第75話「世界基準」
ドージェ宮殿の大広間。
高い天井から吊るされたシャンデリアが、床の大理石に反射している。
僕とロレンツォ兄さんは、ドージェと補佐役の前に立っていた。
「…ロレンツォ・マルチェッロ、ルカ・マルチェッロ。提案があると聞いた。始めたまえ」
「はい、ドージェ閣下」
兄さんが一歩前に出た。
そして、昨夜練習した通りに、完璧に言葉を紡いでいく。
コンクリート。材料の独占権。防波堤と灯台。工場の献上。樫材の伐採許可。
全てが、計算され尽くした順序で語られた。
僕は技術の説明をし、兄さんは利益を説いた。
ドージェは、コンクリートのブロックを何度も叩き、設計図を凝視し、計算書を読み込んだ。
補佐役たちも、次々と質問を投げかけてきた。
「本当に海水に耐えるのか?」
「材料の供給は安定するのか?」
「『海の民』の助力は今後も得られるのか?」
全ての質問に、僕と兄さんは答えた。
技術や建設の実現性については問題はない。でも、『海の民』に関しては、あくまで僕個人への、マルチェッロ家に対しての助力であることを明言した。
個人と国の線引きはちゃんとしないとね。
提案と質疑は一時間以上続いた。
ドージェは、都度、補佐役となにごとか話している。実現性への評価の確認とお金のことじゃないかな。ドージェの表情を見る限り、断られることはなさそうな感じはするけど…。
◆◇◆◇◆
ドージェ宮殿を出て、自宅まで帰ってくると、アディが庭で待っていた。
「ルカ!」
彼女が駆け寄ってくる。
「おかえり!どうだった!?」
「うん」
僕は笑顔で頷いた。
「承認してもらえたよ」
「本当に!?」
アディの目が、キラキラと輝いた。
「やったぁ!」
彼女は飛び跳ねて喜び、そして僕に抱きついてきた。
「すごいよ、ルカ!本当にすごい!」
「ありがとう、アディ」
僕も、思わず笑ってしまった。
アディの喜ぶ顔を見ていると、本当に成功したんだって実感が湧いてくる。
「これから忙しくなるね」
「うん、すごく」
僕は少し考えて、アディを見た。
「ねえ、アディ。これからビアージョさんのところに行こうと思うんだけど、一緒に来る?」
「もちろん!」
アディは即答した。
「じゃあ、行こう」
僕たちは並んで、ビアージョさんの工房へと向かった。
◆◇◆◇◆
「よお、小僧。それに嬢ちゃんも」
ビアージョさんは、いつものように炉の前で作業をしていた。
僕はドージェへの提案内容と、ウルカニア島への工場建設について、すべて承認してもらった話をした。
「ほう、ウルカニア島か。悪くねぇな。あそこでなら、周りを気にせず、存分にハンマーをふるえそうだ」
「でも…」
「終わったあとの国有化についてか?問題ねぇだろ。もっと良い場所と炉を準備してくれるんだろ?」
「ビアージョさん!」
「先日は悪かったな。あれから俺もいろいろ考えたんだ。おまえさんみたいなとんでもねぇヤツと一緒にやっていくんなら、細かいことを気にするのはやめることにした。どこででも、いくらでも、おまえさんが満足するものを作ってやるよ」
「…あ、ありがとうございます」
僕は熱いものがこみ上げてくるのをぐっとこらえた。
ビアージョさんも照れくさそうにしている。
「…そ、それで?用件はそれだけじゃねぇんだろ?」
「は、はい!…工場のことで、相談に来ました。設計図、見てもらえますか?」
僕は持ってきた図面を広げた。
高炉の構造、精錬炉の配置、鉄筋の製造ライン。
ビアージョさんは、じっくりと図面を見た。
時々唸り、時々頷き。
「…ふむ。悪くねぇな。いや、むしろよくできてる」
「ありがとうございます」
「だがな、小僧」
ビアージョさんは図面から顔を上げた。
「これだけ大規模な建設をするのであれば、基準がいるぞ」
「基準?」
「ああ、この鉄筋とやらもそうだ。長さが均一でなければ建設の時に苦労する。コンクリートのブロックだってそうだ。基準に則った形に誰しもが作らなければ、ずれの差が大きくなり、構造自体が脆弱になる」
僕はハッとした。
確かに、その通りだ。
「え、だって、ビアージョさんもメートル棒使ってるんじゃ」
僕は、工房の壁に立てかけてある測定棒を指差した。
「これか?」
ビアージョさんは棒を手に取った。
「これもな、正確とはいえん。しかも材質が鉄、しかもあまり質が良い鉄とは言えん。つまり、天候や気温といった環境で大きさが変わる」
「あ…」
僕は息を呑んだ。
鉄は熱膨張する。
夏と冬では、わずかだけど長さが変わる。
それを基準にしていたら、精度が出ない。
「あれ?そういえば、今のメートルとかの基準の元になったものはなんだったんだろう」
「ああ、それはな『誰も見たことがない古代遺産』が大元らしい。その古代遺産の写しを元にしているからこそ、新しいものを誰かが作るたびにどんどんずれていく。こうして、現在の『不正確な基準』ができあがったわけだ」
(そういうことか!誰も大元がわからない伝言ゲームの結果なんだ!材質だけじゃなかった…これは盲点だなあ)
「そうだったんですね…」
「それにな、何百人という大勢で作業するなら、正確な時計も欲しいところだ」
「確かにそうだね…毎日数分、数時間という単位で狂う時計じゃ…」
「そうだ。つまり、長さ、重さ、時間。それぞれの正確な基準が欲しい。できるか?」
僕は少し考えた。
できるだろうか?
