第69話「重なる運命」
水の都セレニアの片隅。
マルチェッロ家の屋敷の裏手に、その古びた小屋は建っていた。
かつては農具入れだった場所。
通称、マルチェッロ研究所(仮)。
「…ふぅ。やっぱり、ここが一番落ち着くなあ」
僕は木の椅子に座り、天井を仰いで大きく伸びをした。
視界に入るのは、所々が鮮烈な「赤色」に染まった壁や床だ。
かつて、珊瑚を宝石に変えようとして大爆発を起こした名残り。
あれから一年も経っていないのに、なんだか随分と昔のことのように感じる。
最近まで使っていた工房は、今や『ヴィルゴ・ロサルム(リンス)』と『ラクリマ・エーテラ(柔軟剤)』の製造ラインと化している。
ヴァレリアさんたちに加え、新しく雇ったおばちゃんたちが瓶詰め作業に追われているのだ。
とてもじゃないが、静かに思索にふけるスペースなんてない。
だから僕は、筆記用具と最低限の実験道具、そして一枚の大きな地図を持って、この研究所(仮)へと避難してきたわけだ。
「さて…と」
僕は壁に貼ったセレニア共和国の地図を見上げた。
視線の先にあるのは、美しいラグーナ(潟)に浮かぶ、セレニア本島。
僕の視線は、本島の職人街あたりを彷徨い、そして溜息と共に下を向いた。
「そっか、そうだよなあ…」
脳裏に蘇るのは、ビアージョさんと話した高炉の件だ。
『あ、でもな。ここに高炉は作れんぞ?』
理由は、あまりにも単純で、物理的なものだった。
一つは、騒音。
今でさえ、職人街のハンマー音や煙に対して、風向きが変わるたびに貴族街から苦情が来ているらしい。
なるべく扉を閉めるようにしたり、壁を厚くして音が漏れにくくしているらしいけど、さすがにもう限界だとは言ってた。
これはビアージョさんのとこだけの問題ではなく、職人街全体の問題かもしれない。
そしてもう一つ、より深刻な理由が…場所。
僕は地図上のセレニア本島を指でなぞった。
全長、わずか四キロメートル(たぶん)。
この狭い島の中に、セレニア共和国の中枢機関があり、行政機関があり、貴族の館も多数あり、有力商人の館も多数存在し、本島の東側には広大な軍港とアルセナーレ(国営造船所)が広がっている。
港や市民の生活圏も含めると、もう新しく追加できるような広大な場所などないのだ。
『高炉も精錬炉も作業場も建てて、ここが新しい工房だ!と準備してくれたら、いつでも移り住んでやるぞ!ガハハハハ!』
ボールは僕の方に投げられているわけだ。
「場所、場所かあ…」
僕は指先を地図上で滑らせた。
本島の周りには、小さな島々が無数に点在している。
その中で一番大きいのが、外洋の波を防ぐ防波堤のような役割をしている細長いエスト島(全長十一キロメートルくらい)。
ここの北端に防波堤と灯台を作る予定だから、ここに高炉を作ればいいのかもしれないけど、近くには共和国の要塞もある。
ビアージョさん、居丈高な軍人は嫌いだ!って言ってたから、いい顔はしなさそう。
じゃあ、テッラフェルマ(大陸側の領土)は?
