「響鳴の波紋」〜難〜
「大丈夫?」
席へ戻ろうとする姉に声をかけて来たのは、泉公園の噂を調べに来た数日前、僕達に一つの真相を教えてくれた司書のおばさんだった。
おばさんの顔を見て口元を緩めて涼し気に肯きを返した姉は、何かを握る右の拳をおばさんへと向け突き出すと、問いには応えず違和感だらけの言葉を返す。
「エントランスの防犯カメラ、あれにこの音を付ければ全部解決すると思います。これ、買い取ってもらえません?」
そう言って開いて見せた手のひらには、チョコボールの箱サイズをした小さな何か、その形状に見覚えがあるような気がした僕は記憶を探る。
多分、あれは五百円位で売っていた電池式の安物ボイス・レコーダーの中古品だ。
春休みに姉がパソコン専門誌を求めて入った古本屋で、瞳を煌めかせた姉が「これ、何かの時に使えるかも!」とか何とか言って買うのを脇で見ながら、僕は〈何かの時って何だよ?〉て思っていたけど。
まさか、本当に使う時が来るだなんて……
耳障りな会話にも、姉が涼し気な顔をしていた理由を理解したと同時に、何でか少し悔しい気持ちにもなって来る。
それは、ボイスレコーダーを本当に使う時が来たからではなく、僕が姉の涼し気な顔に期待していた何かを、神の御業でもなく姉の力で本当に期待通りにされてしまったと気付いたからで。
報復行為をする訳でもなく、報いを受けさせてしまう手立てを掴んだのは姉の力なのに、心底神の御業を浮かべてしまう自分にだ。
おばさん司書は一瞬考える素振りを見せたものの、直ぐに理解を示して笑顔になり、息を吐き出し応えを返す。
「そうね。この前の借りを返さないとよね。あれ、あなた達でしょ?」
泉公園の件を報道で観て、解いたのは姉だと気付くのも当然かも知れない、事件発覚の当日に図書館でそれについての調べ物をしに来た姉弟が居たのだから。
で、あの時の真相を知るからこそ、今日のコレに借りを返す話として捉えているんだと思うけど、あれは姉の好奇心であって貸し借りの話では無いと思う。
てか、姉ちゃんソレ売るのかよ!
「中古で五百円だったから、ジュースとアイスの色を付けて千円で!」
何で商売上手みたいな台詞を吐いてるのかも分からないけど、聞いていると姉がそれを買った理由も最初から売り付ける為だったようにさえ思えて来る。
僕の脳裏にも”恐ろしカヨ“の通り名が過ぎってしまう程に、姉の台詞が勇ましい。
「ううん、大人が子供にお札を渡すと色々問題になりそうだし、末広がりの八百円で!」
なんだろう、司書のおばさんが姉と同じ類に思えて来る。
「シンデンさん、ちょっといい?」
受付の奥の部屋から顔を出したおじさん司書が、おばさん司書に呼びかけると、首から下げたパスを手にして姉と僕に翳して見せ、また後で! とでも言った感じで姉の手からボイス・レコーダーを受け取り、何事も無かったような顔をして受付の奥へと向かって行く。
「さ、調べないと!」
姉も一仕事終えたような口ぶりで、頭を切り替えテーブル席へと戻り、僕が置いた航空写真の本を二つ手にして背表紙を確認、一方は脇へ置き一方を僕に向けて礼を言う。
姉の中では【ありがとう】と【戻して来て】が同意語なのか、感謝の言葉も都合良く使えば奴隷制度も可能と判らせ、社会の授業で習った話も胡散臭い大人の話に思えて来るけど、僕はやっぱり「んん」とだけ返して神の仕いに使われる身に甘んじるのであった。
そんな事を繰り返しながら隣で適当な本を読み漁っていた僕が少し飽き始めた頃、唐突に立ち上がった姉は何を見付けたのか、自ら席を立って別の本を探しに行く。
姉の気付いた何かが気になり開き置かれた本を覗くが、難読漢字ばかりで読む気が失せる。
姉にコレが読めているのかは判らないけど、コレを手にしていた姉が別の本を探しに向かったのだから凡そは理解していたようにも思えてしまう。
とはいえ、戻った姉が漢字辞書を手にしていたなら話は別だ。
多分だけど、本を読まない子供が増えた理由もソコにある。
