5. 弱音と本音
ベイベロニアは混沌の街だ。
「北の魔境で産出した希少な素材が集まる」という理由で発展した国。
私の中では、「良い物が集まるなら人も集まるだろう」という程度の理解だった。
しかし実際はもっと規模が大きくて複雑だった。
商人、職人、冒険者、そして観光客。
これに加えて、私がいまいち想定できていなかった『神々』まで集まってきていた。
それも、余所ではなかなか聞かない名前の神ばかり。
在界は一部の国以外はまだまだ過酷な土地が多い世界だ。
神様や師匠の話を聞くほどに、在界が荒れ果てていると感じてしまう。
まず世界地図が無い。
これは世界を見て回れた旅人が居ないだけでなく、世界規模で活動する神さえいないことを示している。
次に、都市型国家が多いこと。
ベイベロニアもそうだが、都市型国家は都市一つが国の全てという、ものすごく小さな国である。
と言うのも、人類の支配域を広げられないからなのだ。
都市型国家は危険を国外に締め出し、国内にあらゆる国力を集中することで生存する戦略である。
つまり、国外には全然出ていかない。
支配域の拡大もなかなかしないし、貿易も商人の自己責任で援助無し。
もちろんベイベロニアのようにある程度外に開いた都市型国家もあるけれど、でもベイベロニアだって国土拡大はする気が無い。
閉じ籠った内向きの国が多いということは、それだけ人類が世界を知ろうとしていないということだ。
それはまあ、そうだろう。
誰だってまずは自分の生活が第一。生き抜くだけで大変なこの世界で、未知の世界に飛び込んで行ける人はなかなかいない。
そう考えると北の魔境に挑んだ昔の南方諸国は結構頑張っていたと思う。
話が逸れたが、在界はこんな感じで全体的に憶病で堅実なのだ。
生存が第一で、未知への浪漫はたぶんランキング外。
そんな世界で信仰される神は、やっぱり『生存』に関わる神が圧倒的に多い。
フォスちゃんみたいな『癒しの神々』は超が付くほど大人気。
次に『食』に関わる農耕神や狩猟神。ちょっとレアな天候神など。
生き抜くための戦闘神なども人気で、逆に生きるのとは関係ない神はイマイチ人気が無い。
そんな不人気な神々が、ベイベロニアにはやたらと多い。
芸術神、鍛冶神、縫製神など。生存を助ける神ではなく、生活の質を向上する神ばかり。
例えば食に纏わる神でも『解毒』や『保存』を司る神より『美食の神』が人気である。
だからだろうか。
この国の神々は、生き死にに関して恐ろしくドライだ。
生きることが最優先の神々とは完全に異なる価値観。
命よりも大切なものを掲げ、本当に命を投げ打ってしまう、そんな神々なのだ。
「でも、だからって信徒の暴走を止めようともしないのはどうかと……」
「まあまあ」
愚痴る私の腕の中で、2.5頭身の子犬が宥める。
この子は『クーシー・クーフー』くん。子犬獣人っぽい見た目のマキニスさんだ。
衣装は拳法着。正式名称ではないけど、主にカンフー服と呼ばれるものだ。
デフォルマキオンだと小さすぎてわかりにくいけど、この衣装も面白い。
分類的には戦闘服のはずなのに、少しダボついてるのが特徴的だ。
「この国の神さまはねぇ、みーんな人間が大好きなんだよぉ。
だからぁ、生き方も死に方も、口出ししないのー。
信徒だからって神秘あげて、誰でもかんたん神業職人ーってやらないしねぇ」
「うむむぅ……」
言ってることはわかる。
師匠いわく、「神は人を見捨てている」に通じる理屈だ。
その気になれば神々はもっと人間に力を与えられる。でも、それはしない。
人は人であり、個は個である。
それを忘れて神の力をばら撒けば、人としての尊厳、個人としての魅力が失われてしまう。
誰もが神の如き力を得たなら、人としての能力を鍛えたところで誤差にもならない。
つまり、控えめに言って、誰が芸術家になっても同じだということだ。
それは芸術家という表現者にとっては死と同義だろう。
なので、神々はどれだけ力を持とうとも、その全てを人に授けたりはしない。
その線引きを、見方を変えれば「見捨てている」とも言えるわけで。
「師匠は厳しいなぁ、なんて思ってたんだけど……」
神々の理屈は理解できた。
何でもかんでも助ければ良いというものじゃない。
手を出し首を突っ込むほどに、人の在り方を歪めてしまう。
過保護も過ぎれば虐待だし、現に私の神様だって知恵の全てを授けてくれたりなんかしない。
でも、実際に苦しむ信徒たちを前にすると、神々に文句の一つでも言いたくなる。
初日に出会った親方。あの人も、聞けば鍛冶神の信徒だという。
なのに神秘や加護とかじゃなく、ちょっとした助言の一つもないというのだ。
どうして?
