「響鳴の波紋」〜図〜
仦毎寺、あの泉公園の土地を市に貸しているお寺の名前だ。
お寺の住職を地主と呼ぶのかも判らない僕だけど、ノートパソコンを凝視した姉が煙たそうな顔で「出た。宗教法人法……」と、口にしたそれが色々ややこしい事情に聴こえてしまうのも、法律の“笠”に隠されている土地の何かが有るからだって所までは理解している。
姉が調べていたネットの中にも、宗教法人法とか言う法律を介した幾つかの怪しい情報も転がっていたみたいだけど、姉が見付けた何かは法律に隠された歴史の中にあるらしい。
お金に関する話とそうでない話、僕が知ろうとしていたのはそうでない話の筈なのに、今はその両方を知ろうとしている。
これは多分、姉の瞳に宿る好奇心に触れたせいだ。
「調べる物は同じでも、角度を変えると違うモノが視えて来る。君も多角的に視る目を養い給えよ、ワトソン君!」
僕の鼻先に指を向けた姉の探偵気取りの顔は直ぐ様崩れ、いたずらな笑顔へと変貌するなり言葉の裏に秘めた『これだからやめられない!』という好奇心を瞳に覗かせる。
物事を多角的に視るより姉の思考を捉える方が困難だという本意を胸に、姉の瞳が見据える社会に潜む別の顔は今の僕には判らない。けど、視えないからこそ先行く不安に感じるそれが悔しくて、気持ちで負けるもんかと声を荒げた。
「誰がワトソンだ!」
姉が言った”調べる物は同じ“とは泉公園の土地の事で、数日前に調べたばかりなのに調べる視点を変えたら違う姿が視えて来たと言う。
公園の土地ではなく、土地の寺を調べた姉は、寺が何故その土地に建てられたのかまでの史実を追い、遺されてはいない所に闇の痕跡を見付けたらしく、数日前と同じように氷入りの水筒を僕のリュックサックに入れた姉は、図書館へと向け自転車を漕ぎ出した。
「今日は余裕あるから、ゆっくり行こう!」
朝から昼食の分まで平らげろと要望し、十時を過ぎた開館直後の図書館へと急かしておいて、言う台詞がこれ。
ゆっくり走る理由も、太陽が降り注ぐ中を行くのに汗をかきたくないだけなのは分かってる。
数日前は夕方とはいえ、立ち漕ぎしたせいで汗が噴き出し、クーラーで冷やすも調べ物をした直後にまた自転車で走って汗をかき、汗を吸い込んだ白装束は砂と排気ガスを食らって色が滲んでいたらしく、夜に気付いた姉が、キーッ! て叫んでた。
汗をかきたくない理由は絶対それだ。
けど、夏の陽射しは雨と同じで相手が神の仕いだろうが容赦なく降り注ぐ。立ち漕ぎして陽を浴びる時間を少なくするのと、陽を浴びながらゆっくり漕ぐのと、どちらが汗の量を抑えられるのかなんて、雨と汗とに濡れるの違いが悩ましい。
ただ、この町の図書館は東南へと伸びる崖線の丘上に在り、傾斜の異なる道が複数あるとはいえ必ず坂を登る事になる。
姉の通う中学校も丘上に在るからどの道を行くのが最適なのかも判っている筈なのに、既にゆっくり走るのを後悔しているのか、上を向いてダレる姉は通学路とは違い気分屋程度に決めているようで、都度に勝手な道を行く。
数日前は速さを選び、少し遠回りで距離は長くも傾斜の緩い坂道を立ち漕ぎで登っていたけど、今日の陽射しを考えれば日陰の多い急斜角の坂道で自転車を押し歩く可能性が高そうだ。
というか、前回と同じ傾斜の緩い坂道へ向かうなら、道の途中には鬼頭さんの家が在る。
