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第十九話 夏の帰り道

 一年前の夏。


 放課後のチャイムが鳴った。


 教室の中にいた生徒たちが、一斉に帰り支度を始める。


 悠真も鞄に教科書を詰め込み、席を立とうとした。


「悠真、待って」


 後ろから声がした。


 振り返る。


 蛍が、自分の席からこちらを見ている。


「何?」


「今日、暇?」


「暇だけど」


「じゃあ、付き合って」


「……どこに?」


「秘密」


「またそれ?」


 蛍は楽しそうに笑った。


「いいから。早く」


「なんだよ」


 悠真が鞄を肩に掛ける。


 蛍は先に教室を出ていった。


「置いてくなよ」


「悠真が遅いんじゃん」


「お前が勝手に行くからだろ」


「じゃあ、早く来ればいいのに」


「はいはい」


 廊下に二人の声が響く。


 その頃は。


 そんな放課後が、当たり前だった。



 校門を出る。


 いつもの帰り道とは違う方向へ、蛍は迷うことなく歩いていく。


「なあ」


「なに?」


「どこ行くんだよ」


「まだ秘密」


「ここまで来ても?」


「うん」


「教えてくれてもいいだろ」


「楽しみがなくなるから」


 蛍は振り返って笑った。


 その笑顔を見て。


 悠真は、それ以上聞くのをやめた。



 しばらく歩いた先に、小さな店があった。


 夏らしい小物やアクセサリーが並んでいる。


 蛍は店の前で立ち止まった。


「ここ?」


「うん」


「何買うの?」


「ちょっと見たいだけ」


 蛍が店の中へ入っていく。


 悠真も後ろからついていった。


 店内には、色とりどりの小さなアクセサリーが並んでいる。


 蛍は一つずつ手に取って眺めていた。


「これ、かわいい」


「そう?」


「うん」


「じゃあ買えば?」


「うーん……」


 蛍は少し迷った。


 そして。


 棚から二つの小さなアクセサリーを手に取った。


「ねえ、悠真」


「ん?」


「どっちがいいと思う?」


「俺に聞くの?」


「聞いてるじゃん」


「……こっち」


 悠真が片方を指差す。


 蛍はしばらくそれを見つめた。


「じゃあ、こっちにする」


「そんな簡単に決めていいの?」


「うん」


「俺が選んだだけだぞ」


「だからいいの」


 蛍は笑った。


 悠真は少しだけ首を傾げた。


 けれど。


 そのときは、それ以上考えなかった。



 店を出る。


 蛍は買ったものを大事そうに袋へ入れた。


「満足した?」


「うん」


「じゃあ帰るか」


「ちょっと待って」


 蛍が近くの自動販売機を指差した。


「ラムネ飲みたい」


「また?」


「夏だから」


「理由になってないだろ」


「いいじゃん」


 蛍は笑いながら財布を取り出した。


 二人でラムネを買う。


 瓶を受け取った蛍が、悠真を見る。


「開けて」


「自分で開けろよ」


「お願い」


「……はいはい」


 悠真が瓶の栓を開ける。


 ビー玉が落ちる。


 ころん、と小さな音がした。


「ありがとう」


「どういたしまして」


 蛍が一口飲む。


「冷たい」


「そりゃラムネだからな」


「そういうことじゃなくて」


「じゃあ何だよ」


「……なんでもない」


 蛍は笑った。



 二人は並んで歩き始めた。


 夕方の道。


 強い日差しが少しずつ傾いている。


 手にしたラムネの瓶だけが、冷たかった。


 しばらく無言で歩く。


 やがて。


 蛍が口を開いた。


「ねえ、悠真」


「ん?」


「来年も、こうして一緒に歩いてるかな」


 悠真は蛍を見る。


「……歩いてるだろ」


「……そっか」


 蛍はそれだけ言って、前を向いた。


 悠真も前を見る。


 それ以上、その言葉について考えることはなかった。



 少し歩いたところで。


 蛍が買った袋を覗き込む。


「見たい?」


「別に」


「じゃあ見せない」


「なんで聞いたんだよ」


「なんとなく」


「変なの」


 蛍は笑った。


「じゃあ、まだ秘密」


「好きにしろよ」


 蛍は袋を胸元に抱えた。


 その表情は。


 どこか嬉しそうだった。



 しばらくして。


 二人は小さな公園に着いた。


 ベンチに並んで座る。


 蛍はラムネを飲みながら、空を見上げた。


「もうすぐ夏祭りだね」


「そうだな」


「今年も行こうよ」


「去年も行ったじゃん」


「だから?」


 蛍が笑う。


「今年も行きたい」


「分かった」


「ほんと?」


「うん」


 蛍は満足そうに笑った。



 帰る前。


 蛍が鞄から一枚の紙を取り出した。


「これ使っていい?」


