第71話「海の職人」
一月も終わろうとする頃。
外は冬の冷たい風が吹き荒れているが、マルチェッロ家の屋敷内は穏やかな空気に包まれていた。
あれから、僕はアディと一緒に、スキル『調律』と『接合』について色々と試行錯誤を重ねていた。もちろん、アディの体調を一番に気にかけながら。
その成果の一つが、手元にあるアディの短剣だ。
かつて漆黒だったその刀身は今、見る角度によって鮮やかに色を変える「サファイアブルー」に輝いている。
これは塗装じゃない。
アディが「違う色がいい」と言い出したのがきっかけで、僕が理論を教え、彼女がスキルで表面のナノ構造を書き換えた「構造色」だ。
モルフォ蝶の翅や真珠と同じ原理。特定の光の波長だけを反射させているわけだ。
最初は「ムラのある灰色」にしかならなかったけど、何度も試すうちに、アディは美しい青色を定着させることに成功した。やっぱり、試行回数は裏切らない。
ただ、変質したこの短剣は、あまりにも鋭すぎた。
切れすぎて、対象に吸い付いてしまうのだ。原子レベルの平滑面同士が触れ合うと、ファンデルワールス力という分子間引力が働いて一体化してしまう。
だから僕が、物理的な形状加工を施した。
刃の断面を、鋭利なクサビ型から、緩やかな曲線を描く『蛤刃』へと変更したのだ。
これで刃に厚みを持たせ、切断時に対象を押し広げる力が働くようにした。耐久性と刃離れの問題もこれで解決だ。
◆◇◆◇◆
そんな実験の日々から少し経ったある日。
一階の客間からは、時折「うぅ…活用が…」というアディの悲痛な呻き声が漏れ聞こえてくる。
今日はチェチリア先生のラティーナ語の授業だ。
頑張れアディ、僕も語学は苦手だから気持ちは痛いほどわかる。
一方、居間の方からは、ロレンツォ兄さんとランさん、それにヴァレリアさんの話し声が聞こえる。どうやら売上の集計作業をしているらしい。
最近、ヴァレリアさんも兄さんの手伝いをすることが多くなってきた。元々優秀な人だが、計算も早く、実務能力が極めて高いらしい。どの商品も順調に売り上げを伸ばしているから、兄さん一人では手が回らなくなってきているのだ。
僕はというと、食堂で紅茶を飲みながら休憩中だった。
「ふふ、アディ様の声、食堂まで届きそうですね」
給仕をしてくれているルーチェさんが、クスクスと笑いながらポットを傾ける。
その時だった。
チリン。
玄関のベルが鳴った。
すぐに、ニーナさんが移動していく気配がした。足音一つ立てない、滑るような歩法。あれは僕には真似できない職人芸だ。
重厚な扉が開く音が、遠く聞こえる。
と同時に、屋敷の壁をビリビリと震わせるような、野太い大声が響き渡った。
「おう!ニーナか!息災でなにより!」
「…え…マルコ様?」
あの感情の乏しいニーナさんが、驚いたような声を上げているのが聞こえた。珍しい。いつもなら「いらっしゃいませ」と淡々と返すはずなのに。
「げっ、マジか…」
目の前で、ルーチェさんが露骨に顔をしかめた。
営業用の完璧な笑顔が崩れ落ち、「正月に一番嫌いな親戚のおじさんが来た時」みたいな嫌そうな顔になっている。
「えっ?ルーチェさん、知り合い?」
「あ、いえ!その…!」
ルーチェさんが慌てて猫を被り直そうとするが、もう遅い。
ドス、ドス、と重量感のある足音が廊下を進み、居間の方へと向かっていくのがわかった。ロレンツォ兄さんたちのところへ案内されたようだ。
誰だろう?
