チュートリアル-7
エリシオン。
それは楽園を意味する、異物掃討部隊の拠点であった。その巨大な組織は国家が運営するものであり、特殊部隊員の集まりである。異物の対処として高い戦闘力を持つ者や装備品などの発明を行う研究者、事後処理隊、調査部門など様々な優秀な人種が集う本拠地である。
皆はホームとも云える場所にシリウスの転移装置で帰還した後、各々が休みに入る前にまずやるべきこととして指揮者のメディカルチェックを行う為、医療部門に直行した。
シリウスが事前に述べていた通り、異物に吸収された者は……触れられただけで、その存在が融解瓦解する。まるでこの世界に最初からいなかったかのように存在を抹消されるのだが、指揮者はボスエネミーの胎の中にいたのにも関わらず、記憶喪失程度の欠如しか受けていない。通常なら一秒にも満たない物理接触であったとしても異物からあっと云う間に存在が吸収され、記憶喪失どころか人格さえも失ってしまうのが通常だった。
それゆえ異物を対処するエリシオンの特殊部隊の皆は、研究部門が開発した特別な防護服を着用して戦闘を行っているのだが、その衣類等を身に纏っていないのにも関わらず、指揮者は特異な体質を持つのか、はたまた別の理由があるのか……本編では時折、失ったものはあれども完全に融解することのない一種の異質な異物として、嫌悪じみた警戒心をむき出しにした扱いを受けることが指揮者にあったように思う。
ブーケ、シリウスの両名はメディカル部門に確かな信頼を寄せているのか、それとも単純に善性ゆえ人が好いのか分からないが、指揮者に対して敵愾心じみた警戒心を物語の序盤から抱くことはなく、とても好意的に接していたように思う。それは玄武も同じだ。
玄武はエリシオンに帰還して、いつもの場所……休憩室の一角でマグカップを片手にチビチビと紅茶を飲んでいた。指揮者が医療部門の世話になる最中、自我を会得したのは……相棒である青龍に出会う為ではなく、主人公である指揮者をあの魔の手から救出することにあるのではないかと自信喪失の中にいたのである。
なぜそう思ったのか……それはエリシオン本部内で指揮者を医者に預けた後、エリシオンの本部で隅から隅々まで青龍の姿を探し求めたのだが、崩壊する前の故郷、大都市の借家と同様にその姿が一切認められなかったからである。
僅かな変化であるがキズナが主人公のことを指揮者と名づけた台詞は、どこかオリジナルのものであるかのように思えた。些細で非常に小さい異変であるすぐさまシリウスの台本通りの台詞によって軌道修正が図られたものの、どこまでシナリオの自由が許されたものなのか分からないが、融通が利くのであるならば邂逅が許されるのではないかと思ったのである。
しかし、その想いは空しく……探せども探せども何処にも青龍の姿はなく落胆した様子を隠すことなく、玄武は休憩室でカップ内の水面を見詰めていたのであった。淹れられた茶には白い湯気が立っていたが、今ではもうその温度は失われお湯は平温のそれに戻っている。
変な期待はするべきではない。妙な夢想を抱くべきではないのかもしれないなと玄武が自嘲気味に笑ったところで、休憩室のドアが開く音がした。ドアの開閉音に反応して見遣ると、そこには指揮者がいた。
『……どうも』
指揮者はそう云いながら、玄武とは向い合せの席、正面に座る。医療部門の検査に疲れ一休みをしに休息を取りに来たのだろうが、このような場面は本編にあったのだろうかと玄武は記憶を手探るも物語の序盤は遥か昔のこと過ぎてあまり記憶にない。
「玄武さん……でしたよね。あの時はお助け頂いて、ありがとうございます」
「礼を云う必要はないよ。誰だってあんな場面に遭遇したら助けるってもんが人情さ。私は何も特別なことはしていない」
その言葉は台本通りの台詞などではなく――玄武自身のこころから出た、『本音』であった。
玄武は半ば驚いたように自分の口元に触れながら、並々液体の注がれたカップをテーブルに置いた。オリジナルを――思うがままに行動可能な、融通が利くことに驚愕のあまり茶をこぼしてはいけないと思い、咄嗟に机上にカップを置いたのである。
「あ――あ……そ――それで、検査の方はどうだったかな? 見た目は大丈夫そうだけど?」
云える。
喋れる。
自由意思で、思いを伝えられる。
玄武は動揺が隠せないままであったが、指揮者はその態度に多少不思議そうに首を捻ったものの、出会って間もない関係だ。癖か何かだと片付けたのか、訥々と医師が検査して下した診断を素直に口にするのだ。
