「響鳴の波紋」〜手〜
道の対岸を屋根の付いた塀が防壁の如くに立ち塞ぐ、門を探すと右手にそれっぽい門構えをした他より高い屋根が見えるが、自転車を駐めるのに先ずは駐車場へ行かないとだ。
盆踊りのポスターに描かれていた簡易マップを思い出し、会場となる駐車場と門の位置を今居る位置に重ね見る。
門の先には左へ入る道があると気付くが、僕に言われずとも姉は航空写真で憶えていたのか既に信号のボタンを押していたようで、道を渡って先を行き、四車線を有する大きな通りだからと歩道を行くが、この辺りには店も人通りもなく問題ない。
けれど、塀が途切れた先の大きな看板に“警察署”の文字が見え、どうやらお寺の隣か更に奥かにあるらしく、あの刑事もここから来たのかと思うと何とも言えない気持ちになる。
門が近付くにつれ屋根の高さに驚かされるが、儲けを言うお寺にしては素朴な門構えにも思えてしまう。勿論、小学生の僕に日本建築の高い安いが判る筈もないけれど、その門だけが新しいって事は素人目にも判る。
歩道をチンタラと走って何の気なしに門の奥を覗き見ていた僕の真横で、前触れもなく鳴らされたクラクションに心よりも先に身体が驚き、身体の反応に驚かされた。
――PHAAAAAA――
その一瞬に僕は何かを見た筈なのに、間近で聴かされた轟音で脳も背筋も萎縮したのか、肘の辺りまでが硬直したせいでハンドル操作も記憶に残すもままならず、転倒しかけて焦った僕は反射的にブレーキを掴むだけでも精一杯。
足を付いて下を向き、高鳴る鼓動と呼吸を落ち着かせ、息を吐き出し前を見る。と、鬼頭さんはバランスを崩すもお寺の塀に手のひらを押し付け、腕の力で何とか転倒を防いで堪えていたと判らせる。
オカメは怒る姉に同調しながら走り続け、クラクションを鳴らした車の方を向いている辺りからして、あの冷たい目で睨みドライバーを呪っているに違いない。
当の車は信号で途切れた先頭なのか、前方の車両は遠く離れている事からも、あのクラクションは僕達への嫌がらせで間違いない。
「鬼頭さん、大丈夫?」
「もおっ! 五月蝿いわ!」
車に言っているんだろうけど、僕に言っているようにも聞こえる日本語がややこしい。
車は少し先を左折して見えなくなったが、姉とオカメはクラクションの音に腹よりは軽く怒気を立てて文句を返し、僕と鬼頭さんが立ち止まっている事にも気付かずに、そのまま走り続けて塀の角を左折した。
僕の右耳は未だにクラクションの轟音でエコーが響いているように聴こえるせいか、右と左とであの世とこの世の音でも聞かされているみたいで気持ちが悪い。
鬼頭さんの見た“波打つ暗影”が出現した寺を隣に、あの世とこの世を意識した途端、門の奥から悍ましいモノが覆い被さって来るような感覚に襲われ、昼間なのに気味の悪さを感じて悪寒が走る。
塀の一部に見えるベージュが元の色だと思うけど、塀の殆どは日に焼けたのか赤みを帯びて人色にも見え、裏には墓石が並んでいると気付けば人色に染まった理由に忌避なるモノを浮かべてしまう。
――PUWOOOOOOO――
今度は少し離れた場所から高校野球の開始と終わりに聴くような防災無線のサイレンが鳴り響き、未だ波打つ僕の鼓膜はサイレンの波長を変調して揺らいでいるのか、甲高い音と共に人の可聴域とは思えない低くて重たい音を混ぜて頭の中に響かせる。
――BUWOOOOOOO――
右と左で低いと高いが鳴り別けられて、三半規管までもが可笑しくなったように目が回り、頭を傾けようとは思ってもいないのに、右を下に左を上にと、まるでそれが正しい姿勢かの如くに正そうとすればするほどに身体が勝手な補整を加える。
目眩のような気持ち悪さで自転車から降りて目を瞑るも、車道に出たらマズいと思い、バランスを保とうと掴む自転車のハンドルを左に向けてはみたものの、サイレンが鳴り止み目を開いてみると数歩進んでいたのか、僕の足は門の中へと向いていた。