僕は首を傾げながら席を立った。この屋敷にあんな大声で入ってくる人物なんて、心当たりがない。
食堂を出て、居間の開かれた扉から中を覗き込む。
そこには、一人の巨漢が立っていた。
熊のような男だ。
潮風に晒された褐色の肌、丸太のような腕、そして古傷だらけの顔。威圧感が服を着て歩いているような迫力だが、その瞳はどこか愛嬌のある輝きを宿している。
「よう!お仕事中、邪魔するぜ!」
爆音のような声に、ロレンツォ兄さんがペンを止めて顔をしかめるのが見えた。
ヴァレリアさんが、呆れたように、しかしどこか親しみを込めて溜息をつく。
「…マルコ様。いきなり大声を出さないでください。屋敷が揺れます」
「ガハハハ!すまんすまん、ヴァレリアも元気そうで安心したぜ!」
マルコと呼ばれた男は豪快に笑うと、部屋を見渡した。
そばに控えていたニーナさんが、ロレンツォ兄さんに向かって恭しく紹介する。
「旦那様。『海の民』、三番衆を率いる三の長、マルコ様です」
「…『三の長』、だと?」
兄さんの目の色が、一瞬で変わった。
商人の顔から、一国の主と対峙するような緊張感を帯びるのがわかる。
兄さんはアディの父であるカイさんが「六の長」であることを知っている。
「長」という肩書きが持つ重みを、即座に理解したんだ。
「まさか、一角の長が自らお越しになるとは。…マルチェッロ商会代表、ロレンツォだ。丁寧な挨拶、痛み入る」
兄さんが立ち上がり、最敬礼で迎える。
ランさんも、席を立って深く頭を下げた。
「ご無沙汰しております、マルコ様」
「おう、ランか。息災か?」
「はい。おかげさまで」
「そりゃ重畳。カイの野郎に頼まれてな、お前の頼みの件でな」
ランさんはアディの実兄であり、カイさんの長男だ。顔見知りなのは当然か。
僕は呼吸を整え、部屋へと足を踏み入れた。
「兄さん、お客様?」
「ああ、ルカ。…『海の民』の長の方だ」
兄さんの視線が「慎重にいけ」と語っている。僕は頷き、男に向かって頭を下げた。
マルコさんはニヤリと笑い、僕を頭からつま先まで値踏みするように見た。猛獣に喉元を晒しているような気分だ。
「へぇ、こいつがお嬢の婿さんか。…優男に見えるが、目は据わってやがる」
「初めまして、ルカです」
「俺はマルコ。三番衆の長をやってる」
「あの…三番衆というのは?」
僕が尋ねると、マルコさんは大きな手を開いてみせた。
「俺たち『海の民』は、いくつかの『衆』に分かれててな。一番衆が喧嘩専門なら、俺たち三番衆は船造りや武器造り…ま、諸々の『ものづくり』を一手に引き受ける技術屋集団よ」
「なるほど…技術部門の統括責任者、ということですか」
心臓が跳ねた。技術屋のトップ。それなら話が早いかもしれない。
「ま、そんなところだ。…カイの野郎から話は聞いてるぜ。『ルカって若造が、面白いことを企んでるから手を貸してやってくれ』ってな」
カイさん――アディのお父さんで、「海の民」の六の長。今の話からすると、六番衆の長ということになるのかな。
先日、僕がランさんを通じて手紙を送り、「防波堤、灯台、船作りに協力してほしい」と打診した件だ。まさか、技術トップ自らが来てくれるとは思わなかった。
「マルコおじさん!」
その時、背後からバタバタと足音がして、アディが飛び込んできた。
ルーチェさんから来客を聞いたのか、それとも大声を聞きつけたのか。勉強から逃げ出せる喜びも相まって、目がキラキラしている。
「マルコおじさん!久しぶり!」
「おうおう、お嬢!しばらく見ないうちに別嬪になりやがって!」
マルコさんはアディを軽々と抱き上げ、再会を喜んだ。まるで親戚の集まりだ。この人がアディにとって「身内」であることがよくわかる。
一通り挨拶を済ませると、すぐにチェチリア先生が現れ、アディの首根っこを掴んで引きずっていった。「うぅ、あと少しだったのに…」という恨めしそうな声が遠ざかっていく。ドンマイ、アディ。
嵐が去った後、僕たちは改めてテーブルを囲んだ。
「さて…ロレンツォと呼んでもいいか?」
マルコさんが、居住まいを正して言った。
「構いません。こちらも、マルコ殿と?」
「マルコでいい。堅苦しいのはナシだ」
マルコさんはニヤリと笑うと、少し声を落とした。
「本題の前に、俺たち三番衆の規模について話しておかねぇとな。…ロレンツォ、お前さん、『リゾーラ』は知ってるよな?」
「もちろんです。海流に乗って世界を巡る、『海の民』の本拠地たる巨大な船島。セレニアの商人で知らぬ者はおりません」
「まあ、外から見りゃただのデカい塊だが、中身はもっと凄ぇぞ。全長二十四キロメートル。人口はおよそ五万人。保有する船の数は千隻を超える」
「なっ…!?」
ロレンツォ兄さんが絶句した。僕も耳を疑った。
二十四キロメートル?セレニア本島の全長が四キロだよ?
