「響鳴の波紋」〜壁〜
僕達に“波打つ暗影”についてを話した責任を感じて後悔しているのか、僕の首筋に残された手の痕を見詰め、自戒の念に申し訳なさそうにする鬼頭さんの顔を見ていると、僕の不甲斐無さを痛感させられて、こちらこそが申し訳なく思えて来る。
いつから僕はこんな風にモノやコトを考えられるようになっていたのか、今も恐ろしいモノと対峙したばかりで不安もあるのに落ち着いた思考が回り続けてもいて、とはいえ姉のような解決策など持ち合わせてはいない。
この玉虫色のお守りのお陰だとは思うけど、自分でも不思議に思えるこの感覚は本当に自分なのかも疑わしい。
「カヨ姉っ!」
僕が考え事をしているのを俯き加減と捉えられてしまったらしく、鬼頭さんは相手が余程に手に負えないモノと理解をして、まだ少し遠い姉に向けて助けを求めトーンを上げた。
その悲痛なる声に危機を察した姉とオカメは、何事かと顔を上げてコチラを見る。
「カ……悟君の首が大変な事になってます!」
手前にいるオカメが、え? と言った調子で姉に振り向き、姉はオカメに肯きを返してコチラに手を振り了解の意を向けるが、走り寄るでもなく周囲を見回し何かを探す素振りを見せている。
まあ、昼の駐車場に立つ小学生が首が大変と聞いた処で、普通は虫刺されや汗疹や日焼けを浮かべる程度で、そこにオカルトを浮かべる者など……
「ごめん悟、動けるならコッチに来て!」
互いに駆け寄り近付くと、鬼頭さんが指し示す僕の首を見た姉は何を理解したのか、オカメが居る方へ行くようにと告げて自転車の方へと走り去って行く。
駐車場の南端にオレンジの線で囲われた三十台程は駐められそうな駐輪スペースも、塀の影が落ちてもいるけど自転車自体はまだ日向にある。
オカメは何処かと探し見れば、姉から何を指示されたのか奥間へと繋がる裏戸の方へと移動していて、コッチコッチと手を振り誘う。
表情までは見えずとも、僕を誘うその真剣さは、救急医療を要する事態とは少し異なると知り、オカメの好奇心をくすぐるに相応しい事象と見てか、迎える様からして嬉々としているのは明らかだ。
昼に子供が首の危機を言うにも、そこにオカルトを浮かべる者が今のココには二人も居た。
僕と鬼頭さんは暑さにダレ気味で歩いていたけど、ほぼ同時に到着した姉は走って戻って来たのか息を切らしていて、僕の自転車から抜いて来たリュックサックを持つ手も膝に、下を向いて息を整えている。
「佳余様、これも例の“波打つ暗影”の仕業でしょうか?」
「ワカラン! けどこれ、思っていたより危険なのかも……」
息絶え絶えにオカメの問いに応える姉だが、そんな二人を少し離れた所で尚も申し訳なさそうにしている鬼頭さんが人らしく思えて来る。
けど、『これは鬼頭さんのせいじゃないから気にするな!』そお言ってあげれば良いのに、今の僕にはそんな一言すら浮かばない。
間近に近寄り冷たい目で僕の首を見詰めるオカメは、匂いを嗅いだり息を吹きかけたりして、汚れは何かと確認するように指で擦って粘性を確認したりと、鬼頭さんとは対照的にオカメは僕を検体扱いだ。
「それにしても、吉川線がこんなにもクッキリと、ある意味芸術的だわ」
ん? 吉川線て確か、殺人の証拠として痕跡を見付けた鑑識やってた人の名前が警察の隠語になったとか何とかって、刑事ドラマの解説かネットで見た気がするけど、あれって……
「いや、まだ死んでないから! 死体の隠語で語るなよ!」
「……まだ、ね」
オカメはこんな時でも相変わらずだが、お陰で僕の不安も軽くなっているような気がして、こんな時に理解するのは悔しいけど、現代における【気を置けない】て言葉の意味にも納得出来てしまう。
「悟、ごめん中からアレ出して……」
