カトレアのネックレス①
達也はめまいを感じながら、「マンハッタンの少女」の画像を改めてよく見た。
母親の桃恵はマンハッタンの川辺を背景に立っている。白いワンピースを着て、頭にはツバの広い帽子をかぶっていた。ワンピースの裾やツバが少し反り返っている様が、心地よい川辺の風に吹かれていることを物語っている。
桃恵は首元に花の形をあしらったネックレスを付けていた。そのネックレスを見た瞬間、達也は思わず目を細めた。まるでネックレスが日の光に反射して眩しく感じてしまったかのような錯覚を感じたからだった。
素晴らしい絵だ。達也は次回作の参考にエイデン・モーガンの絵をいくつも見たが、今までのどの絵よりも素晴らしいのではないかとさえ思った。
エイデンは絵の中の少女――つまり桃恵に何かしらの特別な感情さえ持っていたのではないかと考えてしまうほどだった。
もしかすると、小学校の時の自分がこの絵に夢中になったのは、ただ単に母親をモデルにした絵だという理由だけではなかったのかもしれない。この絵自体にも魅力を感じていたのではないのだろうか。
父親の顕も同じだったのかもしれない。父親が絵を買い求めたのは、自分の妻をモデルにした絵だという理由だけでなく、この絵が非常に素晴らしいものだということも理由だったのかもしれない。
一緒に絵の画像を見た百合も、言葉を失っている。音楽と絵の違いはあるとはいえ、同じ芸術家として、この絵のすばらしさに彼女も感嘆しているようだった。
「きれいな絵ね。こんなにきれいな絵だったんだ」
「うん」
「きれいな絵ではあるけど、この絵の中にどんな秘密があるというのかしら? どうしてパパと西村のおじ様はこの絵の存在をなかったことにしようとしているの?」
まるでこの絵が素晴らしすぎて、世間の目に触れさせたくない、そんな理由でもあるのではないかと思ってしまうほどだ。
しかし、それはないだろう。達也は父親の顕が自分のように感傷的な人間でないことを知っている。顕も絵が素晴らしいものだとはわかっているものの、だからと言って絵の存在を抹消しようとするほどことはしないだろう。
やはり、他に何かしらの重大な秘密があるはずだ。
そして、この「マンハッタンの少女」の絵の中に、きっとその秘密が隠されているのだ。
達也と百合は部屋の窓辺のソファに向かい合って座り、「マンハッタンの少女」の絵を細かく見始めた。
「そう言えば、この絵って、本当に達也のお母さんをモデルにしたものなの?」
絵の画像を見ながら、百合が無表情で言う。
「うん。母さんに訊いたわけではないけど、多分そうだと思う。僕、百合に話したことあったっけ? 母さんの叔父さんの湊人さんという人のこと」
「達也によく似ていたっていう人よね? ニューヨークに住んでいたという」
「そう。湊人さんは画家を目指してニューヨークへ行ったけど、結局は画家としては大成せずにずっと画廊に勤めていたんだ。その画廊はこの絵を描いたエイデン・モーガンのほとんどの絵を扱っていて、叔父さんもエイデンと交流があったらしい。
母さんは湊人さんとすごく仲が良くて、何度かニューヨークへ行っているから、その時にエイデンが母さんをモデルにして絵を描いたんじゃないかなって思うんだ。ただ、これも僕の予想だけど。でも、この絵があるということは、そういうことだよね?」
「そうよね、そうとしか考えられないわよね」
百合は無表情のままだったが、何かしらに納得していないような雰囲気を漂わせている。
「百合、どうかした? 何か気になるの?」
達也が言うと、百合は軽く頷いた。
「ちょっと引っ掛かるなと思って。達也は画家のエイデン・モーガンがどういう人物だったか知ってる?」
「えっ? うん。今回のことをきっかけに調べたから、それなりには」
なぜ百合はエイデン・モーガンの人となりを訊いてくるのだろうか。
「パパから聞いたことがあるけど、湊人さんは達也のお母さんを自分の子どものように可愛がっていたのよね? そんな可愛がっている姪をエイデン・モーガンみたいにいろいろとうわさのある人と引き合わせるのかな、と思って」
「あっ」
達也は思わず声を上げた。
達也は自分が創作のために調べたエイデン・モーガンの数々のエピソードを思い出した。さっき母親の絵に感嘆したばかりだというのに、達也は自分の頭が苦々しいものに染まっていくのを感じる。
エイデン・モーガンは果てしないほどの絵の才能を持っていたが、私生活はひどかった。特に女性関係が派手だった。常に恋人と呼ぶ女性がたくさんらしい。
キュビズムの画家として有名なパブロ・ピカソも、生涯にわたって女性関係が派手だった。80歳の時に35歳の女性と結婚した逸話がある。エイデンも生涯結婚と離婚を繰り返していた。最後に結婚したのは確か亡くなる直前の70代で、相手の女性は30代だったはずだ。
達也ならいくら有名人とはいえエイデン・モーガンみたいな男に百合を引き合わせようとはしないだろう。きっと湊人も同じことを思うのではないだろうか。自分の子どものように可愛がっている姪を女性関係が派手な男に引き合わせるなんて、危険すぎる。
桃恵が最後にニューヨークへ行ったのは、顕と結婚してすぐの頃だったと思う。その頃の桃恵が若くエイデンがそれこそ彼女の祖父くらいの年齢だったとしても、70代で30代の女性と結婚するような相手だ。絶対に用心する。
「モデルで絵を描いたということは、エイデンと達也のお母さんは会ったということよね?」
「でも、もしかすると、写真を見せたとか? それを元に絵を描いたとか?」
達也は絵のことはわからないが、画家なら写真を元に別の構図の絵を描けるのではないだろうかと思った。
もしかすると、この「マンハッタンの少女」と同じ構図の写真を湊人が撮り、それを見てエイデンが絵を描いたのかもしれない。
「写真を見せたら『会わせろ』と言いかねないじゃない。こんなに美しい日本人女性なら尚更。エイデンの歴代の奥さんの中には、アジア人女性もいたでしょ?」
さすが百合は細部まで調べ上げているな、と達也は感心したが今はそういうことを考えている場合ではない。
「じゃあ、この絵は一体どうやって描かれたものなの?」
「まだわからない。でも、さすがはパパと西村のおじ様が存在を消そうとした絵だわ。やっぱり何か重大な秘密が隠されているみたい。
達也、もう一度この絵をよく見て。何か気づくことはない? 小さなことでもいいから教えて。私はエイデン・モーガンのことをもっとよく調べてみる」
百合はバッグからノートパソコンを取り出すと、まるでピアノを弾くような美しいタイピングで何やらを打ち始めた。




