0. 曇天の空
禁忌。
災厄を避けるために特定の行為を禁じること。
多くは『触れない』『訊かない』『広めない』『知ってはならない』などと言われ禁じられる。
魔法界においての禁忌とは、『大惨劇を引き起こしかねない魔法に関わる知識』と定義されている。
この知識を禁忌として指定するということは、当然『知ってはならない』と釘を刺すということだ。
加えて、禁忌指定された知識に繋がる物品も封じ込められることがある。
ザルバトゥーレではザルバミダス魔導院が知識の管理を担っていて、封印の管理も同様だ。
分かりやすいのが『禁書』で、禁忌指定された知識が記された書物は魔導院の『禁庫』に封じられ、管理される。
禁忌指定された知識で作られた物品も同様で、それを解析して知識を解き明かすことを避けるための処置だと言う。
こうまでして避けるべきと言われるのには理由がある。
例えばシューデイルさんの『継ぎ火』は完全オリジナルの魔法だったが、禁庫にはそれとよく似た『悪霊憑き』『呪術・呪法』『祟り降ろし』などの知識があると言う。
今回の騒動で『継ぎ火』の治療・消去法を探したフィアンマさんが、禁庫番からそう聞かされたらしい。実物は見せてもらえなかったそうだけど。
禁忌の指定と解禁は、院長と賢者たちと、唯一禁忌の中身を知る禁庫番が、熟考の末に決定するらしい。
そうして禁忌とされた知識は、存在自体を隠される。
隠され、緩やかに、忘れられる。
だからこそシューデイルさんの『継ぎ火』に誰も気付けなかったのだろう。
誰も、賢者たちでさえ、『継ぎ火』に似た禁忌の知識を知らなかったから。
知っていれば気付けたかもしれない、というのは簡単だ。
しかし、知るものがいればシューデイル以外にも『継ぎ火』に似た魔法を創るものがいたかもしれない、とも言える。
禁忌とは、後者のリスクこそ重大として封じるに至った、その証である。
そんな禁忌に、私の授業が指定された。
私の授業は、「魔法界を急速に発展させ、歪みを生じかねない」と判断されたらしい。
それ故の禁忌指定だと聞いている。
反発はしなかったが、当然、納得も出来なかった。
「おかしいな」
とは、神様の言。
「あそこは職人も多い国だぞ? あんなクリエイターの基礎みたいな子供向け授業がなんで禁忌にまで指定される?」
珍しく不思議そうに、それどころか不機嫌そうに、神様が首を傾げる。
それは、私もそう思う。
ものすごく持ち上げられていたが、私がやったのは子供向けの授業。特別なことも何もない、ごく普通の内容のはずだ。
フィアンマさんがやっていた『基礎に立ち返る』というのを私もやっていたつもりで、新しいことを授けているつもりなんて全然なかったのだ。
「思った以上に魔法界が歪んでるか、そうでなければ『裏魔法』の影響か」
「仮説が逆説的に立証されていきますね」
「嬉しくはないな」
飛行船の欄干に座る神様が、微妙な笑顔で肩を竦める。
神様だから危なくはないんだけど、ハラハラするからせめて航行中は降りて欲しい。
『裏魔法』とは、簡単に言えば『無意識で発動する魔法』のことだ。
これは私が渡り歩いた世界各国のどこにもなかった定義。
フィアンマさんの授業にあった通り、魔法とは意思を持って発現するものである。
無意識に魔法なんて発動しない。そもそも発動すればわかる。――というのが、世間一般の魔法のイメージ。
強いて『裏魔法』に近いものを挙げるのなら、それは『信仰』だ。
信仰とは信じる心。それが無意識の魔法と成り、神に力を与える。
いや、神そのものが信仰という裏魔法で生み出された存在、裏魔法そのものと言って良い。
だから信仰のブレにより神もすぐに揺らいでしまうし、信仰の強さが神の強さに直結する。
フィアンマさんは魔法は『スペシャル・ルール』で、神(権能)は『アディショナル・ルール』と言った。
要するに魔法は一時的な物理法則の歪曲であり、神とは物理法則の改定である、と。
しかし神は神単体では存在し得ない。
信仰という寄る辺が必要で、信徒がいないのならせめて御神体や教会などの信仰的象徴が必要になる。
もし地上に信仰が一つもないのなら、神は神域からも消え去ってしまうだろう。
それ故に、私は神を『改定』ではなく、魔法と同じく『特例』として見做している。
