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錬金術?いいえ、材料工学です。授かったスキルで海洋国家の覇者になります!  作者: 秋澄しえる


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第76話「時を刻む」

 海の上に、音のない秒読みが刻まれている。


 左手首のデジタルタイマーは「01:15」を示しているが、セーラーにとって、タイマーはあくまで確認のための道具に過ぎない。真に信じるべきは、繰り返される練習で骨の髄まで叩き込んだ「剥き出しの秒針」――自らの体内時計だ。


 セーリングのスタートには、陸上競技のようなスターティングブロックも、静止すべき白線もない。


 本部船のマストと、波間に漂うオレンジ色のブイ。その二点を結ぶ、目には見えない「スタートライン」という名の結界を、信号の瞬間に、いかに最高速度で突破するか。それがすべてだ。


 一秒早ければ失格となり、一秒遅れれば他艇が作り出す乱気流に沈み、勝機を失う。


 風速六ノット。潮は右から左へと流れている。


(…今。ここでセールを引き込めば、最高速に達するのは六秒後。ラインまでの距離は、およそ二艇身)


 周囲には、同じ獲物を狙う数十隻のヨットが、荒い息を吐く獣のようにひしめき合っている。マスト同士が触れ合いそうな狂気的な距離感の中で、脳内にある時計の針が、無慈悲に、そして正確に「ゼロ」へと向かっていく。


 残り、十秒。


 もはやタイマーの電子音は、波の音に消えて聞こえない。


 九、八、七…。


 空を仰ぎ、本部船に掲げられたクラス旗が降りる瞬間を凝視した。


 六、五、四…。


 全身の細胞が、加速のタイミングを告げて叫んでいる。


 三、二――。


「ジャスト!」


 カウントがゼロを刻んだ刹那、ルカは跳ね起きた。


 二月に入ったばかりのまだ寒い時季なのに、寝汗がひどい。外はまだ薄明るくなったばかりのようだ。心臓がバクバクいってる。


 久しぶりに見た前世の光景だった。


 何度も味わったセーリングレースのスタート。あの独特の緊張感は心地よいほどだった。


(時計のことを考えながら寝ちゃったからかな)


 こちらの世界に来てからは、厳密な時間を気にする必要があまりなかったから、あの感覚を忘れていた。でも、今でも240秒以内なら、秒数カウントを間違える気はしなかった。それだけ、心に刻み込まれた体内時計。


 僕はベッドから降りて、窓を開けた。


 冷たい風が部屋に入ってくる。


 空は少しずつ明るくなっていく。


(そうだ。正確な時計を作らなきゃいけないんだ)


 ビアージョさんが言っていた。何日経っても狂いの少ない時計。


 そんなものを、この世界で作れるだろうか。


 いや、作らなきゃいけない。


 でも――


(まず、この世界の時計がどういう仕組みなのか、知らないとな)



