「響鳴の波紋」〜門〜
寄り道で夏の涼を満喫したかに思える女子三人の澄んだ顔も、紅茶やクッキーを優雅に食す午後の調辺も無き事に、真夏の陽射しを受けながら自転車を漕ぐ苦行で無心の表情となっていた。
熱を残して影を広げる西日の迫る十六時、図書館の前まで戻って来た所で足を止め、自転車に乗ったまま円陣を組むようにしてハンドルに肘を置き、腕を組んで顎を乗せる学生ならではのお疲れスタイル。
そこで発せられた姉の一言は、既に謎の半分以上が解けている事を物語っていた。
「さて、解決篇は明後日の昼過ぎにまたココで、二時位でどう?」
一見しただけでは何を考えているのかも判り難いオカメの表情だけど、ふとして覗かせた横顔に切なさを覚えてしまったのは、皆で一緒に解く気満々だったからに違いない。
何故なら、僕もそうするだろうと思っていた一人だからだ。でも、姉は言葉にしないが皆で解くのを拒否してもいる。
それが皆を思っての事だと知れるからこそ、僕もオカメも余計に寂しさを感じてしまうんだけど、僕がオカメに申し訳なく思うのは、弟として姉が解くのを間近で見る事になると知っているから。
オカメは絶対に悔しい筈だけど、姉に応えようと息を吸い込み視線を上げて気丈にも平静を装い、令嬢を気取る姿が色んな意味で痛々しい。
「仰せのままに」
その横で鬼頭さんも肯きを返して明後日の昼過ぎには解いた謎を語る事になった訳だけど、どうして空白の一日を必要とするのかを考えれば僕の応えこそが重要な筈なのに、気付けば僕に有無をも言わさず確定事項となっていた。
「佳余様、これ、もしもの為にと持って来ていたのですが、エクトプラズ厶の件も有りますし、皆さんも家に入る前にこれを」
オカルト用語にらしさを感じるオカメが差し出したのは“清め塩”、いつ何処で買ったかも知れない用意周到なケースの中を覗けば、残る袋の数からしても、夏休みに姉が何処へ行こうと付き添う気満々だったのは一目瞭然。
でも、何だかんだでこの手のモノを恐れてはいるなら、姉の為に我慢している可能性も捨て切れず、慕うと言うよりも神の仕いならではに余程の信者だ。
そんなオカメの冷たい目が僕へと向けられ、律儀に一人ずつ手渡されるも視線を戻す折のほんの一瞬、僕の首を確認したようにも映るそれが僕を心配しての事だと気付いてしまい、感謝を口にするにも感情が先走っていたように思う。
「ありがとう」
心を込めたような声と響きは意識した訳では無いけど、自分でも素直過ぎた気がして恥ずかしくもなる。でも、オカメは感謝の言葉を聞いた途端に固まると、首だけ回して“ど偉い睨み”を向けて来た。
「ドウイタシマシテ!」
首のアレよりも迫り来る危機として感じてしまう程の凄みを利かせた塩対応も、次の瞬間には最大級の笑みを浮かべて姉の下へと走り寄る。女子の反応は全く以て意味がわからない。
ビビって頭を下げた訳ではないけれど、手に残された包装紙を見て感傷に浸るも、思い出した一つの答えに問いを浮かべた。
清め塩を見るのもこの夏は二度目になる。
習字の三上先生の葬儀に出た両親が帰宅時に玄関に入る前にと手渡され、それは三上先生を祓う訳では無く、あっちの世界へ引き込まれないようにするものと聞いて、僕は混乱していた。
だって、姉が水神様の処で三上先生と会った話を聞かされたのに、帰宅後に両親から聞かされる三上先生が向かったあっちの世界、三上先生が居る世界とは何処なのかを考え悩む僕に対して、姉は問いに問いを返して答えに導く。
「世界の境界線があやふやだから線引きを必要とするんじゃないの?」
僕はその答えに納得も出来たし理解したつもりでもいた。だからこそ、この清め塩が線引きと知る姉が断らないのを疑問に思う。
何故なら、清め塩で線を引くとなれば、今の僕達は境界線のあやふやな部分を踏み交わしている、という事になる。
つまりは、ここにはまだ境界線上の何かが存在しているという話でもあり、或いは、シンデンさんの言っていた五人目こそが僕の首に痕を付けた張本人ではないのか?