ただしそれは『複数人が紡ぐ裏魔法』という連続性を持つ魔法であり、結果として存在し続けているというだけ。
それは私と師匠の『復元魔法』によく似ている。
神様はこうして、『裏魔法』という『神の正体』に気が付いた。
……と言っても、今のところ何の確証も無い、ただの一説に過ぎないけれど。
だから神様は『裏魔法』とそれに纏わるあらゆる仮説を纏めて『裏魔法仮説』と定義し、研究を始めた。
それが地獄を覗き込むような行為だと知ったのは、手遅れになってからだった。
「どれだけしっかりしたイメージがあろうとも、使えない魔法が有る。それこそ『癒しの魔法』のように。
こういった『想像力だけでは実現不可能な魔法』が、魔法界に想像力鍛錬を軽んじる空気を作っている可能性はある」
人の手には余るとされる魔法。
それらは、実際に誰にも習得できない。
それもまた『裏魔法』だ。
私の授業では『無意識のブレーキ』と表現した、『有り得ない』という思い込み。
ただの思い込みでは説明が付かないほど強固なブレーキは、リミッター、あるいは『封印』に等しい。
それこそ、『誰かの魔法によって封じ込められている』という感覚に近いのだ。
師匠は医学知識をトレードに出してしまったらしいけれど、それでも隣界人の一般知識レベルでさえ在界の医療知識を大きく上回っている。
なのに、師匠は『回復魔法』を一切使えなかった。
これを単なる才能や想像力の不足と断じることは出来ないだろう。
「でも『神秘を魔法で再現する』みたいに、不可能だとしても挑む人はいますよね?
それに、例外は有りますけど、多くの魔法が想像力を必要とするのは変わらないはずです」
魔法には意思と想像が必要。
その常識を持ちながら、想像を軽んじるはずがない。
想像力には限界があるというのは分かるけど、であればまず限界まで想像力を高めようと思うはずだ。
ましてや『軽んじる空気』が世界全体へのブレーキやリミッターになるほどとなると、そこはちょっと矛盾を感じる。
一部の魔法が人の手に余る特別なものとして封じられているのは理解できるが、想像力そのものを封じ込めるのは違う気がする。
「そうなんだよなぁ」
神様が腕を組み、唸る。
――歪だ。
何故、この世界の魔法は、ここまで半端なのだろう。
「例えばシューデイルの『継ぎ火』は、不可能とされていた『他者に持続的効果を与える魔法』だけど、太古にも『呪法』として存在していた」
神様が人差し指を立てて話し、私はそれを聞いて頷く。
さっきも思い浮かべていた、フィアンマさんからの情報だ。
継ぎ火自体はオリジナルだったけど、似た魔法は過去に存在していた。
呪法、呪術、呪い。だいたいそんな言い方をされる魔法。
そもそも他者に魔法を掛けるのが困難だとされる現代ではまず見られないが、過去にはそんなものがあったという。
それどころか、『呪法』が対象の子孫にまで受け継がれてしまう例も見受けられた。(禁庫番談)
「指定したってことは、少なくとも危険性を認識される程度には『実在した』と言える。
詳しい原理は不明だが、子孫に受け継がれるという点からも『魂の汚染』は以前から存在していたと見ていいだろう」
「禁忌指定も良し悪しですね……」
凶悪であるということは、強力であるということ。
倫理を無視すればこれほど素晴らしい魔法も無い。とにかく結果を求める探求者や、何か大きな野望を持つ者にとって、喉から手が出るほど魅力的な力だろう。
それが禁忌指定による忘却化により、対処法さえ忘れ去られてしまった。
そのせいで発覚せず、対処も遅れに遅れた。
しかし、そのおかげでシューデイルさんが『継ぎ火』という『シューデイルさんが何もしない限り無害な魔法』を作り出した。
もしシューデイルさんが『呪法』を知っていれば、もっと凶悪で致命的な魔法を組んでいた可能性が高いだろう。
例えば、シューデイルさんが付与しなくても、付与された人から別の人に感染し、燃え広がっていくような『呪い』とか。
「クロエがフィアンマから聞いた通り、ザルバトゥーレは『継ぎ火』を含む『呪法』の対策法を見つけられなかったようだ」
師匠が新聞を片手に補足する。
