第3話「存続」
港に、出航のドラが鳴り響いた。
カイ率いる船団は、長居を好まない。
用事が終わればすぐに沖へと戻るのが彼らの流儀だ。
桟橋の上で、カイは腕組みをしてルカを見下ろした。
足元には、ドスンと置かれた麻袋がある。
「いいか、小僧。我々は一度本拠へ戻る。次にこの港に寄るのは一ヶ月後だ」
「い、一ヶ月後…ですか」
「ああ。それまでの間、アディはお前に預ける」
「ええっ!?」
「お父さん!私も船に戻るんじゃないの!?」
アディが声を上げるが、カイは首を横に振った。
「ならん。これは『契約』だ。ルカが本当に役に立つ素材を作れるのか、お前が見届けろ。それに…」
「それに?」
「陸の暮らしを知るのも修行だ。お前の旦那になる男が、どんな了見で生きているのか、その目で見てこい。…これは『外交任務』だぞ、アドリアーナ」
「外交任務…!」
アディはゴクリと唾を飲み込み、真剣な顔で頷いた。
その横顔を見て、ルカは(素直な子だな…)とぼんやり思った。
「それとな、ルカ」
「は、はい!」
「広場での一件、礼を言う。…実はあの時、私の部下も現場にいたのだ」
「えっ?」
「お前が飛び出さなければ、部下たちが連中を血祭りにあげていたところだ。だが、お前が動いた」
カイはニヤリと笑った。
「結果として、お前のおかげで無用な血を見ずに済んだ。その度胸と判断力、期待しているぞ」
カイはそう言い残すと、踵を返して船へと戻っていった。
その背中は岩山のように大きく、迷いがない。
やがて、鋭利な刃物のような船団が、夕焼けの海へと消えていく。
あとには、二人の子供だけが残された。
潮風が吹き抜ける。
ルカは呆然と立ち尽くしていたが、やがてズシリと重い現実に引き戻された。
右手には、母に頼まれて市場で買った「魚と貝が入った買い物袋」。
左手には、カイから渡された「海底資源が入った麻袋」。
そして隣には…「婚約者」。
「…どうしよう」
ルカは脂汗を流した。
家に帰らなければならない。
でも、なんて説明すればいい?「ただいま、魚買ってきたよ。あと婚約者も連れてきたよ」なんて言ったら、お父様は卒倒するんじゃないか?
数分間の逡巡の後、ルカは覚悟を決めてアディの方を向いた。
「…アディ。とりあえず、僕の家に行こうか。…怒られるかもしれないけど、ちゃんと説明するから」
「うん!私、陸の家って初めて入るから楽しみ!」
ルカの胃の痛みなど露知らず、アディは元気に答えた。
マルチェッロ家の屋敷。かつては豪商だった名残があるが、今は随所が傷んでいる。
ルカは両手の荷物の重さに耐えながら、重い樫の木の扉をどうにか足で押し開けた。
「た、ただいま…」
その瞬間だった。
「おおおおお!ルカァァァッ!!」
ドタバタドタバタ!と階段を駆け下りる音と共に、白髪の髭を蓄えた大柄な男が突進してきた。
父ジョヴァンニだ。彼はルカの両肩をガシッと掴もうとしたが、ルカの両手が塞がっているのを見て、代わりに頭をワシワシと撫で回した。
「無事だったか我が息子よ!帰りが遅いから、父さんは心配で胃に穴が開くかと思ったぞ!おまけに『広場で騒ぎがあった』なんて噂を聞いて、もう心臓が止まるかと…ん?」
ジョヴァンニのサングラス(のような老眼鏡)の奥の目が、ルカの背後にいる褐色の少女に釘付けになった。
「こ、この可愛らしいお嬢さんは誰だね?その肌の色…まさか『海の民』か!?お前、まさか誘拐してきたわけじゃあるまいな!?」
「ち、違いますよ、お父様!彼女はアドリアーナさん…海の民の長の娘さんで…」
「長の娘だと!?」
「それで、その…なりゆきでというか、助けたお礼にというか…」
ルカは真っ赤になって、消え入りそうな声で絞り出した。
「ぼ、僕に…こ、婚約者が…できちゃいました!!」
「なんとォォォォォッ!?」
ジョヴァンニの絶叫が屋敷中に響き渡った。
彼は「オー・ミオ・ディオ!!」と叫びながらよろめき、壁に手をついた。
「こ、婚約者だと!?まだ十二歳のルカにか!?父さんですら母さんと出会ったのは二十歳の時だったのに!なんという早熟!なんという手腕!さすがはワシの息子ォォォッ!」
