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ピアニスト桜井百合による謎解き小曲集  作者: 木原式部
第三章亡き王女のためのパヴァーヌ
90/100

カトレアのネックレス⑥

「達也は湊人さんの描いた絵を見たことはある?」


「えっ? いや、そう言えば、見たことないかも」


 達也は母親から湊人はとても絵が上手かった、という話を聞いたことはある。しかし、肝心の湊人の絵を見たことがない。


 母親の桃恵と湊人は仲が良かった。桃恵が湊の絵を一枚くらい持っていても良さそうなものだが、達也の実家にはそれらしき絵はなかった。


(――あれっ?)


 達也は何か胸騒ぎを覚えた。たまたま桃恵が湊人の絵を飾っていなかっただけかもしれないのに、この事実に達也は何か引っかかりを感じるのだ。


「達也の実家には湊人さんの絵はなかったの?」


「うん、なかったと思う。そう言えば、母さんが『湊人おじさんはあまり絵を描かなくなったみたい』と言っていたような気がする。もしかすると、画廊に勤めている間に画家になる夢はあきらめたのかな?」


 達也は言いながら、もし自分が湊人と同じ立場ならどうだろうかと考えた。


 例え自分の小説が日の目を見なくても、他の職業に就いたとしても、一定の量の小説は描き続けるだろう。作家になれる望みがなくても、自分みたいな人間は小説を書くことを止められない。


 達也が自分の言葉に疑問を持った表情を見せると、百合は小さく頷いた。


「湊人さんは達也に似ているのよね? 画家になることを諦めたとしても、絵を描くことは止めないでしょうね」


「じゃあ、湊人さん、絵は描いていたけど、誰にも見せなくなったということなのかな?」


 百合は「マンハッタンの少女」の画像を見ながら達也が言うのを、黙って聞いていた。


 百合があまりにもジッと「マンハッタンの少女」を見ているので、達也は百合がその画像の中に何かヒントを見つけたのかとさえ思った。


「誰にも見せなくなった、か。それはどうなんだろう? 達也は湊人さんが勤めていたという画廊の名前、知っている?」


「ううん、知らない」


「そう。確認したわけではないけど、エイデン・モーガンの絵を取り扱っていたとすると、この画廊だと思う」


 百合は自分のノートパソコンの画面を達也に見せた。そこには「William Gallery (ウィリアム・ギャラリー)」という画廊のHPが写っている。


 真っ白いシンプルな外装のビルに、ガラス張りの出入り口。如何にもニューヨークにありそうな近代美術の画廊だ。


 達也はシンプルなフォントで描かれている「William Gallery」の看板を見て声を上げた。


「この看板、母さんが昔見せてくれた写真の中にあった。多分、この画廊で間違いないと思う。湊人さん、若い頃にニューヨークへ行ってしばらくはバイトしながら絵を描いていたけど、この画廊に就職して、それ以来ずっと働いていたと言っていた」


「ここは前々からニューヨークで有名な画廊だったけど、エイデン・モーガンの絵をほぼ専属で取り扱うようになってから、ますます有名になったみたい。ちょうど、エイデンがこの絵を発表した頃ね」


 百合はさっき達也に見せた、頭に猫を乗せたロックスターの絵の画像を出した。


「この絵も素晴らしい絵だよね」


「うん。ちなみにエイデン、この絵を発表する前に交通事故に遭っているの。交通事故に遭った原因は浮気相手の女性とドライブ中に、その女性の旦那さんの車とカーチェイスをしたから」


「それ、ネットの記事で見た気がする」


 達也は心の中でため息を吐いた。エイデンのことを調べると、浮気相手の旦那とカーチェイスしたとかエイデンを巡って喧嘩をしている女性たちを何食わぬ顔でデッサンしていたとか、そんなエピソードばかり出て来るのだ。


「カーチェイスの末、かなり派手にクラッシュしたらしいけど、エイデンは軽症で済んだみたい。でも軽傷の割には、その後創作活動には2年ほどのブランクがあったの。


 この猫を頭に乗せている男性の写真は、そのブランク後に発表した作品の中の一つ。なぜ2年もブランクがあったのかという質問に、エイデンは『事故がショックだった』と答えているけど、本当だと思う?」


 パソコンの画面を見ていた百合がふいに自分の方を向いた。達也は百合と目が合い、改めて百合との距離が近いことを感じた。


「本当って?」


「今までのエイデンのエピソードを調べると、たかが軽傷の事故で2年のブランクが必要なほど傷つく性格ではない気がするんだけど。達也はエイデンが主人公の小説を書くとして、エイデンが事故にあったら2年もブランクが必要だと書く?」