――いや、理由はわかってる。
でも、その上で、どうして何もしてくれないんだと恨み言が零れそうになる。
「クロエさまぁ、今からこんな調子じゃあ、『品評会』直前は泣いちゃうかもよぉー?」
「う、泣いちゃいますかぁ……」
そうだよなー。
たしか、自ら命を絶つ職人もいるって言ってたもんな―。
それを目の当たりにしてしまえば、いよいよ神々に文句を言ってしまうだろう。
今のうちにちゃんと復元セーブ掛けておこう……うぅ……。
クーシーくんのふわふわほっぺをもちもちし、心を落ち着かせる。
クーシーくんは口調ものんびりで癒し系だ。助かるー。
復元魔法でメンタルリセット掛けた方が早いけど、スキンシップも大事だからね。
もちもち。
落ち着きを取り戻しつつ、これまでを振り返る。
警護依頼を受けてから四日ほど。
初日の初回で予想した通り、この仕事は精神的にきつい。
トラブルがほとんどの場合『悪人不在』なのだ。
明らかな悪人が居て、その人を懲らしめれば一件落着。
なんて簡単な話だったならなにも苦しくはなかっただろう。
言いたくはないんだけど、大抵は職人や商人の自業自得なのである。
事前に素材を確保していなかったり、資金を集めていなかったり、失敗や事故が起きた時のことを考えていなかったり……。
結果として暴れてしまうほど追いつめられるも、それは全部自分のせい。
初日に会った親方もすっごく真面目で一生懸命頑張っていた。
でも、あの場で誰が悪いかと言えば、暴れた親方であり、その原因を作ったのも親方なのである。
商人はとばっちりで運が悪かっただけ。にも拘らず不問にしてくれた善人だと思う。
事情を知ればやるせない気持ちになるし応援したくもなるのだけれど、それだけに、精神的にきつい。
ここで「自業自得だろ。他人に迷惑かけんなよ」と言い捨ててしまえるメンタリティなら良かったんだけど……。
……いや、良くないな。
絶対そんな人になりたくない。
それならきついって感じる方がマシ。
むしろきついと感じられる自分でいたい。
「クロエさまはぁ、すごいよねぇー」
「? そうですか?」
どうしたんですか急に、と返しそうになったのを方向転換する。
これはきっと会話のジャブだ。初手カウンターは良くない。
「こーして愚痴ったりぃ、しんどいって思いながらもぉ、ずーっと働いてるでしょー?
ボクらだって難しぃよー。疲れたりしないけどぉ、補給とメンテナンスは欠かせないからさぁー」
そう言って、三角お耳をぺたんと伏せるクーシーくん。
そんなことを言うのは、クーシーくんもそろそろ稼働限界だからだろうか。
エルフちゃんもだが、マキニスさんたちはみんな補給とメンテナンスが必要だ。
特にメンテナンスは重要で、生物と違って自己修復が出来ないマキニスさんたちは動けば動くほどにすり減っていってしまうのだ。
具体的な構造は知らないけど、末端のパーツならまだしも、『小型真鍮脳(略して小脳)』と呼ばれていた部分に不具合が生じれば個性の欠落も有り得る。
だから一日二日程度で携帯するマキニスさんを切り替え、メンテナンスに回す必要がある。
クーシーくんで三人目のマキニスさんなので、そろそろ不眠不休で働き続ける私が異常であることの実感が沸いてきたのかも知れない。
不眠不休で働けます、なんて、言葉で聞くのと実際に数日働き詰めなのを横で見ているのとじゃ感じ方は違うと思うし。
あるいは単に心配してくれているのか。
「評価値プラス修正ー、給金アップー。
ありがとねぇー」
「えっ、いえいえ! こちらこそ!」
まさかの査定システム。
いや、そういう冗談めいた評価を与えることで「あなたはよくやってくれています」というフォローを入れてくれたのだろうか。
うーん。よく出来た子犬くんだ。
あと「こちらこそ」は謙遜じゃなくて結構本気で言っている。
遠隔かつ多数間での情報共有が容易なこの携帯型マキニスさんは、思っていた何倍も便利だ。
隣界では『スマホ』なる個人携帯型通信機が財布に並ぶ必須品だと聞いていたけど、マキニスさんを連れまわして納得した。
こんなに便利なら誰でも手放せなくなるよね。
科学が上手いこと発展しないと聞いていても深刻さを感じていなかったけど、ここにきてものすごく残念に思った。
『スマホ』が生まれないであろうことが、残念で仕方ない。
だってそれが有ればフィアンマさんとも気軽にお話しできるのに!
