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第二十一話 もう一度、あの場所へ

 夜。


 部屋の明かりだけが、机の上を照らしていた。


 悠真は、しばらくスマートフォンの画面を見つめていた。


 画面に表示されているのは、古い写真だった。


 去年の夏。


 夏祭りの日に撮った一枚。


 花火が上がる少し前。


 人の波から少し離れた場所で撮った写真だった。


 何度も見たはずの写真。


 それなのに。


 今日は、いつもと違って見えた。


 机の上には、昨日見つけた紙がある。


 そこに残っていた文字。


 ――ちゃんと、伝えられたら。


 たった一言。


 けれど。


 その一言を見つけてから、悠真の中で何かが変わっていた。



 写真を閉じる。


 今度はメッセージアプリを開いた。


 過去のトーク履歴。


 ずっと下へ。


 指を滑らせる。


 今のメッセージ。


 少し前のメッセージ。


 さらに前。


 スクロールするたびに。


 忘れていた名前や言葉が画面に現れた。


 どうでもいい話。


 学校の話。


 宿題の話。


 暑いという話。


 そんなものばかりだった。


 けれど。


 その中に。


 蛍とのやり取りが残っている。



 悠真は指を止めた。


 蛍。


 その名前を見ただけで。


 胸の奥が、ほんの少しだけ重くなる。


 それでも。


 画面を閉じなかった。


 前なら。


 ここでスマートフォンを伏せていたかもしれない。


 今は違う。


 ちゃんと見ようと思った。



 メッセージを一つずつ遡っていく。


『明日、学校終わったらどうする?』


『特に決めてない』


『じゃあ、ちょっと寄り道しようよ』


『どこ?』


『内緒』


 そのあと。


 蛍から送られてきた小さなスタンプ。


 悠真は、思わず笑った。


「……変わってないな」


 あの頃の蛍らしい。


 何かを隠して。


 でも。


 結局すぐに顔に出てしまう。



 さらに遡る。


 そして。


 ある日付のところで。


 悠真の指が止まった。


 去年の夏。


 夏祭りの少し前。


 画面には。


 蛍からのメッセージが残っていた。


『明日、少しだけ話したいことがある』



「……」


 悠真は。


 しばらく動かなかった。


 何度も。


 その文章を読む。


 短い。


 ただ、それだけ。


 でも。


 今見ると。


 あまりにも意味深に見えた。



 その下に。


 自分の返信がある。


『分かった』


 たったそれだけだった。



 悠真は。


 画面から目を離した。


「……これだけ?」


 自分でも驚いた。


 どうして。


 もっと聞かなかったんだろう。


 何を話すのか。


 どうして明日なのか。


 どうして「少しだけ」なのか。


 何も聞かなかった。



 当時の自分にとって。


 明日は。


 当たり前に来るものだった。


 だから。


 蛍が何かを言おうとしていても。


 その続きを。


 聞こうとしなかった。



 悠真は。


 もう一度画面を見る。


 その下には。


 蛍からのメッセージが続いていた。


『忘れないでね』


『何を?』


『明日のこと』


 そして。


『じゃあ、また明日』



 悠真は。


 その文字を見つめた。


「……また明日」


 小さく口にする。


 あの頃。


 何度も言っていた言葉。


 特別な意味なんてないと思っていた。


 今日会った。


 だから。


 明日も会う。


 それだけ。



 でも。


 今は。


 違って見えた。



 悠真はスマートフォンを机の上に置いた。


 昨日見つけた紙を見る。


 ――ちゃんと、伝えられたら。


 そして。


 画面に残った言葉。


 ――明日、少しだけ話したいことがある。


 偶然なのかもしれない。


 ただの話だったのかもしれない。


 それでも。


 あの日の蛍が。


 何かを伝えようとしていたことだけは。


 少しずつ。


 確かなものになっていった。



 悠真は。


 椅子から立ち上がった。


 窓を開ける。


 夜風が入ってくる。


 昼間の暑さは残っている。


 でも。


 少しだけ涼しかった。



 スマートフォンをもう一度手に取る。


 今度は。


 写真を開いた。


 夏祭りの日。


 花火。


 人混み。


 そして。


 蛍。



 悠真は。


 写真を拡大した。


 蛍の横顔。


 浴衣の袖。


 髪に揺れる小さな飾り。


 その向こうに。


 ぼんやりとした灯り。



「……」


 そこで。


 悠真は気づいた。


 写真の端。


 人の流れの向こうに。


 小さな看板が写っている。


 見覚えがあった。



 去年。


 蛍と一緒に歩いた場所。


 夏祭りの会場から少し離れたところにある。


 小さな公園。


 その近くに。


 坂道がある。


 そして。


 その坂の上から。


 花火を見ることができた。



 悠真は。


 写真を閉じた。


 そのまま。


 机の上に置いていた鍵を手に取る。



 時計を見る。


 夜の九時を少し過ぎていた。


 今から行っても。


 何かが見つかるわけじゃない。