詳細は伏せられているが、『継ぎ火』が魂(個人保有の魔力)を汚染するものだとは公表されている。
元凶は討たれたものの、継ぎ火を受けた者同士が魂の共鳴を起こす可能性も考慮しての配慮だ。
現状では同じ継ぎ火を受けた者同士でも相手の魂には干渉できないが、だからと言って隠蔽すれば、余計な疑念を抱かせてしまう。
公表することで新たな『呪法』を生み出そうとする者も現れるかもしれない。が、それより先に『対呪法』を作り出すのが目的でもあるのだろう。
「だが、そのうち『継ぎ火』に似た魔法が『対呪法』になるというのにも気付くだろうな」
「そうなんですか?」
見つけられるかな、なんて心配していたのだが、師匠や神様にはもう対処法が思い浮かんでいるらしい。
「『のろい』と『まじない』って言ってな。隣界では『呪』は人を害すのにも人を守るのにも使われてたんだよ」
表裏一体。
それは、人の思いから生じる故に。
と、神様が詩的な表現をした横で、師匠が「『魂の汚染魔法』と『魂の保全魔法』、どちらも魂に関与する魔法なのだから、似通うのも当然だろう」と言ってのけた。
もう少し詳しく聞くと、「あらかじめ自分の中に『自分の魂の継ぎ火』を用意しておけば良い」とのこと。
それがあれば少なくとも魂への命令権を他者に奪われることはない。
なるほど。魂の保全魔法。と言うより、魂の保険?
「悪魔や悪霊に身体を乗っ取られないための『おまじない』ってのは、どこの土地でもあるもんだ。
在界のどっかしらにも、きっと残ってるだろうよ」
それは『魔法』か『神秘』かはわからんが、と、神様が笑う。
あー。たしかに、子供に向かって「神様どうかこの子をお守りください」って祈ってるのはよく見る。
なるほど、神の『加護』って、馬鹿に出来ないんだなぁ。
持続性はあるけど大した力はない『神秘』って認識でした。ごめんなさい……。
「終わってみてもまだ尾を引くシューデイルの『継ぎ火』が禁忌指定なのは納得だ。
それに対してクロエちゃんのはちょっとスケールが違い過ぎる。
やっぱ、クロエちゃんの授業が禁忌指定されたのは、フィアンマちゃんが優秀過ぎたせいだとも考えられるかな」
神様が言うには、聞いたばかりの空論をその場で実現出来たフィアンマさんが最も異常であるとのこと。
私もそれは同感だ。
それはもう心の底から同感ですとも。
賢者として名の知れたフィアンマさんがスランプを脱却し、それまで使えなかった幾つもの魔法を習得した。
そしてそれらはあまりにも華やかに咲き誇り、それがあまりに劇的過ぎて、その切っ掛けになった私の授業が過剰に評価されてしまっているんだと思う。
生徒のみんなも成長目覚ましかったけれど、でも子供ってもともと成長早いですからね。
そもそも、私の『想像力鍛錬法』を一番実践してるはずの私が魔法三つしか使えないんだよ?。
フィアンマさんが私には出来ないことを次々と達成しているのに、「クロエの授業がすごい」なんて嘘でしょ。
絶対にフィアンマさんが凄いだけだ。フィアンマさんが禁忌級魔法使いなだけだ。
さっすがフィアンマさん。
「となると、英雄的大賢者であるフィアンマを守るために、クロエの方を禁忌指定にしたのかも知れないな」
「? どういうことですか?」
「たったひと月で神域に至るほどの異常な成長を見せたんだ。『劇薬は毒薬に似る』とも言うように、強過ぎる力は大衆に恐怖を、そして不安を生む。
だがその成長はフィアンマの才能ではなくクロエの授業の賜物であったとすれば、フィアンマ個人に対しての恐怖は緩和されるだろう」
「なるほど……」
そうか。フィアンマさんの成長は、一般人から見れば文字通り『怖いくらい』なんだ。
ザルバトゥーレに魔女はいなかった。神域に至った賢者なんて、前代未聞だと聞いた。
つまりそれは、三党制で数多の実力者が並び立っていたあの国で、突然誰も敵わない絶対的頂点が生まれたということになる。
例えフィアンマさんがそれを望まなくても、その気になれば国をどうとでもできる存在なんて、恐れない方がおかしい。
だから、せめてその成長の理由が本人とは別のところに在るということにした。
それならフィアンマさんが今以上の存在へと変貌する可能性は低くなるから。
将来性の不安が緩和されれば、あとは今現在のフィアンマさんが脅威ではないとその立ち振る舞いで示していけば良い。
