↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
20/24

第二十話 言えなかったこと

 それから、しばらく経った夜。


 悠真は机の前に座っていた。


 窓の外は静かだった。


 昼間ほどではないけれど、まだ夏の気配が残っている。


 少し開けた窓から風が入るたび、机の上に置いた紙の端がわずかに揺れた。


 その紙を。


 悠真はじっと見つめていた。


 ――夏祭りのあと、また行こう。


 ――忘れないこと。


 去年の夏。


 蛍と一緒に書いた紙だった。


 何度も見た。


 何度も折った。


 それでも。


 まだ、見落としていたものがある気がしていた。



 悠真は紙を手に取った。


 表には、二行だけ。


 裏には何もない。


 そう思っていた。


 けれど。


 指が紙の中央に触れたとき。


 少しだけ違和感があった。


「……?」


 折り目が妙に深い。


 何度も同じ場所で折ったせいだと思っていた。


 けれど。


 指先でなぞると。


 そこだけ紙の表面がわずかに荒れている。


 悠真は紙を机のライトの下へ移動させた。


 角度を変える。


 少し傾ける。


 何もない。


 もう一度。


 反対側から光を当てる。


 そのときだった。


「……これ」


 薄い跡が浮かんだ。


 文字。


 消されている。


 けれど。


 完全には消えていない。



 悠真は息を止めた。


 紙を両手で持ち直す。


 ゆっくり読む。


 残っていたのは。


 ――ちゃんと、伝えられたら。


 そこまでだった。


 続きはない。


 途中で終わっている。


「……」


 悠真は何も言えなかった。



 どうして。


 こんな文字が残っているのか。


 いつ書いたのか。


 どうして消したのか。


 分からない。


 ただ。


 その一行を見た瞬間。


 記憶の中から。


 一つの場面が浮かび上がった。



 あの紙を書いた日の少し前。


 去年の夏。


 二人で坂道を上った。


 夕方だった。


 街を見下ろせる小さな場所。


 古いベンチ。


 蛍はそこで空を眺めていた。


「ここ、好きなんだ」


 そう言って。


 悠真は。


「何もないけどな」


 と返した。


 蛍は笑った。


「何もないからいいの」


 そのときの笑顔。


 悠真は。


 今になって思い出していた。



 その日。


 蛍は少しだけ変だった。


 いつもより静かだった。


 何かを話そうとして。


 途中でやめる。


 そんなことが何度かあった。


 けれど。


 当時の悠真は。


 それを気にしなかった。


 夏だったから。


 暑かったから。


 疲れていたから。


 きっと。


 そんな理由だと思っていた。



 帰り道。


 蛍が突然。


 足を止めた。


「悠真」


「ん?」


 蛍は何か言おうとして。


 少しだけ黙った。


「……もしさ」


「何?」


「私が、ずっと一緒にいたいって言ったら」


 そこで。


 言葉が途切れた。


「……どうする?」


 悠真は。


 少し考えて。


「一緒にいればいいんじゃない?」


 そう答えた。


 蛍は。


 一瞬だけ驚いた顔をして。


 それから。


「……そっか」


 小さく笑った。



 悠真は目を開けた。


 机の上には。


 今も紙がある。


 ――ちゃんと、伝えられたら。


 あのときの蛍。


 そして。


 今残っている言葉。


 別々のものだと思っていた。


 でも。


 もしかしたら。


 つながっていたのかもしれない。



 悠真はすぐに首を振った。


「……決めつけるな」


 小さく呟く。


 蛍が何を言いたかったのか。


 それを。


 今の自分が勝手に決めてしまうのは違う。


 好きだったのかもしれない。


 そうじゃなかったのかもしれない。


 もう。


 確かめる方法はない。



 それでも。


 蛍が何かを伝えようとしていた。


 そのことだけは。


 確かだった。



 悠真は。


 紙をもう一度折った。


 そのとき。


 机の横に置いていた古いノートが目に入った。


 去年使っていたもの。


 何となく。


 手に取る。


 ページをめくる。


 授業のメモ。


 落書き。


 どうでもいいこと。


 その中に。


 夏の日付が並んでいる。



 悠真は指を止めた。


 あの坂に行った日。


 ページの端に。


 小さな文字が残っている。


 ――明日、夏祭り。


「……」


 悠真はしばらく見つめた。


 そうだった。