 達也は無意識に自分が首を横に振っていることに気づいた。


 芸術家は繊細な人間が多い。エイデンにも繊細な面があるのかもしれないが、軽症の事故で2年のブランクが必要な性格ではないような気がする。


 なにせ、目の前で女性たちがエイデンを取り合いしていても、平気な顔をしているような人間なのだ。


「いや、そうは思わない。多分、編集の人に『エイデンはそういうキャラじゃない』と言われそう」


「そうよね。でもエイデンが事故のせいで2年休んだのは事実。この間にエイデンに何があったのかな?」


「それって、どういう意味?」


 達也は百合の含みのあるような言葉が気になった。


 百合は明らかにこの件について何かを掴み、それについての証拠固めをしているようだ。しかし、達也には百合が何を掴んでいるのかはさっぱりわからなかった。


「今、その意味を確かめているの。達也、他に湊人さんのことで知っていることはある?」


「後は……。そうだな、湊人さんは生前、結構日本に帰ってくることが多かったんだ。母さんや当時生きていた両親――僕の祖父母だけど――に会うために。


 母さん『アメリカって、そんなに頻繁に休みが取れるものなのかしら?』と言っていたのを覚えている。湊人さんのことで、思い出せることはそれくらいかな?」


「ありがとう。湊人さんはそんなに頻繁に日本へ帰ってきていたの?」


「そりゃあ、月に一回とかではないけど、一年に二回くらいは帰って来ていたみたいだよ。その画廊は有名だし、長期の休みが頻繁にとれるくらい福利厚生が良かったのかな?」


 百合は達也の言葉を聞いて、首を横に振った。


「アメリカがいくら自由の国とは言え、日本よりも休みやすいということはないの。州によって違うけど、祝日も日本よりは少ないし」


「そうなんだ」


「それに達也が気づかないのは仕方ないけど、ニューヨークから日本に帰るなんて、かなりお金がかかるものよ。湊人さんが勤めていた画廊の待遇がどうだったかはわからないけど、ニューヨークは物価が高いし、日本に来るだけでもかなり大変なんじゃないのかな?」


 アメリカから日本へ帰るのにどれくらいの費用がかかるのか、達也には見当がつかなかった。


 達也も何度か外国へ旅行に行ったことはあるが、その費用はもちろん父親持ちだ。しかも、達也は飛行機が苦手で船酔いしやすいと来ている。成人してから作家活動で自立したとは言え、その印税を外国旅行に使うことはほぼしていない。


 ただアメリカ、特にハワイやニューヨークの物価が高いということは知っている。


 もちろん、湊人が生きている頃の話だから、かなり前のことになる。だからと言って、ニューヨークで暮らすことやニューヨークから日本へ買ってくるのが金銭的に大変なのはそれほど変わらないだろう。


「確かにニューヨークは物価が高いと聞くけど、湊人さんが日本に頻繁に帰ってきたことと今回の件と、どういう関係があるの?」


「直接的に関係はないけど、間接的には関係があるかも」


 百合は腕時計に目を落とした。「もう、ラウンジ『リリア』はとっくに閉店しているか。今日、エイデン・モーガンについて考えるのはとりあえず止めて、明日、『リリア』に『マンハッタン』の絵を見に行きましょう」


「『マンハッタン』の絵を? どうして?」


 今まで話題にしていた桃恵をモデルにした「マンハッタンの少女」の絵。その「マンハッタンの少女」の絵から桃恵をなくした風景画のバージョンが、ラウンジ「リリア」に飾られている「マンハッタン」の絵だ。


 もしかすると、あの「マンハッタン」の絵にも、何か秘密が隠されているというのだろうか。


「あの『マンハッタン』の絵を見て、確かめたいことがあるの。あの絵だってエイデン・モーガンの遺作の一つだし。何せ『マンハッタンの少女』は盗まれたけど、あの『マンハッタン』の絵は盗まれずにラウンジ『リリア』に飾られているんだもの。


 私の考えが合っているなら、あの絵にも秘密が隠されていると思うの」


「わかった、明日ついて行くよ。でも、百合、仕事は?」


 明日は平日だし、百合は明日普通に栄一の事務所に出勤のはずだ。


「今日休みだけど仕事したから、その時間分の代休取って、遅れて出勤する」


 一旦、エイデン・モーガンの話を切り上げた二人は、ルームサービスでサンドイッチと飲み物を頼んだ。百合はサンドイッチが来るまでの間、持参したノートパソコンで仕事の続きをしていた。


 達也は隣で百合がキーボードを叩いている姿を見ながら、サンドイッチを食べ終わった後はどうするのだろうかと考えていた。


 さっきまで「マンハッタンの少女」についての推察を繰り広げていて、すっかり忘れていた。今日、達也は百合を中津川から(かくま)うために、このイリーナ・ホテルのツインの部屋を取ったのだ。


 中津川から百合を匿うことには成功したが、その後、この部屋をどうするかは考えていなかった。


 この部屋に泊まらず、自分のマンションへ帰ることはできる。達也の住んでいる高層マンションは、このイリーナ・ホテルからは徒歩圏内だ。達也は神経質なタイプだから、本来なら「自分の部屋で眠りたい」と考えるだろう。


 しかし、泊まらずに帰るのは惜しいような気がする。


 このイリーナ・ホテルの部屋は、まるで昔からの自分の部屋のように居心地が良い。さすがは世界中の人から愛される高級ホテルだ。そう言えば、前に百合をかばってケガをした時も、ベッドの寝心地は非常によかった。


「ねえ、百合」


 達也はルームサービスで運ばれてきたサンドイッチを口に運びながら、隣の百合に話しかけた。


 さっきから達也と百合は二人掛けのソファに隣り合って座っている。他にも座る場所はあるが、まるで最初からその場所が二人の定位置のように自然に座っていた。

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