第81話「悪だくみ?」
「ヴァレリア、少し早いが行くか」
「はい」
兄さんとヴァレリアさんの声が聞こえた。間に合うか!?
「ロレンツォ兄さん!待って待って!ドージェのとこ行くんだよね!?」
僕は廊下を駆けて、出かける準備をしている二人の前に滑り込んだ。
「…ああ、そうだ。どうした慌てて。なんかあったか?」
「お願いしたいことがあったんだけど、まだ時間大丈夫?」
兄さんは腰にぶら下げてある時計を確認した。
その時計も改良したいなあ。もっと小さくてかっこいいのにしたい。懐中時計じゃなくて腕時計。でも、今はそれどころじゃない。
「宮殿に行く時間には余裕があるな。十五分くらいなら大丈夫だぞ」
「あ、良かった。じゃあ、ちょっとだけ。居間でいい?」
「ああ」
僕は、居間の椅子に座るなり、兄さんの目の前に二つの紙束を置き、片方の紙束の脇には、黒い粉(二酸化マンガン)が入った瓶と白い粉(炭酸カリウム)が入った瓶を置いた。
「これは?」
「ドージェに渡して欲しいんだ。こっちは炭を改良する方法」
「炭?」
「うん、木炭。今の木炭よりも、強い火力で長持ちする炭を作る方法。この方法で作った炭は白くて硬くなるんだ。燃焼時間も長いし、煙も少ない。だから、名前はそのまんまだけど『白炭』」
「ほう。それはドージェでなくても食いつくな。セレニア本島には、薪にする木もなければ、炭を作る場所もない。全部、テラフェルマ(大陸側の領土)で作って持ってくるしかないからな。質の高い炭は大歓迎だろう。この紙束の説明だけで大丈夫なのか?」
ロレンツォ兄さんは紙束をペラペラめくって軽く読んだ。
ちゃんとイラストもたくさん描いたからね。わかりやすいと思う。窯の構造、温度管理、炭化の工程。前世の知識を総動員して、できるだけ詳しく図解した。
「…おれは炭の作り方はわからんが、これは…今までのやり方を一工夫した感じなのか?」
「そう。基本的な炭焼きの技術はそのままで、最後の仕上げで高温処理を加えるだけ。ただ、これまでよりも温度は高くなるから、そこだけ注意すれば問題ないはず。そういうことが全部書いてあるから、そのままドージェに渡して。どう使うかは、ドージェの判断に任せよう」
「おまえがそれでいいならいいさ。もう一つのこっちは?」
「こっちはね」
二つの瓶を両手で手前に引き寄せた。
「ガラスをこれまでよりも綺麗にする魔法の粉」
「ガラスだと!?クリスタッロ(セレニアのガラスブランド)を改良するってのか!」
兄さんが驚くのも無理はない。現時点で、セレニア共和国のガラス工芸品は、主力輸出品の一つだ。その品質を向上させるのは、共和国の利益に直結する。
「そう。今のセレニアのガラスって、薄い緑色してるでしょ?あれは原料の砂に含まれる鉄分が原因なんだ。この黒い粉…二酸化マンガンを少量加えると、鉄分の色を打ち消して、無色透明に近づけることができる」
「…それはすげぇな」
「白い粉の方は炭酸カリウム。これは溶融温度を下げるのに使う。二つを組み合わせることで、ヴィトリア島の職人さんたちが、もっと扱いやすくて、もっと美しいガラスを作れるようになるはず」
僕は紙束を開いて、配合比率と温度管理の図を指差した。
「この通りに試してもらえれば、きっと驚くと思うよ。今の薄い緑色なんてどこかにいっちゃうよ」
「これもヴィトリア島のガラス職人たちに試してもらいながらになるな」
「うん。だから、ドージェ経由でお願いしたいんだ」
「ああ、わかった…わかったが」
「が?」
「これは特許申請しないのか?」
僕は首を横に振った。
「うん。それは僕も考えたけど、しない方が良いと思う」
「なぜだ?」
「だって、ウチではどっちも作らないじゃないか」
兄さんが意表をつかれたような顔になっている。珍しい。
「…確かにそうだな」
「この二つは、『技術顧問・マルチェッロ家』としての研究成果ということで、ドージェの手柄にしてもらえればいいよ。だって、どっちとも成功すれば、僕たちが購入するものの品質が良くなるわけだから」
兄さんが心底面白そうに笑い始めた。そんなに面白いこと言ったかなあ。
「『損して得取れ』か。おまえも一端の商人らしくなってきたじゃねぇか」
「そうかな?」
「ああ。技術を独占するんじゃなくて、共和国全体の底上げで利益を得る。しかも、ドージェに恩を売れる。賢いやり方だ」
兄さんは満足そうに頷いた。
「…わかった。じゃあ、この二つはもらっていく。そろそろ行くぞ、ヴァレリア」
「はい」
「よろしくね、兄さん」
「ああ」
◆◇◆◇◆
「よし、これでやれることは終わりかな」
先日購入した中古船の改修がようやく完了した。
カヴァーナ(船置き場)で、僕は完成した船を眺めた。見た目は買ってきた時とほとんど変わらない。でも、中身は別物だ。