島じゃない。それはもう、移動する国家だ。
「俺たちはそこで生まれ、そこで死ぬ。そして、その巨大な船を維持管理し続けてきたのが、俺たち三番衆だ。…どうだ、少しは俺たちの『力』が想像できたか?」
「…想像以上だ。まさか、内部にそれほどの規模を抱えているとは」
兄さんが額の汗を拭った。技術力も生産力も、こちらの想定を遥かに超えている。
マルコさんは満足げに頷くと、ニッと笑って本題に入った。
「で、だ。カイからの手紙には『防波堤と灯台、それに船を作りたい』とあったが…具体的に、どこで何をさせたいんだ?」
兄さんが目配せをしてくる。
僕は頷き、用意していたエスト島周辺の拡大地図をテーブルに広げた。
「僕たちが防波堤と灯台を作りたいのは、ここです」
僕は地図の一点、エスト島の北端を指差した。
「…ここか」
マルコさんが地図を睨み、鼻を鳴らした。職人の目だ。
「悪いが、こりゃ骨が折れるぞ。あそこは外洋の荒波が直接叩きつける。熟練の地魔法使いや水魔法使いを何人連れてきても、石を積んだそばから崩される。今のセレニアの石積み技術じゃ、完成まで何年かかるかわからねぇ」
「普通の石積みなら…ですよね?」
僕はポケットから、ゴロリとした「灰色の塊」を取り出し、テーブルに置いた。
以前、実験で作っておいた、小さい拳大のサンプルだ。
「なんだ、この石っころは?」
「触ってみてください。硬いですよ」
マルコさんが手に取り、爪で弾いたり、テーブルに叩きつけたりする。
カン、カン、と硬質な音が響く。
「…ただの石じゃねぇな。どうやって削り出した?」
「削ったんじゃないんです。…作ったんです」
「あ?作った?」
「はい。これは『コンクリート』。ラティーナ語で『具体的な』という意味を込めて、僕がそう呼ぶことにしました」
「コンクリート…?」
兄さんが怪訝そうな顔をする。
「ルカ、前に言っていた『ピエトラ・リクイダ(液体の石)』とは違うのか?」
「モノは同じだよ兄さん。でも、姿形が変わりゆくこの石には、もっと新しい名前がふさわしい。これからは『コンクリート』で行こうと思う」
僕はマルコさんに向き直った。
「最初はドロドロの泥みたいに柔らかくて、どんな形にも流し込めるんです。材料は、火山の灰、生石灰、砕石、そして海水です」
「海水だと?」
「はい。こいつの凄いところは、空気中よりも水中の方が、より強く、より早く固まるという性質です」
「なんだと!?」
マルコさんの目の色が変わった。さすがは技術屋の長、その意味を一瞬で理解したようだ。
「水の中で固まる…?つまり、型枠さえ沈めれば、海の中で直接『岩』を作れるってことか!?」
「その通りです。だからこそ、あの荒れたエスト島の北端でも工事が可能なんです」
僕は手元のメモを取り出し、具体的な計画を読み上げた。
「計画している防波堤の規模は、幅20メートル、高さ14メートル。そして長さは100メートルです」
「おいおい、山でも動かす気か?」
マルコさんが呆れたように笑うが、目は真剣だ。
「工法としては、まず木枠にコンクリートを流し込んで、同じ形の巨大なブロックを大量に作ります」