「――ふぅ。
おかげで落ち着きました。次に行きましょうか」
にっこり笑って、クーシーくんを抱き上げる。
私自身の苦しみは、どうでも良いとまでは言わないけれど、さっき結論付けた通り『傷み続けて欲しい』と願うものだ。
それよりも、職人や商人をどうにか迅速かつ無傷で無力化する方が大事。
今のところは全部黒檀で拘束できている。
神を崇める信徒が多いとはいえ、流石に黒檀×復元魔法の拘束を破れる人はいないみたいだ。
ただ、それはまだ発生頻度も暴徒人数も問題無く対処できる範囲内だから。
クーシーくんが言っていたように、これからどんどん事件は増えるし、深刻化する。
私の対処次第で怪我する人も出てくるだろうし、到着が遅れれば本当に死者が出てしまう。
そうなると、そもそもの情報源をマキニスさんに頼り切りで良いのかという疑念まで湧いてくる。
対策を今のうちに考えながら、次の現場に向かおう。
「次はねぇ、ないんだよー」
「ないんですかー」
なかった、次の現場……!
恥ずかしい。気が急いている証拠だ。
市場の商品追加タイミング以外は偶発的にしか事件が起きない、というのを忘れていた。
もちろん起きる時は起きるけど、ほとんどはマキニスさんがどうにかできるレベル。
元々ベイベロニアの警護はマキニスさんの担当なんだから、どうにかできて当たり前でもある。『品評会』前が特別なだけで。
初日のように混雑してマキニスさんが動きにくかったり、一刻を争う場合や、大規模な乱闘だったりすれば私の出番だ。
これからが怖いのは確かだが、今はまだそこまでじゃないのだった。
「じゃあ、どうしましょうか」
まだ日は高い。
商店を見て回ろうかな。私の個人的な目的もあるし。
それなら先に手持ちの素材を売って資金を作らないと。
儲けたいわけじゃないしすぐにお金欲しいから、国営の鑑定所に行けば良いかな。
「ヒマなのぉ? クロエさまー」
「ヒマじゃないですよー。
空き時間をヒマだと言って潰してしまうか、それとも有意義に使うのかで、人生の彩は大きく変わっていくんです」
「受け売りっぽいー」
「……」
……なぜバレた。
在界人に『人生の彩』なんて発想は無いからだろうか。
在界人というより辺境の村娘には聞き馴染みのない概念ってだけだけど。
「それでぇ、ヒマならちょっと助けて欲しい人が居るのぉー。
クロエさまにはぁ、毒になるかもー? 薬になるかも―?」
「助けて欲しい人ですか?」
脂汗の浮いたどや顔を引っ込めて、クーシーくんを見る。
また耳が伏せ気味になってる。たぶんその『助けて欲しい人』のことを心配しているのだろう。
ふむ。人助け。
警護依頼とは無関係だけど、トラブルを未然に防ぐことに繋がるかもしれない。
毒か薬になる、というのも気になる。薬師見習いとしても興味を惹かれる。
あと、シンプルに人助けは好き。して良いならしたい。
「――よし、行きましょう! 助けに!」
もちろんトラブルが起きたらそっち優先ですけど!
と言うと、私の腕の中でクーシーくんがぱあっと笑顔になった。
うおぉッなんだこの可愛い生き物(生き物ではない)は……! ぶんぶん尻尾がくすぐったいぞぉ!?
