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洋行記編13 日本現地時間8月10日木曜日AM08:50

 細かく砕いた氷を惜しげも無く奢ってビッシリと敷き詰めている大ぶりの白瑠璃椀の上に鎮座し、良い塩梅に冷やされていてここに集う吞兵衛達を今か今かと待ち構えている世界中の美酒達、と言う全世界の酒カス共が皆心奪われ見目麗しいと思わずにいられない涼やかな演出は、この酷暑の中においてはその見た目だけも私にとって馳走に思えた。


 今朝起きてから最初は必ず泡ものにしようと思っていて、でもビールやハイボール、はたまたジントニックの様なカクテルも『泡もの』ではあるんだが、やはりこの旅路の最初の一杯となればスパークリングワイン系で旅路を祝すのが最適手だ、と勝手に信じ込んでいたりするので、躊躇わずシャンパンフルートを手に取る。


 そしてまだ半分以上は残っているスパークリングワインのボトルを取り出し、手前にある真っ白な布巾で水滴を軽く拭き、シャンパンストッパーを外す。

 左手でグラスを持ち少し斜めにしながら、右手でワインラベルが上になる様にボトルの首根っこを引っ掴み出来るだけ泡が立たない様に静かに注ぐ。


 ソムリエの皆さんが見たらマグナムボトルでぶん殴られそうな注ぎ方なんだが、片手で瓶のピキュール部分に親指を入れて残り4本の指でボトルを支え静かに注ぐやり方が個人的に下手糞なので、この我流で押し通してしまっていたりする。

 両手を使って丁寧に注げば問題は無いんだろうけど、それだとどうしてもフルートに対し直角になるからジャバジャバ注ぐ形になってしまうので、その手段は個人的に選択肢に入らなかったりする。


 まあそれにだ、地元台東区にある週末にはお馬さんかけっこ愛好家の紳士淑女な皆様が足しげく通う様なスタンディング居酒屋なんかでホッピー頼んだりしたら、店の主が焼酎の一升瓶の首根っこ掴んでジョッキに良い塩梅の量をトポトポと注いでくれるのだから、古今東西世界共通の便利な注ぎ方なんだよ、きっと。


 先ず1杯目をフルートの8分目超える位まで注いで完成。本来はもっと少なくお上品に注ぐモンなんだろうけど、どうせ飲むのは私なんだから無問題。半分程度じゃ全然足りねーじゃん。

 もう一つのフルートを持って来て同じ作業で同じ分量を注ぎホイ2杯目の完成だ。

 とそこで次の3杯目を如何しようか一寸思案する。

 同じでも全く問題無いんだが、ここで少しだけ『工夫』するのも悪くない。


 そこで、隣に並べられている数々の美酒達の中からクレームドカシスのボトルをヒョイと取り出す。

 キャップを開けてフルートに目分量で1割程をツーッと注いで元んとこにポイっと戻す。

 次にスパークリングワインをカシスよかチョイとだけ多め位に注ぎ、軽くフルートを回しカシスとワインを混ぜ合わせる。

 すると濃赤紫色したカシスの色がスパークリングワインによってさっと濃ルビー色に変化しフルートの底から沸き立つ泡によって彩られるようになった。ウン、楽しい大人の科学実験だな、これは。

 最後に追いスパークリングワインをフルートの8割位まで注いで完成。


 キールロワイヤルのレシピは本来ならシャンパンで作るのだが、別にスパークリングワインでも十分美味しいので個人的には『きいるろわいやる?』ってことで納得済みだ。こまけぇこたぁいいんだよ。


 一々1杯毎にカウンターに赴くってのも煩雑な作業としか思えないのだが、他方泡モンとかで最初から自分が今回の酒宴で飲む分を全部一度にデンッって持って来るってぇのも飲んでる間に他のフルートやグラスに注いである飲み物の炭酸が片っ端から抜けてしまうし、これまた大変宜しくない。

 ってなると、まあ一度に3杯位が妥協出来るラインなんだろう、って勝手に思って取り敢えず3杯分のフルートを小さいトレイに乗せてテーブルに向かう。

 トレイは普通にビールグラス6杯位乗せられそうな大きさなのだが、2杯のスパークリングワインと1杯のキールロワイヤル(個人認定)だけが乗ると『余白の美』ってのを感じたりもする。トレイ黒色だけど。