 あの頃。


 夏祭りは。


 もっと先のことだと思っていた。


 だから。


 蛍が何度も話していたことも。


 特別な意味なんてないと思っていた。



 ページをめくる。


 そのとき。


 一枚の写真が。


 ノートの間から滑り落ちた。


 床に落ちる。


 悠真は拾い上げた。


「……これ」


 夕方の街。


 坂の上から見た景色。


 赤く染まった空。


 写真の端には。


 蛍が写っている。


 こちらを向いていない。


 ただ。


 遠くを見ている。



 悠真は写真を裏返した。


 短い文字。


 蛍の字だった。


 ――ここ、好き。


 その下に。


 日付。


 悠真は紙を見る。


 そして。


 写真を見る。


 同じ日付だった。


「……同じ日だ」


 それだけ呟いた。



 その瞬間。


 頭の中で。


 あの日の景色が少しだけ鮮明になった。


 夕焼け。


 坂道。


 蛍の声。


 そして。


 途中で止まった言葉。


 ――ちゃんと、伝えられたら。



 悠真は写真を机の上に置いた。


 まだ。


 分からない。


 この一行が。


 何を意味していたのか。


 蛍が。


 誰に。


 何を伝えたかったのか。


 全部。


 分からない。



 それでも。


 今までとは違う。


 これまでは。


 蛍との思い出を。


 ただ思い出していただけだった。


 楽しかったこと。


 悲しかったこと。


 最後の時間。


 けれど。


 今は。


 その中に。


 まだ見つけていないものがある。


 そう思うようになった。



 悠真は。


 写真を手に取った。


 蛍は笑っていない。


 ただ。


 夕焼けを見ている。


 それなのに。


 なぜか。


 その横顔を見ていると。


 蛍が何かを言おうとしているように感じた。



「……何だったんだよ」


 悠真は。


 小さく呟いた。


 返事はない。


 当然だった。



 以前なら。


 ここで。


 また自分を責めていた。


 どうして気づかなかった。


 どうして聞かなかった。


 どうして。


 でも。


 今は。


 少しだけ違う。


 過去を責めても。


 何も変わらない。


 だったら。


 残っているものを。


 一つずつ見ていけばいい。



 悠真は引き出しを開けた。


 古い写真。


 ノート。


 夏祭りのチケット。


 そして。


 蛍からもらった小さなもの。


 机の上に。


 一つずつ並べていく。



 写真。


 紙。


 アクセサリー。


 どれも。


 大したものではない。


 でも。


 全部。


 あの夏に。


 二人の間にあったものだった。



 悠真は。


 紙に残った文字を見る。


 ――ちゃんと、伝えられたら。


 続きを。


 自分で書くつもりはない。


 蛍が言いたかったことを。


 勝手に決めるつもりもない。


 ただ。


 知りたい。


 それだけだった。



 悠真は。


 ノートを閉じた。


 そして。


 写真を一枚だけ残す。


 夕焼けの坂。


 蛍の横顔。


 あの日。


 二人が歩いた場所。



「……もう少しだけ」


 悠真は言った。


 誰に聞かせるわけでもない。


「ちゃんと探してみる」



 窓の外。


 風が吹いた。


 少し涼しい。


 けれど。


 まだ夏の匂いがする。



 悠真は。


 写真を机の上に置いた。


 蛍は。


 あの夏。


 何かを伝えようとしていた。


 自分も。


 伝えられなかったことがある。


 だから。


 今度は。


 逃げずに。


 思い出してみようと思った。



 悠真は。


 まだ開いていないノートを一冊。


 引き出しの奥から取り出した。


 表紙には。


 去年の夏の日付。


 そのノートを。


 しばらく見つめる。


 そして。


 ゆっくりと。


 最初のページを開いた。



 あの夏には。


 まだ。


 思い出していないことがある。


 それが。


 蛍が最後まで言えなかった言葉につながっているのかは。


 まだ分からない。


 それでも。


 悠真は。


 ページをめくった。



 あの夏の続きを。


 探してみるために。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。 まだ明かされていない謎は、少しずつ紐解かれていきます。 次回もよろしくお願いいたします。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。