「それじゃあねー、『メイプルの石切工房』に向かって欲しいー!」
「はい! たしか――(記憶復元)――北東の商店エリアの端ですね。
飛ばしますよーっ!」
目的もなく歩ていた大通りから飛び上がり、黒檀の翼を広げる。
眼下で驚いている人たちへ戯れに手を振って、まずは北へ向かって滑空する。
高度が足りないので、一度市場の屋根に着地。広げた黒檀の根で体重と衝撃を分散すれば足場に適さない場所でも問題無し。
クーシーくんが「ひょぉーえぇーっ」と叫んでいるけれど大丈夫、ちゃんとガードしてるから。
とんとんとーんっと飛んで跳ねてスイーッと滑空してみれば、あっと言う間に商店エリアに辿り着く。
急がないと次の市場仕入れ時間が来てしまうし、突発の事件が無いとも限らない。
それに、人を助けるなら早い方が良い。
「到着ッ!」
「ひょぉーえぇーっ」
「もう着きましたよ、クーシーくん」
隙ありとばかりにほっぺもふもふ。
はっ!と正気に戻るクーシーくん。可愛い。
魔道具に恐怖も正気も無いだろってのは、良いのだ、どうでも。
「それにしても、静かですね」
スタッと降り立った商店エリアは、端っこなのもあるけど、ちょっと閑散としていた。
案内してもらった時も人通りが少なく、あまり活気のないエリアだった。
お店が閉まっているってわけじゃないんだけど……。
「この辺はぁ、職人の個人商店エリアなんだー。
商店は兼業で副業ー、売り物は手作り―。だからぁ、規模は小さくぅ品数も少なくってねー」
「ああ、なるほど」
手をポンと打つ。
手作り故に商品の数が少なく、売るのが本職じゃないから店舗に出てきてすらいない。
身も蓋もない言い方になっちゃうけど、これは閑散としていて当然だ。
たぶんこのエリアを歩いている人は、掘り出し物を求める観光客か、特定の職人が目当ての固定客だろう。
このエリアの人を助けるということは客呼びでもすればいいのかと思ったけど、そうではなさそうだ。
なにせこのエリアでお店を出してる人は、そもそも店で儲ける気はないだろうから。
……それは言い過ぎかも?
「こんにちはー!」
あんまり考えるとどんどん失礼なことを言ってしまいそうなので、足早に『メイプルの石切工房』に踏み入れる。
店頭にはベイベロニア到着初日に来た時と同じく、愛らしい動物調の飾りが並んでいた。
もちろん店主である職人はいない。
代わりに、膝下程度の身長の丸っこい何かが駆け寄ってきた。
「もにゃー」
「わー! ハニャニャン様ーっ!」
陶器の身体を持つ陶芸神『ハニ・ニャスカ・ニャスピ』だ。
前もこのお店で出迎えてくれたけど、神なのに常在しているのだろうか。
だとしたらよほどこの滅茶苦茶可愛い御神体を気に入っているのかな?
私も滅茶苦茶気に入ってます。
「ハニャ様ー、走ると危ないですよー?」
可愛い可愛いハニャニャン様を撫でまわしていると、奥からよたよたと女の人が出てきた。
ふわふわでぼさぼさな長髪に、ダボッとした上下一体の作業服。そのどちらにも、なんなら顔にまで泥が付いている。
この人が店主かな?
「あれー? お客さんですかー? いらっしゃいませー」
ハニャニャン様を抱き上げた推定店主さんがふにゃっとした笑顔で応対する。
おお、まさか推定店主まで可愛いとは。
側頭部に一対の巻き角、産毛に覆われた伏せ気味の耳。動物ならヒツジに近い特徴を持つ人種みたいだ。
ただしパッと見て指や足の造形は私と同じ。『覆われぬ者』タイプかな?
「すみません、私はお客ではなくて……」
と返して、ハタと気付く。
客じゃないなら何なんだろう。
助けて欲しい人が居ると聞いて来ました、というのはなんか、怪しくない?
「あー。お客さんじゃないんですねー?
いらっしゃいませー」
考えていると、店主さんはまたふにゃっと笑顔で会釈した。
ゆ、ゆるい……。
本当に助けが必要な人なのかな。もしかして助けて欲しい人とは別の人?
