カトレアのネックレス②
達也は百合に言われた通り「マンハッタンの少女」の絵を手に取り、気になる点はないかと熱心に見つめ始める。
東京の一等地にある高級ホテルのツインルーム。窓の外には幻想のような大都会の夜景が広がっている。何かが起こりそうなロマンチックなシチュエーションなのに、部屋の中には緊迫した空気が漂い始めた。
達也もさっきは慰めるために抱きしめていた百合のことを、「マンハッタンの少女」の秘密を解く相棒として見ている。
(――気づくこと?)
達也は絵をまじまじと見つめた。こういう時、自分が百合並みに洞察力を持っていれば、いろいろなことに気づけたはずなのに。まあ、今はそういうことを言っている場合ではない。
自分の記憶はそこまで確かではないが、「マンハッタンの少女」の背景はラウンジ「リリア」で飾られている風景画のバージョンとほぼ同じようだ。
風景画の方は今でもラウンジ「リリア」に飾られている。ということは、絵の秘密は微笑んでいる母親のみに隠されているのだろう。
達也は改めて絵の中の母親を見た。
絵の中の母親は息子が重大な秘密を暴こうとしていることも知らず、相変わらず美しい笑顔を見せ続けている。
母親が手で押さえている帽子に何かが隠されているのだろうか。達也は帽子に何かしらの特徴を見つけようとしたが、残念ながら何も見つからなかった。
次に母親の着ているワンピースに目を移す。ただの真っ白いワンピースかと思ったが、胸元と袖口の部分に細かい刺繍が施されているようだった。達也はこの模様に何かが隠されているのだろうかと思ったが、答えは出なかった。
他は何かないだろうか。
達也はふと、絵の母親の首元を見た。母親の首元にはカトレアの花の形をしたネックレスが煌めいている。
「あっ」
達也は思わず声を上げた。このカトレアのネックレスには見覚えがある。
「達也、どうしたの?」
百合がパソコンの画面から顔を上げる。
「うん、特に関係ないかもしれないけど、母さんがつけているネックレス、今僕が持っているものと同じだと思って」
「ネックレス?」
「うん、僕の部屋の寝室にあるよ。母さんの形見なんだ。確か、母さんが独身時代に亡くなったおばあさん――僕のひいおばあちゃんだけど――にもらったものだと言ってた」
「達也が形見にもらったの?」
百合が疑問に思うのも最もだ。アクセサリーの形見なら、達也の妹の菜々が受け取ると思うだろう。
「あっ、それは……。僕が小さい頃に母さんが見せてくれたこのネックレスがすごくきれいで、よく母さんに『見せてほしい』とねだっていたんだ。そうしたら母さんが『私が死んだらあげる』と言ってくれたんだよ。将来、結婚しようと思った相手にプレゼントすればいいって」
達也は自分の顔がまた赤くなりそうになるのを感じた。小さい頃とは言え、男の子が母親にアクセサリーを「見せてほしい」とねだったというエピソードは少し恥ずかしい。しかし、それだけあのカトレアのネックレスは美しかったのだ。
百合は特に気にする様子もなく、ただ無表情のまま聞いていた。達也が小さい頃から美しいものに心を奪われる性格なのを、よく知っているからだ。
達也は小さい頃の記憶を思い出した。このネックレスは確かに母親から形見にもらったものだ。
かなり昔のものらしいが、ダイヤモンドがちりばめられていて相当高価なものだとは予想される。特にカトレアの唇弁(花弁の中で目立つ形をしている弁のこと)の部分はピンクダイヤモンドが使われているのだろうか、そこだけ薄い桃色をしていた。
百合は「小さなことでもいいから教えて」と言ったが、こんな自分の小さい頃のエピソードを語って良かったのだろうか。達也は後悔したが百合は意外にもこの話に興味を持ったらしい。少し体を乗り出してきた。
「達也、そのネックレスってどんなものなの? この絵を見る限りだと、かなりキラキラしているみたいだけど」
「ええと、全体はシルバーで、もしかするとホワイトゴールドかプラチナかもしれない。カトレアの花の部分は全部ダイヤモンドだよ。花の真ん中だけピンクのダイヤモンドが使ってあったと思う。部屋に戻ればあるから、見せようか?」
「ありがとう、あとで見せてもらおうかな。ちなみにこのネックレス、相当高価そうだけど、レプリカはあるの? ほら、高価なジュエリーはまったく同じようなレプリカを作って、普段はレプリカの方を身に着ける人っているじゃない」
達也は百合がなぜレプリカの有無を聞いて来るのか気になったが、彼女の中では何か気になることがあるのだろう。そのまま話を続けた。
「レプリカはなかったと思う。そう言われてみると、母さん、どうしてこのネックレスのレプリカを作らなかったんだろう?」
「それって、どういう意味?」
「母さん、このネックレスをつけられなかったんだ。どうも、このネックレスに使われている金属の何かにアレルギーがあるらしく、つけると首周りにひどい湿疹ができるようになったって言ってた。百合の言う通り、レプリカを作ればよかったのに。もしくはコーティングみたいな……」
そういえば、桃恵はネックレスをつけられないのに、この絵の中ではどうしてつけているのだろうか。
そう思った時、達也は急に静電気みたいなものを身体に感じた。
近くにいる百合の身体に一瞬緊張が走ったのだ。百合や百合の父親の栄一と一緒にいると、時々この感覚を覚えることがある。二人が何か重要なことに触れた時に発する感覚だ。
達也は自分の言葉の何が百合にとって重要だったのだろうかと考えた。しかし、思い当たるものがない。
自分は母親からカトレアのネックレスを形見にもらい、母親はアレルギーがあるためそのネックレスを付けられなかった。ただそんなことを言っただけだ。
「達也のお母さんがそのアレルギーを発症したのはいつなのかわかる?」
「えっ? ええと、いつだったかな? 少なくとも父さんとの結婚式の時にはアレルギーになっていたと思う。結婚式にこのネックレスをつけたかったけどつけられなかったと話していたような……」
百合はどうしてこんなことを訊くのだろうか。達也は疑問に思いながら自分の過去の記憶を頑張って引っ張り出した。
百合は達也の言葉を聞くと、スマホを取り出して何かを入力し始めた。そして、ソファから立ち上がる。
「ちょっと、ピアノ弾いて来る」
「えっ? いきなりどうしたの?」
展開が早すぎてついていけない。達也は驚いた表情をしているが、百合は相変わらず無表情だ。
「考えをまとめたいの。今、スマホでイリーナ・ホテルのミュージックルームを予約したから」
イリーナ・ホテルの5階の隅には、確かに百合の言う通り「ミュージックルーム」という部屋が存在する。防音がきちんとされていて、室内にはスタインウェイ社製のグランドピアノや大型のスピーカーが置いてある。宿泊客なら無料で利用できる部屋だ。
百合は考えをまとめる時、よくピアノを弾く。やはり百合は何かしら重要な手掛かりを見つけたようだ。達也には何が手掛かりだったのかわからなかったが。
「百合、邪魔でなければ僕もついていっていい?」
達也は立ち上がりながら言った。
「別にいいけど、どうして?」
「だって、中津川さんがまだその辺りにいるかもしれないし。百合を一人で部屋の外に出すのは心配なんだ」
「わかった。じゃあ、一緒に行きましょう」
達也と百合は一緒に客室を出た。