「なるほど、陸で作っておくということか」
「はい。そして、そのブロックを海に沈めて組み合わせていき、防波堤の外枠を作ります。さらに、その中には補強用として『亜鉛メッキした鉄筋』を入れます」
「鉄筋…?石の中に鉄を入れるのか?」
「ええ。コンクリートは圧縮には強いけど、引っ張られる力には弱い。だから、中に鉄の棒を入れて、しなやかさを加えるんです。海水で錆びないように、亜鉛でメッキをしてね」
「石と鉄を一体化させる、か…。面白い」
「そして土台ですが、丸太を2万本ほど海底に打ち込みます」
「2万本!?」
兄さんが素っ頓狂な声を上げた。
「はい。その丸太を覆うようにコンクリートを流し込めば、一日足らずで固まります。これなら波や潮汐の影響も最小限で済みます」
僕は灯台の設計図を差し出した。
「そして、その防波堤の突端に、高さ50メートルの灯台を建てる。光源は僕が作ります」
僕は机の上に、試算した資材リストをドンと置いた。
「必要な資材の概算です」
マルコさんがリストを覗き込み、読み上げる。
「生石灰5000トン。火山灰1万5000トン。砕石3万トン…」
読み進めるにつれ、マルコさんの声が疑うような響きになった。
「鉄鉱石1万トンに、亜鉛300トン…。丸太が2万1000本だと…?」
マルコさんが顔を上げ、僕を見た。
その表情は、呆れを通り越して清々しいほどだった。
「本気か?」
「だからこそ、『海の民』の力が必要なんです」
僕は逃げずに視線を合わせた。
「この防波堤と灯台ができれば、夜や荒天時でも船の安全が確保されます。どんな時でも安心して船が出入りできる、セレニアの安全な玄関口になるんです。…協力してくれませんか?」
重苦しい沈黙が流れる。
マルコさんは腕を組み、目を閉じて考え込んでいたが、やがてカッと目を見開いた。
「ガハハハハハ!!」
腹の底から響くような大笑いが、部屋を揺らした。
「最高だ!気に入ったぜルカ!こんな出鱈目な規模の喧嘩、三番衆が買わねぇわけにはいかねぇ!」
彼はバン!とテーブルを叩いた。
「いいだろう!三番衆の威信にかけて協力してやる!火山灰の運搬でも、土木作業でもなんでもこいだ!」
「ありがとうございます!」
交渉成立だ。ロレンツォ兄さんも、その途方もない規模に顔を青ざめさせながらも、安堵の表情を浮かべている。
やった。これで防波堤と灯台建設の目処が立った。
「よし、これで建設の方は片付いたな」
マルコさんは上機嫌で紅茶を飲み干すと、ニヤリと笑って僕を見た。
「お次は船か!おいおい!こりゃあワクワクしてきたぞ!」
(第71話「海の職人」終わり)
◆◇◆次回予告◆◇◆
「防波堤、灯台、そして帆船。マルコさんは僕の計画を聞いて、目を輝かせてくれた。でも、一番の問題は『場所』なんだ。高炉も精錬炉も船の建造場所も、セレニア本島には作れない。…そんな時、マルコさんが地図を広げて、ある島を指さした。『ここに、一大工場を作っちまえばいい』って…」
「次回、『ウルカニア島』。無人島が、希望の地になる」