今は親のスマホを使えば何でも答えが簡単に出て来る。なのに、態々漢字辞書を読んで調べなければいけない理由は何かと訊けば、大人の応えは調べる力を身につける為だと説き伏せる。
学ぶ為の学び方を学べと叫ぶ大人のそれは、自分達が子供の頃の学び方をアップデート出来ていない事への言い訳にも聞こえてしまう。
だって、それを叫ぶ大人が子供の時には学ぶ方法が辞書しかなくて、ネットやスマホが出たのが大人だったからと今や大人は普通にネットやスマホで調べてる。
僕にとってはネットやスマホがあるのは当たり前で、先の未来にはもっと便利な調べる物が現れる可能性もあるだろうし、脳に直接アクセスするデバイスとか出て、そもそも調べる必要すら無いかも知れない。
そうなったら、大人が学ぶ方法と叫ぶ辞書自体が無くなる可能性だってあるのに、大人はネットやスマホが使えなくなった時の為だと諭す。
そんな未来の空想科学世界を否定的に描いた小説を読んでいたせいか、回りくどい偏屈な思考が僕の頭にこびり付いたような気にもなり、まるで自分が毒されたようにも思えて来る。
エロい本よりも余程にこっちの方が毒書に思えて来るけれど、そんな小説も意外と面白くて何だかんだで半分以上を読んでいたのは、多分カタカナが多いせいだ。
難読漢字も中国から来た漢字が由来、今はアニメも原作厨が多い時代で、社会を教える中では先生が時々アニメを例えに話しているけど、古いアニメで僕達には判らず響かない。
日本語が中国語みたいになったら嫌だなと思うのは、中華街に行った時に看板やメニューが難読漢字だらけだったのを見たからだと思う。
姉が水神様の記憶に照らして語る江戸の頃では、寺子屋で教える庶民の文字は漢字も当て字だらけで特別な決まりはコレと言って無かったらしく。
【あ】の一文字にも、平仮名カタカナ漢字を含めた「あ」と読む四文字の内どれを使っても良く、接続する単語に紛らわしくなければ良いだけだったと聞く。
明治の頃に決まりが増えて、戦後にGHQが漢字を減らした事はテレビでも言っていた。
GHQが何かも知らずに、漢字を減らしてくれたから良い人だと思った同級生が、大人の前でそれを言って怒られたりもしていたけれど、今日のギャル語を知れば日本語はいつかカタカナとひらがなだけになりそうだ。
ふと、思考を巡らす時間の長さに気付いたものの姉が戻る気配はなく、不安になった訳では無いけれど、周囲を見回した所で本棚が障壁となり裏に誰かが居るのかも判らない。
考えてみれば、図書館は死角だらけで迷子になって泣く子が出るのも理解出来るし、同じように本棚を並べる本屋で万引きが多い理由にも合点が行く。
本棚に張り付いた側では本と本の隙間から裏側を覗き見れるが、少し離れてしまえば隙間に潜む目や顔などは認識出来ない。
まるで姉の言っていた”多角的に視る目“を理解出来たとばかりに浮かれていたのか、僕は背後から近付く影にも気付かず、突然肩に触れられ驚き、焦りに肩を竦めたせいか、喉が窄んで甲高い声を上げていた。
「え、ごめん!」
謝る女の人の声を聞き、驚いた事が恥ずかしく思えて言い訳をしようと振り返ったら、そこに居たのはデニム地のシャツワンピを着て、耳の後ろ辺りには髪留めなのか黄色い花を咲かせる爽やかな出で立ちの……
「いや今のは、て、え、何で、何で鬼頭さんがスカート穿いてんの?」
「クーラー効いてて静かだし、近所なんだから別に……て、スカート穿いてたら悪いわけ?」
相変わらずキレ気味に喰いかかってくる辺りからして、ホンモノだ!
いや、ニセモノが居る訳ではないけれど、訊きたい事がある時に現れる偶然は奇跡的とさえ思えて来るのに、相手が鬼頭さんだと悔しくなるのは何故なのか……
多分、昨日理解したばかりの、スカートを穿いていても女子としては見ていないから、というアレだ。
今会えた事は嬉しいけど、逢えて嬉しい訳では無いのに、驚いて引き攣った頬が緩んだせいで僕の口角は上がってしまう。どうやら傍目にはニヤついた顔に見えているらしいけど、何で女子はみんなこういう変なタイミングで現れるのかな!