セレニア共和国は、本島は小さいけど領土はものすごく広い。
大陸側には広大な土地がある。
でも、そこはほとんどが「貴族の領地」だ。
土地を借りれば、その貴族に借りができる。利権絡みの面倒な話になるのは目に見えている。ロレンツォ兄さんが嫌な顔をするだろう。
「うーん…」
僕は椅子をギシギシといわせながら頭を抱えた。
実際に、この話を進展させるなら、防波堤と灯台作りをドージェに提案してからだから、その時にドージェに相談してみるのが一番かもしれない。
ふと、僕の視線が地図の外側、周辺諸国へと向いた。
南の軍事大国「ナポリタニア王国」。
セレニアとは友好関係にある。
なんでも、ナポリタニア王国の現在の王様が即位できたのは、今のドージェのおかげだとか。詳しいことはわからないけど、大国であるナポリタニア王国が味方なのは大きい。
周辺各国でナポリタニアの陸上戦力に勝てる国はない。
おかげで、セレニア共和国のライバル、ジェンティーレ共和国は、陸上では攻めてこれない。
その代わり、ナポリタニアの海上戦力はいまいちなので、セレニアとジェンティーレが争う時はいつも海上だ。
数年前、マルチェッロ家も参加していた東方交易船団がジェンティーレに襲われたらしく、その教訓もあって、今、護衛艦隊付きの大規模船団で東方交易の最中だ。
「アレッサンドロ兄さんは大丈夫かな…」
僕は窓の外、東の空を見上げた。
次男のアレッサンドロ兄さんも、その大規模船団に参加している。
やっぱり心配だ。
でも、兄さんにはアレがある。
「風魔法…」
アレッサンドロ兄さんは、風を操るスキルを持っている。
帆船の運行にはものすごく重宝するスキルだから、活躍しているに違いない。
僕は自分の両手を見つめた。
スキル。
アレッサンドロ兄さんのように、わかりやすいスキルを持っている人は、そう多くはない。
ちなみに、マッテオ兄さんは火魔法の使い手。
ロレンツォ兄さんは、スキルを持っているかもわからない。
(実際、スキルってなんなんだろう?)
スキルは、全員がもらえるわけではない。
噂では三割程度の人しかもらえないらしい。
八歳から十二歳くらいまでの間に『神託』という形で、スキルがその身に宿る。
ただ『神託』と言っても、本当に神様からもらったものなのかはわからない。
アルカディア教が昔から言ってるから、便宜上、『そういうこと』になっているらしい。
実際、僕も十歳の時、突然、頭に声…というか、意識のようなものが流れ、『粉砕』『圧縮』のスキルを得た。
でも、詳しい使い方の説明とか一切なく、ただ「そういう名前のスキルが使えるようになった」とわかっただけだった。
だから、いろいろ試行錯誤して試して、なんとか使えるようになったのだ。
スキルのことを、自分以外の人に聞くのはタブーとされている。
だから、家族でも、お父様も、お母様も、ロレンツォ兄さんも、スキルを持っているかすらもわからない。(僕は、みんなに言いふらしちゃったけど。)
だから、いわゆる「魔法使い」の人はわかりやすい。アリアさんの「水魔法」なんかもそうだし。
なお、他のヴァレリアさんたちのスキルもわからないし、アディのもわからない。
◆◇◆◇◆
と、アディのことを考えていたら、研究所(仮)の扉が控えめに開いた。
「…ルカ」
入ってきたのは、アディだ。
でも、いつもの元気がない。まるで叱られた子犬のように肩を落としている。
「どうしたの、アディ?」
「…ごめんなさい。ルカからもらった黒い短剣、おかしくしてしちゃったかも…」
そう言って、アディは後ろ手に持っていた短剣を、おずおずと差し出してきた。
それは以前、僕が炭素素材を圧縮して作った、特製の『DLCカーボンブレード』だ。
「大丈夫だよ、アディ。どんな感じか、ちょっと見てもいい?」
「…うん」
僕はアディの手から短剣を受け取り、鞘から抜いた。
――スラリ。
軽い音と共に現れた刃を見て、僕は息を呑んだ。
「これは…!」
黒く輝いていたはずの刃が、輝くような濃い青色に変色していた。
僕は、アディが傷つくと悪いので、声に出さずに心の中で叫んだ。
(そんな!カーボンがこんな色に変色するなんて!初めて見た!)
僕は、しげしげといろんな角度で見てみた。
切れ味が落ちているとか、劣化しているとか、そんな状態には一切なっていなかった。
むしろ、以前よりも強度があがったようにすら感じられる。
「アディ、この状態っていつから?」
「今朝、手入れしてたらいつのまにか色が変わっていって…」
アディが不安そうに僕の顔を覗き込む。
「ちょっと調べてみるね」
そう言いながら、僕は左手を青い刃にかざした。
先日から、粉砕しなくても、左手をかざすだけで、その物質の組成がわかるようになってきた。これもスキルがレベルアップした効能なのかもしれない。
僕の意識が、物質の深淵へと潜る。
そして、そこに映し出された光景に、僕は戦慄した。
「え!?」
思わず声が出た。
「結晶構造が変わってる…というか、分子が綺麗に一方向に揃ってる!?」
通常、分子の結合は複雑だ。
でも、この刃の中の分子たちは、まるで整列した兵隊のように、寸分の狂いもなく一方向に並び、強固に結びついている。
だから青く見えているんだ。構造色の変化だ。
そして、この配列なら強度は桁違いに跳ね上がる。
(わからない!こんなことが自然におこるものなの!?)