「こんにちはぁ、相談を受けてきましたー。ブレイズン・ブレインズの使い、マキニス・デアエクスですー」
「ああー、わざわざご足労いただきましてー。ありがとうございますー」
ゆるゆるな二人が会話を始め、深々と頭を下げ合っている。
そっか、相談受けてたのか。
管理者や支配者のイメージがあったけど、ブラスさんは元々ベイベロニアのサポーターのはず。魔道具だし。
この手の国民のお悩み相談を受け、解決に乗り出すのが本来の仕事なのかも。
「内容は『姉が心配』でしたねぇ。
今日はアドバイザーとしてクロエさまをお連れしましたぁ」
「わー。よろしくお願いします、クロエさまー。
わたしは陶芸家の『サラーサ・メイプル』ですー。姉と二人でこのお店をやってますー」
私にまで深々とお辞儀するサラーサさん。
抱っこされてたハニャニャン様も「もにゃ」と頭を下げた。
慌てて私もお辞儀を返す。
姉が心配。
それだけではざっくりし過ぎなので、もう少し詳しく話を聞くことにした。
「姉は彫刻家の『グリシア・メイプル』と言いますー。
最近マリオン様から神秘を授かりましてー」
ゆるゆると話し出すサラーサさん。
都度クーシーくんからの補足も入りつつ、事態の全容が明らかになった。
若き女性彫刻家『グリシア・メイプル』は、妹である陶芸家『サラーサ・メイプル』と共にベイベロニアに店を構えた。
念願のお店を手に入れ、かつ職人たちの聖地と名高いベイベロニアへの移住。
モチベーションも高く、わくわくした気持ちで日々研鑽を積んでいたらしい。
そんなある日、研鑽が実ったのか、信仰していた彫刻神『マリオン・ミラテピア』から神秘を授かった。
それは『刻命の神秘』と呼ばれるもので、彫刻に魂を宿すというもの。
この場合の『魂』は、従来の『物体内に定着した魔力』に加え、『意思』を含む。
つまり『刻命の神秘』を用いて作られた彫刻には、『意思もつ魂』が宿るということ。
それだけではさしたる意味はない。精々が「御神体に選ばれやすい」くらいだ。
もちろんそれだけでもマリオン神の信徒なら嬉しいだろう。信仰する神が自分の作品に宿ったり、あるいは自分の作品から神の眷属が生まれるのだから。
ただ、今は世情が違う。
ちょうど最近確立したという新技術『マナリンク』が、『刻命』の価値を一変させてしまった。
鍛冶師界隈では、一流の鍛冶師が打った武器には魂が宿る、なんていうのは常識である。
そしてその魂が武器としての価値を跳ね上げる、と。
いわく、武器の意思――剣であれば『斬り伏せる意思』など――が、持ち主の意思と共鳴し、魔法のような効果を生む、と。
『マナリンク』が広まって以降、この『武器の魂』と『持ち主の魂』の共鳴が、起こり得る事実として認知された。
特にマナリンクを介した魔法発動がスムーズになり、効果も高まるとの研究結果が出ているらしい。
そしてその新しい常識は、『刻命』への注目度を爆発的に底上げした。
武器に出来ることが、『刻命』を施した彫刻にも出来るのではないか、と。
「ねーさまへの依頼がものすごーく増えたんですよー」
サラーサさんが困ったような笑顔で言う。
増えた依頼はほぼ全部『刻命』ありき、かつ小物ばかりだったという。
そりゃあマナリンク使って魔法を掛けたりするのなら携帯性に優れた小物類が適当だろう。
でもそれは同時に「彫刻として、芸術品としての価値は二の次である」と言っているようなものだ。
だからか、増えた依頼をこなすグリシア・メイプルは、どこか辛そうで、苦しそうだという。
少なくとも、新生活で期待に胸を膨らませていた頃とは別人のようだ、と。
「それは心配ですね……」
私は唸る。
自分の作品より神秘が目当てだとわかっていながら依頼を受け、仕事を続けるグリシアさんは立派なプロフェッショナルだ。
でも、例え自分の意思で道を選んだとしても、葛藤は無くならないのだ。
これで良いのか、このままで良いのか。苦しくて逃げだしたくなるたびに、選んだはずの選択肢が再び目の前に現れる。
それがまた、苦しみを生む。……というのを、私は知っている。
とは言え、それだけが原因とは限らない。
悩みも苦しみも大抵一つじゃない。
自分の選択を受け入れ、覚悟を決め、葛藤を乗り越えた先にすら、苦難は待ち構えているものだ。
「とりあえず、グリシアさんに話を聞いてみましょうか」
私の言葉にサラーサさんが頷いて、店の奥へと案内してくれた。
こじんまりした店舗に対して、奥の工房はかなり広い。
少し薄暗くて埃っぽいが、その埃に陽光が反射して煌めき、そこら中に並ぶ陶器や石像が神秘的にさえ見えた。
……ん。
あれ? これ、埃じゃないな。
と思っているとサラーサさんがどこからかマスクとゴーグルを持って来てくれた。どうやら舞っているのは埃ではなく石や金属の粉塵らしい。