いや、やらなきゃいけない。
「うーん…やれそうな気はするけど、少し時間ください」
「ああ…」
ビアージョさんは、炉の火を見つめた。
「どうしました?」
「こいつができれば、おまえさんは…いや、セレニアは世界を制するぞ」
「世界!?」
僕は驚いて、ビアージョさんを見た。
横でアディも、目を丸くしている。
「考えてもみろ。正確な基準ってぇやつはな、技術者なら誰でも喉から手が出るほど欲しい。これは間違いない」
ビアージョさんは拳を握った。
「その基準を作っちまうんだ。その影響の大きさは計り知れねぇぞ」
「…ビアージョさん、それ、僕ならやれると?」
「おまえさん以外に、こんなことは言わん。普通なら無理だ」
ビアージョさんは僕を見た。
「しかし、おまえさんならやれそうな気がしてる。これは『期待』だな」
「…ありがとう」
僕は深呼吸した。
「時計は、僕も気になってたんだ。懐中時計とか柱時計とかあるけど、みんな、お昼の教会の鐘が鳴ったことで修正している。それじゃあ、ずれることはあたりまえです」
「そうだ」
「ビアージョさんは、何日経っても狂いの少ない時計が欲しいんですよね?」
「ああ、そうだ」
僕は頷いた。
「…うん、家に帰って考えてみます。手伝ってくれるんでしょ?」
「もちろんだ!おまえさんだけに苦労はさせんよ」
ビアージョさんは力強く頷いた。
「うん…じゃあ、また来ます」
僕は図面をまとめた。
「ルカ」
アディが僕の袖を引いた。
「ねえ、『世界を制する』って、どういうこと?」
「えっとね…」
僕は少し考えて、できるだけわかりやすく説明した。
「今、この世界には、正確な『ものさし』がないんだ。だから、同じ『一メートル』でも、人によって微妙に違う」
「うん」
「でも、もし僕が『絶対に変わらないものさし』を作ったら、それが世界中で使われるようになる」
「…すごい!」
アディの目が輝いた。
「それって、ルカが作った『ものさし』で、世界中の人が測るってこと?」
「そう。それが『世界を制する』ってことなんだと思う」
ビアージョさんが笑った。
「嬢ちゃんの方が理解が早いな」
「えへへ」
アディが嬉しそうに笑った。
「じゃあ、私も手伝う!ルカと一緒に、世界を制する!」
「ありがとう、アディ」
僕は彼女の頭を撫でた。
「また来ます、ビアージョさん」
「ああ。期待してるぜ、小僧」
僕たちは工房を出た。
外に出ると、夕日が街を赤く染めていた。
「ねえ、ルカ」
アディが僕の手を握ってきた。
「本当にできるの?その、基準ってやつ」
「…わからない。でも、やってみる」
僕は空を見上げた。
(振り子時計、メートル原器、キログラム原器。全部、前の世界にあったものだ。理屈はわかってる。あとは、それをこの世界で再現できるかどうか)
「難しそう…」
「うん、難しい。でも、やらなきゃいけない」
僕は拳を握った。
「ビアージョさんが言ってた。『世界を制する』って」
「うん」
「それって、すごいことだと思うんだ。セレニアだけじゃなくて、世界中の技術者が、僕の作った基準を使う」
アディが頷いた。
「頑張ろうね、ルカ」
「うん」
僕たちは並んで、家へと歩いた。
明日から、また新しい挑戦が始まる。
正確な長さ。
正確な重さ。
正確な時間。
全てを、この手で作り上げる。
セレニアの未来を、いや、世界の未来を、僕たちの手で。
(第75話「世界基準」終わり)
◆◇◆次回予告◆◇◆
「アディです!ルカがまた難しいこと考えてる!『時計』『長さ』『重さ』の基準を作るんだって。ビアージョおじさんが『世界を制する』って言ってたの。世界を制する!それって、すごいことだよね!?私も手伝う!ルカと一緒に、世界標準を作るんだもん!」
「次回、『時を刻む』。世界を変える、新たな挑戦」




