九十六:君という生命が生まれた日
灯の誕生日である、六月十日の夜。
夜ご飯を食べ終わり、何気なく灯とソファに座っていた。だが、心臓は何度も脈打つように痛さを感じさせてくる。
隣で平穏無事に読書をしている灯を羨ましく思えてしまう。
今日の主役と言える本人の灯は、何事も無いかのように今日一日を普通に振舞っていた。
常和と心寧から、自分の誕生日を忘れてないかあれ、と心配されるくらいだ。
灯と長く居たからわかるが、灯は誕生日を忘れているわけではない――思い出したくないが正しいだろう。
多分、以前こちらに誕生日を教えたのを覚えていない可能性すらある。
清自身も誕生日を未だに思い出せないくらい苦手なので、とやかく言える立場では無いだろう。
灯が誕生日を祝われるのを苦手なのかは知らないが、清は自分の決めたことをやり通すつもりだ。
灯がマグカップの紅茶に口をつけて置いたとき、空間にカップの音が小さく重い音を立てる。
(ここまで準備してきたんだ……渡すしか、ないよな)
清は静かに息を吐き、自分の心を落ちつける。
そして、ソファの横に隠してあった紙袋に手をかけた。
灯が本に再度手を付けようとする前に、そっと差し出す。
「……え?」
灯は小さく驚きの言葉を漏らすとともに、目を丸くして清を見てきた。
この様子からするに、やはり忘れていたのだろう。
「灯、今日……誕生日だから」
そう言って灯に紙袋を差し出せば、灯は小さな笑みを浮かべた。
「私の誕生日、覚えていたのですね」
「覚えていたよ。前に教えてもらってから……忘れたことは無いからな」
「……清くんが私の誕生日を覚えていたの、嬉しいです」
「嫌じゃなかったか?」
「……過去のことは、致し方ないですからね。それに、こうして清くんから誕生日プレゼントをもらえるの、夢でしたから」
そう言って小さな笑みを浮かべ続ける灯に、そうかよ、としか返す言葉が出なかった。
過去の事が根に残っているのならやめようと思っていたが、気にしてはいるが、気にしすぎているわけでもないので一安心だろう。
灯は清の手から紙袋を受け取れば、驚いた顔をしながらこちらを見てきていた。
プレゼントは一つとかでいいのに、三つも入れてあるせいだろう。
「こんなにくれるなんて……」
「過去に出来なかった、今までの思いも込めてだ……受け取ってくれるか?」
「はい。えっと、開けても良いですか?」
清がこくりとうなずけば、灯は小さな四角い箱から手に取った。
白い箱に赤いリボンが付いている、よくあるような箱なのは申し訳なく思えてしまう。というよりかは、プレゼント用の箱に詳しくなかったのが原因だ。
灯の両手に収まった箱は、リボンが解かれ、中身を露わにする。
主となる白色の縁はゴールドが彩り、表面に桜の花が美しく模されたティーカップ。
灯はまじまじとカップを見つめた後、ゆっくりと手に取る。
「清くん、選ぶセンスはいいですよね」
「センスは、は余計だろ」
「服装」
「すいませんでした」
「ふふ、ありがとうございます」
センスの話はやはりしたくないな、というのが清の本音にはなりつつある。本気で嫌だと言うわけではないが、服装の話になれば折れざる得ないからでもある。
灯が本を読んでいる際に紅茶を嗜んでいるのをよく見ていたので、それを理由に選んだが、喜んでもらえたのなら何よりだろう。
(この前行った時にはなかったから、魔法合宿前に買っておいて良かった……)
そう思っていれば、灯は薄い長方形の箱に手をかけていた。
濃い緑色の箱に、青い色のリボンをつけるというパターンの無さだ。
リボンの封印が解かれれば、中から薄水色の長方形で平たい物が取り出される。
「これは、布製のブックカバー」