工房の奥では、作業机に向かって背を丸めている人が居た。
耳を澄ませると、カリ、コリ、と何かを削る音が聞こえる。
どうも作業中みたいで声を掛けるのがはばかられた。
「ねーさまー」
対して全く気にしないサラーサさん。
え、良いの?と驚いてグリシアさんを見る。
グリシアさんも気にしていないらしく、特に驚いた様子もなくゆっくりと顔を上げた。
「どうしたのサァラ。新しい依頼?」
問いながら振り返るグリシアさんと目が合う。
硬直するグリシアさんに会釈すると、サラーサさんが私とカーシーくんの紹介をしてくれた。
「初めまして、『グリシア・メイプル』と申します。
妹の相談を聞いてくださって感謝いたしますわ」
少しやつれた顔で微笑むグリシアさん。
わざわざ一度マスクとゴーグルを外してから挨拶するあたり、とても礼儀正しい人だ。
あと、美人さんだ。
種族的な特徴は当然サラーサさんと同じなんだけど、受ける印象はキュートとセクシーでだいぶ差がある。
ただ、作業に打ち込み過ぎているのか、顔色が悪い。
これは妹じゃなくても心配になっちゃうなぁ。
「えっと、それで、悩みをお聞きしたくてですね」
その気持ちが出てしまったのか、しどろもどろになりながら説明した。
いや、改めて考えると、本人が相談したわけじゃないのに悩みを聞きに来る赤の他人って何だろう。
急に自分が不審者に思えてきた。
そんな不審人物である私をグリシアさんがジッと見つめる。
その後、チラッとサラーサさんを見て、頷いた。
「わかりました。
それでは上の応接間で話しましょうか」
意外にすんなりと受け入れてくれた。
一度店外に出て、外にある階段から二階へと向かう。
二階は手前が応接間、奥が住居になっているらしい。
メイプル姉妹が「少々お待ちください」と言って奥に引っ込んだので、その間に考える。
グリシアさんが私に悩みを話そうと思ったわけ。
それは、妹を安心させたいからだろう。
おそらく悩みを打ち明けたところで解決しないのはグリシアさんもわかっているだろう。
悩みなんてそういうものだ。
でも、わざわざ初対面の他人に身の上話をしてまでも、サラーサさんに安心して欲しいんだと思う。
「話を聞いてもらって、気持ちが楽になった」と言えば、それだけで妹が少しは安心してくれるはずだと考えたのだろう。
なんとも優しいお姉ちゃんだ。
そうして考えを纏めつつハニャニャン様と戯れていると、姉妹が揃って奥から出てきた。
粉塵を落とし、作業着から着替えてきたらしい。
ふわふわぼさぼさしていたサラーサさんの髪はぼさぼさが取れてふわふわだけになっているし、後ろで一つ結びにしていたグリシアさんの髪も下ろしてふわりと広がっている。
落とし切れずに髪に付いたままの粉塵が陽光を受けて輝き、逆に美しさを演出していた。
うーん、美人姉妹だ。
売り出し方次第では大人気になりそう。
だからこそ、この国で店を構えて頑張っていることに芸術家としての本気を感じる。
「お待たせいたしました、クロエ様。
すでに妹からあらましは説明されているとか?」
「あっはい。聞きました」
並んで椅子に座る姉妹。私とは向き合う形だ。
間に挟まれたテーブルには、さっきハニャニャン様が持ってきたティーカップが置かれている。
中身は無い。たぶん、「この陶器、良いでしょ」っていう自慢だ。
「聞いた感じでは、神秘目当ての依頼に悩んでいるのかな?と思いました。
職人としての腕や、芸術家としての作品は求められていない、ように、感じているのかなー、と」
話しながら自信がなくなっていく。
私は神様と違って人の心情を察するのが苦手だ。
ザルバトゥーレでも察しが悪すぎてフィアンマさんを傷付けていたし、そもそも理屈で心情を推し量ろうとするのが悪癖なのかもしれない。
案の定、グリシアさんも首を軽く振って否定した。
でも、その隣でサラーサさんも「えー違うのー?」という顔をしていたのでちょっと安堵。
サラーサさんと同じ予想、つまり、そこまで的外れな予想ではなかったらしい。
「わたくしの神秘は、わたくしの芸術がマリオン神に認められることで授かったものです。
その神秘を求めるということは間接的に私の芸術を求めることと同義ですので、そこに悩みはありません」
「なるほど」
すごく筋の通った解釈だった。
信徒としての信仰心も高いのだろう。
ちょっと目から鱗の意見かも。
「ですので問題は、求めに応じることが出来ているか、なんです」
求め。
その言葉を、自分の中で咀嚼する。
客の求めるものは『刻命』であり、『意思持つ魂』だろう。
応じられているかどうかがわからない、なんて事にはならなそうだけど……?