 それでも。


 行ってみたかった。



 理由は。


 自分でも分からない。


 ただ。


 あの日の蛍が。


 何を考えていたのか。


 少しだけ。


 知りたかった。



 玄関を出る。


 夜の街は静かだった。


 昼間とは違う道に見える。


 コンビニの明かり。


 遠くを走る車。


 住宅街の窓。


 そのどれも。


 去年と同じではない。



 歩きながら。


 悠真は。


 スマートフォンを握りしめていた。


 画面には。


 さっきのメッセージが残っている。


『明日、少しだけ話したいことがある』



 もし。


 あの日。


 ちゃんと聞いていたら。


 蛍は。


 何を話していたんだろう。



 答えは。


 分からない。


 でも。


 今までなら。


 そこで考えるのをやめていた。


 今は。


 その先まで。


 考えてみようと思った。



 坂道が見えてきた。


 悠真は。


 足を止めなかった。


 そのまま。


 ゆっくりと上っていく。



 去年。


 蛍と歩いた道。


 何度も。


 くだらない話をした。


 暑いと言って。


 疲れたと言って。


 途中で自動販売機に寄って。


 ラムネを買って。


 また歩いた。



 そんなこと。


 本当に。


 何でもない時間だった。


 でも。


 今思えば。


 あの時間こそが。


 一番大切だったのかもしれない。



 坂の上に着く。


 ベンチ。


 街の明かり。


 遠くの建物。


 そして。


 少しだけ開けた空。



 悠真は。


 ベンチに座った。


 スマートフォンを開く。


 写真を表示する。


 同じ場所。


 同じ景色。


 ただ。


 写真の中には。


 蛍がいる。



「……ここだったんだ」


 悠真は。


 小さく呟いた。



 すると。


 記憶が。


 少しずつ戻ってきた。



 去年の夏。


 ここで。


 二人で並んでいた。


 蛍は。


 ずっと街を見ていた。


「きれいだね」


「そう?」


「うん」


「毎日見てる街とそんなに変わらないけど」


「だからいいんじゃない?」


 蛍は笑った。



 そのあと。


 しばらく。


 何も話さなかった。


 気まずいわけではない。


 ただ。


 隣にいることが自然だった。



 そして。


 蛍が突然。


 口を開いた。


「ねえ、悠真」


「ん?」


「私といるの、嫌じゃない?」


 悠真は。


 少し驚いた。


「なんで?」


「なんとなく」


「嫌なら一緒に来てないだろ」


「……そっか」


 蛍は笑った。


 でも。


 その笑顔は。


 いつものものより。


 少しだけ小さかった。



 悠真は。


 今になって。


 その表情を思い出した。


「……あのとき」


 何かを言いかけていた。


 でも。


 言わなかった。



 蛍は。


 そのあと。


「明日も晴れるかな」


 と聞いた。


「天気予報では晴れ」


「そっか」


「夏祭り、楽しみ?」


「……うん」


 蛍は。


 少しだけ笑った。


「楽しみ」



 悠真は。


 目を閉じた。


 当時は。


 それだけだった。


 夏祭りを楽しみにしている。


 それだけだと思っていた。



 でも。


 今なら。


 少しだけ分かる。


 蛍は。


 夏祭りそのものを楽しみにしていたのか。


 それとも。


 その日に。


 何かを伝えることを楽しみにしていたのか。



 どちらかは。


 分からない。



 悠真は。


 目を開けた。


「……決めつけるな」


 小さく呟く。


 蛍が何を考えていたのか。


 自分の都合のいいように。


 決めることはできない。



 それでも。


 あの日。


 蛍が何かを伝えようとしていた。


 その可能性は。


 もう。


 無視できなくなっていた。



 悠真は。


 スマートフォンを閉じた。


 しばらく。


 街を眺める。


 夜の街は。


 静かだった。



 ふと。


 ポケットの中に。


 小さなものが触れた。


 取り出す。


 昨日の紙。


 そこに残された。


 ――ちゃんと、伝えられたら。



 悠真は。


 その文字を見つめた。


 そして。


 ふと思う。


 蛍は。


 あの日。


 自分と同じように。


 怖かったのかもしれない。



 言葉にしたら。


 今までの関係が変わる。


 もし。


 同じ気持ちじゃなかったら。


 今までみたいには。


 いられなくなる。


 だから。


 言えなかった。



 それは。


 悠真にも。


 覚えがあった。



 自分も。


 ずっと。


 言えなかった。



 好きだということ。


 大切だということ。


 もっと一緒にいたいということ。


 どれも。


 口にしなかった。



 明日があると思っていたから。



 悠真は。


 苦笑した。


「……似た者同士だったのかもな」



 その言葉が。


 少しだけ。


 悲しかった。



 坂道を下りる。


 公園の前を通る。


 遊具。


 ベンチ。


 街灯。


 去年とほとんど変わっていない。



 悠真は。