姉の息は整ったものの暑さで額の汗が止まらないのか、下を向いての作業は困難だろうと理解も出来る。
前カゴに入れたままだったせいかリュックサック自体も熱を帯びていて、開けると中から墨汁の香りが漂い、元の筆を持ち手にした紙垂も何だか暑さで萎れ気味。
姉が中に忍ばせた氷入りの水筒も保冷保温機能が無ければ熱湯になっていそうな熱さだ。
「姉ちゃん、これ」
と、姉には先に水筒を差し出した。氷を喰むと姉は皆にも薦めて、氷を喰む皆の言葉は理解の及ばぬものとなり、誰も言葉を発する事のない無音の時が流れて数分。
解ってはいるけど、僕が紙垂を手にした所で何が起きる訳でもなく、起きていたとしても僕はきっと気付きもしない。
ただ、氷を喰む事で内から冷えたか、氷が解け切るまでの数分で首の絞痕 が薄まっていたらしく、気付いたオカメが声を上げるも、問う内容は僕を心配するものではない。
「佳余様、これって、依代とか神職の使う紙垂ですよね? ここ、お寺の土地ですけど、使えるのですか?」
「多分、ここにはお墓もあるし、首のソレは霊鬼みたいなモノに触れられたんだと思う。仏様はその霊鬼を封印出来ていないんだから、ここは神様の出番って事で! それに、仏様を守護する中には元がインドの方に居た神様も居るし、問題ないでしょ!」
何だか適当にも程がある。でも、それを言っているのが神の仕いなだけに、適してはいるんだろうけど、納得が行かないのは僕だけか?
あれ? そういや“使える”って、オカメは姉が神の御業を賜っている事までは知らない筈だ。
僕の知らない内に知らされたとか? いや、違うな。オカメのそれは姉を信奉する信者の発想から出て来た言葉で、“使う”の意図する視点が違っているに違いない。
てか、別に体調が悪くなった訳でもないだけに、ここまで解決された今では、僕の隣で心配そうな顔をして寄り添う鬼頭さんの心遣いが、ちょっぴりくすぐったい。
姉とオカメなんか僕の首に残された手の痕を見ても、“この手のモノ”に慣れ過ぎているのか、慌てはするけど冷静そのもの。おそらく、妙に落ち着いた僕の思考も二人に感化されて培われたものだと思う。
姉が僕を呼び寄せた理由は、本堂の北に位置するここには小さな池が在るから、水神様の力を用いる為にと水場を求めたのかも知れないが、どうにもこのお寺の敷地は居心地が悪い。
池中の亀石には何かが巻かれていたのかそこだけ草や藻も無く、しめ縄のような奇妙な模様を残しているのが不自然にも見える。
「もう大分薄くなってるし、圧迫痕というより温度差によるモノかもね」
姉は霊鬼と冷気をかけて話しているのか、駄洒落にして笑い話で済まそうとでも言うのだろうか、また少し軽く考え始めているのかは判らないけど、釘を差さないとイケない気がした僕は口を挟んだ。
「いや、僕の首に手の痕を付けたのは表門で」
けど、あの脅威を感じたモノについてを語ろうかとしていたその時、お堂の中から漏れ聴こえた大人の怒鳴り声に皆が耳を傾ける。
『それでどうして売ろうなんて話になるんだ! 檀家の俺等に確認もしねえで新しい出資者が現れたからっておめえ、坊主が金に目が眩んで寺を売りましたって、可笑しいだろおめ、そんなもん馬鹿でも判る話だぞ!』
後に続くそうだそうだの掛け声と共に怒気を上げる檀家さん達と思われる声の主は五人程、住職が言い訳をしているのだろう無音の間が数秒、直ぐにまた怒号が響く。
『法律に適ってるかどうかなんて聞いてねえだろ! 倫理に反してるつってんだよ! 坊主が人の心逆撫でしてどうすんだおめ! ろくでもねえ、アッチャコッチャ勝手に切り売りしやがって、坊主が金の亡者なんて地獄に落ちる道以外ねえじゃねえか!』
そうだそうだと無音の次に聴こえた話は、姉が興味津々で瞳を煌めかせ、檀家に肩入れするかに肯きを返す内容だった。
