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覇王綺譚  作者: 春乃こより
第一章
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3話 迷いの剣先

エルに案内され、テオは自分の勉強部屋へ入った。


部屋の中央には、大きな机が置かれている。


壁一面には本棚が並び、歴代国王の肖像画や地図が整然と飾られていた。


大きな窓の外には王城の庭園が見え、その向こうには新緑の森が広がる。風に揺れる色とりどりの花々の中には、咲き始めたばかりのネモスフィアがひっそりと咲いていた。


教育係は机の上へ数冊の本を並べ、一礼する。


「お待ちしておりました、テオドール王子殿下。」


「こんにちは。」


テオは椅子へ腰を掛ける。


教育係も向かいへ座ると、一冊の本を静かに開いた。


「では、前回のおさらいから始めましょう。」


「前回は、アルセリア王国の東にあるグランヴェル帝国と、あまり良い関係ではないことを学びました。」


「それはなぜだったか、覚えていますか。」


テオは少し考え込む。


「えっと……。」


「昔、戦争をしたから……?」


教育係は穏やかに頷いた。


「その通りです。」


「ですが、それは結果です。」


「では、その戦争はなぜ起こったのでしょう。」


テオは難しそうな顔で本を見つめる。


しばらく考えたあと、小さく首を傾げた。


「分かりません。」


教育係は地図を机へ広げた。


「昔、この二つの国は領土を巡って争いました。」


「互いに譲れないものがあり、それが長い争いへと発展したのです。」


教育係は静かに地図をなぞる。


「現在は大きな戦はありませんが、決して友好な関係とは言えません。」


テオは地図を見つめて少し考えてから、小さく手を挙げる。


「先生。」


「はい。」


「どうして話し合わなかったの?」


教育係は少しだけ目を丸くした。


「どうして、そのように思ったのですか。」


「だって……。」


「お互いに譲れないものがあるなら、お話しすれば何か違う方法が見つかったかもしれない。」


「戦わなくても済んだんじゃないかなって。」


教育係は少しだけ微笑んだ。


「そう考える人もいるでしょう。」


「ですが、歴史は必ずしも理想どおりには進みません。」


「だからこそ、私たちは歴史から学ぶのです。」


テオは静かに頷いた。


「……そうなんだ。」


それからも授業は続いた。


歴代国王の治世。


アルセリア王国が歩んできた歴史。


地図を広げながら国境の変化を学び、分からない言葉があれば教育係へ質問する。


窓の外では風が木々を揺らし、庭園には穏やかな時間が流れていた。


やがて一時間ほど経ち、教育係は本を閉じた。


「今日はここまでにしましょう。」


テオはほっと息をつく。


「ありがとうございました。」


教育係は優しく微笑む。


「今日もよく頑張りました。」


テオは軽く一礼すると、部屋を後にした。



◇ ◇ ◇



廊下へ出ると、エルが静かに隣へ並んだ。


「十五分ほど休憩でございます。」


テオの表情がぱっと明るくなる。


「じゃあ、ちょっとだけ庭園のお散歩!」


「かしこまりました。」


二人は王城の回廊を歩き、東門を抜けた。


目の前には色とりどりの花々が咲き誇る庭園が広がる。


さらさらと響く水音に目を向けると、噴水の水が小川へ流れ込んでいた。


テオは両手を大きく広げた。


「んーーー。」


胸いっぱいに庭園の空気を吸い込み、気持ちよさそうに背伸びをする。


花壇の奥では、一人の老人が花の手入れをしていた。


王城の庭を長年守り続けてきた庭師だ。


老人はテオに気付くと、手を止めて穏やかに一礼した。


「こんにちは、テオドール王子殿下。」


「こんにちは!」


テオは笑顔で駆け寄る。


「何のお手入れしてるの?」


「今日は花壇の草取りをしております。」


老人はしゃがみ込み、雑草を一本ずつ丁寧に抜いていく。


テオも花壇を覗き込んだ。


「毎日やるの?」


老人は小さく笑う。


「毎日は大変ですよ。」


「ですが、少しずつ手を掛けてあげると、ちゃんと応えてくれます。」


