第100話「進水」
ナーヴェ・マードレの後部ハッチが開き、容赦のない八月の陽光が照りつけてくる。その光を背に受けたと同時に、僕とアディとマルコさんが搭乗した新造船が後方に動き始めた。
ようやく完成した船。CNFのせいで、新しい船特有の木の香りはしてこないけど、僕は全身で感じていた。
「おい、ルカ。本当に三人で大丈夫なんだろうな」
「すべての仕組みが正しく動けば、僕とアディの二人だけでも動かせます。マルコさんには、先に説明した通り、各部が設計図通りに稼働しているか確認してほしくてお願いしました」
「ああ、そいつはそうなんだがな…設計図と、おまえさんの説明でわかっちゃあいるが、なにせ、この規模の船を三人で動かしたことがないもんでな。どうしても不安が先にたっちまう」
「気持ちはわかりますよ」
「そういえば、ルカ。船の名前は決まったの?」
「うん。『グラウクス・ファルクス』。それがこの船の名前さ」
「グラウクス・ファルクス…かっこいい名前だね!」
「グラウクス…ルカ…おまえさん、ラティーナ語だけでなく、エピステミアの言葉も知っているのか?」
「少しだけ!エピステミア神話も知ってるよ!ゼウス、アテナ、ポセイドン、ヘラクレス!僕、あの神話大好きなんだ!」
「そうなのか…ヘラクレス…バアル…」
マルコさんが考え込み始めた。珍しい。人前では、こういう姿を見せない人なのに。
「長!そろそろいきますよ!」
「あ・・・ああ、やってくれ!」
マルコさんの言葉を合図に、船をおさえていたロープが切られた。それと同時に、船が後方に滑っていき、勢いよく着水した。
マルコさんが走り回りながら周囲を確認している。
僕とアディは、後方のブリッジの中だ。ブリッジは一段高くなっており、周囲を透明CNFの板が囲っている。右には僕が座り、舵輪、帆操作などの主装置担当。左にはアディが座り、空圧で様々な動作を補助する役割。二人の間には、船内に降りる階段がある。
「…変な泡も浮いてこねぇ。浸水は問題なさそうだな。そっちはどうだ」
「問題なさそうです」
僕は、右手側にある六つのレバーを操作した。これは、船体下部に取り付けた、六つのフィンを動かすためのものだ。極限まで滑合を高めた精密摺動面のため、パッキン等のシール材を一切必要としない。
レバーを動かすことで、それぞれのフィンが独立して傾きを変えている。前後四つのフィンは、水中翼の役目も果たすし、制動性能や旋回性能を高める役割も果たす。真ん中の二つのフィンには、また異なる役目がある。
「アディの方は大丈夫?」
「うん…ちょっと待ってね」
アディの目の前には、僕のところ以上にたくさんのレバーが並んでいた。それぞれ異なる役割があるため、どれがどれやら覚えるだけでも大変。頑張って!
「なんらかの動作が必要な時には、僕が指示するから大丈夫だよ?」
「それでもきちんと全部覚えたい…うん、いけそう!」
「よし!マルコさん!いきます!」
「おお!いつでもいいぞ!」
「アディ!一番から三番まで開放!マスト倒立!」
「マスト倒立!」
アディは僕の言うことを復唱し、一番から三番までのレバーを順番に操作した。
すると、それまで二十度程度に、斜めに曲がっていたマストがゆっくりと、しかし確実に起き始めた。やがて、まっすぐに倒立すると、折れていた部分のすぐ上にあったソケットのようなものが、自重で回転しながら降りていき、曲がっていた部分をすっぽりと覆い止まった。
そこをマルコさんが、押したり引いたりして強度を確認している。
「よし!問題なし!次は帆だ!」
「はい!展帆!」
僕は、帆用の三つのレバーと操輪の内、一つのレバーを一段階だけ操作した。それに合わせて帆がマストをするするとあがっていく。今のマストの高さは三十メートル。本来は五十メートルの高さなので、帆も半分だけ、ロール式の巻き取り部分からあがっていった。まだ帆を引き絞っているわけではないが、風をはらんだ帆が大きく広がり、そこにある紋章を露わにした。
片面には二つの紋章。
左側には、四角に赤地の染め抜き、翼が生えたライオン。右前脚には垂直に立てた剣を持っている。セレニア共和国の紋章。
右側には、盾型に青地の染め抜き、斜めに黄色の波模様。マルチェッロ家の紋章。
そして、もう片面にも紋章が一つ。
丸に紫地の染め抜き、銀色の三日月と、その中に二つ並びの黒丸。
これらの紋章は、すべてアディの『調律』スキルで色を調整して描き上げたものだ。
「…マルコさん、本当に使って良かったんですか?」
「まだ言うのか。おまえさんはもう「海の民」の一族だ。そうでなければ三番衆がここまで手を貸すことはない。胸を張って使え!」
「ありがとうございます…」
