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覇王綺譚  作者: 春乃こより
第一章
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6話 運命の扉

「あっ……。」


少年は大きく目を見開いた。


「ご、ごめん!」


慌てて頭を下げる。


「人がいると思わなくて……。」


テオは少年を見つめたまま、小さく瞬きをした。


自分と同じくらいの年頃だろうか。


少し跳ねた明るい茶色の髪に、日に焼けた肌。


城で見掛ける貴族の子どもとは違う、どこか活発そうな雰囲気があった。


「え? 君は誰? どこから来たの?」


テオは初めてのことで、思わず立て続けに尋ねた。


「僕? 僕はエディ!」


胸を張って名乗ると、エディは窓の方へ目をやった。


「えっと……あっちから!」


そう言って、窓の向こうに広がる森の方を指差す。


「今日は祝典だろ? 街中お祭り騒ぎなのに家にいてもつまんなくて、父ちゃんがお城に行くっていうからついて来たんだ!」


嬉しそうに身振りを交えて話す。


「ちょっとお城の中を探検しようと思ったんだけど、迷っちゃって。」


悪びれる様子もなく頭をかき、照れ笑いを浮かべた。


その無邪気な様子に、テオは思わず小さく笑みをこぼす。


「ふふっ。」


「え?」


エディは不思議そうに首をかしげる。


テオは窓の向こうに広がる森へ目を向けた。


「あっちの森の方から来たエディだね。」


「うん!」


エディは嬉しそうに頷く。


テオは再びエディへ視線を戻し、穏やかに微笑んだ。


「私の名前は、テオドール。」


「テ……テオドール。」


エディは慣れない響きを口の中で転がすように繰り返す。


「なんか、すごく立派な名前だなぁ。」


少し照れくさそうに笑うエディを見て、テオはくすりと笑った。


「テオでいいよ。」


「ほんと?」


「うん。」


「……じゃあ、テオ!」


エディは満面の笑みを浮かべた。


同年代の子どもと話すのは、生まれて初めてだった。


何を話せばいいのか分からない。


それなのに、不思議と緊張はしなかった。


エディは興味津々に部屋を見回す。


「ここ、すごい部屋だね。」


本棚。


大きな机。


窓から見える景色。


一つひとつを珍しそうに眺めて歩いていく。


そして、机の上に並ぶ焼き菓子へ視線が止まった。


「……あっ。」


「これ、食べてもいい?」


エディは焼き菓子を指差した。


「うん。」


テオが頷くと、エディは恐る恐る一つ手に取る。


小さく口を開け、一口。


「……!」


目を丸くした。


「すごい!」


思わずもう一口かじる。


「こんな高そうなお菓子、初めて食べた!」


嬉しそうに頬張るエディを見て、テオは不思議そうに首をかしげた。


「そうなの?」


「うん!」


「うちじゃこんなの滅多に食べられないよ。」


「父ちゃんのパンは毎日食べてるけど!」


胸を張るエディに、テオは思わず笑った。


「パン屋さんなんだ。」


「そう!」


「朝はまだ暗いうちからパンを焼いてるんだ。」


「今日は祝典だから、朝からずっと大忙しだったんだぞ!」


エディは身振り手振りを交えながら楽しそうに話す。


エディの話を聞いているうちに、テオは自然と身を乗り出していた。


「街はどんなところなの?」


エディは待ってましたと言わんばかりに嬉しそうに目を輝かせた。


「すっごく色んな人がいる!」


「広場では大道芸やってるし、メイン通りにはお店もいっぱい!」


「近所のみんなとは街はずれの丘で毎日遊んでるんだ!」


「川で魚捕まえたり、追いかけっこしたり!」


「パンを届けると、おばあちゃんがお菓子をくれることもあるんだ!」


楽しそうに話すエディの言葉に、テオの知らない世界が次々と広がっていくようだった。


「毎日そんなことをしているの?」


「うん!」


エディは当たり前のように頷く。


「テオは? 普段、何して遊んでるの?」


その言葉に、テオは少しだけ考え込んだ。


「私は……。」


乗馬に剣術。


礼儀作法に歴史の授業。


勉強。


毎日が、それの繰り返しだった。


「……遊ぶ、っていうことは、あまりないかな。」


「えぇっ?」


エディは目を丸くする。


「それじゃあ毎日つまんないじゃん!」


その言葉に、テオは思わず吹き出した。


「ふふっ。」


「そうかもしれない。」


その時だった。


コツ……コツ……。


廊下から足音が聞こえてくる。


テオの表情が変わった。


「……!」


「どうしたの?」


「誰か来る!」


「えっ!?」


テオはとっさに衣装部屋の扉を開けた。


「こっち!」


「う、うん!」


エディは慌てて中へ飛び込む。


テオが扉を閉めた直後。


コンコン。


「テオ様、失礼いたします。」


エルの声だった。


「どうぞ。」


テオは何事もないように返事をする。


エルは部屋へ入り、一礼した。


「今日は祝典のため、夕食は食堂ではなく、テオ様のお部屋へお持ちすることになりました。」


「うん。分かった。」


平静を装いながら返事をする。


衣装部屋の向こうにはエディがいる。


部屋の中まで来たら、見つかってしまうかもしれない。


そんな不安を抱えたまま、エルの話を聞く。


「またお時間になりましたら、お持ちいたします。」


「それでは失礼いたします。」