思いもよらぬ光景に、あの“波打つ暗影”に引き寄せられたと感じた僕は、ここから離れたいのに足が竦んで動かない。
右を見ると鬼頭さんは塀際で自転車を立て直している。
自身の足は動かずも、無事を知って安堵に下を向いた僕の目に、鬼頭さんの影が塀の一部で動いた気がして、焦りに声を上げようとしたその瞬間……
門から現れた何者かに首を掴まれ、息が出来ない。
僕の首を掴んでいるのは何者なのかと、門の方へと顔を向けようとするが喉元を捕らえられているせいで動かす事にも力を要し、首が回らずも何とかして見てやろうと目だけを向けるも、僕の視界は歪んでいた。
いや、正確に言うなら、僕の目は透明な何者かを捕捉している。明らかに大人の、それも相当に腕っぷしを鍛えた何者かが僕の隣に立っているのは間違いない。
まだ門の中にも入っていないのに、見えない何者かが僕を捕らえて離さず、引きずり込む訳でもなくただただ僕の首を掴んでいる。
苦しい。けれども首を締められている訳ではなく掴まれているだけで、殺すでもなく捕えた獲物を睨み見ているような、不気味さや恐怖よりも脅威を感じるそれが顔を近付け迫りくる感覚が襲い、僕は細かに震えていた。
だが同時に、希望の一手に落ち着き始めてもいた。何故なら、その時僕は首から下げたあの玉虫色のお守りを掴もうとしていたから。
『こちらは、防災〇△□です。市内の気温が35度を超えました。熱中症などに注意して、無駄な外出は控えましょう』
間の悪い防災無線のアナウンスが、またも頭の中で右と左に低いと高いに別けた奇妙な声を響かせる。
まるで隣に立つ何者かの声にも聴こえるそれは、左右の位置から違うと判るが、右側にも何者かが居るようにも感じられ、気持ちの悪さと脅威を増幅させた。
首に力を込めているせいで、左手は身体に傾く自転車を支えようとハンドルを握ったまま力を緩める事も出来ずに離せない。けれどもサドルに置いていた右手は今尚自由に動かせる……
我慢ならない状況に、僕が玉虫色のお守りを掴もうと右手を動かした途端、左に立つ透明な何者かは慌てたように手を引っ込め、首が回ると僕の視線は引っ込む何者かを追っていた。
けれども左へと向けていた視線は、左へと向ける首の回りに即して視線を右へと戻すが間に合わず、完全に捕らえる事は適わなかったが、透明な何者かが居たのは間違いない。
空間の歪みに波打つそれが鬼頭さんの語っていた“波打つ暗影”なのだろう事は言うまでもない。けれど“波打つ暗影”の話を思い出したら鬼頭さんが気になり右を向く。
鬼頭さんは僕の方には気付いてもいない様子で何よりだけど、僕なんかよりも余程に不安を感じているに違いない当事者なのに、僕と二人で居る不安に姉を追いかけようと、逃げるに前を向く姿勢を見せていた。
僕は心の中で不甲斐なさを謝りながら、空を握っていた右の手を開いて見詰め、頬を軽く平手打ちして声を上げた。
「左に曲がれば駐車場がある!」
「知ってる!」
「え? あっ!」
そらそうだ。今更に気付いたけど、鬼頭さんは年末に来ているのだから場所から何から知っていて当たり前。
いや、むしろ何でここまで誰も道を訊かなかったのか、意味がわからない。
僕は玉虫色のお守りに手を当て、一度だけ門を確認するが何も見えず、一刻も早く姉と合流しようと鬼頭さんを追ってその場を離れた。
角を曲がり駐車場が見えると、僕と鬼頭さんを待っているでもなく、姉とオカメは広い駐車場の端に沿って塀際の何かを探して下を向き、奥まった花壇やベンチや自動販売機に加えて、裏戸の奥間や放水用の蛇口までもを覗き込む。
自転車を駐めて声をかけようと近付くと、姉は下を向いたまま手のひらをコチラに向けて制止する。
「塀から離れて待っていて!」
と、一言を告げチラリとコチラを見るも、直ぐに視線を下へと向けた姉は落としたコンタクトレンズを探すかの姿勢で慎重に足を運んで先を行く。