僕はそう言い、胸が熱くなりながら舵輪を回した。この船の舵は二つ。それも同時に同じ方向を向く。本来なら多大な力を必要とするが、空圧補助のおかげで、簡単に動かすことができる。
「ルカ!スコルピオも動かしてみろ!」
「わかりました!アディ、スコルピオ展開!」
「スコルピオ展開!」
アディの左手が二つのレバーを操作すると、マストの前部分の甲板の一部が、観音開きにゆっくりと開いた。そして、二枚の板が垂直になると、そのまま下に吸い込まれた。それと同時に、昇降板に乗ったスコルピオがせりあがってきた。うん、どこにも干渉していない。
「…いいな。ルカ!どこかで試射をしておこう!まだ、一度も試したことがないしな!」
「はい!では、このまま外洋にでます!」
僕が、前後のフィンを操作すると、船が勝手に前に進みだした。原理は、ランさんの船につけたフィンと同じだ。
「アディ!マスト最大!」
「マスト最大!」
マストがどんどん伸びていき、高さ五十メートルのところで止まった。それに合わせて、帆もロールから目一杯だされ、大きく風を受ける。
「マルコさん!頭を低くして、手近なとこにつかまってください!」
「了解!」
「では…いきます!グラウクス・ファルクス!出航!」
僕はいくつかのレバーを操作し、帆を引き絞り、角度を変えて風をとらえた。すると、瞬時に船が加速した。この大きさの船からしたら、考えられない加速の速さだ。
「このままエスト島の北を通り外洋にでます!防波堤の横を抜けていきます!」
グラウクス・ファルクスは、どんどん加速していく。すでにガレー船の速度は、ゆうに超えている。アディの表情がどんどん輝いてきた。前もそうだったけど、速いの好きなんだね。
僕は、その表情を横目で見ながら、舵輪を修正しつつ帆を見た。まだ、完全には引き絞ってはいないから、翼断面の形状にはなっていない。それでも、僕の感覚的には、約二十ノット(時速三十七キロ)。
当時のガレー船の最大船速は十ノットいけばかなり速い方。この時点で倍は超してる計算だ。
「キール伸長!最大!」
「了解!七メートルにします!」
設計当初、キールの長さは十メートルにしてたけど、マルコさんと相談した結果、七メートルに落ち着いた。伸縮式の三段階で、最短が二メートルになってる。
やっぱり長めのキールの方が安定する。一番底のタングステンの重りがきっちりバランスをとっている船の挙動だ。
エスト島の水路に入った。反対側からコグ船が帆走してくる。こちらに気づいたようで、船員がみんな驚いたように指さして、なにごとかわめいている。こんな形状の船は見たことないだろうからなあ。
防波堤が見えてきた。おお!ほとんどできてる!
「ルカ!兄さんがいる!あそこ!」
「え!?どこ!?」
海の民は、総じて目がいい。必死に探して、ん?あれかな?というくらいだ。
マルコさんがこっちを向いた。
「ルカ、ランも連れていこう。あいつは凄腕の弓手だ。海の民でも十本の指に入るだろうよ」
「え?そうなんですか!?」
「そうだよ!兄さんの弓!すっごいんだから!」
アディが誇らしげだ。
このあたりの水深は約十メートル。防波堤に横づけするくらいに近づいても大丈夫。
ランさんは、灯台建設予定場所付近で、なにごとか打ち合わせしているようだ。
僕は、そこに速度と角度を調節して横づけした。こういう時、回転式フィンと圧縮空気は本当に便利。
ランさんも気づいたようだ。
「ルカ!できたのか!?」
「はい!できました!」
「ラン!おまえも来い!」
マルコさんの大声が響いた。
「え!?しかし!」
「たまにはいいだろうよ!ほれ!まわりの奴らも行け行け言ってるじゃねぇか!」
言われてみると、ランさんの周囲にいた三番衆の人たちがみんな笑ってる。マルコさんの日頃のおこないってやつかな。
「わかりました!行きます!」
そう言うなり、ランさんは軽く駆け出し、グラウクス・ファルクスにスピードを合わせてから船首部分に飛び乗ってきた。
防波堤は海面から五メートルくらいの高さ。グラウクス・ファルクス船首部分の海面からの高さは三メートルくらい。確かに飛び乗れる高さではあるけど、僕なら躊躇しちゃう。
「ランさん!マルコさん!マスト下、後方の防護場所に退避してください!…ええ!そこです!」
僕はマストポール下の透明CNFに囲われた場所を指し示した。
「現在時間九時四十七分。これから一時間程度の高速航行をします!甲板上は暴風が吹き荒れますので、外にはでないでくださいね!」
目の前の時計で時間を確認しながら注意した。この時計は、以前作った精密永久時計の改良版。ゼンマイで動くようにし、直径二十センチまで小型化したものだ。ロレンツォ兄さんには、直径十五センチまで小型化したものをプレゼントした。
