第70話「調律と接合」
狭い研究所(仮)の中で、僕とアディはしばらくの間、互いの体温を確かめ合うように抱き合っていた。
おそらく、世界でたった二人だけの、相性の良いスキルの共有者。
そして、運命のパートナー。
その事実に酔いしれていたけれど…ふと、我に返る瞬間が訪れた。
「あ…」
「ん…」
パッ、と弾かれたように体を離す。
急激に押し寄せる羞恥心。
アディの顔は茹でたタコみたいに真っ赤だし、きっと僕の顔も同じくらい赤い。
心臓が早鐘を打っているのが、服の上からでもわかりそうだ。
「えっと…そ、そうだ!実験!」
僕は照れ隠しのために、わざとらしく大きな声を張り上げた。
こういう時は、科学の話題に逃げるに限る!
「アディのスキル、『調律』と『接合』について、もっと詳しく調べよう!特にこの短剣の状態、放っておくと危ないかもしれないし!」
「え?危ないの?」
アディがキョトンとして、テーブルの上の青く輝く短剣を見た。
「うん。さっき僕が調べた限りだと、この刃の中身は、一方向に綺麗に整列しすぎているんだ」
僕は筆記用具を取り出し、紙にさらさらと図を描き始めた。
まずは、縦にびっしりと並んだ直線の束。
「見て。今の刃は、たくさんの『乾燥パスタ』を束ねて持ってるような状態なんだ」
「パスタ?」
「そう。縦に引っ張ったり、突いたりする力にはものすごく強い。でも、横から衝撃を与えると…」
僕は束ねたパスタを横から叩く仕草をした。
「パキッと、簡単に折れたり裂けたりする可能性がある。武器として使うには、ちょっとアンバランスなんだ」
「あー…なんとなくわかった。硬いけど脆い、みたいな?」
「ご名答!アディ、飲み込みが早いね!」
僕は感心しながら、今度はその隣に別の図を描き込んだ。
六角形が隙間なく並んだ、ハチの巣のような網目模様。
「だから、構造を変えたい。パスタみたいにバラバラじゃなくて、網の目みたいに互いに手を繋がせるんだ」
僕はアディに図を見せながら、熱っぽく語った。
「この形は『ハニカム構造』って言って、自然界で一番強くてしなやかな形なんだ。衝撃を全体に分散させて受け流すことができる。…アディの『調律』なら、素材の中身をこの形に組み替えられるかもしれない」
「はにかむ…?」
アディは難しそうな顔で首を傾げたが、すぐに真剣な眼差しで短剣を見つめた。
「わかんないけど、やってみる。ルカが言う『最強』にしたいから」
「うん。イメージして。この一直線の青い線を、六角形の網に変えるんだ」
アディが短剣の柄を強く握りしめ、目を閉じる。
「…うぬぬぬぬ…!」
アディの口から、可愛くない唸り声が漏れる。
眉間に深い皺が寄り、額には玉のような汗が滲み始めた。
短剣を持つ手が小刻みに震えている。
「調律…調律…網になれぇ…!」
…1分経過。
「っぷはぁっ!」
アディが大きく息を吐いて、手を離した。
短剣は、青いまま。何も変わっていない。
「だ、ダメだぁ…。全然動かないよ」
アディが肩で息をしながら、恨めしそうに刃を見た。
「なんかね、頑固なの。ガッチリ整列してて、『アタシたちはここから動きません!』って踏ん張ってる感じ」
「なるほど…。一度固まった構造を変えるのは、やっぱり難しいのかな」
僕は腕組みをして考え込んだ。
無理やりの力技じゃダメだ。
分子レベルの結合を解いて、再配置するなんて、普通に考えれば神の御業だ。
もっと、アディの感覚に寄り添った誘導が必要だ。
「アディ、もう一回だ。今度は力まないで」
「でも、力入れないと動かないよ?」
「ううん、逆だ。北風と太陽の話と一緒さ。無理やり動かそうとするんじゃなくて、あっちが動きたくなるように『道』を作ってあげるんだ」
僕はアディの手を取り、もう一度柄を握らせた。
そして、自分の手を彼女の手の上にそっと重ねる。
「僕の頭の中にあるイメージを、そのまま君に流し込むような感じで…そう、リラックスして」
僕が指先で、アディの手の甲に六角形をなぞる。
ゆっくりと。リズムよく。