そう言って、一輪の花へそっと手を添えた。


「日々手を掛けた分だけ、美しい花を咲かせてくれるのです。」


テオは花壇いっぱいに咲く花々を見回した。


「じゃあ、この子たちはおじいさんのおかげでこんなに綺麗なんだね!」


老人は少し照れくさそうに笑った。


「……ありがとうございます。」


そう一言だけ返すと、視線を花壇へ戻し、黙々と草取りを続けた。


テオは庭園の小道をゆっくり歩いた。


足を止めて花を眺めたり、小川を流れる水へ目を向けたり。


木々が石畳へ優しい木陰を落とす中、遠くの街から時を告げる鐘の音が響いていた。


ほんの十五分。


それでもテオにとっては、心がほっと落ち着く大切な時間だった。


その時、エルが静かに声を掛ける。


「テオ王子殿下。」


「そろそろお時間でございます。」


テオは少しだけ残念そうに庭園を見渡した。


「もう休憩も終わりかぁ……。」


花壇に咲く花々へ、もう一度だけ目を向ける。


「もう少しだけ居たかったな。」


エルは穏やかに微笑んだ。


「また休憩時間に来られますよ。」


テオは小さく頷く。


「うん。」


名残惜しそうに庭園を振り返ると、エルと並んで東門へ向かって歩き出した。


――剣術場


木剣がぶつかり合う乾いた音と、兵士たちの威勢の良い掛け声が響いている。


庭園で遠くから聞こえていた声は、ここから聞こえていたものだった。


教官はテオの姿を見ると、小さく頷いた。


「それでは始めましょう。」


テオは少しだけ表情を引き締め、教官へ頭を下げる。


「……よろしくお願いします。」


教官は剣術場の隅に置かれた木製の打ち込み台を指差した。


「まずは基本の打ち込みから始めましょう。」


「はい。」


テオは木剣を握る。


大きく振りかぶると、


「やーー!」


勢いよく振り下ろした。


ガンッ!!


鈍い音が剣術場へ響く。


その衝撃が木剣を伝い、腕へじんと響いた。


「いたい……。」


思わず木剣を持った手をぶんぶんと下へ振る。


教官は静かに言う。


「もう一度。」


「……はい。」


テオは木剣を握り直す。


「やっ!」


ガンッ!!


再び衝撃が腕へ伝わる。


小さく顔をしかめながらも、何度も打ち込みを続けた。


教官は頷く。


「では今度はこちらの標的です。」


教官が指差した先には、藁を束ねて作られた人の胴ほどの高さの訓練用標的が立っていた。


「胸の辺りを狙ってください。」


「はい。」


テオは木剣を構えて標的を見つめる。


教官は踏み込みの合図をした。


「参ります。」


テオは木剣を握り直す。


重い。


それでも両手に力を込め、一歩踏み出した。


目の前には藁の標的。


ただの標的。


そう分かっている。


それでも――


木剣を振り下ろす、その瞬間。


ほんのわずかに剣先が揺れた。


「まだ浅いです。」


教官は静かに告げる。


「その迷いが、命を落とします。」


テオは小さく頷いた。


「……はい。」


腕には、まだ打ち込み台の衝撃が残っている。


教官の言葉も胸に重く残る。


もう一度木剣を構える。


それでも、どうしても剣先が揺れてしまう。


(振らなきゃ。)


そう思う。


何度挑戦しても、最後の一歩が踏み込めない。


木剣を握る手に、自然と力が入った。


気付けば、目にはうっすらと涙が滲み、目の前の標的が少しだけぼやけて見えた。


それでもテオは木剣を握り直した。


「もう一度お願いします。」


教官は黙って頷く。


少し離れた場所では、兵士との稽古を終えたセドリックがその様子を横目で見ていた。


「あんなんじゃ、敵に一瞬でやられるよ。」


その口元には、小さな笑みが浮かんでいた。


その視線の先では、テオが必死に木剣を振っていた。


エリックも思わず笑う。


「確かに! 一撃でね!」


テオはそっと息を整える。


今朝聞いた王妃の優しい声が胸の奥をそっとよぎる。


テオは大きく頷いた。


真っ直ぐ標的を見据え、木剣を静かに構える。


「もう一度お願いします。」

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