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覇王綺譚  作者: 春乃こより
第一章
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2話 白馬だけが知る、王の器

王妃の部屋を出ると、エルが静かに頭を下げた。


「テオ王子殿下、馬術のお稽古のお時間です。」


「うん!」


返事は、さっきまでとは別人のように元気だった。


テオは軽やかな足取りで中庭を抜け、厩舎へ向かった。


ヒヒーン……


厩舎へ近づくにつれ、乾いた藁の香りと馬たちの穏やかな鳴き声が聞こえた。


「おはようございます、王子殿下。」


馬術教官が一礼した。


その隣には、すでに二人の少年が立っていた。


「おはようございます。」


公爵家の長男、セドリックが礼儀正しく頭を下げる。


その隣で、弟のエリックも続いて頭を下げた。


「おはよう。」


テオも笑顔で挨拶を返す。


セドリックは小さく笑みを浮かべる。


「今日は泣かないでくださいね、王子。」


「私は泣いたことないよ?」


セドリックは一瞬だけ言葉に詰まった。


「……失礼しました。」


そう言ったものの、


どこか納得していない表情だった。


セドリックは小さく鼻で笑う。


隣でエリックもつられるように笑った。


テオは理由が分からないまま、不思議そうに首を傾げる。


その時だった。


一頭の白馬が、ゆっくりとテオのそばへ歩み寄ってきた。


鼻先をそっと肩へ寄せる。


「ふふっ。」


テオは嬉しそうに笑った。


「おはよう、アルバ。」


首筋を優しく撫でると、愛馬のアルバは気持ちよさそうに目を細める。


その様子を見ていた馬術教官が、穏やかに微笑んだ。


「やはり馬は、王子殿下がお好きなようですね。」


セドリックはアルバとテオを見比べた。


「不思議ですね。」


「私には、あまり近寄ってくれないのに。」


馬術教官はアルバを優しく見つめながら答える。


「馬は、とても素直な生き物です。」


「心を開く相手は、ちゃんと分かるのですよ。」


テオは少し照れくさそうに笑う。


「私は何もしてないよ?」


「いつも一緒にいるだけだよ。」


馬術教官は静かに頷いた。


「それができる人は、多くありません。」


そう言うと、教官は手を叩いた。


「それでは、今日のお稽古を始めましょう。」


馬術教官は三人を見渡した。


「それでは、まずは馬と呼吸を合わせることから始めましょう。」


三人はそれぞれ自分の馬のもとへ向かう。


セドリックは慣れた手つきで手綱を握り、軽やかに馬へ跨った。


エリックもその後へ続く。


テオはアルバの前へ立つと、もう一度そっと首筋を撫でた。


「今日もよろしくね、アルバ。」


アルバは嬉しそうに鼻を鳴らす。


テオが鐙へ足を掛けると、アルバはじっと動かず、その小さな体が鞍へ落ち着くのを待っていた。


「よし。」


テオは小さく微笑む。


馬術教官は静かに頷いた。


「では、歩かせてください。」


「速さではありません。」


「馬と息を合わせることです。」


三頭の馬はゆっくりと歩き始める。


馬場を一周、二周と歩きながら、三人は馬との呼吸を合わせていく。


アルバはテオの動きに合わせるように、穏やかに歩いていた。


テオは時折、アルバのたてがみを優しく撫でながら進んでいく。


しばらく歩いた後、教官が声を上げた。


「では、駆け足です。」


三頭の馬は馬場を軽やかに駆けた。


教官の合図に合わせ、三人は停止や方向転換を繰り返した。


一通り稽古を終えると、教官は満足そうに頷いた。


「今日のお稽古はここまでです。」


三人は馬から降り、それぞれの馬の首を優しく撫でる。


教官は一人ずつ見て回った。


「セドリック。」


「速さは申し分ありません。」


「ですが、少し手綱に力が入り過ぎています。」


「はい。」


セドリックは真剣な表情で頷いた。