「一応、クロエの授業が革新的に見えたのも嘘ではないのだろう」
本人も生徒たちも、見学に来た他の先生方も、私の授業を受けてその場で進化したフィアンマさんを目撃している。
当然それはフィアンマさんがすごいってことなんだけど、でもフィアンマさんを守る上で「クロエの授業が元凶だ」と言い張るのに説得力が出る。
革新的に見えた。
その『見えただけ』を利用し、『事実革新的であった』としたのが禁忌指定。
フィアンマさんを守りたかった人たちが必死で考えた末の『方便』なのだろう。
「でも、その嘘が通じるくらい、私の授業って『特別』でしたか?」
結局、疑問はここに戻る。
想像力の鍛え方や、広げ方。
クリエイターの基礎も基礎。きっとザルバトゥーレ国内でも職人街でなら誰でも知っていそうな知識。
色んな事実はあれど、ここが『特別』だと思われないのなら、「やっぱりクロエの授業ではなくフィアンマがおかしい」とされるはずなのだ。
「なまじ魔法界の最先端だったばかりに、形式ばった教育論ばかりが先行していた可能性も有る。
……俺にも覚えがある。優秀な家庭教師や高名な進学塾ほど、詰め込み方式ばかりで、基礎の基礎なんて教えないものだ」
「二足歩行の仕方、みたいな感じだな。いちいち教えないし、いざ教えようとすると難しい。
隣界では『走り方』を教えるコーチなんてのもれっきとしたプロとして存在していたくらいだ」
「そうなんですねぇ……」
私は学校に生徒として行ったことがないからわからないが、師匠はかなりの秀才で、エリート校にも縁深いらしい。
隣界のエリートはほぼ筆記試験で決まると言うから、なおさらそんな勉強法になってしまうのだろう。
実践ありきの魔法界でも似たことになっているっぽいのは、ちょっと面白い。
走り方のコーチというのも新鮮だ。
魔法にとっての想像力が歩き方や走り方レベルの基礎だというなら、たしかに、あえて教えることはないのだろう。
「魔法界って言っても、界隈全体となれば職も様々だろ。教師側からしたらとりあえず詰め込めるだけ詰め込んどけってなるのも分かるけどな。
就活に有利な魔法とかありそう」
「義務教育みたいだな。この授業は果たして将来役に立つのか、なんて言われるわけだ」
「そうそう。まあ気持ちはわかるけど、役に立つ立たない以前に、役立たせようって意思が無いのが子供だよな」
「自虐か?」
「あるあるだろ」
師匠と神様が雑談に華を咲かせ、笑い合う。
その会話もとても興味深い(義務教育ってなに?)んだけど、私の意識は他に向いていた。
教育。
その意味。
将来役に立つのか、立てられるのか。
……あるいは、逆に、忘れるべきなのか。
私の授業は禁忌となった。
経緯や理由はともあれ、それは「この授業は聞くべきではない」とされたのだ。
では、そんな授業を受けてしまった生徒たちはどうなるのだろう。
都合よく忘れるなんてできないはずだ。
かと言って、禁忌を活かすことも憚られる。
……つまり、私は教師として導くべき生徒たちを、あらぬ方向へ惑わせてしまったのではないか。
教え、導く。それは簡単なことではないとは思っていた。
それでも、ここまで明確に『失敗』を突き付けられてしまうと、考えてしまう。
本当にフィアンマさんを守るための『方便』としての禁忌指定だったとして、それでも私には言い訳出来ない『失敗』がある。
そもそも、フィアンマさんを巻き込んで、フィアンマさんを魔女にさせたのは私なのだから。
もっと早くあの事件に気付いていれば。
もっと早く神様に相談できていれば。
あるいは逆に、フィアンマさんに疑念を植え付けていなければ。
そうすればまだ猶予はあったかもしれないし、少なくともフィアンマさんを巻き込まずに済んだはずだ。
だから、禁忌指定は私が犯した数々の失敗を象徴する烙印なのだ。
シューデイルさんは、教師として高い評価を得ていた。
彼を師事して大成したのはフィアンマさんだけじゃない。
あんな魔法を使わなくても、きっと彼は後世に語り継がれる大魔法使いだったろう。
シューデイルさんが自分自身を正しく評価できていたなら、きっとあんな事件は起きなかった。