「一直線に並んで窮屈そうにしている子たちに、教えてあげるんだ。『こっちに手を繋いだ方が楽だよ』って」
アディの呼吸が、少しずつ深くなる。
さっきまでの力みが消え、肩の力が抜けていく。
「…楽に…手を繋ぐ…」
アディが夢遊病者のように呟く。
「…網の目…六角形…強くて…しなやかな…」
失敗。
また失敗。
何度やっても、あと一歩のところで「壁」に弾かれるような感覚があるらしい。
「くそぉ…もう一回!」
アディの負けん気に火がついた。
額の汗を拭いもせず、何度も何度もイメージを送り込む。
そして、十数回目の挑戦。
キィィィィィィン…
どこからともなく、高く澄んだ音が響いた。
耳ではなく、脳髄を直接震わせるような、美しい共鳴音。
「あっ!」
僕たちは同時に目を見開いた。
青く輝いていた刀身に、劇的な変化が起きていた。
形は変わっていない。
だが、その表面を、まるで水面に浮いた油膜のような、極薄の虹色の光が走った。
光の干渉。
分子レベルで構造が組み変わり、光の反射率が変わっているんだ。
虹色は一瞬で収束し、やがて――刀身は、全ての光を吸い込むような「漆黒」へと落ち着いた。
以前の黒とは違う。
そこにあるのに、そこだけ空間が切り取られたかのような、深淵な黒。
光さえも逃がさない、完全なる黒体。
「…できた」
僕は震える手で眼鏡を押し上げ、左手をかざした。
『粉砕』スキルの解析を通して、物質の構造が流れ込んでくる。
予想以上だ…。
美しいまでに立体的な六角形格子。
分子が共有結合で強固に結びつき、単一の層が寸分の狂いもなく積層されている。
かつての世界でも、その「形」を模した合金や樹脂はありふれていた。だが、分子レベルの結合を完全に制御し、欠陥のない塊として成形されたこの素材は、量産化の壁に阻まれ続けた『理論上の正解』だ。
「アディ…成功だよ…大成功だ…」
「ほんと!?」
アディがパッと顔を輝かせた。
「やったぁ!できた!」
「すごい…本当にすごいよ…」
僕は完成した短剣を見つめ、武者震いのようなものを感じていた。
黒鉛と同じ成分なのに、ダイヤモンドより硬く、鋼鉄よりしなやかで、鏡のように光るという、矛盾した性質を持つ奇跡の構造体。
この素材なら、鋼鉄を豆腐のように切り裂けるし、どんな衝撃を受けても決して折れないと思う。
「はぁ、はぁ…。結構、疲れるねこれ」
アディが椅子に座り込んだ。
顔色が少し白い。
「大丈夫!?」
「うん…なんか、全力疾走したあとみたい。でも、嫌な疲れじゃないよ」
アディはニッと笑って力こぶを作ってみせた。
「よーし、感覚は掴んだよ!次いってみよう、次!」
「無理しないでよ?…じゃあ、次は『接合』のテストだ」
◆◇◆◇◆
僕が用意したのは、工房の隅に転がっていた端材の木片と、錆びた鉄くず。
本来なら絶対に混ざり合わない、異質な素材同士だ。
「いいかい、アディ。今度はこの二つを『くっつける』イメージだ。ニカワで接着させるように貼るんじゃない。木と鉄の境界線を曖昧にして、一つの物質として融合させるんだ」
「うん、わかった。『調律』のコツでやればいいんだよね」
アディは自信ありげに頷き、二つの素材を両手で挟み込んだ。
「…接合!」
気合一閃。
アディが強く念じる。
…シーン。
何も起きない。
木は木のまま、鉄は鉄のままだ。
「あれ?」
アディが手を離し、ポロリと落ちる木片を見て首を傾げた。
「おかしいな…。もう一回!接合!」
…シーン。
「せーつーごーうー!!」
…ポロリ。
何度やっても、同じ結果にしかならない。
くっつく気配すらないのだ。
「うぅ…なんでぇ?イメージは完璧なのに!」
アディが悔しそうに地団駄を踏む。
僕も腕組みをして考え込んだ。
「おかしいな。『調律』ができるなら、スキルの使い方は間違ってないはずだけど…」
何かが足りない。
イメージ?接触面積?それとも――。
僕は自分のスキル『粉砕』と『圧縮』を使った時のことを思い出した。