一礼すると、エルは静かに扉を閉め、部屋を後にした。


部屋に静けさが戻る。


テオは急いで衣装部屋の扉を開けた。


エディはそっと顔をのぞかせる。


「……もう大丈夫?」


「うん。」


「はぁ~……。」


エディは大きく息を吐いた。


「見つかるかと思ったぁ。」


二人は顔を見合わせる。


そして、思わず笑い合った。


「危なかったね。」


「うん!」


笑いが落ち着いた頃、エディはふとテオを見つめた。


「ねぇ。」


「うん?」


「さっき、『テオ様』って呼ばれてたよね?」


テオは少しだけ言葉に詰まる。


「うん。」


「テオって、お城で働いてる人なの?」


少し考えたあと、テオは小さく笑った。


「そんな感じかな。」


「ふーん。」


エディは深く気にする様子もなく頷いた。


窓の外では、祝典の賑わいの中、城下街の鐘が時を告げていた。


エディは外へ目を向けた。


「……やばい、そろそろ父ちゃんが帰るころかも。帰らなきゃ。」


その言葉に、テオは少し寂しそうな表情になる。


「そっか。じゃあ人に見つからないように送るね。」


エディは笑顔で言った。


「毎週父ちゃんがお城へパンを届けに来るんだ!」


テオは目を丸くした。


「毎週……?」


「うん!」


「だから来週もまたここに来る!」


テオは嬉しそうに頷いた。


「本当?」


「うん!」


「じゃあ約束!」


そう言ってエディは右手を差し出した。


テオは少し戸惑いながら、その手を握る。


「約束。」


二人は笑い合った。


テオは人気のない廊下を選び、エディを使用人用通用口まで案内した。


「じゃあ来週ね!」


エディは一度だけ振り返った。


「約束だから!」


そう笑うと、元気よく手を振って勢いよく通用口の向こうへ消えていく。


扉が閉まる。


テオは閉まった扉をしばらく見つめていた。


気付けば、自然と笑みがこぼれていた。



◇ ◇ ◇



――執務室。


コンコン。


再び扉が叩かれる。


「テオ様。」


エルだった。


「王妃様のお加減が少し戻られました。」


「短いお時間だけですが、お会いになれます。」


「もしよろしければ、お食事を王妃様のお部屋で召し上がられますか?」


テオの表情がぱっと明るくなる。


「お母様に会えるの?」


「はい。」


「会いたい!」


そう言うと、テオは嬉しそうに立ち上がった。


エルはその笑顔を見て、穏やかに微笑んだ。


二人は王妃の部屋へ向かう。



◇ ◇ ◇



エルに案内され、テオは王妃の部屋の扉の前に立った。


コンコン。


「王妃様。テオ様をお連れいたしました。」


「どうぞ。」


部屋の奥から、優しい声が返ってくる。


エルが静かに扉を開けると、部屋の中には柔らかな灯りがともっていた。


窓辺や棚には、ネモスフィアをはじめ、色とりどりの季節の花々が飾られている。


花々の優しい香りがほのかに漂い、穏やかな空気が部屋を包んでいた。


王妃は寝台の背にもたれながら、優しく微笑んだ。


「テオ。」


「お母様!」


テオは嬉しそうに駆け寄る。


「今日はお顔を見られて嬉しいです。」


「私もよ。」


王妃はそっとテオの頭を撫でた。


「祝典、お疲れさまでした。」


「ちゃんとできた?」


テオは少し照れながら頷く。


「うん。」


「緊張したけど……頑張ったよ。」


王妃は嬉しそうに目を細めた。


「そう。」


「きっとお父様も喜んでいらっしゃるわ。」


その時、エルがお盆を運んできた。


「お食事をお持ちいたしました。」


湯気の立つ温かなスープ。


焼きたてのパン。


春野菜を使った料理が、静かに並べられていく。


「今日は一緒に食べましょう。」


「うん!」


テオは嬉しそうに椅子へ腰掛けた。


久しぶりの母との食事。


「花びら、とってもきれいだったよ。」


テオが嬉しそうに話す。


「ええ。廊下の窓から見ていたわ。」


王妃は穏やかに微笑んだ。


「お母様も見ていてくれたの?」


「もちろん。とても立派だったわ。」


他愛のない会話を交わす時間が、何よりも幸せだった。


食事を終え、穏やかな時間が流れる。


窓の外からは、祝宴を楽しむ貴族たちの談笑や笑い声が、かすかに聞こえてきた。


その音に耳を傾けながら、王妃の脳裏に今朝の光景がよみがえる。


体調の優れなかった王妃は広場へ出ることができず、廊下の窓からそっと中庭を見つめていた。


遠く、小さく見えるテオの姿。


大勢の人々の前に立ち、王位継承者として堂々と役目を果たす我が子。


その姿を、誇らしい気持ちで見守っていた。


そして今。


目の前には、純白の正装に身を包んだテオがいる。


胸元には王家を象徴する金糸の刺繍。


王位継承者だけが身に着ける紋章。


腕の中で小さく泣いていた命が、いつの間にか人々の前に立つほど大きく成長していた。


「……本当に。」


王妃は微笑む。


その瞳には、うっすらと涙が滲んでいた。


「大きくなったのね。」


「えへへ。」


照れくさそうにはにかむテオ。


王妃はそっとテオの頬へ手を添えた。


温かなぬくもり。


そのぬくもりに触れた瞬間、王妃の胸にあの日の記憶が静かによみがえる。



◇ ◇ ◇



――十年前。


王城は深夜の静けさに包まれていた。


その静寂を破るように、一人の赤ん坊の産声が部屋いっぱいに響き渡る。

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