羅針盤も正しく動いている。針は、工場付近を指し示している。
六分儀で緯度を確認すると、北緯四十五度二十五分。
羅針盤の隣には、透明CNFの板。中には、マルコさんからもらったポルトラノ海図の簡易版を入れてある。
「アディいくよ?」
アディの瞳がキラキラしている。ワクワクドキドキが止まらないらしい。
「うん!」
「七番から十番を半分開放しておいて!」
「了解!」
舵を沖合に向けた。防波堤の上からは、三番衆の人たちが手を振っている。
僕は、大きく深呼吸をすると、左手で舵輪を握り、右手で二つのレバーを動かした。
さっきもそうだけど、レバーの操作から、実際の動きだしまでは、五秒から十秒程度かかっている。しょうがないよね。電気信号での伝達じゃなくて、複雑なロープや糸の組み合わせと歯車と滑車による伝達だもん。慣れるのもそうだけど、計算にも入れなくちゃな。
考えている間に帆の表面の感じが変わっていく。
それまでは風になびいている感じだったのが、硬質な翼断面の形状へと変化した。
後ろを振り返ると、セレニア本島の教会の鐘楼が見えた。
ようやくここまできた…なぜか、そういう感慨が頭に浮かんだ。
「いきます!全員、固定具にしっかりつかまってください!」
僕の声を合図にしたかのように、帆が風を捉え、船が一気に加速した。
そして防波堤を完全に抜けた瞬間、世界から重力が消えた。
「窒素噴射開始。フォイル(水中翼)、リフトオフ」
船体の下で、圧縮窒素が水中翼の表面から一気に噴き出した。銀色の気泡の膜が水を遮断し、摩擦という概念を過去のものにする。
グラウクス・ファルクスの船体は、二十ノットを越えたあたりでふわりと海面を離れた。波を叩く鈍い振動が消え、代わりに聞こえてきたのは、五十メートル上空のマストの頂が風を切り裂く、高周波の咆哮だ。
正面から吹きつける南東風は熱を帯びている。だが、最短距離で切り上がることはしない。今日は、この船の処女航海、一時間だけの試験航行だ。
「ベア・アウェイ(風下へ)。速度優先」
舵をわずかに落とし、風を真横から受ける角度にセットする。紋章が描かれた帆が、シロッコのエネルギーを暴力的なまでの推進力に変換した。
三分後、流れる視界の感じが変わった。たぶん、五十ノット(時速九十二キロ)くらい。
海面上、数メートルの位置にあるデッキでは、体感速度はその数倍に感じられる。前方から襲いかかる「見かけの風」は、もはや暴風雨の域だ。透明CNFの囲いがなければ、目を開けていられないほどの圧力。
水中翼とキールに支えられた船体は、定規で引いた線のように安定して海面を滑っていく。
目の前には外洋の深淵が広がっている。後ろには、泡が太陽光を乱反射して作り出した真っ白な道だけ。
ふとアディを見ると、楽しくてしょうがないような笑顔になっていた。こんな笑顔が見れるんだったら、なんでもやっちゃうよ。
◆◇◆◇◆
航行開始から一時間くらいたったかな。
視界に陸地がまったく見えなくなった。全周囲、水平線以外に何もない。八月の酷暑の中、デッキを洗うのは波飛沫ではなく、超高速走行が作り出す微細な霧だ。それが強烈な日差しに照らされ、マストの周りに幾重もの虹を浮かび上がらせていた。
楽しい。
夏の陽射しの中、なににもとらわれることなく船を走らせるのは、こんなにも楽しいことだったんだ。
時計の針は、十時四十五分。
楽しい時間はあっという間だ。
僕は、窒素の供給を停止し、帆の硬化もやめ、ゆるやかに減速した。フォイルが水中に没し、再び水の重さが船体にかかった。
「一時間なんて一瞬だ…」
「ルカ、もうお終い?」
「うん、今はね」
僕は苦笑しながら、アディの問いに答えた。見ると、マルコさんとランさんがこっちに歩いてくる。
その間に六分儀で緯度確認。北緯四十四度三十五分。
「…ということは、だいたい九十二キロかな」
「ルカ、ここはどのあたりだ?」
ランさんの視線が海図に注がれるのがわかった。隣のマルコさんもだ。
「えっとですね…このあたりですね」
経度がわからないためだいたいだけど、羅針盤と六分儀のおかげで、僕が指を置いた場所はほぼ間違いないはず。
「…バカな…普通なら半日はかかるぞ…」
マルコさんが大きく息を吐きだした。
「…なあ、おい…この船…航海の概念そのものをぶち壊すぞ…」
(第100話「進水」終わり)
◆◇◆次回予告◆◇◆
「良かった!船は問題なさそう!次は、スコルピオのテストをしなくちゃ。でも、洋上の真ん中じゃあ狙う的もないんだよなあ。どこか岩礁でも探そうかな」
「次回、『試射』。思ってたより、とんでもない武器かもしれない…」