他人を『霊峰』かのように見上げて、『火』のように上ばかり目指した、そんな彼の『ルーツ』にさえ囚われていなければ。
その事からも、教え導く、気付きを与える、ということの重大さがよく分かる。
「導く、って、なんなんでしょう」
思わず、疑問が口をついて零れた。
シューデイルさんの自己評価の低さが事件の発端だと考えながら、私は彼と同じく自分を評価できないでいた。
禁忌指定に至る失敗の数々だけが原因じゃない。
他者と比べることじゃないとは思いつつも、どうしてもあの決戦で見たフィアンマさんの雄姿を思い出すのだ。
意思共有したとは言え、土壇場で、極限状態で、アレンジを加えた『復元魔法』をぶっつけ本番一回勝負で成功させたフィアンマさん。
あれはもう、神の奇跡そのものだ。
これが天才なんだと私の脳裏に焼き付いた、あまりに眩しく輝かしい姿。
私も師匠も数百数千の失敗を経て辿り着いた境地に、あっさりと……。
自信を喪失するなと言う方が無理だろう。
私は、結局のところ、ただの村娘なのだ。
学も才能もない、平凡で、素朴な人間。
神様と師匠の導きがあったから私は『黒檀の魔女』とさえ呼ばれるようになった。
けど、もし、二人がフィアンマさんのような才能ある子どもを導いていたのなら。
……きっと、私なんかの何百倍も、二人の役に立てる存在になっただろうに。
「導く、か」
師匠が呟く。
顎に手を添える、いつもの思考ポーズ。
いつも真面目な師匠が、いつも以上に真面目に考えこむ姿は、妙な重圧を感じられる。
「――クロエに関して、俺たちは『導くべきではなかった』と結論が出ている」
と、いつか聞いた言葉を紡ぐ。
割とショックな言葉なのだが、初回じゃないのである程度受け流せる。
少なくともこれは別れ話に繋がるわけでもないし、悔恨に溺れる前兆でもない。
ただの前振り。
だからズキッとしないで、私。
「ニックにも怒られたしな」
逆切れしたくなるくらいに、と神様が疲れた目で笑う。
商人さんは『お姉ちゃん』って感じの人だから、師匠と神様の『保護者組』同士でよくぶつかっている。
主に私に対する教育や扱いなんかに対して。
「私はそうは思わないんですけど……」
なぜ三人ともそう言うのだろう。
いや、その理由も聞いたことがあるのだけれど、「普通に生きて、普通の幸せを手に入れて欲しかった」とのこと。
どうも隣界人は『普通』こそを最も素晴らしく尊い幸福だと考えているらしい。
在界基準では、その『普通』は大分『天上の暮らし』なんだけれど……。
どちらにせよ、私はただ漫然と生き、日常を貪る生き方は向いていないと思う。
それを幸せだと感じられないし、だからこそ、お母さんが死んだ後も商人さんに助けを求めなかったんだと思う。
薬草買って下さい、とは頼んだけど。
「旅をしながら子育てに情操教育にと忙しかったからな。教えた魔法や知識も行き当たりばったりだ。
もう少し筋道立てて技術を習得させたり、在界の常識や知識を得て吟味してから教育にあたったり、とにかく準備期間が欲しかったな」
あ、それは初めて聞く理由だ。
感情メインではなく、『導き』を中心に考えると、なるほど、たしかに突然子ども一人引き取ったなら準備不足に嘆きたくもなるだろう。
私もクロウさんに「生徒ではなく教師として推薦しました」って聞いた時は泣きたいくらいに大慌てで準備したもん。
「一国を滅ぼした手前、姿を隠す意味でも旅はすべきだったが、それでも逃げた先で拠点を構え、数年はクロエのために使うべきだった。
俺たちの目的を優先するのなら最初からクロエを引き取るべきではなかったし、引き取ったのなら目的を後回しにすべきなのだから」
私の故郷は滅んだ。
その原因が二人であり、それ以上の諍いを避けるために逃げるのは当然だった。
でも、そうか。
逃げ続けるのではなく、潜伏するという道もあったのか。
私はつい焦って先を急いでしまうけど、師匠は元々二百年以上も一人で生きていた人。
私が独り立ちするまで腰を落ち着けるという選択も、全然ありだったのだろう。
それを「なし」として、一刻も早く、一人でも多くを健康にしたいと願うのなら、やっぱり私を引き取るべきじゃなかったと結論付けされる。
こうして考えると、師匠も、そして当時の神様なりたての神様も、まだまだ人間らしく抜けている部分があったんだな、と思ってしまう。