疑問が顔に出ていたのか、グリシアさんが少し微笑んでから解説を始めてくれた。
「『刻命』による『意思持つ魂』の付与は、成否で言うのなら確実に成功します。
ですがお客様は『より良い物』をお求めになります。
それが『刻印』であれば、『より強い意思を宿した魂』を」
「――そういうことですか」
言われてようやく気が付いた。
意思には強弱がある。ハッキリとしていてブレない確固たる意思ならば、きっとマナリンクでの共鳴効果も高いのだろうと予想できた。
「わたくしの『刻命』は、好きな意思を刻み込めるわけではありません。
わたくしの意思を刻み込む、と言った方が想像しやすいかと思います。
そのためには、お客様が求めた『意思』を、わたくし自身が抱かなければなりません」
グリシアさんが言いながら腕輪をテーブルの上に置く。
美しい装飾が施された白磁のブレスレットだ。
「こちらは『耐熱の魔道具』になる予定だったブレスレットです」
そう聞けば、彫刻のデザインが涼しげだ。
風と草花の意匠で、シルエットも凹凸の少ないシンプルなリング。
私目線では綺麗で素晴らしいブレスレットに見える。
「しかしながら宿した『意思』が弱く、魔獣素材との相性もイマイチ。
一度は完成させたものの魔道具として使い物にならず、返品されました」
「返品……」
それは、明確な失敗だ。
求めに応じられているか、という答えのない悩みではなく。
求めに応じられなかった、という残酷な結果である。
「理由は明らかです。
わたくしが『刻命』するにあたって、熱を退け、身を守る、その意思がたりていなかったのです。
その後、わざと熱気で満たした密室で『刻印』を施すことで『熱に負けない』『熱を跳ね退ける』という意思を込められ、なんとか依頼を達成出来ました」
この失敗作は戒めとして残してあるんです。と、グリシアさんが微笑む。
私にとっての『覚悟の復元』と同じだろうか。
だとしたら、気持ちはわかるけど、危ういとも思う。
私自身が良く陥る感情の落とし穴。
戒めすぎて、気にし過ぎてしまうという問題だ。
「不安なんです。いつかまた、同じ失敗を繰り返すのではないか。
いつかまた、お客様を失望させてしまうのではないか。
そしていつの日か、マリオン神の期待さえ裏切ってしまうのではないか、と……」
グリシアさんの言葉に、私の予想が当たっているであろうことを察する。
それは、覚えがあり過ぎて苦しいくらいの感情だ。
私は長らく無力感に苛まれていた。
旅の初め、子供だった頃は「いつか」と希望を抱いていられた。
でも、経験を積み、失敗を重ねるほどに、現実をまざまざと見せ付けられてしまった。
現実が分厚い壁となり、何度も何度もぶつかる内に、それを打ち破るのがどれほど困難なことかが理解できる。
そうして、「いつか」が途方も無く遠い日のことだと知る。
辿り着くより先に、寿命が尽きてしまうほどの彼方なのだと。
『いつかできる』が、いつのまにか『できるわけがない』になっていく。
成功の片鱗さえ掴めない無力感。
続けた努力の果ての徒労感。
先を行く人たちとの隔たりに横たわる絶望感。
そして、
遥か彼方で、雲の上の人たちが言うのだ。
待っている、と。
君ならきっと、辿り着けるはずだと。
「プレッシャー……」
零れ落ちた言葉に、びくりとグリシアさんの肩が震える。
痛いほどによく分かる。それは、無力感や徒労感や絶望感なんて空虚よりも苦しい心。
だって、どんな空虚も、諦めてしまえばそれで済む。
見ないふりして、無かったことにしてしまえば良い。
でも、『期待されている』とそれは出来ない。
待っている人が居る、信じてくれている人が居る。
その人たちが、その目や表情が、諦めることを許さない。
プレッシャーなんてどこにでもある。
ありふれ過ぎて大したことないと思われているくらいだが、問題はその重さだ。
適度なプレッシャーは程よい緊張感を生み、集中力を高めてくれる。
過度なプレッシャーは足を竦ませ、指先が震え、呼吸もままならない。
心と体は繋がっている。
一度心の乱れが身体を崩せば、そこからは心と体が互いを壊し合う負の連鎖だ。
あっと言う間に自分ではどうしようもないほどのドツボに嵌まり込んでしまう。
初めは、どこにでもある『重たい期待』で、苦しいけど嬉しいプレッシャーだったはず。
それが突然『逃れられない重圧』に感じるのは、きっと『失敗』が切っ掛けだ。
グリシアさんは、その切っ掛けをもう経験してしまっている。
……『品評会』の結果が悪くて自殺する職人がいる、という話を思い出した。
「わかっているんです」
グリシアさんが自分の手を見つめる。