「何に?」


「約束書くの」


「わざわざ?」


「うん」


 悠真は苦笑した。


「忘れないだろ、そんなの」


「……そうかな」


 蛍は紙を差し出した。


 悠真は少し考えてから、そこに書いた。


 ――夏祭りのあと、また行こう。


「ほら」


 蛍が紙を覗き込む。


 そして。


 悠真の書いた文字の下に、自分の字で短く書き足した。


 ――忘れないこと。


 悠真は眉を寄せた。


「なんでそれ?」


「大事だから」


「大げさじゃない?」


「大げさじゃないよ」


 蛍は紙を丁寧に折った。


 そして。


 悠真に返す。


「なくさないでね」


「分かったよ」


 悠真は紙を鞄の中へしまった。



 公園を出る。


 夕方の道を二人で歩く。


 蛍は鞄から、昼間買ったものを取り出した。


「見たい?」


「結局見せるのかよ」


「うん」


 悠真が覗き込む。


 昼間、二人で選んだ小さなアクセサリーだった。


「これ?」


「うん」


「気に入った?」


「すごく」


 蛍はそれを手のひらに乗せた。


 夕日を受けて、小さく光っている。


「これね」


「ん?」


「大事にする」


「アクセサリーなんだから、普通そうだろ」


「そうじゃなくて」


 蛍は少しだけ笑った。


「悠真が選んでくれたから」


「……そっか」


 悠真は、それだけ答えた。



 帰り道。


 しばらく二人とも黙って歩いていた。


 遠くで自転車のベルが鳴る。


 風に揺れた木の葉が、道路に影を落としている。


 蛍がふと足を緩めた。


「ねえ」


「ん?」


「悠真は、私のことどう思ってる?」


 悠真は足を止めた。


「……どうって?」


「だから」


 蛍も立ち止まる。


「どういう人だと思ってる?」


「なんだ、それ」


「いいから答えて」


 悠真は少し考えた。


「うるさい」


「ひどい」


「あと、勝手」


「もっとひどい」


 蛍が頬を膨らませる。


 悠真は笑った。


「でも」


 少しだけ間を置く。


「一緒にいると楽しい」


 蛍が黙った。


 夕日の中で。


 その横顔が少しだけ赤く見えた。


「……そっか」


 小さな声だった。


「それなら、いいや」


「何が?」


「なんでもない」


 蛍は前を向いた。


「帰ろ」


「ああ」


 二人はまた歩き出した。



 あの頃の悠真は。


 その会話の意味を考えなかった。


 ただ。


 蛍が少し嬉しそうだったことだけは覚えていた。



 そして。


 今。



 悠真は目を開けた。


 机の上に置いた写真を見つめる。


 部屋は静かだった。


 いつの間にか。


 あの頃の記憶に入り込んでいたらしい。


 悠真はしばらく動かなかった。



 来年のこと。


 夏祭りのこと。


 忘れないこと。


 そして。


 あの質問。


 以前なら。


 全部、ただの会話だと思っていた。


 今も。


 それが何だったのか。


 確かなことは分からない。


 蛍に直接聞くことはできない。


 だから。


 勝手に答えを決めるつもりもなかった。



 ただ。


 一つだけ。


 今なら分かる。


 あの夏。


 蛍と過ごした時間は。


 自分が思っていたより。


 ずっと大切なものだった。



 悠真は写真を手に取った。


 そこには。


 あの日と同じように笑っている蛍がいる。


「……あのとき」


 悠真は小さく呟いた。


「ちゃんと答えてればよかったのかな」


 返事はない。


 当然だった。



 けれど。


 不思議と。


 前ほど苦しくはなかった。


 今すぐ答えを出す必要はない。


 ただ。


 あの頃の自分が見落としていたものを。


 少しずつ拾っていけばいい。



 机の上には。


 写真と。


 あの紙がある。


 ――夏祭りのあと、また行こう。


 ――忘れないこと。


 悠真は紙を指先でなぞった。


 あの夏。


 自分の隣には。


 いつも蛍がいた。


 その時間が。


 当たり前すぎたから。


 見えなかったものがあった。



 窓の外から。


 夏の夜の風が入ってくる。


 悠真は写真を伏せた。


 そして。


 静かに目を閉じる。


 あの夏の帰り道。


 隣を歩いていた蛍の足音を。


 今度は。


 忘れないように。

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最後まで読んでいただき、ありがとうございます。 まだ明かされていない謎は、少しずつ紐解かれていきます。 次回もよろしくお願いいたします。
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