どの道を選ぶのかも姉に委ねている時点で声をかける気もないくせに、臆病風に吹かれた言い訳を考えているみたいで後ろめたくも感じてしまうのは何でだろう。
困っている人を助けたいだけ、なのに鬼頭さんに今から調べに行くと伝えたなら、助けたいではなく誉められたいやお礼が欲しいみたいに思われそうだし、好きと勘違いされても困るし、何より姉の”恐ろしカヨ“って通り名を広めるみたいで嫌なんだ。
でも、鬼頭さんが怯えていた理由が姉の見付けたソレなのかも判らない。だから僕は本人に確認しないとなんだろうけど……
汗をかかないようにと走る姉の背中を追いかけながら、答えの出ない考え事をしていた僕は焦げ付くような陽の下で曇る頭を晴らしたくなり、ヤケを起こすようにペダルを回して姉の自転車を追い越した。
「悟?」
「ゆっくり走ってても汗は出る!」
追い越して数秒、何かを吹っ切るように立ち漕ぎして僕に追いつき並んだ姉は、負け惜しみを吐き捨て笑顔を見せて前を向く。
「夏には勝てん。一気に登るよ!」
とっくに焦れていたくせに、とは思うも口にはしない。
遠回りの道だけど鬼頭さんの家に寄る訳でもなく、姉と僕の額に溢れ出る水滴のような汗は、決して涼しくはないのに風に触れる肌が勘違いをするかのようで、風を切ろうと回すペダルに勢いが増す。
それでも頭の何処かで気にしていたのか、鬼頭さんの家を過ぎる折には視線を残して鬼頭さんの自転車を探すも見当たらず、心の遣えが消えたように安堵している自分に気付くと、何だか情けなくて不思議と笑えた。
きっと姉には僕の笑顔が気味の悪いものに思えた筈だ。
夏の陽射しで火照る身体を酷使して、誤魔化す汗をも流そうと、必死にもがき登り切ったら直ぐに左折し脇道を進んで左へ曲がった道の先、住宅街の中に小さな庭園と大きな窓を有する銀光りの建物が現れる。
自転車を駐めたら、先ずは庭園脇の手洗い場で腕や顔に、なんなら足まで身体の汗を洗い流す。これは夏休みに図書館を利用する子供なら皆が知る事。
図書館の館内は弱冷房で、読書に集中する為のクール・ダウン用かは知らないけれど、エントランスはとても涼しく風量も強めで、自動ドアを越えたと同時に「はあ生き返る〜」と口にする人が殆どだ。
有難い事に脇には冷水機が設置されていて、流れ出た水分を補給しつつ内と外から身体を冷やせば、水滴も直ぐに乾いて三分とかからず体温を整え入館出来る。
受け付けに居たのは、泉公園の噂に潜む謎を解こうと来た折に地図を一緒に探してくれた四五十代のおじさん司書で、隣に立つ姉を見て何かを察したように視線を向けて来るから、僕は頭を下げて挨拶すると、おじさん司書は小さな肯きを返して手元の何かに視線を戻す。
「この前持って来た地図、あれ何処に在った?」
姉の問いが聞こえたのか、おじさん司書は顔を上げて僕を見るとニヤリと微笑み、親指を立てて肯きまた下を向く。
その地図を探すのにおじさん司書に手伝ってもらった事を姉は知らない。
知らないからこそ おじさん司書を前にして言えたんだろうけど、おじさん司書はまるで僕に”得意気な顔で姉ちゃんに教えてやりな!“ とでも言うような顔をするからやり難い。
「こっち……」
姉を連れて地図コーナーへと向かい、前回手にした古地図とそれより更に古そうな古地図を二つ、それを僕に渡すと姉は他にも探すつもりなのか上の案内板を見回し、お願いベースで指示をする。