 公園の前で。


 少しだけ足を止めた。


 ここで。


 蛍とラムネを飲んだ。


 ここで。


 くだらない話をした。



 でも。


 今日は。


 中へ入らなかった。


 まだ。


 ここで何かを探す必要はないと思った。



 必要なのは。


 物ではなく。


 記憶だった。



 悠真は。


 歩き出した。



 家に帰る。


 部屋に戻る。


 机の上に。


 スマートフォンを置く。


 もう一度。


 メッセージ画面を開く。



 最後の方まで。


 ゆっくりスクロールする。



 そして。


 最後のメッセージ。


『また明日』



 悠真は。


 その文字を。


 しばらく見つめた。



 あのときは。


 何も思わなかった。


 ただ。


 また明日。


 そう思った。



 でも。


 今なら。


 その言葉の重さが分かる。



 明日は。


 必ず来るわけじゃない。


 約束したからといって。


 必ず会えるわけじゃない。


 伝えたいと思ったときに。


 伝えられるとは限らない。



 だから。


 もし。


 あの夏をやり直せるなら。


 もっと早く。


 気づきたかった。



 でも。


 過去には戻れない。



 悠真は。


 スマートフォンを伏せた。


 そして。


 机の上に置かれた写真を見る。


 蛍が写っている。


 花火の光。


 笑っている横顔。



「……蛍」


 名前を呼ぶ。


 それだけで。


 胸の奥が少し痛む。



 でも。


 今日は。


 その痛みから。


 目を逸らさなかった。



「何を言いたかったんだ?」


 返事はない。


 それでも。


 悠真は。


 もう一度。


 写真を見る。



 蛍は。


 あの夏。


 何かを伝えようとしていた。


 そして。


 自分も。


 伝えられなかった。



 だったら。


 せめて。


 今度は。


 最後まで。


 思い出してみよう。



 悠真は。


 引き出しを開けた。


 古いノートを取り出す。


 去年の夏。


 学校で使っていたもの。


 ページをめくる。



 授業のメモ。


 落書き。


 日付。


 くだらない記録。


 その中に。


 夏祭りの前日のページがある。



 悠真の指が止まる。


 そこには。


 自分の字で。


 短く書かれていた。


 ――明日は蛍と行く。



 それだけ。



 悠真は。


 しばらく。


 その文字を見ていた。



 そして。


 そのページの端に。


 小さな折り目があることに気づいた。


「……?」


 指で開く。


 薄い紙が。


 ノートの間から滑り落ちた。



 悠真は。


 それを拾った。


 古い紙。


 でも。


 家の中でずっと挟まっていたものだから。


 傷んではいない。



 開く。


 そこに。


 蛍の字があった。



 ――明日は、ちゃんと言えるかな。



 悠真は。


 息を止めた。



 昨日見つけた言葉。


 ――ちゃんと、伝えられたら。


 そして。


 今日見つけた言葉。


 ――明日は、ちゃんと言えるかな。



 二つの言葉を。


 机の上に並べる。



 悠真は。


 しばらく。


 何も言わなかった。



 それから。


 ゆっくり。


 椅子に座った。



「……明日」


 小さく呟く。



 その「明日」が。


 どの日だったのか。


 もう。


 分かっている。



 夏祭りの日。



 蛍は。


 あの日。


 何かを言おうとしていた。



 でも。


 その先は。


 まだ。


 思い出せない。



 悠真は。


 二枚の紙を。


 そっと重ねた。



 そして。


 写真をその隣に置いた。



 蛍の横顔。


 夕焼け。


 夏祭り。


 そして。


 言えなかった言葉。



 全部が。


 少しずつ。


 一つにつながっていく。



 悠真は。


 スマートフォンを手に取った。


 もう一度。


 あの夏祭りの写真を開く。



 写真の端にある。


 小さな看板。


 あの日。


 二人が向かった場所。



 悠真は。


 画面を見ながら。


 静かに立ち上がった。



「……行ってみるか」



 今度は。


 思い出すためではない。


 あの日。


 二人が約束した場所へ。



 そこに。


 まだ。


 自分が忘れている何かがある気がした。



 悠真は。


 スマートフォンの画面を消した。


 部屋の明かりを消す。



 暗くなった部屋の中で。


 机の上に置かれた写真だけが。


 窓から入る月明かりに。


 ほんの少しだけ照らされていた。



 蛍は。


 あの夏。


 何を言おうとしていたのか。



 その答えを知るために。


 悠真は。


 あの日の続きを。


 もう一度。


 辿ることにした。

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最後まで読んでいただき、ありがとうございます。 まだ明かされていない謎は、少しずつ紐解かれていきます。 次回もよろしくお願いいたします。
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