◆◇◆◇◆



 朝食を済ませた後、僕はアディと一緒に街の市場へ向かった。


「ルカ、時計を買いに行くの?」


「うん。まず、今ある時計がどういう構造なのか見てみたいんだ」


 市場の一角に、時計を扱う店があった。


 小さな店だが、店先には様々な時計が並んでいる。


 懐中時計、置き時計、壁掛け時計。


 僕はその中から、比較的大きめの置き時計を手に取った。


 文字盤には、時針と分針だけ。


 秒針はない。


「これ、見せてもらえますか?」


「ああ、いい時計だよ。ヴェネツィアの職人が作ったやつだ」


 店主が誇らしげに言った。


「ただ、毎日お昼の鐘で合わせないと、だんだんずれていくがね」


「そうなんですね。これ、買います」


 僕は金貨を支払い、時計を手に入れた。



◆◇◆◇◆



 自宅の研究所に戻ると、僕は慎重に時計を分解し始めた。


「ルカ、壊しちゃうの?」


 アディが心配そうに見ている。


「大丈夫。構造を見たいだけだから」


 背面の蓋を開けると、中には複雑な歯車の集合体が見えた。


 ゼンマイ、脱進機、数多くの歯車。


 僕は一つ一つの部品を注意深く取り外していった。


「へえ…こうなってるんだ」


 脱進機は、バージ脱進機という古い形式だった。


 二つの突起が交互に歯車を押さえ、一定のリズムで解放する。


 これが、時計の「心臓」だ。


 でも、この仕組みだと精度に限界がある。


 摩擦が大きいし、部品の加工精度も十分じゃない。


「なるほど…だから狂うんだ」


 僕は歯車を一つ一つ観察した。


 歯の間隔が微妙に不均一だ。


 手作業で削り出したんだろう。


 それに、材質も真鍮や青銅。悪くはないけど、摩耗しやすい。


「ルカ、これ全部覚えられるの?」


「ううん。スケッチしておくよ」


 僕は羊皮紙に、一つ一つの部品を細かく描いていった。


 歯車の歯数、大きさ、配置。


 脱進機の構造、形状、動き方。


 全てを記録する。


 数時間かけて、ようやく全体像が見えてきた。


「そっか…時計ってこうやって動くんだね」


 僕は組み立て直しながら、理解を深めた。


 ゼンマイの力が、歯車を通じて伝わり、脱進機が一定のリズムで解放する。


 そのリズムが、時針と分針を動かす。


 シンプルだけど、精密な仕組みだ。



◆◇◆◇◆



 翌日。


 僕は工房で、新しい時計の設計図を描き始めた。


「まず、秒針を追加しないと」


 今の時計には秒針がない。


「秒針を動かすには…歯車をもう一段追加して…」


 僕は何度も計算した。


 歯車の歯数の比率。


 秒針が60秒で一周するには、どういう配置にすればいいか。


「ルカ、これで合ってる?」


 アディが横から覗き込んできた。


「うーん…まだダメだ。この配置だと、分針と干渉しちゃう」


 僕は図面を書き直した。


 一度、二度、三度…


 何度も何度も書き直す。


「あ、こうすればいいのか!」


 歯車の配置を変えて、秒針の軸を少しずらす。


 これなら、全ての針が干渉せずに動く。


「でも、これだけじゃ精度が出ないな…」


 ゼンマイ式では、どうしても狂いが出る。


 ゼンマイが緩むにつれて、力が弱まるからだ。


(そうだ。振り子を使えばいい)


 前世の記憶が蘇ってきた。


 ガリレオ・ガリレイ。


 ピサの大聖堂で、天井から吊るされたランプが揺れているのを見た彼は、気づいたんだ。


 振れ幅が大きくても小さくても、振り子の往復時間は同じだ、と。


 これが「振り子の等時性」。


 そして、振り子の周期は、長さで決まる。


 長さが同じなら、常に同じリズムで揺れる。


(これを使えば、正確な時を刻める!)


 僕は新しい図面を描き始めた。


 重りを吊るして、その重力で歯車を回す。


 そして、振り子のリズムで脱進機を動かす。


「ルカ、これすごいよ!」


 アディが図面を見て、目を輝かせた。


「でも、本当に動くの?」


「動くはずだよ。理論上は完璧だから」


 僕は自信を持って頷いた。


 でも、図面を描くのと、実際に作るのは別だ。


「よし、じゃあ作ってみよう」



◆◇◆◇◆



 その前に、やるべきことがあった。


「アディ、ちょっと手伝って」


 僕は工房の隅に置いてあった黒い岩塊を取り出した。


「これ、何?」


「マルコさんが持ってきてくれた土産だよ。バラスト代わりに積んでたんだって」


 先日、マルコさんが来た時「カイから聞いていた」と言って、海底から拾った岩をたくさん置いていってくれた。


「この中に、特別な金属が入ってるんだ。タングステンって言うんだけど」


「タングステン?」


「うん。すごく硬くて、熱にも強い金属。時計を作るのに最適なんだよ。あ、ほら、アディの短剣の刃、あれもタングステンさ」


 僕は岩塊に手を当てた。


 そして、スキルを発動する。


(粉砕)


 岩塊が、粉々に砕けた。


 灰色の粉が、机の上に広がる。


 その中に、銀色に光る粒子が混ざっている。


 これがタングステン。


「すごい…」


 アディが目を輝かせている。


 次に、タングステンの粒子だけを集めた。


 そして、もう一度スキルを発動。


(圧縮)


 粒子が集まり、固まり、一つの塊になっていく。


 やがて、手のひらサイズの銀色の金属塊が完成した。


「これで、材料は準備できた」


 僕は満足そうに頷いた。



◆◇◆◇◆



「さて、まずは振り子の長さを決めないとね」


 僕は紐と重りを用意した。


 前世の記憶を頼りに、長さを調整していく。


 振り子の周期は、長さの平方根に比例する。


 周期2秒、つまり片道1秒の振り子を作るには…


(確か、長さは約994ミリだったはず)