僕と鬼頭さんは黙って戻る他になく、姉の塀際を嫌う台詞にも、既に体験して来たばかりの僕だけに、姉とオカメも何かを見たに違いないと察しがつく。
とはいえ、二人が何を目して下を向くのかまでは判らないまま、日向に立って既に五分以上を費やしている。
向こうの端まで辿り着き、戻って来るのかと思えば今度は駐車場のアスファルトの上を熱心に見つめて歩き、北側からマスを埋めるように右往左往と歩き回って何かを探す姉とオカメ。
駐車場の隅で置き去りにされた僕と鬼頭さんは、何をするでもなくただただ下を向いて歩き回る姉とオカメを見守り続け、出来る事と言えば、車が駐車場に入って来たなら大きな声で知らせようと、広大な駐車場を彷徨う二人と出入口を交互に眺める程度。
ただ、昼の陽射しが駐車場のアスファルトを熱しているのに、どうにも薄暗く見えているのは何故なのか、それを口にしたら“噂をすれば影がさす”かにも思えた僕は、あの話をすれば、またあの何者かを呼び込むような気がして口を噤んでいた。
何を語るでもなく更に五分程が経ち、姉とオカメは駐車場の半分を超えた辺りまで来ていたが、鬼頭さんがポツリと溢した一言は、この十分程を何を考えて見ていたのかも丸わかりで笑ってしまう。
「掃除ロボットよりも効率的だよね……」
今さっき僕自身に起きた脅威も忘れ、二人には申し訳なくも笑ってしまい、妙な罪悪感に苛まれるけど、気遣いに明るく振る舞うでもなく、何処かオタク気質で笑えてしまう鬼頭さんだからこそ、怯える姿に助けたいと思えたんだと今更に気付かされた。
鬼頭さんは決して弱くはないと知っているし、聴いた話を事実と知った今には怯えた理由も頷ける。
それでこのお寺まで来た訳だけど、さっきの脅威もあってかいつの間にか視野狭窄に陥っていたようだ。
笑った事で上を向き、広い空から駐車場へと視線を落として見渡すと、先程感じた違和感の正体も見えて来た。
〈やっぱりこのお寺、何かが可怪しい!〉
思えば、この駐車場は盆踊りの会場になるほどの広さがあるのに、今駐まっている車は六台だけ。
ここに何台駐められるのかも判らないけど、看板には一時間八百円と書かれてもいて、時間貸しの駐車場とはいえ現状を見るに採算が取れているようには思えない。
その一方では、上っ面の置物を変えて土地を寝かせ、高値で売るような小狡いやり口をしてもいる。
どうにも同じ人がしている商売とは思えない二つの顔にも、姉の言う宗教法人法が関係しているのだとすれば、これにも何かしらの理由があるのかも知れない。
空を見た後に視界が青くなるのをヒントに、ここが暗く見える理由も何となしには理解も出来た。
光の屈折率を学ぶプリズムを用いた実験で、光を取り込む一面に色の付いたセロファンを当てると、反射する特定の光を軽減させる効果が有る事は知っている。
道を挟んだ東側に建つ五階建ての青味がかった壁がまさしくソレだ。
昼を回ったばかりで太陽が西へ傾くにはまだ早い。けど、五階建ての壁面の照り返しが駐車場へと落ちているのに、五階建ての青味がかった壁は反射低減フィルムのような効果が有るのか、影ではなく濃紺の色を付けた光が菱形に駐車場を覆っていると気付く。
けど、習ったとはいえ何色が何色の波長を低減させるのかの答えまでは、今はそこまで覚えていない。
「なあ、鬼頭さんって理科得意だっけ?」
はああ? とでも言いた気な顔でコチラを向いた鬼頭さんだけど、僕を見る瞳がみるみる内に大きくなって、まるで恐れる何かを見るような表情へと変わった刹那、僕の腕を引いて正面を向かせた。
「何? なんだよ!」
「カメ! アンタ何されたの?」
鬼頭さんが見詰める視線に答えを見付け、僕はハッとし首へ手をやり触ってみるが、傷があるでも血が付くでも無く、一先ずに安堵したけど鬼頭さんの顔は真剣そのもの。
「首、どうなってんの?」
「うっ血してる。紫色に……手の形をして……」
■あとがき
▶*2
本連載「命を翔ける七日間」に掲載されている内容を含みます。