「……もしかして、私を引き取ってくれたの、後悔してますか?」
「「それは無い」」
脳裏に過る一抹の不安。
それを口にした瞬間、二人がさも当然のように淡々と即答する。
その熱の無い『当たり前』のような返答が、嬉しかった。
「そんなわけで俺と相棒も『導き』とやらに悩んだ時期があってさ。ちょっとニックも含めて保護者組で『導きの実験』をやったんだよ」
「複合実験だったが、最終的には『導き』が課題になったな」
と、二人が頷き合う。
私の知らない話だ。
いつのまに、と思うと同時に、もしかして、とも思う。
私が『復元魔法』で記憶を復元し続け、疑似的に記憶の永久保持をできるようになったのは最近のこと。
子供の頃は一緒に旅をしていても師匠や神様が何をしているのか分かっていなかったし、今ではその時のことはほとんど忘れてしまっている。
忘れた記憶は復元できない。復元できるのは『魂の複写』があるものだけ。その術を習得する以前の記憶は、当然、自力で思い出すしかないのだ。
きっと件の『導きの実験』も、私が忘れているだけで、私の目の前で話してたりしたんじゃないかな?
「正解!」
「やった!」
びっ!と私に人差し指を向けてウィンクする神様に、喜びながらパンチする。
もちろんすり抜ける。
何回言っても心を読むのをやめてくれないなぁ、この神様。
「だって読んでないし」
「なにか言いましたか?」
「イイエナニモ」
私のわざとらしいニコニコ笑顔に、神様がごく自然で爽やかなニコニコ笑顔で返す。
メサイアさんより神様の方が詐欺師っぽい。
「ま、そんなわけで、次の目的地は実験をやってた国だ」
「え?」
サラッと告げる神様に驚き、作り笑顔がどっかに行ってしまう。
対して神様は笑顔のまま、「ほらあそこ」と言いながら地上を指差した。
そう、今は飛行船で移動中。
行き先は、たしか『ベイベロニア』という荒野の都市。
北方に魔境、南方に大国。ベイベロニアはその中間で貿易の要として栄えた国。
「近く国を挙げた『品評会』が開催されて、そこに実験的最新鋭医療魔道具も出品されるから見に行きたい、って話じゃ?」
珍しく師匠がうきうきしていたから間違いない。
ちらっと師匠を見る。
……うん。頷いてる。間違いない。
「それもあるが、それは相棒と、付き添いで俺が居れば良い。
クロエちゃんには医療魔道具の原理と構造はまだ難しいだろうし、別行動もアリだろ?」
「う……」
耳が痛い。
魔道具の原理の大部分は『科学』だ。構造も言わずもがな。
科学の基礎である物理と数学は、必要とする知識以上に応用の幅が広く、『知識を魔法で保持できる』程度では全く太刀打ちできない。
魔法頼りでは保持した知識同士が上手く結びつかない上、それらを組み合わせて新たなものを練り上げる『応用』が難しいのだ。
いや、……応用は、出来なくもない。
私の応用はほぼ妄想とか空想の域だけど。
ただそれを実現するための『計算』が本当に難しいのだ。
記憶、経験、応用、計算。
私はそのファーストステップだけ魔法で何とかできる程度。
保持した知識同士を繋ぎ合わせ、生きた『知恵』に昇華するための『経験』。そこがもう足りていない。
そんな感じで難題が幾つも重なり合って掛け合わさるのが『科学』であり、私はそれを非常に苦手としている。
ということを、もちろん神様は見抜いていた。
医者を目指す上では『科学』も『医学』も必ず習得すべきだと思いつつも手が出せず……。
結果、私はいつまでも『医者見習い』にさえなれず、『薬師見習い』を名乗るのであった。
「それにまぁ、あれだ。
初仕事で教師役やってみたら授業内容全部禁忌にされた、なんて、そりゃ人を導くことに悩みもするよな」
バツの悪い私に、神様がへらへらと笑っていった。
それはまるで、――いや間違いなく、「導きに悩むのは分かっていた」と言うように。
「……まさか。それを見越して行き先を決めたんですか!?」
私は思わず声を大きくした。
そう言えば「近く開催される」とは言ってたけど、品評会はもうちょっと先だ。前乗りにしても早すぎる。
つまり元々行くつもりだったけど私が悩んでいるだろうから予定を早めた、ってこと!?