『先代も生臭だったが婿のおめえよりはまだマシだったい! アレも突然逝っちまったけど、まさかおめえが殺ったんじゃねえだろうな? そもそも本堂を囲う庭まで駐車場にしちまって、盆踊りで収益が出ました。って、おめそれ寺の信用価値下げてどうすんだ!』
そお、姉の睨んだ通り、子供の僕達が諸場代を払わされていたって話だ。
『そんでおめ、出資者が別の宗派の宗教団体で、唆されて買い取ったのが警察署って、どういう利権だ? この前事件が発覚したばっかで何で警察署が寺の土地を買うって話になるんだよ、ちゃんと説明してくれ! 』
正直、『盆踊りで収益が出た』て所以外は僕に理解出来る話は全く無いけど、姉はノートパソコンで宗教法人法とか調べていたし、僕等が飽きても聞き耳を立てている辺りからして理解出来ているのかもしれない。
と、僕は期待を寄せて姉を見ていた訳だけど、“壁に耳あり障子に目あり”をお堂の板間が判らせるその見た目が、教科書に出て来る如何にもなお寺の絵面みたいで僕はニンマリとした笑みを浮かべていたようだ。
「なんかキモい」
て、さっきまで心配してくれていた鬼頭さんに言われて昨日の事を思い出し、今更に謝罪の気持ちを心に浮かべれば苦々しい顔にもなる。
「なるほどね。よし、もう悟も大丈夫そうだし、今日は帰ろう!」
五分程して唐突に姉が発した台詞に僕は賛同していた。それは何処となくいつもの姉らしさを感じたのもあるけど、姉の顔が何かの確信を得たように思えたからだ。
「待って!」
けれども鬼頭さんは“波打つ暗影”を見た場所を指し示していないと気付き、皆を連れて池をお墓の並ぶ北から回り込んで本堂の西側へと向かって歩く。
本堂脇を南下したら、鐘撞き堂と手水舎のある表門から延びる通りを西へと曲がり、西のお堂へ向かう中庭の通路から見える壁を指差し告げた。
「ココから見える、あの壁の辺り」
西に建つお堂の手前には中庭があり、北は墓地だが南側の低木の向こうには壁がある。壁の向こうは何も無い空間で、その空間には何かが置かれていたように思えてならず、違和感がハンパなくて鬼頭さんが気になって見ていたと言う話も頷ける。
年末には人の往来を制御するのに順路が敷かれていたらしく、昼間に見なければ壁の向こうが何も無い空間である事すら判らなそうだ。
僕がこの場所を昼の今ですら薄気味悪く感じているのは、表門から近い事もある。
僕が黙っていたから姉もオカメも鬼頭さんも、門に現れたあの脅威を放つ何者かの存在を今尚知らない訳で、昼間だから恐さも半減しているけど、今が夜ならこんな所に居ようなんて絶対に思わない。
仮に盆踊りで人が集まったなら、ぼんぼりや出見世の灯りで多少は明るさもあるだろうけど、アレが霊鬼だとして、今封じ込めないと盆踊りの最中に人を襲いたい放題になるんじゃないのか?
と、そんな不安と疑問を残してもいるけど、何よりも今は皆の危険を回避する事の方が大事に思えて、さあ帰ろう! と、急かす姉に僕は賛同するばかりで弱気の虫に負けている。
同じ道を辿って駐車場へと戻り、ホッとしている自分はあの脅威を恐れに変えたと気付いて後ろめたさを残してしまっているけれど、先ずは家まで帰る事が大事に思えて気を引き締めていた。
でも、自転車で帰る道すがらにスーパーを見付けた姉は、ジュースとアイスを皆に驕ると豪語していて、シンデンさんとのやり取りを知るだけにその様子が笑えて、帰途に気が抜けてしまった。
それが影響した訳では無いと思うけど、首に付けた手の痕は霊鬼が残滓を辿り寺を抜け出す為だったのかもしれない……
■あとがき
▼備考
・吉川線とは
大正時代、警視庁鑑識課の吉川澄一課長が、被害者の首に出来た傷痕を殺人事件の証拠とした事を起とする絞痕を云う警察関係者の使う隠語。




