第77話「すいへーりーべー」
研究所(仮)に向かおうと廊下を歩いていたら、チェチリア先生とアディの声が聞こえてきた。
「では、もう一度。『Salve, magister』」
「サルウェ、マギステル」
アディの発音、以前よりも、ずっと滑らかだ。
「良いわ。発音が正確になってきたわね。巻き舌も自然です」
チェチリア先生が褒める声が聞こえた。
(よかったあ)
僕は廊下を通り過ぎながら、少し安心した。
アディのラティーナ語、随分と上達してきている。早い方だ。最初は苦労していたけど、だいぶ慣れてきたように感じた。
◆◇◆◇◆
メートル原器ができたことで、キログラム原器と分度器はすぐに完成した。
あとは、紐と重りと数学知識があれば大丈夫だからね。
1リットルの水の重さを基準にしたタングステンの塊。
円を360等分した精密な分度器。
どちらも、正確な長さが測れるようになったからこそ作れたものだ。
「これで、長さ、重さ、角度の基準ができた」
僕は完成した二つの原器を手に取った。
でも、もう一つ。
絶対に必要なものがある。
「水平器」
建設において、水平を測るのは重要事項だ。
どんなに精密な設計図があっても、水平が狂っていれば全てが崩れる。
◆◇◆◇◆
ビアージョさんの工房を訪ねると、ビアージョさんは炉の前で鉄を叩いていた。
「お、小僧か。どうした?」
「えっとですね、水平を測る道具を作りたいんです」
「水平?下げ振りや水管じゃなくて別のものということか?」
「はい。もっと小さくて、持ち運びやすくて、正確なものです」
「…そんなもん、見たことねぇな。どういう仕組みだ?」
僕は構想を説明した。
ガラス管の中に液体と気泡を封入する。
気泡は常に上に浮かぶから、それが中央にあれば水平だとわかる。
「ほう…面白ぇ発想だな」
ビアージョさんは腕を組んだ。
「だが、中に入れる液体は何を使う?水か?」
「水は凍るので使えません。油は粘度が高すぎて気泡の動きが遅い」
「じゃあ、何を使う?」
「濃度が高いアルコールが望ましいです。できるだけ濃いものが必要です」
「濃いアルコール、ね」
ビアージョさんが考え込んだ。
「修道士が持ってるアルコールでも、そこまで濃くはねぇはずだ。火はつくが、水が多い」
「…やはり、そうですか」
「だったら、自分で濃くするしかねぇな」
「そうです。蒸留を繰り返せば、濃度が上がるはずです」
「蒸留、か」
ビアージョさんは頷いた。
「なら、アランビックが要るな」
「え!?アランビックって売ってたの!?」
僕の素っ頓狂な声に、ビアージョさんが呆れてる。
「おまえさん、妙なとこで世事にうといな。香油や薬液を抽出する蒸留釜なら、リアルトの市場に行けば専門の商人がいくらでも扱っているぞ」
言われてみればそうだ。東方貿易を通じて、ビザンティア帝国や先進都市リブラリアの高度な錬金術の知恵が、医学や香料、そしてこのアランビックという道具と共に、とっくに流れ込んできているのだ。
現代知識に頼りすぎて、科学技術の暗黒時代だと決めつけていたのは僕の方だったかもしれない。
「てっきり修道院の奥深くに隠されているような代物だと思ってました」
「そう思ってもおかしくはないがな。俺の知り合いに、東方交易をやってる商人がいる。そいつに頼めば、手に入るだろう」
◆◇◆◇◆
翌日、僕は近くの修道院を訪ねた。
門番に案内されて、薬草園を管理している修道士に会った。
「アルコールですか?ええ、ありますよ」
修道士は小瓶を取り出してくれた。
「これは薬用です。傷の消毒などに使います」
「ありがとうございます」
僕はその場で少し試させてもらった。
火をつけると、青い炎が上がる。
でも、すぐに消える。
修道士が困ったように笑った。
僕は少量を手に取って、スキルで分析した。
(粉砕)
液体の成分が、意識の中に浮かび上がる。
(アルコール濃度38%)
(だよなあ。できれば90%くらい欲しい)
やはり、自分でやるしかないか。
「このアルコールを少し分けていただけますか?」
「ええ、構いませんよ」
修道士は小瓶をいくつか用意してくれた。
「お役に立てれば幸いです」
◆◇◆◇◆
数日後。
珍しくビアージョさんが僕の家にやってきた。
「小僧、例の商人と会えることになった。今から行くが来るか?」
「はい!」
僕はニーナさんをともなって、ビアージョさんとともに、リアルトの市場へ向かった。エンリコさんが僕に気づいて軽く手を振っている。
たくさんの木箱が置いてある一角の前で、一人の男が待っていた。
40代くらいだろうか。
「おお、ビアージョ!来たか!」
男が笑顔で手を差し出した。
「ああ、世話になるな、ピエトロ」
ビアージョさんが握手を返した。
「で、こいつが俺の言ってた小僧だ。ルカ・マルチェッロ」
「マルチェッロ?ああ、例の…」
ピエトロさんが僕を見た。
「若いな。だが、ビアージョがわざわざ頼んでくるってことは、ただ者じゃねぇんだろうな」
「はい。今日は、アランビックを譲っていただきたくて」
「ビアージョから聞いてるさ。これだろ?」
ピエトロさんが木箱から、銅製の装置を取り出した。
丸いフラスコと、長い管、冷却用の容器。
アランビックだ。
「いくらですか?」
「そうだな…金貨8枚」
おおお、やっぱり高い!でも、これがあれば今回のアルコールだけでなく、他のいろいろなことに使える。薔薇さえなんとかなれば、ローズウォーターだって作れる!一から作るしかないと思っていただけに、渡りに舟だよね。欲しい!