なんだか見透かされてるみたいで恥ずかしい……!
「ま、たまには神様らしいことしないとなー」
信徒の心に寄り添い導くのが神。
見守って下さる。それが神の愛である。
なのに、なぜか神様の場合は『プライバシー侵害しまくりでデリカシーに欠けるお兄ちゃん』というイメージが湧いてしまう。
色々と距離が近すぎるからかなぁ。
でも、そっか。
導くこと、二人も悩んでたんだ。
私の事で。私の為に。
……なんだかちょっと嬉しい。
「良いんですか?
ちょっと寄り道になりません?」
私の不安を、二人は首を振って拭い去る。
「俺はクロエの悩みに関与するつもりはない。好きに迷って好きな答えを出せば良い」
「師匠らしいですね……」
「ただ、今回の前乗りは俺にも利があるから呑んだ。
品評会当日では完成品しかお目に掛かれないが、未発表技術を始めとして、製造工程まで知りたいのなら今回の前乗りは良案だろう」
「し、師匠らしいですね……」
師匠はリアリストで、クールだ。
私の悩みは私のもの。寄り添い、慰めたところで、答えが出るわけではない。
そして下手な導きは答えの押し付けに等しいことも理解している。
だからこそ師匠なりのやり方と言い方で、私に寄り添おうとしてくれている。
今回は、ベイベロニアに前乗りして長期滞在するということを良しとすることで。
……本当は、そもそも私を旅に同行させる意味なんてないはずなのに、そこには一度も触れないまま。
なんだかんだと理由を付けて、師匠は足を止め、私が追い付くのを待ってくれる。
ちゃんと教師を終えたあと合流してくれたように、今回もずっと待ってくれているのだろう。
足を止める理由がただの苦しい言い訳じゃなく、納得するしかないくらい理に適った理由なのも師匠らしい。
「――わかりました!」
むんっ!と気合を入れ、下がり眉を一生懸命吊り上げる。
神様も師匠も協力的だ。それは素直に嬉しい。
それと同時に、二人にとっても『導き』への悩みは早期解決すべきものだと考えている節も読み取れる。
思い悩み、足を止めることに対して、私は否定的だ。
ゼノロスさんにもそう説いた。
それでも、『悩むべき悩み』はある。
私が否定するのは答えの出ない問答であり、今回は違う。
今回は、『安易に答えを出してはならない悩み』なのだから。
それに悩むべきは導きのことばかりじゃない。
なんでこんなに魔法の知識や常識は歪なのか。
裏魔法仮説が真実だったとして、それは今まで誰にも見つかっていなかったのか。
知りたいことは山ほどある。
だからこれは脚を止める行為じゃない。
答えへ向かって歩み続ける行為だ。
神様と師匠がいつか言っていた「目的と関係ないところでばかり問題にぶち当たる」というのがよく分かる。
二人の悩みはそれさえも神域レベルだけれど、きっといつか、私もその問題にぶつかる日が来るのだろう。
私が今、導くことに悩み始めたように。
それならいつも通り楽しもう。
薬師見習いとして、いつか世界に医学を広める日のために。教え導くことの何たるかを探しに行こう。
私は遠く、飛行船の行く先を見た。
そこには高く聳えた山に似た、砦めいた都市がある。
曇天の空、曇る心を引き摺って、それでも私は微かな好奇心を握りしめていた。