細くしなやかな指先に、彫刻刀のタコや切り傷が浮かんでいた。
「いくらでも失敗すればいい。積み重ねてこそ上を目指せる。
わたくしはまだ若く、未熟で、失敗を恐れるような段階ではない。
わかっているんです。わかっているのに……」
指が震え始める。
それを隠すように拳を握るが、それでも隠し切れないくらいに震えていた。
「期待に応えられない。自分でさえ納得できない。そんな作品しか作れない。
神様にも、応援してくれる皆にも顔向けできない……こんなもの、壊してしまった方が……。
そんなことを考えながら彫り上げた作品に、どんな卑屈な『魂』が宿ってしまうか……ッ!」
『刻命の神秘』は、自分の意思を刻み込む神秘だと言った。
だとすればグリシアさんの精神状態は『刻印』によって作品に反映されてしまう。
先の例では『耐熱の魔道具』ですら意思不足で失敗作だとされていた。
そこから考えれば、今のグリシアさんが作る作品に、『意思持つ魂』が宿った作品は期待できないだろう。
神秘を求められるということは、間接的にグリシアさんの芸術を求めるということ。
その言葉を聞いた時は素晴らしい考えだとさえ思ったが、今では呪いの言葉のように思えていた。
だって、神秘を期待できない今のグリシアさんは、間接的に芸術家としても期待できないと言っているようなものだから。
「ねーさま……」
グリシアさんの隣に座るサラーサさんが、震えるグリシアさんの拳を掌で包み込んでいた。
それ以上の言葉は無かった。
私と同じで、否定も肯定も返せないのだろう。
強烈な自己否定。
それは師匠によく似ていた。
……それなら、私が師匠にしているように接しよう。
師匠が自身を呪い、憎悪を顕わにした時は、私は何も言えない。
言えないから、ただ、寄り添う。
けど今回は、その役に相応しい人が別にいる。
「サラーサさんは、お姉さんが好きですか?」
なるべく優しく、笑顔で問う。
問われたサラーサさんは、それまでのへろへろした印象とは違い、はっきりと頷いて見せた。
はっきりしていたからか、ただの頷きからさえ『意思疎通』が出来た。
サラーサさんは、グリシアさんが好き。グリシアさんの作品も好き。
今も昔もずっと好きで、きっともっと好きになる。
――でも。
そんな想いも、今のグリシアさんには重荷になってしまう。
項垂れたグリシアさんを心配そうに見つめる視線が、そう言っていた。
その通りだ。
プレッシャーに押しつぶされている人間に「大丈夫」とか「きっとできる」とかポジティブなことを言っても逆効果だ。
本来なら背中を押してくれるその想いの数々が、今はその背に圧し掛かり苦しめてしまっているのだから。
「それでも」
私は言う。
サラーサさんが顔を上げて私を見た。
頷いて返して、もう一度なるべく笑顔で言葉を紡ぐ。
「好きだと言い続けてください。
迷っていても、苦しんでいても、そんな姿さえ大好きだって」
それは、師匠に対してしていたこと。
期待や想いは重圧になり、グリシアさんを苦しめる。
しかし、それで良い。
矛盾しているようだが、プレッシャーに苦しむ人は皆、『背負ったものを失うこと』を最も恐れているのだから。
だから苦しいのだ。
失いたくなくて藻掻くのだ。
それを、「苦しそうだから」と取り上げてしまうことは、決してしないで欲しい。
もし期待を裏切り、背負ったものを失ったとしても、また新たな期待と想いを預けて欲しいのだ。
これは私の我儘だ。
師匠を独りにしたくなかった、私の独り善がり。
でも、サラーサさんは力強く頷いてくれた。
そしてグリシアさんの拳を離して、代わりにその背中を包み込むように抱きしめた。
「ねーさま、大好き」
グリシアさんの顔が歪む。
苦しみと悲しみの、どちらでもない顔へ。
そのくしゃくしゃな顔から涙が零れ始めたのを見て、サラーサさんは「いいこーいいこー」と頭を撫で始めた。
「グリシアさんも、サラーサさんにもっと甘えて下さい。
普段のことは知りませんけど、そんな状態のくせに妹を気遣うなんてどうかしてますからね。
せっかくの姉妹なんですから、弱音でも何でも吐き出してみてください」
「――……はい、そうしてみます――」
説教じみた私の言葉に、グリシアさんがかすれた声で応えた。
それからは、泣きじゃくるグリシアさんと、その頭を撫でるサラーサさん、一緒にグリシアさんの背中をポンポンと叩き始めたハニャニャン様を眺めながら過ごした。
これでプレッシャーがなくなるわけじゃない。
それでも何かが変わって欲しい。
そう願いながら、私は次の市場仕入れ時間まで『若き芸術家の弱音』を聞いていた。




