂しいけど仕方ない。
研究所(仮)に来てすぐ、昨日磁化してた針を取り出し鉄くずに近づけてみた。
スッと吸い付いた。
「よし!磁化に成功!」
しかも、この合金は錆びない。優秀な磁針の完成!
次は、この磁針を支える軸受けだ。
東方の羅針盤は、真鍮製の軸受けを使っていた。
でも、僕にはもっといい素材がある。
「ここはもうチタンしかないよね」
僕はチタンの小板から、精密な軸受けを作った。
中央に尖った突起を作り、そこに磁針の中心部を乗せる。
突起の先端はただの針状ではなく、わずかに返しをつけた形状にして、磁針側のくぼみを深いソケット状にすることで外れにくくした。
うん、良い感じ。ケースもチタンで作ろう。
手のひらに乗るサイズが使いやすいかな。
底面に軸受けを固定し、その上に磁針を乗せる。
磁針がスムーズに回転することを確認。
そして、ケースの内側に、方位を示す目盛りを刻む。
北、東、南、西。そして、その間を三十二分割。
メートル原器と分度器を使って、正確に刻んでいく。
最後に、ケースの上部には、暫定的に布のカバーを取り付けた。
防塵のためだ。
(本当は、透明なガラスの蓋が欲しいんだけど…)
僕は完成した羅針盤を見つめた。
(ヴィトリア島の職人さんたちが、透明なガラスを作れるようになったら、その時にガラス蓋をつけてもらおう)
今はこれで十分だ。
僕は羅針盤を水平に保った。
磁針が、ゆっくりと回り始める。
そして、北を指して止まった。
揺らしてみても、すぐに北に戻る。
「できた…!」
僕は思わず声を上げた。
手のひらサイズの、絶対に錆びない、精密な乾式羅針盤。
これがあれば、どんな海でも迷わない。
◆◇◆◇◆
羅針盤の完成に満足した僕は、次の製作に取り掛かった。
そうだ!六分儀作ろう!
アストロラーベをそのまま作ろうと思ったけど、やっぱりもっと精密なものが欲しい。
六分儀の原理は簡単だけど、正直、露天でアストロラーベを見るまでは気にしてなかった。海を航海する予定がなかったからだけど、これから先、大きな船を作ればどのみち必要になってくる。
六分儀は天体を鏡に映し、水平線と重ね合わせた時の角度を見て、現在地の緯度を計算することができる。北極星と正午の太陽が一番間違いないけど、他の天体だってわかっていれば可能だね。
ただし、僕の知っている世界とここだと北極星の位置がずれてる。分度器を作ってから、夜中になんども観測したから間違いない。だいたい3.5度から4度ずれている。そこは頭に入れておかないとね。
まずは、フレーム。
チタンで、六十度の扇形フレームを作る。チタンは軽くて丈夫なのがいい。
次に、目盛り。
メートル原器と精密分度器を使って、一分刻みの目盛りを刻む。
一分は、六十分の一度。
この精度があれば、緯度を数キロメートルの誤差で測定できる。
そして、鏡。
これには、灯台用の反射鏡を作った時にも使ったDLCコーティングを施したカーボン基板の鏡を使う。
四枚の鏡を作った。
水平線を映す鏡と天体を映す鏡と太陽観測用に反射率を減衰させた二枚の鏡。
そして、本来ならば望遠鏡…なんだけど、そんなものはないから、望遠鏡の代わりに、チタン板に極細の穴をあけた「照準器」を付けた。これで視界を絞れば、被写界深度が深まり、星がクッキリ見えるね。
全てをチタンフレームに組み込む。
可動鏡を動かすためのアームと、角度を読み取るための指針。
精密な歯車を使って、微調整できるようにする。
時間はかかったけど、ようやく完成。
「…できた」
僕は六分儀を手に取った。
チタンの輝きが、研究所の光を反射している。
窓の外を見ると、ちょうど太陽が南中に近づいていた。
「試してみよう」
僕は外に出た。
庭で、六分儀を構える。
固定鏡に水平線…今回は屋敷の屋根のラインを映す。
太陽観測用の可動鏡を動かして、太陽を捉える。
二つの像を重ね合わせ、角度を読み取る。
「…三十七度、二十分」
僕は心の中で計算した。
今は二月下旬。太陽の赤緯は…
(計算が合う…!)
僕はセレニアをヴェネツィアだと思っている。だって、文化形態や、セレニア本島の位置づけとかそっくり。というか『ドージェ』という単語がそのままだもん!前世の歴史で言えば、おそらく十二世紀くらいのヴェネツィアなんじゃないかな。
記憶を探ると、ヴェネツィアの緯度は、北緯四十五度付近のはず。
六分儀での緯度の計算でも北緯四十五度。間違ってなかった!
「すごい…本当にできた…」
僕は六分儀を見つめた。
羅針盤と六分儀。
方位と緯度。
この二つに精密な時計もあれば経度も計算できる。
つまり…外洋航海ができる!
どんな遠くにでも、正確に航海できるんだ!
海の向こうへ。
世界の果てへ。
(第83話「航海の目」終わり)
◆◇◆次回予告◆◇◆
「アディです!ルカが羅針盤と六分儀を完成させたよ!手のひらに乗るくらいの小さな羅針盤なのに、ちゃんと北を指すの!六分儀は太陽の高さを測れるんだって!これで外洋航海ができるって、ルカがすっごく嬉しそう。そして…もうすぐお義父様とお義母様が帰ってくる!久しぶりの再会、ドキドキするなあ」
「次回、『家族』。ただいま、おかえり」