「本は流石に無理だけど……それなら灯の普段読んでいる本とのサイズもいいし、読んでいる本が分かりやすくて良いかなと思ったんだ」
「……小さなところまで目が回っているの、清くんらしいですね」
灯はそう言って、先ほどまで読んでいた本にブックカバーを取り付けていた。
ブックカバーが手になじむのか、本を小さくなでなでしている灯を可愛らしいと思えてしまう。
物を丁寧に扱う灯には不要の心配ではあるが、布製のブックカバーの方が紙と違って破れにくく、手触りもいいので、何度も読む面では最適だろう。
質がどれだけ良くても、本人の特性と合うかどうかが問題点ではある。だが、灯には不要だったみたいだ。
灯は本をさらさらとめくったりして、ブックカバーの使いやすさを嬉しそうに試している。
「このブックカバー、大事に使わせていただきますね」
「灯の好きにしてくれ」
数分程試して満足したのか、灯は最後の最後まで紙袋の下に眠っていた物へと手をつけた。
今までの物より大きかった為、梱包が出来ず元の姿のまま眠っている。
灯が紙袋から取り出せば、うっすらと緑かかった柔らかい布に覆われた白いクッションが灯の元へと渡る。
色被りが出来るだけ無いようにしたが、清が今回渡したプレゼントの中では、一番の本命と言ってもいいだろう。
灯の腕にすっぽりと収まる小さめのサイズのクッションで、労いの意味が一番高いものなのだから。
もはや、あげたプレゼント三つで一つとすら言える。
「……嫌だったか?」
「あ、いえ、とても嬉しいです。クッション、欲しかったですし」
「そうか、なら良かったよ」
クッションをぎゅーっと抱きしめて、幸せそうなとろけた笑みを灯は表情に宿している。それは、選んでよかった、と思えるほど嬉しいご褒美だ。
灯のこの笑みは、清の心臓の鼓動を加速させるくらい悪いものではある。
――ぬいぐるみと本のコーナーの間にあったこのクッションが、何気なく灯に合うと思った。
あの時に直感が感じなければ、灯の今の笑みは見られなかっただろう。
灯の欲しい物が分からなかった以上、心寧の言う通りぬいぐるみが妥当かと思ってしまった程なのだから。
「……ふふ、清くんもクッションみたいに、ぎゅーってしましょうか?」
「……今は遠慮しとく」
「今は、ですか」
灯にこれ以上自我を奪われる前に、清はソファから立ち上がり、キッチンへと姿をくらます。
灯は不思議そうな顔をしつつも、清がキッチンから戻ってくるのを待っていた。
清はケーキの乗ったお皿を持ってリビングに戻り、灯の前に差し出した。
苺のショートケーキを買ってはいたのだが、食後に出すタイミングを見誤っていたのだ。
それで今更になってしまったが、灯はどう思うのだろうか。
「今日は至れり尽くせりですね」
「まあ、今日くらいは灯をしっかりと労わってやりたいからな」
「そのお気持ちだけでも嬉しいですよ。……あ、せっかくなので、このティーカップに紅茶を入れていただきますね」
「灯の自由にしてくれていいよ。今日は灯が主役だからな」
「じゃあ、食べ終わったらわがまま聞いてください」
清が「わかった」と言えば、灯は嬉しそうにティーカップを持ち、キッチンへと紅茶を入れに行った。
灯が離れたタイミングで、口から大きく息がこぼれ出た。
灯がプレゼントを気に入ってくれるかどうか、という緊張状態だったのもあり、急に気が抜けたのだろう。
灯の幸せな笑みを見るために選んだプレゼントを受け取ってもらえて、心の中では安心している。
大切な人の笑みを見るのは、いつだって嬉しいのだから。
灯がケーキを食べ終わった後の『わがまま』というのは、眠くなるまでお話をしたいだった。
結局、灯がクッションを抱いたまま先に寝落ちしたため、かわいい寝顔は不意の事故とはいえ心臓に悪いものだろう。




