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ピアニスト桜井百合による謎解き小曲集  作者: 木原式部
第三章亡き王女のためのパヴァーヌ
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恋をするなら⑥

 栄一と顕のいる部屋にやってきた男は、中津川(なかつがわ)友則(とものり)と名乗った。


 人の良さそうな笑みを浮かべながら渡してきた名刺には、画廊の名前が書かれている。


「お客様がいらっしゃると言うのに、無理を言って申し訳ございませんでした。それで、そちらの方は?」


 友則は栄一に視線を向ける。


「失礼、彼は私の友人だ。私に話すことは何でも彼に話して構わない。話を口外することもない」


 栄一は友則に名刺を渡しながら、友則を観察した。


(――画廊ということは間違いなさそうだな)


 友則は栄一の名刺を見ると、その笑みを一瞬真顔にした。


「これは驚きました。お名前は存じ上げております。まさか、有名な探偵が西村さんのご友人とは」


「私と栄一は大学時代の同級生なんだ。まあ、そんなことよりも中津川さん、お話をお伺いしてもよろしいでしょうか?」


 友則が栄一と顕の向かいのソファに座ると、テーブルに置いてあった紅茶の湯気が意味ありげに揺れた。


 友則は部屋の壁に立てかけられている「マンハッタンの少女」の絵に目をやる。


「エイデン・モーガンの『マンハッタンの少女』、とても素晴らしい絵ですね。間近で見られて光栄です」


「そうですね、とても素晴らしい絵だ」


「しかし、この絵、気になるところがあるんです」


 友則の言葉に栄一は目を見開いた。


「気になるところ? どこでしょう?」


 何も知らない顕は、特に深く考えずに質問している。


「まず、この絵の右下にはエイデン・モーガンのサインがありません」


「ああ、それは画廊から聞いています。今回見つかった絵にはすべてサインがなかったと。ただ鑑定をして、現存しているエイデンの絵と同じ人物が描いたという結果は出ていますから、間違いはありません」


「いえ、サインだけではないんです。この絵で桃恵さんはネックレスをつけていますよね?」


「ネックレス? 確かにつけているが、このネックレスが何か?」


「気づかれませんか? どうして桃恵さんはこのネックレスをニューヨークのマンハッタンで身に着けているのでしょうか? 


 前に親戚の結婚式に桃恵さんが来た時、席が近くになっていろいろとお話したことがあります。


 桃恵さんは『本当はおばあさまの形見のネックレスをつけてきたかったけど、金属アレルギーになってしまって、もうつけられない』と残念そうに言っていました。


 そのネックレス、とても素晴らしいもので、桃恵さんのおばあさまがつけていたのを覚えていたんです。この絵のネックレスと同じでした」


「ちょっと、失礼!」


 我慢できなくなり、栄一は会話に無理やり割って入った。しかし、遅い。顕はもう何かに気づいたような表情をしている。


「栄一、もしかして、お前、気づいていたのか?」


 顕の問いかけに栄一は頷くしかなかった。そして、顕の代わりに友則に話し始める。


「つまり、こういうことでしょうか? この『マンハッタンの少女』はエイデン・モーガンが描くのは不可能だと。


 アレルギーを持っている桃恵さんがネックレスをつけてニューヨークへ行くわけがない、エイデン・モーガンが知りもしないネックレスを描けるわけがないと」


「そうです。そして、私はこの絵を描いたのは、桃恵さんの叔父さんである湊人さんだと思っています。いえ、この絵だけではありません。エイデンの中年期以降の絵はすべて湊人さんが描いたと思っています。


 つまり、湊人さんはエイデン・モーガンのゴーストライターだったということです。


 お話しするのが遅くなりましたが、私は湊人さんとは同じ美大出身なんです。遠いとはいえ親戚なので、在学中は随分仲良くさせてもらいました。まあ、勝手に絵のライバルだと思っていました。


 私は金銭的な理由があり、美大卒業後はこうやって画廊で働いていますが。湊人さんはいろいろな場所で絵を学んだあと、ニューヨークへ移住していましたね。


 偶然かもしれませんが、湊人さんの絵はエイデン・モーガンと似ているところがあります。そして、湊人さんは模写が天才的に上手かった。まるでコピー機で写し取ったかのように描くことができたんです。


 確か、湊人さんはエイデン・モーガンの絵を専門に取り扱っている画廊で働いていたんですよね?


 エイデン・モーガンは中年期、事故で軽傷に遭い2年のブランクがある。世間は『事故から見事に復活した』と言っていますが、軽症なのに2年もブランクがあったのはどうしてでしょうか?


 その間に治療をしたが、回復しなかった。そして、湊人さんがゴーストライターになったのではないでしょうか?

 

 湊人さんがエイデン・モーガンのゴーストライターだったと世間が知ったらどうなるでしょうかね? きっと美術界がひっくり返るスキャンダルになるでしょう。


 湊人さんは亡くなったとはいえ、西村財閥のトップの西村顕さんの奥様。きっとそのことも大きなニュースに……」


「何が言いたいんだ?」


 顕が友則の言葉を遮った。友則はまるでその言葉を待っていたかのように顕に笑みを向ける。


「湊人さんの話、条件によっては口外いたしません」


「その条件は何だ?」


 友則の話を聞いた顕は小切手を取り出し、友則が言ったよりも多い金額を書いた。そして、友則に小切手を突き出す。


 友則は笑みを浮かべたまま小切手を受け取り、大事そうにカバンにしまった。


「ありがとうございます」


「本当にゴーストライターのことは誰にも言わないんだな?」


「もちろんです。さすがにこれだけのものを受け取って口外してしまったら、私の命も危ないです」


「そんなことはしない!」


「そうですよね。あなたは義理堅い人です。今日は突然押しかけたにも関わらず、お話を聞いていただき、ありがとうございました」



 友則が出て行った後、栄一と顕はしばらく口を利かなかった。


 最初に口を開いたのは顕だった。


「栄一、私はもう少し考えた方がよかっただろうか? 桃恵の名前を言われてしまって、つい早急に行動してしまった。


 桃恵は湊人さんをとても慕っていた。湊人さんは繊細な青年だったし、亡くなっているとは言え、こんなスキャンダルに巻き込ませたくなかったんだ」


 顕は後悔しているような表情をしている。


 栄一は顕の言う通り、もう少し考えるべきだったかもしれないと思った。財閥のトップの人間としては、確かに早急な行動をし過ぎたと感じる。


 しかし、栄一も自分の妻の葵の名前を出されたら、早く事を終わらせようと焦ってしまうだろう。人間とは大切な人が絡むと、冷静な判断ができなくなるものだ。


「いや、桃恵さんの名前を出されたら仕方ないだろう。それに、あの中津川という男がゴーストライターのことを口外するとは考えられない。ただ……」


「ただ?」


「『マンハッタンの少女』、あの絵をこのままにしておくのはマズい。ネックレスの件に気づく人間がいないとは断定できない。


 あの中津川と言う男、桃恵さんが結婚式でアレルギーの話をしていたと言っていたよな? 聞いていた人間がいるかもしれない。絵の存在を世間から隠した方がいい」


「確かに。しかし、どうすれば? 私がこの絵を買ったことはニュースになってしまったし、達也にはプレゼントすると約束してしまっている」


「まだ、達也君の誕生日まで時間がある。何とかこの『マンハッタンの少女』の絵を世間から隠す方法を考えよう」

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