 僕は紐の長さを慎重に調整した。


 そして、振り子を揺らしてみる。


 カチ、カチ、カチ…


 体内時計でカウントしながら、周期を確認する。


 一、二、三、四…


 30周期で60秒。


 念のため、複数回繰り返して都度誤差を修正する。


 ようやく三十回目の試行で寸分変わらない状態になった。


「よし、これで合ってる」


 僕は紐の長さを測定した。


 994ミリ。


「紐の長さは994ミリ。これに6ミリ足せば、ちょうど1000ミリ、つまり1メートルだ」


「へえ…」


 アディが興味深そうに見ている。


「じゃあ、これを元に、メートル原器を作るね」


 僕はタングステンの塊を取り出した。


 そして、スキルを使って、細長い棒状に加工する。


(圧縮)


 タングステンが、するすると伸びていく。


 正確に994ミリの長さに合わせる。


 そして、ここからが重要だ。


 目盛りを刻む。


 1ミリ単位で。


 僕は目を閉じて、意識を集中した。


(タングステンの原子配列…体心立方格子…格子定数は約0.316ナノメートル)


 レベルアップした僕の「粉砕」と「圧縮」のスキルは、原子レベルまで操作できる。


 幾度も実験して確認したから間違いない。


 つまり、原子の数を数えられる。


(1メートルは、約31億6千万個の原子を並べた長さ)


 僕はその感覚を頼りに、1ミリごとに目盛りを刻んでいく。


(圧縮)


 タングステンの表面に、微細な溝が刻まれていく。


 1、2、3…100、200…900、993。


 993本の目盛り。両端に1ミリの幅があるから、これで994ミリ。そして、そこから6ミリ分だけ長さを足して、そこにも同じく目盛りを刻んでいく…。


 これで、1ミリ単位で測れる、正確な「メートル原器」が完成した。


「できた…」


 僕は額の汗を拭った。


 原子レベルの操作は、かなり集中力を使う。


「ルカ、すごいよ!」


 アディが感嘆の声を上げた。


「ありがとう。でも、これはまだ最初の一歩だよ」



◆◇◆◇◆



「次は、時計の部品を作るね」


 僕は設計図を広げた。


 振り子時計のムーブメント。


 歯車、脱進機、振り子…


 全ての部品を、タングステンで作る。


 そして、アディに「調律」スキルを使ってもらい、グラフェン(3Dハニカム構造の分子配列)化する。


「アディ、ここからが本番だよ」


「うん!」


 僕はタングステンを加工して、小さな歯車を次々と作っていった。


 ただし、タングステンは相当に重い。そのままでは駆動部に重大な負荷がかかってしまうため、耐久性を損なわない程度に中抜きした。


 大小様々な歯車。


 それぞれが、正確に噛み合うように設計されている。


 分解した時計の構造を参考にしながら、でも、もっと精密に。


 歯車の歯は、完璧に等間隔。


 軸受けの穴も、ミクロン単位で正確に。


「じゃあ、アディ。これを『調律』してくれる?」


 僕は完成した歯車を、アディに手渡した。


「わかった!」


 アディは歯車を両手で包み込んだ。


 そして、目を閉じて集中する。


(調律)


