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錬金術?いいえ、材料工学です。授かったスキルで海洋国家の覇者になります!  作者: 秋澄しえる
第1章「海都に吹く新しい風」

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第2話「婚約」

2026/8/19 改訂

 アディを追って船へ上がり、そのまま船内へ入った僕は、数歩も進まないうちに足を止めた。


「す、すごい…!な、なにこの清潔さ!?」


 船の中といえば、湿気を吸った木や縄に潮と黴の匂いが染みついているものだと思っていた。ところが床板は丁寧に磨かれ、空気にも澱んだ感じがない。それどころか、かすかに心地よい香りまでしていた。


「これなら菌の繁殖も抑えられるし、ロープの劣化も防げる…!合理的だ…ものすごく合理的だよ!ねえアディ、これ誰が管理してるの!?すごすぎるよ!」


 あちこちへ目を走らせる僕を振り返り、アディは自分が褒められたように笑った。


「でしょ?私たちの船は、いつもキレイにしておくのが決まりなの。汚れた船は病気を呼ぶし、いざという時に動きが鈍るからって、お父さんが口うるさくって!」


「お父さんが?素晴らしい…!」


 病気と汚れの関係をどこまで知っているのかは分からない。それでも、船を清潔に保つことを習慣にしているだけで十分に興味深かった。


 もっと見ていたかったが、アディに促されて奥へ進む。重厚な扉を開けた先には、壁一面の海図と、用途の分からない道具がいくつも並んでいた。


「お父さん!連れてきたよ!」


 船長室というより、僕には実験室のように見える。けれど勝手に見て回るわけにもいかない。部屋の中央には、カイさんが座っていた。


「…来たか」


 椅子に深く腰掛けているのに、それでも僕より目線が高い。正面から向き合うと、さっきより大きく見えた。


「改めて名乗ろう。私はカイ。この船団を率いる者であり、海の民を統べる六人の長がひとり、六の長だ」


「ろ、六の長…!?」


 船団を率いるだけでなく、海の民を統べる六人の一人だという。思わず背筋が伸びた。


「さっきは礼だけで済ませたが、改めて聞こう。どうやってアディを檻から出した?」


「あ、はいっ!その…僕のスキルなんです。左手で触れた物を粉にできるんです!それで錠前自体を粉にして…」


 左手まで上げて説明しかけると、カイさんが片手を上げた。


「理屈はどうでもいい。結果として、お前は娘を救った。我ら海の民は、受けた恩は必ず返す。…望みを言ってみろ。金か?それとも珍しい東方の宝石か?」


 金も宝石も、十二歳の僕が簡単にもらっていいようなものではない。それよりも…。


「お、お金なんて…要りません!」


「ほう?では何を望む」


「こ、交易を…僕と…マルチェッロ家と取引をしてください!」


 口にしてから、自分が何を差し出して取引を申し込むつもりなのかと考え、市場でもらった巻き貝を一つ取り出した。


「ぼ、僕は…今はまだ何の実績もない商家の四男です。でも、僕には知識があります!海底にある鉱物や、深い海の貝殻…それらを僕のスキルで加工すれば、今までにないすごい素材が作れるんです!」


 材料の話になると、詰まりかけていた言葉が少しずつ出てきた。海底の鉱物には陸では手に入りにくいものがあるかもしれないし、貝殻や珊瑚も、組成や構造に合った加工をすれば別の使い道が見つかるかもしれない。色褪せにくい顔料や、鋼鉄より軽い素材だって、材料次第では作れる可能性がある。


「…だから、その、チャンスをください!」


 言い切ってカイさんを見ると、口の中が乾いていた。しばらく僕を見ていたカイさんが、やがてわずかに口元を緩める。


「…面白い。お前の言っていること、嘘ではないと感じる。その目は、水平線の向こう側を見たがっている奴の目だ」


 胸の奥が少し緩んだのも束の間、カイさんの表情が戻った。


「だが、交易となれば話は別だ。我らは陸の人間を信用していない。特に商人はな。…信用できる証が必要だ」


「そ、それは…」


 僕も陸の商家の人間だ。自分は信用できますと言ったところで、証明する方法までは思いつかない。


「…こうしよう」


「はい?」


「アディを嫁にやろう」


「「えぇっ!?」」


 隣から上がった声と僕の声が重なった。顔を見合わせると、アディも目を丸くしている。


「お、お父さん!?何言ってるの!?」


「ちょ、待ってください!よ、嫁って…け、結婚ですか!?僕はまだ十二歳ですよ!?」


「海の民の掟では、命の恩人とは血の契りを結ぶのが最上の礼儀だ。それに、お前のような面白い血を、みすみす逃す手はない」


 冗談を言っている顔には見えない。僕が何か返すより先に、大きな手が伸びてきて髪をぐしゃぐしゃに撫でた。


「婚約だ。マルチェッロの小僧。いや、ルカと言ったな。これでお前は身内だ。身内とならば、いくらでも取引をしてやる」


「そ、そんな無茶苦茶な…!」


 交易を頼んだはずなのに、どうして婚約の話になったんだ!?


「アディは嫌か?」


「えっ!?わ、私は別に…」


 抗議していたアディの声が急に小さくなり、僕をちらりと見てから床へ落ちた。


「なら決まりだ。詳しい日取りは追って決める」


 僕の返事は?


 そう尋ねる間もなく、カイさんは「少し風に当たってくる」と言って部屋を出ていった。扉が閉まると、残されたのは僕とアディだけだった。


 さっきまで壁の海図も道具も気になって仕方がなかったのに、今は見る余裕がない。隣のアディも頬を赤くして、床の木目をじっと見ている。


「あー、その…」


 何か言わなければと思うのに、言葉が続かない。ついさっき出会い、一緒に逃げて、名前を教え合ったばかりの女の子が、いまは僕の婚約者ということになっている。


 黙り込んだ僕を気にしたのか、アディがそっと顔を上げた。


「…嫌、だった?」


 その声で、僕の沈黙がアディにはそう見えたのだと気づいた。


「い、嫌なわけないよ!」


 慌てて答えると、アディが目を瞬かせる。


「き、君は明るくて、元気で、その…可愛いし!ただ、あまりに急だったから、その、心臓が止まるかと…!」


「…ほんと?」


「本当さ!僕の方こそ、君みたいな素敵な子が、僕なんかでいいのかなって…」


 しばらく僕を見ていたアディの口元が、やがてふっとほどけた。


「そっか!なんだ、びっくりさせないでよね!」


 いつもの調子で笑うと、広場から逃げ切ったあと、名前を教え合った時と同じように右手を差し出す。


「じゃあ、よろしくね!私の旦那様!」


「う、うん…よろしく、アディ!」


 握り返した掌は、やっぱり温かかった。朝、市場へ魚を買いに出た時には、海の民の船へ乗ることさえ想像していなかったのに、今はその船の中で、出会ったばかりの女の子と婚約者として手を握っている。


 この状況…家へ帰って、どう説明すればいいんだろう?



(第2話「婚約」終わり)



◆◇◆次回予告◆◇◆


「いきなりアディと婚約しちゃった!でも、家に帰って父様たちになんて説明しよう…。『ただいま、婚約者連れてきたよ』なんて言ったら、心臓止まっちゃううんじゃないかな?それに、ロレンツォ兄さんが怖い顔で帳簿を持ってる…えっ、ウチってそんなに借金あるの!?」


「次回、『存続』。マルチェッロ家、大ピンチです!」

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