僕の『粉砕』スキルは、念じてすぐに発動するわけじゃない。
対象に触れて、解析して、結果をイメージして、念じて…そう、だいたい10秒くらいの「溜め」が必要だ。
(もしかして…)
アディは気が短い…というか、決断が早いから、1、2秒念じてダメなら「失敗!」と判断して手を離している。
「アディ。ちょっと実験方法を変えてみよう」
「んー?」
「さっきは『エイッ!』って一瞬でやろうとしてたけど、今度は『ジワーッ』と浸透させる感じで、長く念じ続けてみてほしいんだ」
「長く?どれくらい?」
「何かが起きるまで、絶対に手を離さないで。僕が『よし』って言うまで頑張って」
「わかった。やってみる」
アディは深く深呼吸をして、再び木片と鉄くずに右手をかざした。
「…接合…」
(1、2、3…)
アディの眉がピクリと動く。
何も起きないことに焦りを感じ始めているようだ。手が離れそうになる。
「まだだ!そのまま我慢して!」
僕が声をかける。
アディが頷きながら唇を噛み、耐える。
(5、6、7…)
アディの腕が震え始めた。
ただ握っているだけじゃない。目に見えない「何か」が、アディの体から放出され、抵抗されているような、重い負荷がかかっているのが見てとれる。
額から滝のような汗が流れ落ちる。
「がんばれ…!アディ!」
(8、9…)
「んんんーーっ!!」
アディが限界を迎えそうになった、10秒目。
アディの手の中から、暖かな光が溢れ出した。
「うわっ!?」
「熱っ!?」
光は一瞬で収まり、アディの体がガクリと揺れた。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ…!」
僕は彼女を抱きかかえた。
「…できた…かな…?」
「うん…できてるよ。できてるけど…!」
アディは微笑むと、安心したように目を閉じ、僕の胸にコテリと頭を預けた。
すぅ、すぅ、と規則正しい寝息が聞こえてくる。穏やかな寝顔だ。
「…まったく、もう」
僕は安堵のため息をつき、彼女の汗ばんだ髪を撫でた。
そして、彼女の手から転がり落ちた成果物に目をやった。
半分が木で、半分が鉄。
だが、継ぎ目がない。
木目が自然なグラデーションを描いて、そのまま鉄の結晶へと変化している。
釘で打ったのでも、接着剤で貼ったのでもない。
最初から「そういう物質」だったかのような、完全な融合。
異種素材接合。
「…完璧だよ、アディ」
僕は呟き、眠る彼女を強く抱きしめ直した。
『調律』は整えるだけだから良いのかもしれないが、『接合』は物理法則への干渉度が桁違いに高いことがわかった。でも、『調律』だって、他の素材や方法によっては、体への負担があがる可能性がある。
ただ、どんどん使ってレベルアップしていけば相対的に楽になるはず。
僕も最初はそうだったしね。
ふと見上げると、窓の外は、だいぶ太陽が傾いていた。
僕は自分の上着をアディの肩にかけた。
そして、その隣に座り、僕も少しだけ目を閉じた。
アディの手を握ると、温かい。
その温もりが、実験の成功以上の充足感を与えてくれた。
◆◇◆◇◆
夕方。
エリシアが夕食の呼び出しに研究所を訪れた時。
「ルカ様ー?アディ様ー?もう少しでご飯ですよー…あら?」
扉を開けた彼女が見たのは、散らかった実験道具の真ん中で、手をつないだまま机に突っ伏して眠る、二人の可愛らしい姿だった。
夕陽が差し込み、二人の寝顔を優しく照らしている。
「ふふっ。研究もほどほどになさらないと」
エリシアは微笑ましそうに目を細め、起こさないようにそっと扉を閉めた。
もう少しだけ、この小さな研究者たちに、甘い夢を見させてあげるために。
(第70話「調律と接合」終わり)
◆◇◆次回予告◆◇◆
「アディです!ルカと二人でいろいろ実験して、すっごいものができたよ!これで私もルカの役にたてるかな…。ううん!役に立ちたい!少しでも私がやれそうなことがわかったから大収穫!これからが楽しみ!」
「次回、『海の職人』。新たな出会いが、未来を動かす」




