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ピアニスト桜井百合による謎解き小曲集  作者: 木原式部
第三章亡き王女のためのパヴァーヌ
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イリーナ・ホテル1230号室②

 達也が簡単に作った朝食を食べ終えて紅茶を淹れると、百合と達也はソファに座り今後のことを話し合った。


 達也は百合に自分の母親の絵について調べたことを詳しく話した。調べたことと言っても、栄一と顕に絵のことを訊き、その後国会図書館で当時の新聞記事のコピーを取ったくらいだ。


「達也、何も言わずに西村財閥の本部に行ったのね」


 百合は無表情だが、多少あきれたような声色を出している。いくら息子とは言え、アポを取らずに財閥のトップに会いに行くのは無謀と思われたようだ。


「だって、連絡したら会ってくれないかもしれないと思ったから。父さん、僕が本部の受付の人と話していたらすぐに来たから、多分栄一さんが僕が行くかもしれないって連絡したと思う」


「そうでしょうね。それにしてもパパも西村のおじ様も、どうして達也のお母さんの絵の存在を隠すの? あの絵にどんな情報が隠されているというの? あの絵には達也のお母さんが描かれているだけでなく、何か重要なメッセージでも描いてあるのかな? 


 ――達也、あの絵、どういう絵だったか覚えている? さすがに私も小さい頃の出来事だったから、あの絵が正確にどういうものだったのか覚えていないの。写真は残ってない? まず、あの『マンハッタンの少女』の絵がどういうものだったか確かめないと」


「それが残ってないんだ。ネットの情報はすべて消えているし、僕が持っている写真のストックの中にも、あの絵の写真は残ってなかった。もしかすると、僕が知らない内に父さんが消去したのかもしれない」


「他には何か覚えていない? 何か気になることが描かれていたとかはないの?」


 達也は「マンハッタンの少女」の絵がどういうものだったか思い出そうと、軽く目を閉じた。


 小さい頃に何度も繰り返し見た絵だ。詳細を覚えていてもいいような気もするが、記憶がぼんやりしている。


「ええと……。背景はラウンジ『リリア』に掛かっている風景画のバージョンとほぼ同じだったと思う。多分、単純にエイデン・モーガンが風景だけか人物が写っているかの違いだけで描いたんじゃないのかな? 


 母さんの他に人は描かれていなかったと思う。母さんは確かワンピースみたいな服を着て帽子をかぶっていたと思うけど、他にはちょっと覚えていない」


 父親からプレゼントされた時、あんなに嬉しかったのに。意外と絵の詳細を覚えていないことに達也は自分の記憶力のなさを嘆いた。


 しかし、仕方ないのかもしれない。あの絵は達也にとって、「母親が笑顔を見せている」という価値がある絵なのだ。母親の笑顔以外の情報は、達也にとってあまり関係がないから覚えていないのだろう。


「わかった」


 百合はスマホを取り出すと、何やら文字を打ち始めた。そして、文字を打ち終わると、ソファにスマホを投げ出した。


「百合、栄一さんに連絡でもしたの?」


 達也は百合の仕草が気になった。百合は普段、何かを放り投げることはしない人間だ。今の時点なら喧嘩をしている栄一に何かしらのメッセージを返したのかもしれない。


「ううん、中津川さんに連絡したの」


「えっ?! 何で?」


「中津川さん、あの『マンハッタンの少女』の画像を持っているらしいの。中津川さんのお父さんの遺品の中にあったみたい。


 私、ずっとその画像を見せてほしいと思っていたんだけど、中津川さんは出し惜しみしているのよ。あの画像を切り札にでもしているのかも。でも、こうなったら絶対に見せてもらおうと思って」


「そうだったんだ。で、なんてメッセージ送ったの?」


「普通に『あの絵の画像を見せてもらえませんか?』と送っただけ。でも、これで見せてくれるかはわからない」


 百合は無表情で淡々と答えたが、達也は胸騒ぎがした。


 中津川があの「マンハッタンの少女」の絵の画像を持っているのは、中津川の父親が関係していると思えばあり得る話だ。しかし、百合の話を聞く限り、百合が「絵の画像を見せてほしい」と言っても見せてくれなかったようだし、素直に見せてくれるとは思えない。