 歯車が、淡い青色の光に包まれた。


 表面のタングステン原子が、再配列されていく。


 グラフェン構造。


 炭素原子が規則正しく並んだ、完璧な構造。


 これによって、硬度が大幅に増すだけではなく、表面が極限まで滑らかになり、自己潤滑性を持つ。


 つまり、油が一切要らない。


「できた!」


 アディが目を開けた。


 歯車の表面が、わずかに青みがかって見える。


 これが、グラフェンの証。


「ありがとう、アディ。次はこっちもお願い」


 僕は次々と部品を渡していった。


 脱進機の爪、振り子の軸、全ての歯車。


 アディは一つ一つ丁寧に『調律』してくれた。


 そして、部品が揃ったら、組み立て。


「ここは『接合』で固定してくれる?」


「うん!」


 アディは歯車同士を慎重に位置合わせして、『接合』のスキルを発動した。


 部品が、原子レベルで結合していく。


 ネジも接着剤も要らない。


 完璧な固定。


 僕たちは、息を合わせて作業を続けた。


 僕が部品を作り、アディが加工して接合する。


 まるでダンスのように、スムーズに。


「ルカ、これ、楽しいね」


 アディが笑顔で言った。


「うん。アディと一緒だと、何でもうまくいく気がする」


「えへへ」


 彼女は嬉しそうに頬を赤らめた。



◆◇◆◇◆



 数日後。ビアージョさんの工房。


「小僧、フレームができたぞ」


 ビアージョさんが、大きな鉄の枠を見せてくれた。


 事前に設計図を渡し、お願いしていたものだ。


 純鉄で作られた、頑丈なフレーム。


 これにムーブメントを収める。


「ありがとうございます、ビアージョさん」


「なに、造作もねぇことだ。それより、その歯車ってやつ、見せてくれ」


 僕は完成したムーブメントを取り出した。


 ビアージョさんは、それをまじまじと見つめた。


「…信じられねぇな。こんな精密なもの、どうやって作ったんだ?」


「頑張りました!」


 ビアージョさんは苦笑した。


「まぁいい、組み立てようぜ」



◆◇◆◇◆



 フレームにムーブメントを固定し、振り子を取り付ける。


 二つの重りを吊るして、動力源にする。


 この重り動力も今回の時計の重要な部分だ。一方が降りる力で、もう一方を巻き上げる。摩擦係数ゼロの理により、降下する重りのエネルギーは一切の損失なく「次の重りを引き上げる力」へと変換される。理論的には、疑似的な永久機関になるはずなのだ。


 全ての部品が、完璧に組み合わさっていく。


 そして、ついに――


「動かすよ」


 僕は、片方の重りを持ち上げ、ゆっくりと手を離した。


 重りが降下し始める。


 その力が歯車に伝わり――


 カチッ。


 脱進機が動いた。


 カチッ、カチッ、カチッ…


 振り子が、規則正しく揺れ始めた。


 歯車が回り、秒針が動く。


 一秒、二秒、三秒…


「動いた…!」


 アディが歓声を上げた。


 僕は体内時計でカウントしながら、秒針を見つめた。


 十秒、二十秒、三十秒…


 一分。


 完璧だ。


 一秒のずれもない。


 そして、二つの重りが、まるで生き物のように、交互にゆっくりと上下運動を繰り返す。切り替わる際の遅滞もない。双子式の重力駆動機構。


 成功だ。


「おい、小僧」


 ビアージョさんが呟いた。


「これ、本当に狂わないのか?」


「はい。理論上は、何日経っても、ほぼ狂いはありません。しかも、一切手を加えずに、永久に動くはずです」


「…すげぇな」


 ビアージョさんは、時計をじっと見つめていたが、ある考えに至って戦慄した。


「小僧…気づいているか?お前さんは今、『永遠』を作りやがったんだぞ?」


「そんな…大げさな」


「大げさなんかじゃねぇ。一つ間違えば、教会に目をつけかねられない代物だ」


「あ…」


 この時計が、本当に「1秒の狂いもなく永遠に動き続ける」とすれば、それは「地上の人間が、神の形作る『完璧な秩序』を盗み出した」と解釈され、異端認定されてもおかしくない。


「実用範囲内に精度を落とした『汎用品』を作った方がいいな。動力もゼンマイにしたやつだ。このままじゃ、とても人前にだすことができねぇ」


「…そうですね。そうします」


「俺が言っておきながら申し訳ないが…な」


「いえ…そんな…」


 カチッ、カチッ、カチッ…


 正確に時を刻む音。


 この音が、これから世界を変えていくのは間違いない。だが、それは、『神』と、神を絶対の存在として崇める『アルカディア教』との闘いを意味するのかもしれない。


 絶対的な基準を作れば作るほど、折り合いをどうするか考えねばならないらしい。


 ルカは、ヴィチェンツァで出会った黒衣の聖職者の姿と言葉を思い出していた。



(第76話「時を刻む」終わり)



◆◇◆次回予告◆◇◆


「時計ができた!次は、重さの基準。キログラム原器を作らないと。それに、角度を測る分度器も必要だし、水平を測る水平器も…。やることが山積みだ!でも、一つ一つ、確実に作っていこう。世界標準を、この手で!…いろいろ気にしながら!」


「次回、『基準の確立』。世界が、一つになる」

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