「あなた、うるさいですよ。ご近所迷惑です」
奥から、お玉を持った優しげな女性が現れた。母のイザベッラだ。
彼女は興奮する夫を無視し、まずはルカの右手にある買い物袋を見て、ほっと息をついた。
「おかえりなさい、ルカ。お使い、ちゃんとできたのね。無事でよかったわ」
「ただいま、お母様。…遅くなってごめんなさい」
「いいのよ。…それで?さっきからお父様が騒いでいるけれど、そちらのお嬢さんは?」
イザベッラの穏やかだが全てを見透かすような視線が、アディに向けられる。
ルカは荷物を床に置くと、姿勢を正し、先ほどの広場での出来事、カイとの出会い、そして「一ヶ月後の成果」と「婚約」の件を、しどろもどろになりながらも正直に話した。
話し終えると、イザベッラは「まあ…」と口元に手を当て、アディを見た。
「そういうことだったのね。命の恩人との契約…海の民の方々にとっては、とても重い意味があるのでしょうね」
「は、はい!お義父さん…あ、いえ、長から『ルカ君の家で陸の生活を学んでこい』と言われました。あ、あの、ご迷惑じゃなければ…」
アディが緊張した面持ちで頭を下げる。
イザベッラはふわりと微笑み、アディの前に屈みこんだ。
「迷惑だなんてとんでもないわ。ルカを信じて来てくれたのですもの。…ようこそ、マルチェッロ家へ。少し賑やかすぎる家だけど、ゆっくりしていってちょうだい」
「あ…はいっ!ありがとうございます!」
イザベッラの心からの歓迎に、アディの張り詰めていた表情がようやく緩んだ。
その夜。
夕食の席で、改めてルカは兄たちにも事情を説明した。
食事が終わり、お茶が出された頃。
それまで黙って聞いていた眼鏡の青年、三男のロレンツォが、分厚い帳簿を机に置いた。
「…ま、事情はわかった」
ロレンツォは眼鏡の位置を直し、冷静な声で切り出した。
「おめでたい話の最中だが、ここからは現実的な話をしようぜ」
「けっ、また金の話かよ。ロレンツォ兄貴はそればっかりだな」
隣で爪を研いでいた赤毛の青年、四男のフェデリコが不機嫌そうに鼻を鳴らすが、ロレンツォは取り合わない。
「大事なことだろ。…ルカ、お前が結んできた『交易の約束』だが、それをやるには、まずこの家が潰れずに残ってなきゃならねぇ」
「存続…?」
「ああ。ウチの現状は知ってるな?フィオラーレの銀行への借金だ。来月までに最低でも利子分の金貨百枚を用意しねぇと、この屋敷ごと差し押さえられちまう」
金貨百枚。ルカは息を呑んだ。
屋敷がなくなれば、アディを泊めることも、素材を加工する場所もなくなる。
「海の民の長は、お前に課題を出したんだろ?『一ヶ月以内にゴミを金に変えろ』ってな。…つまり、来月の返済期限と、お前の課題の期限は同じってわけだ」
ロレンツォの鋭い視線がルカに突き刺さる。
「勝算はあるのか、ルカ?」
ルカは足元の麻袋を見つめ、そして隣で不安そうにしているアディを見た。
ここで怯むわけにはいかない。
「あるよ、兄さん」
「ほう?」
「僕のスキルと、アディが持ってきたこの深海の資源を組み合わせるんだ。…兄さんたちが腰を抜かすようなものを作ってみせるよ」
「おまえのスキル…『粉砕』と『圧縮』だったか。そのスキルを使えば、そんなに有用なもんが作れるというのか」
「うん」
ルカの瞳に宿る、研究者としての静かな自信。
それを見て、ロレンツォは口元に笑みを浮かべた。
「…いいだろう。そこまで言うなら見せてもらおうか。もしマジで金になるなら、俺が全力で売りさばいてやるよ」
こうして、ルカとアディの同居生活と、マルチェッロ家再建への挑戦が同時に始まったのだった。
(第3話「存続」終わり)
◆◇◆次回予告◆◇◆
「家を守るため、そしてアディとの婚約を守るため、僕はやるよ!裏庭の物置が今日から僕のラボだ!カイさんから貰った海底のゴミを、僕の『粉砕』と『圧縮』で最高級素材に変えてみせる!理論は完璧、あとは圧力制御だけ…って、うわあああっ!爆発したーっ!?」
「次回、『実験』。失敗は成功の母…だよね?」




