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第二話 初めて会った君へ

夏休み初日。


浅野悠真は、蝉の声で目を覚ました。


まだ眠気の残る目で、天井をぼんやりと見つめる。


カーテンの隙間から差し込む朝の日差しが、部屋の床に細長い光を作っていた。


しばらく動かなかった。


やがて、枕元に置いていたスマホへ手を伸ばす。


画面を開く。


通知は何もなかった。


けれど。


昨日見つけた一枚の写真だけが、そこに残っている。


悠真は少し迷ってから、その写真を開いた。


夏祭りの夜。


たくさんの人。


明るい屋台の光。


そして、その奥に立つ一人の少女。


指で画面を拡大する。


少女の顔。


やはり、見えない。


何度試しても同じだった。


まるで、その部分だけが最初から存在しなかったかのように。


「……何なんだよ」


小さく呟く。


スマホを机の上に置く。


しかし、数秒もしないうちに、また手を伸ばしていた。


もう一度、写真を見る。


今度は少女の顔ではなく、手元。


そこに、小さなものが写っていた。


淡い青色。


月の形をした小さな飾り。


「……ブレスレット?」


そう呟いた瞬間。


なぜか胸の奥が少しだけざわついた。


理由は分からない。


ただ、それを見ていると、昔から知っているものを見つけたような気がした。


---


「悠真ー! 買い物お願いできる?」


一階から母親の声が聞こえる。


「今行く」


悠真はスマホを置いた。


考えても答えが出ないことは分かっていた。


なら、今はいつも通り過ごすしかない。


そう思った。


---


午前十時。


悠真は近所の店へ向かって歩いていた。


夏休みが始まったばかりの街は、いつもより少しだけ明るく見える。


道路沿いには、夏祭りの準備が進んでいた。


赤い提灯。


組み立てられていく屋台。


店先に並ぶ色とりどりの風鈴。


子供たちの笑い声。


どこにでもある、普通の夏の風景。


悠真は足を止める。


目の前には、祭りの会場になる予定の広場があった。


「……」


なぜか。


ここを知っている気がした。


いや。


知っているというより。


ここで誰かと話した記憶があるような気がした。


でも。


思い出そうとすると、その部分だけ霧がかかったように消えてしまう。


「またか……」


悠真は小さく息を吐き、歩き出した。


---


買い物を終えた帰り道。


悠真は川沿いの道を歩いていた。


理由はなかった。


ただ、気付いた時にはそこに向かっていた。


昨日も来た場所。


大きな桜の木。


春には花を咲かせるその木は、今は青い葉を広げている。


悠真は木の下に立った。


風が吹く。


葉が揺れる。


その音に混じって、どこか遠くから蝉の声が聞こえる。


その時だった。


「そこ、危ないよ」


突然、声がした。


悠真が振り返る。


そこには、一人の少女が立っていた。


少女は、そこに立っていた。


黒い髪が、夏の風に揺れている。


白いワンピース。


手には、飲みかけの透明なペットボトル。


特別派手な服装をしているわけではない。


けれど。


なぜか、その姿はこの夏の景色によく似合っていた。


悠真は少女と、そして自分が触れようとしていた桜の木を交互に見る。


「危ないって……?」


少女は小さく頷いた。


「うん」


そして、木の上を指差す。


「昔、ここで枝が落ちたことがあるの」


「今はもう大丈夫だけど」


「一応、気をつけた方がいいかなって」


「そうなんだ……」


悠真は木から手を離した。


「教えてくれてありがとう」


少女は少しだけ笑う。


「ううん」


「怪我しなかったなら、それでいいから」


その笑顔を見た瞬間。


悠真は、なぜか胸の奥に小さな違和感を覚えた。


初めて会ったはずなのに。


どこかで、この表情を見たことがある気がした。


---


「ここ、よく来るの?」


悠真が聞く。


少女は桜の木を見上げた。


「昔は、よく来てたよ」


「昔?」


「うん」


少女は少し考えるようにしてから続けた。


「ずっと前」


悠真はその言葉に引っかかった。


ずっと前。


その言い方が、妙に自然だった。


まるで。


この場所に何年も思い出を置いてきたみたいに。


---


その時。


悠真の視線が、少女の手元に止まる。


淡い青色のブレスレット。


小さな月の形をした飾りがついている。


「それ……」


少女が自分の手首を見る。


「これ?」


「うん」


「綺麗だなって」


少女は少し驚いたような顔をした。


それから、優しく笑う。


「ありがとう」


「でも、もう結構古いよ」


「古いのに、ずっと着けてるんだ」


少女はブレスレットを指先でそっと撫でた。


「うん」


「大切だから」


「誰かにもらったもの?」


悠真が何気なく聞く。


その瞬間。


少女の動きがほんの少しだけ止まった。


けれど、すぐにいつもの表情に戻る。


「うん」


「大切な人から」


「……恋人?」


悠真が聞くと、少女は少し困ったように笑った。


「どうかな」


「え?」


「昔のことだから」


そう言って、彼女は空を見る。


「でも」


「私にとっては、とても大切な人だったよ」


---


蝉の声だけが響く。


悠真は何も言えなかった。


その言葉の奥に、何か隠されている気がした。


でも。


初めて会った相手に、これ以上踏み込むことはできなかった。


---


「最近さ」


突然、少女が言った。


「忘れること、増えてない?」


悠真の表情が変わる。


「……どうして、それを?」


少女は答えなかった。