「……検査結果は、記憶を失っているものの肉体の方は大丈夫だそうです。健康体だなんて言葉に収まらず、もしかしたらここの……エリシオンでしたっけ……戦闘員として働くことが出来るんじゃないかって云われました」
確かゲーム内容では、主人公たる指揮者も他のキャラクター同様、戦闘に加わることができる。そこは変更なしなんだなと、玄武は思った。
「肉体は問題ないのですが、異変の方が二つあって……自分が記憶喪失で何者であるのか分からないこと。そしてこの世界のあらゆる情報を調べても、自分に該当する人間が一切出てこなかったことです」
「異物に存在を奪われた後遺症か……」
異物は次元を超えてやってくる災害の化身。
次元の獣。
推測だが……指揮者は異物に食われ胎の中にいたことにより、記憶とこの世界にいた証が奪われた状態にあるのだと見た。
異物の存在吸収は、記憶や人格の喪失に収まらず他者の記憶や記録にも関する。もっと端的に分かり易く述べるなら、両親から生まれたことも忘れられ、公的な書類が空白になるという非常に頼りない存在になるのだ。それは異物に触れられながら辛うじて生き残った数少ない生存者の典型的な症例であった。なお、他の生き残りはエリシオンが保護して何とか生き永らえている……と云うのが現状である。
現在の指揮者はうすらいの上に立つ、危うい存在。玄武はその地盤を確かなものにするためには、指揮者が奪われた自分を取り戻す必要があると軽く述べた。
「きみは今、少しでも強い風が吹けば霧散する非常に弱い立場だ。異物に触れられ存在を抹消されたものはね、食事の仕方や排便のやり方も分からず重度な介護を受けることになる。その哀れな様子を青龍はとても苛立ち、憤慨していたものだ」
そう……異物に触れられた哀れな犠牲者は、この世界の人間であることが確かであるにも関わらず、全ての人間から存在が忘却される。人格のない木偶になった犠牲者は食事の仕方も排泄のやり方も分からない。発話機能に問題がないのにも関わらず呻くことさえできずに点滴を受け生き永らえながら、排泄物によってベッドシーツを汚す。実際の年齢に関わらず、重度の痴呆患者のようになるのだ。
無垢の赤子とはとても云えないその悲惨な現状に玄武は、青龍はとても怒っていたと告げるのだが、指揮者が興味を示したのは犠牲者ではなく、玄武自身でさえ知らない相方の話であった。
「青龍……さんって、どんな人なんですか?」
『私の相棒さ。強いよ。とても強い。私と青龍、二人合わさると強力無比さ』
無味乾燥な言葉。
玄武は見た目では自信を以て頷いてみせるも、何の記憶も実感さえもない。それは無理もない話だった。玄武は相棒である青龍の話を振られた時、かならず上記の返事を定型文のように返すのがお決まりだったからだ。
その様子にプレイヤーの中ではいつまで経っても……最後まで実装することのなかった青龍に対して、胡乱なネタ扱いを受けることが度々あった。いや……存在しない記憶として、本編やイベントが起こる度に「青龍さんが〇〇をして解決するんですよね」、「青龍さんの〇〇は感動しました」等と云われ集団幻覚の祭りとなっているのが、リアルでの扱いである。
「……頼れる相棒なんですね。自分にもそんな存在がいれば良いのですけど……正直なところ自分は生きているのか、世界に存在しているのかもあやふやで、幽霊のような……透明人間のような実感しかないんです。キズナさんが、これがあなたの寄る辺よ……って、こんな物を渡してくれたのですけど」
指揮者はそう云いながら、丁寧な特殊ケースに入れられたある物を見せる。
それはボスエネミーを消失させた時、指揮者の人間性が詰まった存在の欠片――残影と呼ばれるもの手にしていた。そのアイテムのドロップは異物を倒した時に度々出て来るもので、エリシオンの特殊部隊は敵の掃討じゃなくその残影を回収するのも仕事の一環である。
残影を解析して該当する被害者にあてがえば、自己を取り戻すのではないかと云われているが、これまで僅かでも奪われた己を取り戻した者はいない。その理由は単純にこの世界とは違った該当者が本来の持ち主でこの世界にはいないのか、もしくは失われて切り離されたものは二度と戻らないのか、それは不明だったからである。
「きみ、それは――」
玄武は物語のエンドを知っている以上、云わずにはいられない言葉であった。
もしも融通が利くのであれば……オリジナルを認めてくれると云うのであれば、これから先出て来る言葉は真心から出て来る、本気の警告であったのである。