そんな思考が頭の中を駆け巡る中、何を考えついたのかも知らないが、姉は瞳に閃光を宿して口を開いた。
「よし、私は悟とかけ合えるから、二人の家まで送って門前でかけてあげるよ! お清めなんて親に頼み難いでしょ?」
オカメは嬉しいのか困るのか、何とも言えない顔で妙な戸惑いを見せていると、姉は急かすように家路へと向けて走り出す。
「ほら、家知らないから先行って!」
と、オカメが慌てて走り出し、姉の中学校から程近い古風な一軒家の前で停まると、恥ずかし気に小さな声で“ココ”とだけ伝え、姉に門前で清め塩をかけてもらい、それこそ門前払いのようにあっさりと別れを告げられたのが口惜しいのか、見送りに頭を下げていた。
あれは多分、少し不服そうな顔を隠したかったんだと思うけど、どうにも僕には姉の方こそが何かを隠しているような気がしてならない。
坂を下って鬼頭さんの家の前まで来た所で、自転車を降りた姉はオカメの時とは少し違って、僕に自転車を任せて二人で門の中へと入り、小声で少し話をしてから玄関扉の前で清め塩をかけ、別れを告げて戻って来た。
二人で何を話していたのか少し気にはなるけど、理由は判らずもいつもと少しだけ違う姉の様子に疑いの目を向けているせいか、姉の背中を追ってペダルを回す時間が行きよりも長く感じる。
訊きたい事が山ほどあるのに、今は訊いたらイケない気がして言葉を飲む。飲んだ言葉でお腹がいっぱいになったような感覚が胃と喉を詰まらせる。息を切らす程漕いでもいないのに胸が苦しい。
家に着いて玄関先で清め塩をかけ合う中にも会話は無く、まるで喧嘩をしているような嫌な空気の流れを感じていたのか、姉は扉を開けると同時に振り返り、押し黙っていた僕に向かって一言告げた。
「全部シャワーで洗い流しな。話はそれから!」
何を水に流せと言うのかも分からないけど、シャワーの後で全てを話すというなら、やっぱり何かを隠していたって事じゃないか。
僕の首を気にしてか、シャワーを先に譲った姉は水筒に残っていた氷で口を塞いだ。
――PUSYAAAAAA――
風呂場の鏡に映る僕の首には、手の痕なのかも判らない程度の薄っすらとした滲みが残るのみ、帰途に自転車のミラーで確認した時のソレとは比較にもならない。
鬼頭さんが見た時はクッキリと現れていたらしいけど、お寺の門前で起きた事を思い出しそうになって恐くなり、深く考えるのをやめて頭の泡を洗い流した。
当然、顔を上げた鏡に映る自分を見るのも恐くなるほど、本当の処を言えば怯えていた。それで、目を瞑ったまま風呂を出たからマットもびちょびちょ。
「姉ちゃん、空いたよ」
部屋に入ると姉は何を調べていたのか、椅子の上で体育座りをしてノートパソコンを眺めていたけど、僕の声にも振り返る事なく、画面を閉じると物思いにふけるように天井を向いたまま問いを零す。
「悟、鬼頭さんの事好き?」
余りにも唐突過ぎて返す言葉が見つからない。好きの反対を考え嫌いが浮かぶもそれは違う、好きではあるけど友達として、昨日理解したばかりの“女子としては見ていない”が好きか嫌いかを考えたら出なくなり!傍から見れば気があるみたいな雰囲気だ。
「好きとは違う好き……? 違う、好き、では無い! 好きくない?」
何を言っているのか自分でもよく分からないままに口走り、言葉を回収しようと必死になって、シドロモドロな自分が『好き』を言い捲っている事に気付けば恥ずかしくもなる。
風呂上がりの顔が赤くなるのを感じてか、頭を抱えて下を向く。
「そっかあ、なら良いかあ……」
恥じらう気持ちも冷めるような姉の薄い反応に、僕は何かとんでもない勘違いをしている気がして、今日の姉の言動を思い返して答えを探す。
いや、そもそも恋愛無知な姉が好きを語る事自体に疑いを向けるべきだろう。どうして僕が鬼頭さんを好きか否かって話になっているのか、姉が勘違いした所がターニングポイントになっていそうだ。
なにせ図書館ではオカメがそれを言っても気付きもせず、僕が普段から優しいとかトンチンカンな応えを返していた姉がどうして恋愛の話に移行したのか……
オカメか?
姉と先に着いていた駐車場で、僕と鬼頭さんが遅れて着いたあの時だとすれば、ある意味あの門の前で起きたアレこそがターニングポイントのようにも思えて来る。
あの出来事すら僕の勘違いと姉の勘違いとが重なって生まれた副産物みたいなモノなら、それはそれで簡単に消えてくれそうに思える辺りが悩ましい。
「我が弟よ、女たらしにはなってくれるな」
いや待て、何の話だ? と、言って止まる姉ではないからシャワーに通しはしたけれど、そもそも女たらしってどういう意味だ?