 トレイに乗せた一献目をテーブルに置いて、一息つく。

 ようやく朝食だよ。

 朝起きてっからもう5時間以上経過してるんだよね。そら腹も空くし、喉も乾くわ。


 「ああ、ビールじゃ無いんだ」

 「そ、そ」 


 息子と会話してた父がテーブルの飲み物を見ながら言う。

 そう言えば父は泡ものはビールやハイボールが中心で、スパークリングワインとか炭酸系カクテルとかを積極的に飲む事はしない。

 別に嫌いだから、と言う訳でも無いのだが彼の今までの人生の中でシャンパン、スパークリングワインの類を飲む機会が余り無かった上、彼が大人になってからカクテルの名前やレシピ等を知る機会がそもそも絶無だったからそのまま今に至る、と言った方が良いのかも知れない。

 更に言えば、彼は私が成人するまで余り美酒を堪能する事について『人生における教養、娯楽、経験』としての価値に重きを置いていなかったりしてきた。


 昭和の価値観では当たり前だった仕事での接待や会食の場でも自身が飲む事は殆ど無かった様だし、週末の娯楽と言えばゴルフで自身の心身を厳しく鍛え上げる、ってオメェ何処の修行僧だよって余暇の過ごし方をしていたし、子供の頃は家族で外に食事に出かけた際もほとんど酒を嗜む事は無かった記憶しかない。


 ただそれ等の理由はそこまで大きいものでは無くって、彼が私が高校生位になるまで酒をほとんど嗜む事を遠ざけていた一番の理由としては、彼の父親(即ち私にとっては祖父)がまあまあ『お酒でヤンチャ』してた様で、中高生の頃の父が大八車を使ってトラさんになっちゃった御父上を、お呼ばれされた村の寄り合い先までコテコテ昭和でマアマア田舎な真っ暗な夜道を一人でわざわざ出迎えに行って、誰一人手伝う事無く酔い潰れて『へんじがないただのしかばねのようだ』状態の御父上が乗った重みで動かすのにより大きな力が必要になった大八車を家まで歯を食いしばりながら曳き続けた・・・って事が1度や2度どころじゃ無く度々あったそうで、まあそんな経験を何度もすればそりゃ酒飲む事も好きにはならんだろうし、ましてや酒で醜態を曝す事なんざ特に唾棄も忌避もするよなぁって思った次第なのだ。

 やぁ、俺だって嫌だよそんな罰ゲームがウィークリーミッションだった日にゃ。

 それに、彼が大人になってからも兄貴(私にとっては叔父)が仕事での接待酒の度が過ぎて、結局糖尿で体を壊してしまって健康寿命を全う出来なかった、ってのも追い打ちになったと言える。


 よって時期としては私が成人してから以降に一緒に酒を酌み交わす機会が始まり、そこからようやく父は酒を嗜む様になって来た。

 そんなもんだから、じゃあ彼が一人でぷらっと酒場に出かけそこで一人酒を楽しむのか、となったらそんな事は想像もしていない選択肢だそうで彼曰く「別に一人で酒飲みたいとは全く思わない」のだそうだ。

 そこが私とは違う点で、私の場合だと「美味い酒と肴」を堪能する事だったり、「一人酒を楽しんで物思いに耽ること」がとても楽しいし、それ自体が目的化しているので、独り身の頃はそれこそ週末の度に彼方此方の居酒屋とかレストランとかバーとかで色々な酒と肴(この肴ってのは当然美食もあれば音楽もあれば店舗の雰囲気、来客の騒めきなんてのも含まれたりする)の出会いを楽しんでいた。むしろ酒を飲む事に関しては仕事での会食とか接待の方が苦痛で仕方が無い。

 アレはマジで気を使うし使われるし、会話のやり取りに神経を使うから必然的に酒や肴の味が判らなくなってしまい、それは「美味い酒と肴」を堪能する事がプライオリティの上位にある私にとっては苦行というか拷問でしかないのだ。

 

 そんなこんなで、父の場合は酒を嗜むのは私とのあるいは母とのコミュニケーションのツールに過ぎなかったりする。

 無論それはそれで正解だと思うし健康寿命とか考えた場合、摂取量の大小問わず飲酒そのものがリスクって考えもあるのも一応知識としては知っていたりするから、彼等の健康寿命の事考えたらその選択肢は好ましいと思える。