僕が答えようとした時、ビアージョさんが口を挟んだ。
「おい、ピエトロ。おめぇ、そのまま売ろうってのかよ?」
「ビアージョ…」
ピエトロさんは少し困った顔をした。
「俺の顔をつぶすつもりか?」
「…仕方ねぇなぁ…金貨5枚だ」
ビアージョさんが笑った。
「助かる」
ビアージョさんが僕を見た。
「ほら、小僧」
「ありがとうございます、ビアージョさん、ピエトロさん」
◆◇◆◇◆
アランビックをビアージョさんの工房に運び込んで、すぐに実験を始める。
アランビックは、ニーナさんが持ってきてくれた。相変わらず力持ち。
場所を借りて、簡易的な炉を組み、アランビックを設置。そして、修道士から譲ってもらったアルコールをフラスコに入れ加熱。
アルコールの沸点は78度。
水の沸点は100度。
つまり、78度に保てば、アルコールだけが蒸発する。
その蒸気を冷やせば、より濃いアルコールが得られる。
僕は、粉砕スキルの分析を使いながら、温度を慎重に調整した。
こういう時、粉砕スキルの効果発動時間10秒というのが地味に面倒。レベルアップを繰り返したら即発動にならないのかな。
そんなことを考えていたら、火が強くなっていた。木炭と風を調整して火を弱め、フラスコが熱くなりすぎないようにする。
蒸気が管を通り、冷却されて液体になってきた。滴り落ちる液体を、新しい容器が受ける。
ポタ、ポタ、ポタ…
少しずつ、溜まっていく。
「…できた」
僕はスキルで分析した。
(アルコール濃度51%)
濃度は上がったが全然足りない。
僕は得られたアルコールを、もう一度フラスコに入れた。
そして、再び蒸留する。
二度目で65%。三度目で73%までになった。
「うーん、多段蒸留してるだけだと、90%には届かないかも。…あ!そっか!ビアージョさん、木灰あります?」
「おう、腐るほどな。そこの隅にまとめてある」
僕は工房の隅にあった木灰を持ってきた。底に栓のついた樽を準備してからお湯を入れ、そこに粉砕スキルを使って、石臼で引いたくらいまで粉砕した木灰を入れてかき混ぜた。
「ニーナさん、申し訳ないけど、家の工房から予備のろ過機を持ってきてもらっていい?」
「ヴィルゴ・ロサルム用のですか?」
「そう。先日新しく作ったやつ」
「かしこまりました」
ニーナさんはそう言うと、音もなく工房から出ていった。
「小僧、純鉄の在庫、少し増やしてもらっていいか?」
「いいですよ」
ビアージョさんが手にしているマルテッロ・ディ・ディオ(神の金槌)が青く光っている。先日、アディが来た時にグラフェン加工してもらったからだ。重さも調節したから、さらに使いやすくなったとビアージョさんが喜んでる。このハンマーなら純鉄を叩いたって傷一つつかない。
ちなみにビアージョさんの工房の炉は、後に高炉を作る際の試験台にさせてもらって、以前とは比べ物にならない性能になっていた。
北の鉱山で採掘された白雲石とタールを使って作った超高性能耐火レンガ製の炉に、CNFとタングステン・グラフェンのベアリングを使ったダブルシロッコファン(ツインターボ方式)とタングステンパイプで送風する仕組み。
冷却用に青銅製の結節と水が必要だし、音がうるさ過ぎて、シロッコファンを厳重にコンクリートを覆うことにはなったけど、ふいごと木炭が元になっている炉なのに、最大出力時は1900度以上を叩きだす最高の炉なのだ。
おかげで、純鉄の加工(融点1538度)も思いのまま。ビアージョさんの元には武具の注文が殺到しているらしい。そんな中でも僕につきあってくれるんだから助かるなあ。
「小僧、思ったんだが、この仕組みで高炉を作れば精錬炉はいらんぞ?」
「え?そうなんですか?」
「ああ、先日試してみたんだが、純鉄ですら完全に液体化する。不純物なんか一切残らんわ」
「あ、そっか。確かにそうですね。工場の設計、また考えておきます」
そんなやりとりをしていたら、ニーナさんがろ過機を携えて戻ってきた。
「お待たせしました」
「そんなことないよ!ありがとう!」
ニーナさんからろ過器を受け取り、さっきの樽の栓の前に置いた。ろ過機の下には、ビアージョさんのお弟子さんが作った失敗作の鍋を置く。
樽の中を確認すると、しっかり灰汁ができていたので栓を抜き、お湯をろ過機に通した。そこに、均一に圧縮スキルで加圧してやると、鍋に透明な液体が勢いよくでてきた。その勢いで鍋が激しく揺れたため、ニーナさんが抑えようとしてくれた、が!