「そう――大事にするものじゃない。それほど大事な――ものじゃない。君にとって足枷となる。外せない呪いの装備だ」
云えた。
言葉を紡げた。
「私はもう二度と、あんな摩耗して擦り切れた指揮者の姿なんか見たくない。一方的に搾取されて利用され良い用に扱われる様は……とてもじゃないが見れたものじゃなかったよ。その当時、賞賛するぐらいしか私たちの言葉が許されなかったが、こうして自由が許されるのであれば……言葉だけじゃない……私が捨て置いてあげよう」
玄武は自己の残影を持つ指揮者に対して、自身に預けるよう手を伸ばした。
その最中、ここまで言葉と行動の自由が許されるものだと思いながら、ソレを預けるように促すのだが、指揮者は特殊なカバーケースに入った自己の残影を自身に預けることはなかった。
「これはキズナさんが、自分を守護ると約束してくれた――「それはない!」
玄武はテーブルに両手をついて立ち上がった。カップ内の液体が大きく揺れ、カップから溢れる。茶が机上を濡らした。
「い――いきなり、どうしたんですか玄武さん」
「いいかい指揮者。この世の中にはね、どうしようもない醜悪な生物がいるんだよ。一切責任を負うことがなく、権力に縋り、我が身だけが可愛い自己愛の化け物が。天からの寵愛を一身に受けたことを良いことに改心も反省も何もなく、自分を煌びやかな称号や記号で着飾り喜んで、搾取消費することだけが取り柄の独り善がり権化がいるのだよ。私は君にもう二度とあんな――」
「…………」
「良いかい、これだけはこころに刻みたまえ。決して忘れるな、あの女だけは絶対に駄目だ。ボロ雑巾のように消費されたくないのであれば――私は、指揮者が摩耗して擦り切れてしまわれた状態を自我を得て知った今、許容するなんてとても。かつての我々は天の手によっていいように転がされていたんだ」
「…………」
「許してくれとは云わない。君が独りで傷付いていく様を気付くことすら出来なかった……そうさせてもらえなかった。皆が……私たちはアレの全ての言動を称賛し、褒め称え、慰め、叱責することすらなく、ガヤのような舞台装置のひとつに成り下がっていた。あの醜悪な化け物が再びふんぞり返ると云うのであれば、私は自我を得た以上、徹底的に抵抗する」
「なんの……話なんですか……」
「それは――」
……と玄武がその者の名を告げようとした矢先、またしても現実世界の情報が脳内に溢れ出して、洪水のように襲ってくる。限度を超えたその情報量の奔流は津波のように激しく荒れ狂い、呼吸さえ忘れた。走馬灯と述べるべきか、フラッシュバックと表現すべきか分からないが、プレイヤーの存在している現実世界から送られた夥しい情報量に、一瞬だけ心臓が止まった。
「――――っ!」
「大丈夫ですか⁉」
異変に気が付いた指揮者が駆け寄る。
玄武は指揮者が己の肉体に触れる前に壁に手をつく、頭痛を堪えるように片手でその頭頂部を抑えた。足元は酔ったかのようにフラフラとする中、一瞬で通過していた大量の情報量の荒れ狂う波の余韻に少し息を切らす。
「……私は、大丈夫だ」
やがて呼吸が整った後、心配そうな顔をする……お人よしさが隠しきれていない指揮者の顔を見た。そういえば自我のない頃、いつ頃だろうか……そのような表情を人がいない時にしていたように思う……いや、この想像は……感想はプレイヤー自身によるものか……それとも自我を会得して情報室でスタートからエンドまで本編の中身を閲覧した玄武自身の解釈なのか、判然としない。可能性のひとつとして、両方の相互作用なのかもしれないが……。
玄武は、本当はこころの底から笑ってほしいのに陰の差し曇った表情を見て、洋服の下に隠されていた生々しい傷跡を不意に見てしまったかのような、非常に居心地の悪い気分の中、口を開く。
「君は、頑張ることが出来る人間だ。特に他人の為ならば如何な善性を発揮して、たとえそれが裏切りであったとしても許す事のできる強い人間でもある。でも、だからこそ……そうだからこそ頑張り過ぎないで欲しい。苦しい本音をひた隠しにし、共依存のような関係になってほしくないんだよ」
指揮者は消耗品ではないのだから。
玄武は最後にそう付け加えるが、指揮者は「はい」と頷きながらも不思議そうに首を捻るのである。
その状態……顔、健康、精神状態は至って健康なものであった。
だからこそ思う。
あの醜悪な自己愛の権化に消費させてはならない、と……。