「百合、そう言えば、あれから中津川さんには会ったの?」


 あれからとはラウンジ「リリア」に中津川の仕掛けたと思われる盗聴器が見つかった日からだ。


「ううん、会ってない。達也のことで何か言ってくるかもと思っていたけど、連絡もない」


「そうなんだ。僕もあれ以来時々SNSで柏木林太郎のエゴサをするけど、正体が僕だと言っている人は誰もいなかった」


「中津川さん、たまたまあの時の会話は聞いていなかったと思いたいけど、むしろ何もアクションがないのが気になる」


 その時、百合のスマホのバイブレーターが鳴った。多分、中津川からだろう。


 達也は必要以上に驚き、飛び上がりそうになった。さっきも胸がざわざわしたが、何やら嫌な予感がする。達也は自分の気のせいだと思いたかったが、こういう時の自分の気のせいはそれで済まないことがほとんどだ。


 百合は無表情のままスマホを取り上げると、おそらく中津川からであろうメッセージを読んだ。そして、その瞳を大きく見開かせた。


 瞳を大きく見開かせるのは、普段感情を表に出さない百合が驚いた時に見せる表情だ。


 達也は自分の嫌な予感が的中したことを悟った。百合が何に驚いているのかまではわからないが、「わかりました、絵をお見せしましょう」みたいな単純な朗報でないことは確かだ。


「百合、中津川さんからだよね?」


 達也が恐る恐る声をかけると、百合は我に返ったようにスマホの画面から顔を上げた。


「あっ、うん」


 今の百合は瞳こそ見開いていないし無表情だ。しかし、何かしら動揺している雰囲気がひしひしと伝わってくる。


「何だって? 中津川さん」


「それが、『わかりました。明日の19時にイリーナ・ホテルの1230号室でお待ちしています』って」


「えっ!?」


 自分の嫌な予感は的中した。中津川は「マンハッタンの少女」の絵の画像を見せるのに、百合をイリーナ・ホテルの一室に来るように誘ってきたのだ。


 絵の画像を見せるだけなら、ホテルの一室に来るようには言わないだろう。


(――それとも、ホテルの一室で二人きりで見せなくてはいけないほど、あの絵には重要なメッセージが残されているのか?)


 いや、さすがにそこまでは考えられない。やはり、中津川は百合に下心があり、絵のことを引き合いにしてホテルの一室に来るように言っていると考えるのが妥当だろう。


「私、明日行ってくる」


 百合が無表情のまま独り言のように言うと、達也は「待って!」と大きな声を上げた。


「待って! 百合。ホテルの部屋で中津川さんと二人きりで会うなんて危険だよ。――あの、例えば、僕も一緒についていくのはダメなの?」


 達也はよいアイディアだと思ったが、百合は首を横に振った。


「ううん、私が一人で行ってくる。できれば、達也と中津川さんはあまり会わせたくない」


「そう、だよね」


 二人はしばらく沈黙した。


 達也はどうすればいいのか必死に考えていた。絵の真相は知りたい。そのためには絵にどんな情報があるのか確認しなくてはいけない。どんなに探しても絵の情報がみつからないのであれば、絵の画像を持っている中津川に見せてもらうしかない。


 だからと言って、百合と中津川をイリーナ・ホテルの一室で二人きりにしてもいいのだろうか。中津川は百合のことを何度も誘っているし、密室の中、二人きりでいたら何があるかわかったものではない。やっぱり嫌だ、と達也は百合の方を向き直った。


「百合、やっぱり中津川さんと二人きりなんて心配だよ。絵のことは、もう少し他の方法を考えない?」


「でも、今まで散々探したけど、あの絵の情報は何も出てこなかったの。今、絵の画像を持っているのは、多分中津川さんだけ。


 もしかするとパパか西村のおじ様が持っているかもしれないけど、あの二人には頼めない。そうなったら、中津川さんに見せてもらうしかないと思う」


 百合が「散々探しても」と言っているのであれば、本当に探してなかったのだろう。達也は彼らしくない苦い表情を見せた。


「だったら、僕も明日イリーナ・ホテルにいるよ。1230号室って言っていたよね? その近くの部屋をとっておいて、何かあったら百合がすぐ隠れられるようにする。部屋、空いているかな?」


 達也は小説の執筆で使うノートパソコンを開いて、イリーナ・ホテルの公式ホームページを調べ始めた。


「ありがとう」


 百合にお礼を言われて、達也はパソコンの画面から顔を上げた。横に座っている百合は表情を少しゆがませていた。達也はこれが無表情の彼女の精いっぱいの笑顔だと知っている。


「僕の方こそありがとう。というより、ごめん。僕のせいで百合を危険な目に合わせるようなことをさせて」


「ううん、これは達也のためだけじゃないもの。私は絵の真相を知りたいの」


 そして、栄一や顕が何かしらの後ろめたい事実を隠すために絵の情報を消したわけではない、ということを証明したいのだ。それは達也も同じだった。


 達也は百合に笑みを返すと、再びパソコンの画面でイリーナ・ホテルの空室を調べ始めた。

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