 まあそりゃさぁ健康でいられるからこそ美味しく飲み食い出来る訳で、体が不自由になったら楽しく飲食も出来なくなる、ってのは頭じゃ判ってんだよ、頭じゃ。


 とは言え私の場合だと、楽しく美味しく幸せな『酒と肴のマリアージュ』って奴をアレも良し、コレも良し、全てヨシッ!ってしこたま堪能すりゃ、そりゃ翌朝は二日酔いの着払いギフトを頂く事もしばしばあったりする一方、これまた人生の経験の一つって奴だと個人的には思っているし、『性懲りも無い愚行を重ねるのも人生の醍醐味なんだよ』って酒飲みの強弁の方がお医者さんのマトモな健康に対する警告よりも個人的にはシックリ来ちゃうんだよなぁ・・・

 ま、余り周りに迷惑かけん様にはしたいとこではあるのだがね。


 早速、キールロワイヤルが入ったフルートを手にする。

 目出度いハレの日、この旅路の最初の一献、はてさて一体全体何にこの盃捧げようか?


 普段、仕事関係の会食とか接待の時は普通に「お疲れ様(文字通り)」ってのがデフォだったりするし、アレは仕事の一環だから、それ以外の意味合いが入る余地があんまり無かったりする。


 逆に気の置けない友人達とのイベント終了後の宴会時の祝杯における「お疲れーっすっ!」ってのは「オウ、テメェ等マジ過酷な夏イベ/冬イベだったなぁ。でもスゲェ楽しかったなぁ。これまでもこれからも俺達盛り上がっていこうぜぇっ、ヒャッハーッ!」的なニュアンスが多分に含まれている。


 家で週末家族で食卓を囲む際は「かんぱーい」でこれは、「今までの家族の平穏無事に対する感謝と、今後の平穏無事に対する祈念」って感じになるのだろう。


 しかし悲しかな飲兵衛の拭い難い性なのか、一人酒する時に盃を掲げる際にも、何かしら『言い訳』の類を念じた方が何の気兼ねも罪悪感も無く美味しいお酒と肴を堪能出来るって寸法なのだ。強迫観念の一種なのかも知れんけど。

 まあこの場合隣に父と息子がいるのだが、両名共とっくに飲食が終わっていて、息子の方なんざ何なら今から酒宴とかやらかすコイツ置いてって、ジイジと2人で免税店あちこち冷やかそうぜ的な空気をユンユンと出す始末。


 んなもんだから、こちとら一人飲みのメンタルになっている訳だ。

 で、さてはて何に対して盃を、って話になる。


 手にしたままのフルートを掲げる事無く、ゆっくりと目を薄く閉じ暫し思いを馳せる。

 途端に周りの喧騒が消える。

 目の前にある淡いルビー色をしたキールロワイヤルの泡をぼんやりと眺めながら、意識があちこちに飛んでいく。

 今ここに至るまでの道程を。三者三様それぞれに違う時間軸で積み重ねた日々の重さを。

 三代に渡るそれぞれの縦糸が一つに紡がれるその軌跡を。


 コロナ禍が無ければ、そして父の大病が無ければもっと早い段階で実現出来ていたであろう、その刻がようやく今この瞬間に訪れた事実に至り思わず深く嘆息する。


 「どうした?手に酒持ったまま固まって」


 と父が怪訝そうな顔して言う。

 息子の方もチラリとこっちの方を見る。

 その両者の顔を改めて私は確認し、


 「ここまで歩み続けた。積み重ね続けた。乗り切り続けた。その結実としての今この瞬間に対して」


 と心から思っていた事がするすると口から言の葉として流れ、両名の眼前にこの盃を捧げた。

 噓偽りの無い私の本心を前に、息子は「何を大げさな」って顔をしながらも何か思うと所があったのか鼻をかきながら考える様な仕草をし始め、父は少しだけ驚いた顔をした後にかすかにはにかんだ。


>ツーッと注いで元んとこにポイっと戻す


 元ネタは古典落語「つる」です。

 ネタバレになるから細かく言えないけど、まあくだらなくって面白いんで是非一聴してみて下さい。

 ネタ自体は簡単なんですけど、それ故に演者の技量が問われるってカクテルで言えばジントニックの様な御話だったりします。


>こまけぇこたぁいいんだよ

 

 個人的にはネットでのAA(アスキーアート)を使ったスラング、って印象で覚えてたりするんですが元ネタが実は平松伸二先生の作品『マーダーライセンス牙』が初見だって話でビックリ。


>へんじがないただのしかばねのようだ


 ドラゴンクエストシリーズで登場するお約束メッセージですね。

 ネットじゃ『へんじがない』以降のセリフで二次創作パロや大喜利大会がしばしば開催されていて、皆さん余りある才能の無駄遣いに余念がありませんw


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