ランさんの船と同じように、船体にCNFを浸潤させ、四枚のフィンを船底に設置。ランさんの船より少し小さいから、フィンの大きさと位置の調整に時間がかかった。重心バランスの割出も何度もやり直した。
船体の長さは約八メートル。ダウ船特有の、やや丸みを帯びた船底。そこに前後四枚のフィンが取り付けられている。船体表面は、CNF浸潤で硬化した樫材が、鈍い光沢を放っている。
本当は、マストと帆を交換したかったけど、十メートルのマストや帆を製作する場所がないので、マルコさんがドック船をもってきてくれてからやってみようっと。
帆の製作は、専門の帆製作ギルドかアルセナーレ(国営造船所)でしか作っていないらしく、どちらにしろ現段階では技術を知られたくなかったので、注文するのはやめた。
代わりに、今のボロい帆を繕ってからCNFを軽く浸潤し、強度をあげるとともに、風の抜け道を減らした。あと、帆の形とマストの角度も調整して、僕の力でもスムーズに帆の操作ができるように滑車をいくつか追加した。
風を読む。波を読む。船体と帆のバランスを理解する。
僕のセーリングヨットの知識で、良い感じにやれそう。
「試運転してみようかな。ニーナさん、ついてきてもらっていい?」
傍らに立って、周囲を警戒していたニーナさんが即座に頷いた。
「お供いたします」
◆◇◆◇◆
船は静かに水路を滑り出した。
滑車とロープで水面に降ろし、僕とニーナさんが乗り込む。デッキに立つと、船体の安定性がすぐにわかる。CNF浸潤の効果だ。木材がほとんど水を吸わないから、船体の重量バランスが狂わない。
帆を上げる。風を捉える。
船が動き出した瞬間、フィンの効果を実感した。まっすぐ進む。ブレない。滑らない。おかげですぐに速度が上がる。
「ルカ様…この船はこんなにも速いのですか?」
「うーん、まだ試運転だから、帆をきちんと張ればもっと速くなるよ?」
「…海の民の船でも、ここまで速い船はありません」
「そうなの?自信もっちゃうなあ」
今日は風も凪いでるし、微風をとらえるのに一苦労だけど、たくさんの船を見てきているであろうニーナさんにそう言ってもらえるのはうれしい。
僕も男だからね、綺麗な女性に褒められると調子にのっちゃう。
どれだけ加速できるか試してみよう。
まずは少しだけ風下に舳先を向けて、風を帆に流す。すると、船は徐々に速度をあげていった。
水面を滑る感覚。前世のディンギー(小型ヨット)に乗っていた時の感覚に似ている。でも、これはもっと…もっと速い。
「ニーナさん!速度を上げるよ!」
「もっとですか!?」
「うん!」
そう言っている間にも船は加速していく。水音が変わる。波を切り裂く音から、滑走する音へ。
頃合いを見計らって、一気に帆を絞って風上へ切り上がる!
「ニーナさん、どこかにつかまって!」
ニーナさんは、すぐにデッキをおさえた。ニーナさんなら大丈夫かもしれないけど、体験したことのない挙動だろうから念のための注意だね。
その時、水流を切り裂く音とともに、船首がスッと、吸い込まれるように水面から持ち上がった。
「浮いた…?」
ニーナさんが驚愕に目を見開く。
船体に伝わっていた重い感覚が消え、宙に浮くような感覚に変わった。実際、四枚のフィンだけが水中に残っているだけで、船体は完全に「飛んで」いるような状態だ。
これだ。これが、僕が目指していた感覚。
ハイドロフォイル。水中翼船。前世で一度だけ体験した、あの浮遊感。
肌感覚的には二十五ノット(時速四十五キロ)くらいかな。マストと帆を交換すれば四十ノット(時速七十四キロ)くらいは目指せそうだね。
風が頬を撫でる。髪が後ろに流れる。船体の振動はほとんどない。ただ、水面の上を滑っていく。
「すごい…すごいです、ルカ様!」
ニーナさんの声が風に乗って聞こえる。
僕も笑顔になっていた。成功だ。設計通りだ。
充分に操作感を満喫したところで、速度を落として通常航走に戻す。
あまり長い時間飛んでいると、誰かに目撃された時面倒だし。
帆を緩めると、船首がゆっくりと水面に戻る。船体全体が水に触れた瞬間、重い感覚が戻ってきた。
「ニーナさん、そろそろ帰るよ」
「はい」
僕は舵を取りながら、セレニア本島に船首を向けた。
この船で、いつかアディと一緒に遠くまで行きたいな。エスト島よりもっと遠く。海の向こう。
そんなことを考えながら、僕は帆を調整した。
船は静かに、水路を滑っていった。
(第81話「贈与」終わり)
◆◇◆次回予告◆◇◆
「アディです!ルカがまた凄い船を作ったって聞いたよ!船が浮いて飛ぶんだって!?ニーナが『海の民の船でも、あんなに速い船はない』って言ってた。…ずるい!私も乗りたかったなぁ。ルカ、今度は私を乗せてね!約束だよ!」
「次回、『春の予感』。うれしい便りは良い便り」