「広いテーブル席にお願い」
そう言い残して歴史コーナーへと向かう姉には、僕の苦悩は見えていない。
開館して間もないからか人も少なく、テーブル席の殆どは空いているけど、窓際の寝そべって読める絵本コーナーが見渡せるからと、幼児の母親が手前のテーブル席でスマホを弄っているのが気になって、窓から離れた薄暗い席に地図を置く。
小学生より下の子供がいる主婦はやたらと苛つき、僕達みたいな子供や優しそうなおじさんに八つ当たる人が多く居る。
子育てのストレスなんだろうけど、その手の苛立ちを敏感に感じ取れるのは僕が子供だからなのかも判らない。ただ、触らぬ神に祟りなしだ。
だって僕は普段から神の仕いの使いをしているから、取説は無いけど取り扱い方は知っている。
「何でこんな暗い方選んだの? 細かいの見るんだから明るい方行こうよ」
ほらね、気を遣った所で意味が無い。難しそうな歴史の本を二冊手にして戻った姉は、主婦の隣テーブルで中庭を向いて座り前回も見ていた古地図を開く、目次を指でなぞって目的の頁で”この町“を探し始めた。
直ぐに見付けて次の古地図をまた開く、三つ開いて二つを閉じたら姉と主婦の間に座った僕に渡して、歴史の本を手にして読み進める。
僕は黙って閉じた二つの古地図を戻しに席を立つ。と、姉は視線の脇に僕を捕らえて口にする。
「最新じゃない航空写真お願い」
果たして、コレをお願いベースと言うのかは解らないけど、僕は「んん」とだけ返して地図コーナーへと向かい、古地図を元の場所に戻して少し古ぼけた航空写真の本を二つ手にして席へと向かう中。
「スマホ弄るなら図書館来る意味無いじゃん!」
勝手にスマホで撮られて怒っているのか、子供を撮るスマホカメラの音に反応したのか、どちらにしても姉が主婦と争うだろう事は予想の範疇。
幼児連れの主婦は虐げられている側のように言われているけど、そんな主婦も群れて集まると強気になるのか五月蝿くて、子供連れとか以前にスマホの使い方で司書さんから注意されているのを何度か見たこともある。
学生の勉強を禁止する図書館が増えていると言う話も聞くけれど、あれは勉強を盾にデスクを占拠したり他人が読んでいる本を奪ったり、それに加えて絵本コーナーの幼児の声が五月蝿いなどと主婦に喧嘩を売った結果とも言える。
喧嘩両成敗とはならずに、声の小さい一方だけが割を食わされ排除される現代社会の闇を観るようで、小中学生と高校生とでは勉強の定義にも大きな隔たりがある様に思えるけれど、僕達もいつ排除されるか分かったもんじゃない。
図書館の静寂を壊さぬ程度に聴こえた姉の台詞は真当だけど、女子中学生が主婦に楯突いたところで大人の卑怯は弱い子供や優しい大人さえも食いものにする。
SNSとかネットに嘘をばら撒き相手を悪者にして終わるのが昨今の常、特にスマホやネットでリテラシーの無い者に対しては、疑問を投げかける人は多いと聞く。
けど、小学生の僕達ですらネットの使い方を学校で教えられているのに、一部の大人が学校でも会社でも習ってはいないからと言って迷惑行為を好き勝手にやっていい筈がない。
勿論、僕だって騒いで怒られる事もある。けど、他人が嫌がると判っているのに敢えてそれをしようとは思わない。どうして他人が嫌がる事に理解が及ばないのか、そこに理解が及ばない僕の方が可笑しいの?