「エリック。」


「姿勢が安定してきましたね。」


「ありがとうございます。」


最後に教官はテオへ目を向ける。


「王子殿下。」


「はい。」


「馬を信頼していますね。」


「信頼は、教えられるものではありません。」


テオは少し首を傾げた。


「そうかな?」


「ええ。」


教官はアルバを優しく撫でる。


「だからアルバも、安心して身を預けられるのでしょう。」


その言葉に、セドリックの表情だけがわずかに曇った。


教官がその場を離れると、セドリックは歩いていくテオを見つめた。


「王子は馬には好かれるのですね。」


「馬は見る目がありません。」


セドリックはそれだけ言うと、踵を返した。


その拳は固く握りしめられていた。


エリックは早歩きの兄へ駆け寄り、その横顔を見上げた。


「お兄様。」


「教官だって、お兄様を褒めてたじゃない。」


セドリックは唇を固く結んだ。


エリックは慌てて首を横に振る。


「アルバだけだよ。」


「他の馬なら、お兄様の方が上だよ。」


セドリックは大きく息を吐いた。


「馬に好かれても、王にはなれない。」



◇ ◇ ◇



その頃テオは、そんな会話があったことも知らず、アルバの首を優しく撫でていた。


「今日もありがとう、アルバ。」


アルバは嬉しそうに鼻先をテオの肩へそっと寄せる。


「ふふっ。くすぐったいよ。」


テオはくすっと笑い、もう一度その首筋を撫でた。


「また次の稽古の時もよろしくね。」


馬術のお稽古を終えた三人は、それぞれ馬を厩舎へ戻していた。


テオが離れると、アルバは少しだけ名残惜しそうに見送っていた。



◇ ◇ ◇



昼食の時間。


王城の食堂には温かな料理が並べられていた。


朝とは違い、国王の姿はない。


食堂にはテオと、公爵家の兄弟だけが席についている。


テオはパンを一口頬張ると、向かいのセドリックと目が合う。


テオはパンを皿に置くと身を乗り出した。


「今日のお兄様達、すごかったです!」


「私なんて、まだまだです。」


そう言って、照れくさそうに首を横へ振った。


その言葉に、エリックは嬉しそうに笑った。


「でもテオ王子殿下。」


「今日のアルバ、本当に嬉しそうだったね。」


その言葉に、セドリックの手が止まる。


「王子に認められることを目指しているわけではありません。」


短く返した声は、どこかよそよそしかった。


テオはそんな様子にも気付かず、大きく頷いた。


「はい!」


屈託のない笑顔が広がった。


「いつか追いつけるように頑張ります!」


セドリックは小さく俯く。


スプーンを持つ手に、わずかに力が入る。


その隣で、エリックは兄とテオを交互に見つめた。


(また始まった……。)


エリックは黙ってスープを口に運んだ。


その後は、誰もそれ以上口を開かなかった。


カツン…コン…


食堂には、食器の触れ合う小さな音が静かに響いていた。


静寂を破るように、食堂の扉が開き、入ってきたエルが一礼する。


「テオ王子殿下。」


「午後の教育係がお待ちです。」


「はい!」


テオは口元を拭くと、席を立った。


椅子を静かに戻し、公爵家の兄弟へ笑顔を向ける。


「それじゃあ、お兄様たち。」


「また次のお稽古で!」


そう言って食堂を後にする。


エルも静かにその後へ続いた。


廊下へ出ると、テオはふと思い出したように呟く。


「次は歴史かぁ……。」


「眠らないようにしないと。」


エルは思わずくすっと笑った。


「そのようなことを言っていると、王妃様が悲しまれますよ。」


テオは思わずハッとする。


「そうだ! ちゃんと勉強しないとお母様が悲しんじゃう。」


少しだけ背筋を伸ばし、にこっと笑った。


「よし、頑張ろう!」


午後の柔らかな陽射しが回廊へ差し込む。


二人の足音は、静かにその奥へ消えていった。

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