とりあえず、ノートパソコンで調べてしまおうと画面を開いた僕は、姉が今日見ていた景色を知って、多角的に見るの意味を理解した。
別タブを開くのも申し訳なく思えて画面を閉じ、姉を待つにも壁際から少し離れてしまうビビりな自分が嫌になるけど、咄嗟にベッド脇に置いていたあのお守りを首にかけて安堵する。
姉がカラスの行水で喜ばしくさえ思える今日の僕には、頼れる姉と水神様の加護化にあって欲しいと願ってしまう。
「まだ居るよ。門の外で彷徨いてるし……」
濡れ髪に氷を喰む姉が部屋へ戻って来るなり発した台詞に、頭が混乱したのか姉が何を言っているのか理解が及ばず、僕はまさかの事を浮かべては、そんな馬鹿なと一蹴するも、それ以外に無いような気がして声を漏らした。
「……ぇえ?」
問いを漏らした僕に向け、姉は『え、気付いてなかったの?』 とでも言いた気な顔を返すと一周回って考え直し、答えに行き着いたのか、納得と驚きを交互に浮かべた上で言葉にならないままを口に出す。
「えええっ?」
姉の反応からして門の外に居るのは、お寺で僕の首を掴んで来たあの何者かで間違いない。普通の人には視えない霊的なモノだ。
どうして家の前に、などと考えるまでもない話。姉がいつもと少し違っていたのは恋愛云々なんてものではなく、あの霊鬼がずっと着いて来ていたから警戒していた。
なら、二人を帰した理由もそう言う事だとして、それなら、どうしてあの時。
「ちょっ、姉ちゃん、どうゆう事? 駐車場で筆のアレ使って祓ったんじゃないの?」
「祓ってないし。悟が手に持ってただけじゃん」
言われてみれば、確かにそうだ。姉が特別に何かをした訳でも無いし、持ってるだけで首の痕が薄まったからと、皆で良かった良かったみたいな流れになった所で怒鳴り声が聞こえて来て、有耶無耶に……
「マジか……」
「マジよ」
なんだろう、このふざけた神の仕いの加護化にありたいと願った自分を殴りたくなる感覚は、だって、今僕は、圧倒的な危機……いや、正しく鬼気迫る状況じゃないか。
「これ、僕はどうすりゃ良いのさ?」
「うん、どうしようかね」
なんだそれ……
何の解決策も無いって事?
え、神の御業も効かない強敵って事か?
そういえば、姉は駐車場で『危険なのかも』とか何とか言っていたような……
「多分だけど、あれでも一応は守護霊らしいんだよね……」
「はあっ?」
守護霊が何で僕の首を掴んで痕までつけて恐がらせるのさ。いや、それ以前に守護霊って背後に居るモノじゃないのか? だとしたら、門前払いにしたら駄目なんじゃないの?
待て待て待て待て待て待て待て待て……
こんなの、僕の頭の許容量を超えちゃってるし、アレが僕の守護霊って、あんなの恐過ぎだろ!
「悟、鬼頭さんとは友達です。て、言える?」
「はあ? 何で今そんな話……」
「だってアレ、鬼頭さんの守護霊だし。厳格というか親バカというか、あそこのお墓に入ってるのは明治以降の人だからね。戦時中の人にしては色恋沙汰に五月蝿いのも可笑しいし……」
よく分からない話に思えるそれが、何故に僕の首を掴んだのかに繋がる部分を考えてみたけど、ひょっとしたらの光景に、まさかのターニングポイントと考えていたあの……
「え、まさか、僕が自転車で鬼頭さんの尻を追っかけてるとでも?」
「ああ、それ有るかも!」
やっぱり僕の推論なんか当たらない。この世とあの世の境界線はあやふや過ぎて、僕の手に追えるモノではないと理解させられ、へたり込むようにして壁に背を付け溜め息混じりに愚痴を漏らした。
「マジかよ……」
■あとがき
▶*3
エクトプラズ厶とは
エクトスとプラズマを合わせた造語で、外の物質を意味する。霊の具現化や視覚化に関与するような半物質や何かしらのエネルギー状態のモノを指す物質化現象の一呼称。
(物質化現象には他にも、トンネルで車のフロントガラスに手形がつく“手形現象”なども有名です)