同級生でも他人が嫌がる事してヘラヘラ嗤ってるグループが居るけど、あの子達が大人になっても同じ事をしていたらあんな風に見えるのかも、そう考えた途端にあの主婦の子供が可哀想に思えて来る。
多分、ヘラヘラ嗤ってるグループに付き合わされてる同級生の疲れた顔を見ているからだ。
いじめられてはいないけど、呼ばれる度に嫌な表情を一瞬だけ浮かべているのを見て、〈行きたくないなら、やめればいいのに〉と、常々思ってはいたけれど、そんな相手が母親だったら子供は逃げ出す場所もない。
何だか許せない気持ちが湧いて来るけど、僕は大人じゃないから親の気持ちなんて解らないし、親として何が正しくて何が悪いかなんて判らない。けど、あの子供の事を考えると気の毒に思えてならなくて、僕はふくれっ面で幼児の母親を憎々しく見ているしか出来ない。
ただ、いつもなら悪者にされて終わる子供の姉や僕だけど、ここでの立場は普段のそれとは違っていた。
「確保!」
「ちょっと、何なのよあんた!」
「警察だ! ええと、十一時二十六分、盗撮の現行で逮捕!」
主婦の腕を二人の女の人が両脇から掴みかかると、主婦の顔前に立った四十近い男がスーツの胸ポケットから出した手帳らしきものを翳すも一瞬。
主婦は驚きの表情で黙り固まり何が起きたかも理解しきれてはいない様子で、周りの人達が集まり出した所で、直ぐ様一方の三十近い女が手錠を掛けて主婦を連れ出し外へと向かう。
絵本コーナーに居た幼児をもう一人の二十代だろう女が連れて行き、男は受付で司書さんに防犯カメラの映像がどうのこうのと言って、館の事務所か扉の奥へと入って行った。
あっという間の寸劇に、何が何だかな僕は姉に訊こうとして近付くも、姉は視線で何かを捉え、連れ出される主婦の方へと向かって歩き出す。
「姉ちゃん?」
主婦への怒りが収まらないのか表情険しく、エントランスの方へと向かう姉を追いかけようと、僕は少し重たい航空写真の本をテーブルに置いた。
姉に追い付いた時には、あの主婦が窓を黒塗りにしたバンに乗せられる所で、エントランスに居た子連れの主婦数人がスマホでそれを撮っていて、姉はエントランスの主婦グループを睨み見ていて何に怒っているのかも分からない。
スマホで撮影している主婦グループが連れてる子供達は、逮捕された主婦の子供と同じくらいの年齢で、図書館に集まって騒ぐ主婦グループとして何度か見た事のある顔ぶれだ。
「マジ捕まってやんの。笑えるんだけど……」
エントランスの主婦がスマホ片手に逮捕された主婦を嘲笑い、何処となくいじめのソレを思わせる台詞が続く中、遂には逮捕された理由がエントランスの主婦グループによる虚偽通報によるものと理解出来る話を始めた。
「警察に通報とか、あんたマジナイス! あのバカに何つって撮らせたん?」
「テーブル席の空き具合見せろつったら写真送って来るとか、バカじゃね!」
黒塗り窓のバンを指差し笑い合う主婦の会話が、僕の頭の中で酷く耳障りな音に思えて目も耳も塞ぎたくなる。
子供の事を思って許せない気持ちになった僕だけど、逮捕された主婦もまた、目の前にいる主婦グループに付き合わされていたと判った今、やり場の無い怒りに気持ちの整理が追いつかない。
姉はあの時点で、連行される主婦を見て怒っていたのではなく、それをスマホで撮るエントランスの主婦グループを見付け、主婦を罠にかける為の餌とされた事に気付いて怒っていたんだ。
警察の男が僕と姉の横を過ぎてエントランスへ向かうと、主婦グループは途端に声を潜めて、言葉を選んで男に聴こえる程度に語り合う。
「怖いわ〜、盗撮とか、マジ最悪!」
「ウチ等の子も撮られてたんじゃないの?」
男が黒塗り窓のバンに乗り込むと、主婦の会話はまた変わる。
「上手い! 今の演技最高!」
「二度と出られねえように別の罪状も付けてやろうよ!」
ふと、姉の顔を見ると涼し気な表情を浮かべているようにも見えるのが不思議に思え、何に期待しているのかは分からないけど僕は黙って隣に立ち、主婦グループの酷く耳障りな音を姉と一緒に聞いていた。
黒塗り窓のバンはエンジンを掛けてから五分ほどして走り去り、絵本に飽きた幼児のように手足をバタつかせて興奮冷めやらぬ主婦グループは、会話の盛り上がりに声も大きく、ノリに任せて車でキッズランドへ行く流れとなり、エントランスで拍手をしながら出て行く様は祝勝会そのものだ。
自動ドアが閉まった直後の静けさは異様にも感じられ、忘れていた訳では無いけれど、図書館に居る実感が今更に湧いて来るような不思議な感覚に襲われていた。
■あとがき
▼備考
*1
本連載の「公園に潜むもの」に掲載されている内容を含む事物を指す名詞。