いや、でも、それを言ったら、僕のスキルだって…。
…スキル?
…スキルなら…。
僕の中で、一つの仮説が閃光のように走った。
「アディ、ごめん。変なこと聞いてもいい?」
「…うん」
アディがこくりと頷く。
「アディってスキルを持ってる?」
「え!?…う、うん」
アディが少し驚いたように目を見開いた。
「スキルの名前を聞いても?」
「…えっとね、『チョウリツ』と『セツゴウ』。聞いたこともない単語で、よくわかんないの…」
アディは少し困ったように眉を寄せる。
「十二歳になった日の夜…突然もらって…あ!」
アディがカッと真っ赤になった。
十二歳の誕生日の夜。
それは、僕が船の上プロポーズした日の夜だ。
「あ…」
僕の心臓も大きく跳ねた。
あの日、交わした約束。
アディも、そのことを思い出していたんだ。
僕たちは、照れ臭くて直視できずに、お互いに少しだけ視線を逸らした。
けれど、その甘酸っぱい空気の中で、僕の脳裏には先ほどの言葉がリフレインしていた。
『チョウリツ(調律)』と『セツゴウ(接合)』。
物質の波長を整え、より強固に結びつける力。
その意味を理解した瞬間、僕の身体に電流のような衝撃が走った。
科学的な興奮だけじゃない。
もっと運命的で、必然的な何かに打ち震えたのだ。
僕のスキルは『粉砕』と『圧縮』。
素材をバラバラにする力と、高密度に固めたり形を変える力。
でも、それだけじゃ足りなかった。
無理やり固めた素材や形を変えた素材は、どうしても歪みが残る。
それを、『調律』して整え、『接合』して完全なものにする。
僕が素材を生み出し、アディがそれを完成させる。
それはまるで、凸と凹が噛み合うように。
あるいは、鍵と鍵穴のように。
神様なんて信じていなかったけれど、こればかりは認めざるを得ない。
僕たちは、出会うべくして出会い…共に在るためにこの力を授かったんだ!
「…ルカ?」
黙り込んでしまった僕を心配して、アディが覗き込んでくる。
その瞳に映る僕は、きっと今までで一番、間抜けで、幸せそうな顔をしているはずだ。
「調律と接合…」
僕は震える手でアディの両肩を掴んだ。
愛おしさが爆発して、もう抑えきれなかった。
「アディ!君は僕の運命の人だ!」
「ひゃっ!?」
僕はアディを強く抱きしめた。
アディの体温と、甘い香りが伝わってくる。
腕の中の彼女は、驚いて固まっていたけれど、すぐに柔らかく力を抜いて僕の背中に腕を回してくれた。
「ル、ルカ…?」
「すごいよアディ!君のスキルは僕のスキルと対になってるんだ!二人なら、どんなすごいものでも作れるよ!」
僕は彼女の肩に顔を埋めたまま叫んだ。
「やっぱり、あの日…アディに、スキルが宿ったのは偶然じゃないよ。僕たちは二人で一つなんだ!」
「二人で…一つ…」
アディの声が弾んだ。
彼女は僕の胸から顔を上げ、花が咲くように笑った。
「よかった…。壊しちゃったんじゃなくて、ルカの役に立てたんだね」
「役に立つどころじゃないよ!最高のパートナーだ!」
狭い研究所の中で、僕たちは手を取り合って笑い合った。
テーブルの上では、青く変質した短剣が、二人の未来を祝福するように静かに、けれど力強く輝いていた。
(第69話「重なる運命」終わり)
◆◇◆次回予告◆◇◆
「『調律』と『接合』。アディのスキルが判明した。そして、僕のスキルとの相性が…完璧すぎる!二人で実験してみたいことが山ほどあるんだ。黒い刃を青く変えたアディの力、今度は何を生み出すんだろう?ワクワクが止まらない!」
「次回、『調律と接合』。二人で一つの、奇跡の実験」