「ニーナさん!ダメ!それに触っちゃダメ!」
ニーナさんがびくっとして固まる。
「今でてる液体、ものすごく強い力をもってるから肌が溶けちゃう」
「そんなにですか…」
「うん、だから…大丈夫だから待ってて」
「わかりました」
鍋に充分たまったところで、周囲に飛んだ水をしっかり拭き取ってから簡易炉にかけた。
水分がすべて蒸発し、茶色い粉の固まりのようなものが鍋底に残ったが、気にせず火にかけたままにする。少したつと、全体が白っぽくなってきた。
「もうちょっとかな」
やがて、全体が真っ白になったとこで終了。鍋を炉から下ろした。
鍋から、スプーンで白い粉をかき集めてすくい取り、三回蒸留したアルコールに入れると水分だけを吸い取り底に沈殿していった。残りの粉は小瓶に入れてとっておく。
「小僧、この粉はいったいなんだ?」
「水だけを食う魔法の粉です。炭酸カリウムといいます。他にも使い道がいろりおある便利な粉なんですよ」
「ほう」
こうして、再度蒸留したアルコールの濃度は…。
(アルコール濃度91%)
「うん、これでいけます」
◆◇◆◇◆
高濃度アルコールができたことで、水平器の製作が本格的に始まった。
ヴィトリア島(ガラス職人が集められた島)から取り寄せたガラス管の中で、最も真っ直ぐなものを選び、真ん中に二本の垂直線を描く。
そこに、高濃度アルコールと気泡を封入する。
気泡の大きさは、二本線の中におさまる大きさ。わずかに小さいくらい。
「ぴったりにはしねぇのか?」
「気泡の大きさは温度で変わりますので」
「変わる?」
「ええ。気温が高いと液体が膨張するため気泡は小さくなりますし、気温が低いと液体が収縮するため、気泡は大きくなります」
「ほーん、そういうものか」
気泡の大きさが決まったら、ガラス管を水を張った樽につけて冷やす。減圧してやらないと後で大変なことになるからね。その間にタングステンの棒を炉で熱しておく。明るいオレンジ色になればガラスを溶かす1000度くらいにはなってるはず。
充分に減圧したガラス管内のアルコールを圧縮スキルで押さえつつ、熱したタングステン棒の先端を、細く絞ったガラスの口に押し当てる。すると、赤熱した熱でガラスが飴のように軟化し、負圧によって吸い込まれるようにしてピタリと口を閉じた。
「よし!これで封止完了!良かった!うまくいった!…気泡の大きさも想定内!」
ガラス管を傾けて気泡の動きを確認。
「滑らかな動きだな」
「これが高濃度アルコールの力です」
出来上がったガラス管が冷えたら、準備しておいたタングステン製のフレームに固定する。フレーム自体は、メートル原器と分度器を使って完璧に水平になるように作成した。
これにガラス管をはめると、吸い込むようにピタリと固定された。あとはずれないように補強して、と…できた。
「小僧、ちょっと傾けてみろ」
「はい」
水平器を傾けると、気泡が滑らかに動いた。
そして水平に戻すと、気泡が中央に戻る。
180度回転させても、気泡の位置は変わらない。
「いいな。これはいいぞ」
ビアージョさんが満足そうに頷いた。
「やった!…あ、でも、これも教会が…」
「小僧」
ビアージョさんが僕の肩を叩いた。
「これには、教会も文句は言えねぇさ」
「そうなんですか?」
「ああ。長さを測る、重さを測る、水平を測る。全部、『神が作った世界を理解するため』のものだ」
ビアージョさんは水平器を見つめた。
「問題になるのは『完璧な秩序を作る』ことだ。時計みたいにな。だが、『測る』だけなら、誰も文句は言わねぇよ」
「…よかった。ちょっとそこが気がかりだったんです」
僕はホッとした。
メートル原器、キログラム原器、分度器、水平器。
これで最低限の基準はできた。工場、防波堤、灯台…そして、帆船!
(第77話「すいへーりーべー」終わり)
◆◇◆◇◆次回予告◆◇◆
「アディです!ルカ、ついに水平器を完成させたよ!何度も何度も蒸留して、木の灰から何か取り出して…すごく大変そう。次は、どうするんだろう?なにをするにしても、ルカのすることだったらドキドキワクワクする!」
「次回、『始動』。未来への道!」