姉はオカメ…… 文香さんを連れてやって来て、本と本の隙間から僕の様子を覗き見ていたのか、二人の視線がとてつもなく鬱陶しい。
「何ニヤけてんの? イヤラシイ!」
「違っ! 別に……」
続きが出ないのは下心があったからでは無いのに、まるで僕がエロい奴みたいに思われるのは解せないけれど、上がった口角を戻す方法も解らないし、ニヤけた顔を崩せないから言葉と表情がマッチしなくて、自分でも言い訳しているみたいで泣きたくなる。
「で、何でカヨ姉とオカメちゃんが一緒に居んの?」
僕を庇おうとした訳では無いんだろうけど話は移り、鬼頭さんが姉と文香さんの関係性に興味を向ければ、二人も呼応するかに鬼頭さんの方こそどうしてココへ? と、訊ねを返す。
女子が三人集まれば会話も弾むかに思えるけれど、図書館の利用率の高さが物を言うのか、示し合わせたように人差し指を口に当てると静かに移動し椅子を引く。
テーブル席の端で向かい合わせに座り、図書館らしく囁き程度に語らう乙女。
そんな雰囲気を醸し出してはいるけれど、僕の座っていた席は文香さんに取られてしまい、渋々鬼頭さんの隣に座ろうとしたらギロリと横目で睨まれて、一個離れた席に行こうとしたら服を掴まれ座らされ、何だか母親が増えたみたいで凄く居心地が悪くて落ち着かない。
会話を聞いてて思い出したけど、鬼頭さんが居るなら今は文香さんとは呼ばず、オカメで問題ない。
て、何で僕がこんな事まで気を遣わなければいけないんだよ。
で、当のオカメは鬼頭さんの話に興味がないのか、手持ち無沙汰に脇に置かれた空想科学小説を手にすると、目次をなぞり流し読み程度に数ページを捲った所で本を閉じ、横目に冷めた視線を僕へと向ける。
多分これは屈辱ってやつなんだろうけど、返す言葉が見つからず、語彙力の無さが恨めしくも感じるけれど、こういう時の為に読書量を増やしていたのに、本を読んで冷めた視線を向けられるとか……
古いドラマやアニメの再放送にやたらと出て来る”女難の相“ってやつが僕の顔にも出ている気がして、鏡を覗きたくもなるけれど、いつから口角の上がりが治まっていたのか、今の僕はつまらなそうな顔をしているに違いない。
乱高下する僕の口角とは裏腹に、今度は鬼頭さんが僕の心を騒がせる。
「え、仦毎寺?」
姉との会話で図書館へ何を調べに来たかを訊いたのか、姉の応えに妙な反応を見せる鬼頭さんが次の言葉を発するまでの数秒に、僕の頭は何かに気付いて危機を知らせているのに、何に気を付けたら良いのかも判らず身体が怯えたように動かない。
鬼頭さんの事を姉には話していないのに、話していないからこその内心までもが勘繰られてしまいそうで恥ずかしく、バレるかもしれない不安に波打つ鼓動が渇きを生んで喉を鳴らす。
「行った事あるの?」
姉は鬼頭さんの反応を見た上で、調べる理由を語るよりも先に問いを向けてみたが、問いに対する鬼頭さんの反応は明らかに何かを知ると皆に判らせるもの。
昨日の今日だ。同じ思いをさせたくないから調べる事にした筈なのに、怯え方は昨日程ではないけれど、肩の震えに気付いた僕は咄嗟に鬼頭さんを庇おうとして肩に手を置き声を上げていた。
「無理するなよ!」
姉とオカメがキョトンとした顔で鬼頭さんではなく僕の方を向いている。
「あ、……」
肩を震わせただけで無理をしていると何故に判るのかを考えれば、バレるのも当然だ。気持ちで動いた僕は感情を露わに自滅していた。
「悟、何か知ってんの?」
「え、……知って、ない」
「んん?」
嘘は吐いていない。僕が知っているのは鬼頭さんが盆踊りの告知ポスターを見て怯えていた所まで、仦毎寺の何に怯えていたのかまでは僕も知らない。
だからこそ、訊きたかったんだけど……
「二人で運痴の話してて、訊けなかったから……」
「何の話?」
オカメの冷たい目を向けられた所で、訊かれた僕にも何を話しているのか分からなくなっているのに、鬼頭さんは僕の内なる思考とは少し違う形で理解してしまったようだ。
「え、カメひょっとして、私の事……」
「違え! そんなんじゃないよ!」
「シーッ!」
好奇心満々に聞き耳を立てておいて、図書館女子三人は示し合わせたように人差し指を口元に当てて、鋭い視線と息遣いで僕を威嚇する。
行き場のない言葉で喉が詰まったような感覚にもなり、涙を堪えて歯を食いしばり、握った拳を演歌歌手の如くに下げて治めた僕の心は震えていたけど、そんな胸中には興味がないのかオカメが逆撫でるようにニヤついた視線を向けて来た。
「へぇえええ、優しいんだね」
クソぉ! ここぞとばかりに嫌味な眼を向けて来るオカメの顔は、後々までネチネチと僕をからかうネタにする気満々なのが目に見えているというのに、恋愛無知な姉のフォローがややこしい。
「うん、悟は普段から優しいよ!」
姉ちゃん、そういう事じゃないんだよ……
■あとがき
▼備考
*1
本連載の「公園に潜むもの」に掲載されている内容を含む事物を指す名詞。