ただ、悠真を見つめる。


そして小さく笑う。


「なんとなく」


「なんとなくって……」


「人ってね」


少女は静かに言った。


「自分では隠しているつもりでも」


「意外と、顔に出てるから」


悠真は黙った。


不思議な少女だった。


初めて会ったはずなのに。


まるで、自分のことをずっと見てきたような話し方をする。


---


「俺たち……」


悠真は迷った。


でも。


気付けば口にしていた。


「前に会ったことある?」


少女の目が、わずかに揺れる。


ほんの一瞬。


でも確かに。


悠真はそれを見た。


「どうして?」


少女が聞く。


「分からない」


悠真は苦笑した。


「ただ」


「君を見ると」


「何かを思い出しそうになる」


少女は黙った。


しばらくして。


ゆっくり笑う。


「そっか」


「じゃあ」


「まだ思い出してないんだね」


「……え?」


少女は首を横に振った。


「なんでもない」


「急がなくていいよ」


「いつか、自分で思い出せるから」


---


その言葉の意味を。


悠真はまだ知らなかった。


「……そういえば」


悠真は少し遅れて気づいた。


「まだ名前、聞いてなかった」


少女は一瞬だけ目を丸くした。


そして。


「そうだったね」


と、小さく笑った。


「水野萤」


「水野……萤」


悠真はその名前を口にする。


その瞬間。


頭の奥で、何かが弾けた。


夏の夜。


空に広がる花火。


隣で笑う少女。


『悠真』


誰かが、自分の名前を呼んでいる。


「……」


しかし。


その光景は、手を伸ばす前に消えてしまった。


「大丈夫?」


萤が心配そうに尋ねる。


悠真は慌てて顔を上げた。


「え?」


「今、一瞬だけ苦しそうな顔してたから」


「……そう見えた?」


「うん」


萤は素直に頷いた。


悠真は少し笑う。


「君って、よく人を見るんだな」


「そうかな」


「普通、初対面の人の変化なんて気づかないだろ」


萤は少し考えてから答える。


「昔から、そういうところを見るのが得意だったのかも」


「昔から?」


悠真が聞き返す。


萤は一瞬だけ黙った。


「……うん」


「昔から」


---


その時。


突然、空から冷たい雫が落ちてきた。


「雨?」


悠真が空を見る。


夏の青空だったはずなのに。


いつの間にか、灰色の雲が広がっていた。


次の瞬間。


大粒の雨が降り始める。


「こっち」


萤が近くの屋根を指差す。


二人は急いで走った。


雨音が周囲を包む。


屋根の下。


隣に並んで立つ二人。


近い距離なのに。


なぜか悠真は緊張しなかった。


むしろ。


不思議と落ち着いた。


---


「夏の雨って、急だよね」


萤が外を見る。


「さっきまで晴れてたのに」


「本当だな」


悠真は笑う。


「でも」


「嫌いじゃないかも」


「雨?」


「こういう時間」


萤は少し驚いた顔をする。


「悠真も、そう思うんだ」


その言葉に。


悠真は引っかかった。


「……俺も?」


萤はしまったという表情をする。


「……」


「前にも、そう言ったことがある気がした」


小さな声だった。


でも。


悠真には聞こえた。


---


「水野」


「なに?」


「俺たち、本当に初対面?」


萤は雨の向こうを見る。


しばらく何も言わなかった。


そして。


「今の悠真にとっては」


「そうだね」


その答えは。


肯定でも否定でもなかった。


---


雨が弱まる。


夕方の光が、雲の隙間から差し込んだ。


「じゃあ、私は帰るね」


萤が歩き出す。


「また会える?」


悠真が無意識に聞いた。


萤の足が止まる。


振り返る。


そして。


優しく笑った。


「会えるよ」


「夏は、まだ始まったばかりだから」


そう言って。


彼女は歩いていった。


---


家に帰った後。


悠真は部屋の机に座っていた。


今日会った少女。


水野萤。


なぜか頭から離れない。


スマホを取り出す。


昨日の写真を開く。


夏祭りの写真。


そして。


彼の指が止まった。


昨日までは気づかなかった場所。


少女の手元。


そこには。


淡い青色のブレスレットが写っていた。


小さな月の飾り。


今日、萤が着けていたものと。


同じだった。


「……偶然か?」


悠真は呟く。


そう思いたかった。


しかし。


その時。


写真の下に。


小さな文字があることに気づいた。


昨日はなかったはずの文字。


『忘れたものは、消えたわけじゃない』


悠真は画面を見つめる。


その意味を理解することはできなかった。


ただ。


一つだけ分かった。


自分が忘れた夏には。


まだ誰かが残っている。


---


同じ頃。


別の場所。


水野萤は机の上に一枚の写真を置いていた。


古い写真。


そこには。


桜の木の下で笑う二人の姿があった。


一人は、昔の悠真。


もう一人は、萤。


萤は写真を指でなぞる。


「……やっと会えたね」


小さく呟く。


「今度は」


「ちゃんと、あなたの隣にいられるかな」


窓の外では。


夏の夜の蝉が鳴いていた。


何も知らないように。

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最後まで読んでいただき、ありがとうございます。 まだ明かされていない謎は、少しずつ紐解かれていきます。 次回もよろしくお願いいたします。
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