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ピアニスト桜井百合による謎解き小曲集  作者: 木原式部
第三章亡き王女のためのパヴァーヌ
79/100

マンハッタンの少女⑪

 *


「百合、じゃあ、僕の母さんの絵のために中津川さんと会っていたの?」


 百合と中津川の出会いを黙って聞いていた達也が、ふいに口を挟んだ。百合は小さく頷いた。


 まさか、百合が中津川と会っていた理由が、自分の母親の絵の真相を探るためだったとは。


 百合が中津川と会うのが嫌そうなのはわかる。それでも仕方なく会っていたのは自分のためだったのだ。


 それなのに自分は、百合と中津川の仲を勝手に疑ってしまっていた。百合は自分のために嫌な思いをして中津川に会っていたのに。


 達也は百合に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになった。同時にやるせない気持ちになった。


「そう。それで中津川さんに会っていたの」


「それで、絵のこととかあの中津川と言う人のこととかはわかったの?」


「うん。まず、中津川さんは達也のお母さんの遠い親戚だった」


「ええっ!?」


 そんな、と達也は思った。まさか、あの中津川が自分の母親の親戚だったとは。


 達也は「中津川」なんて苗字は聞いたことがない。珍しい苗字だから、親戚にそういう名の人物がいたら覚えていそうなものだ。百合の言う通り、遠い親戚なのだろう。


 中津川が達也と遠いとはいえ親戚関係だとすれば、中津川が達也の正体や絵のことを知っているのは納得できる。


 しかし、と達也は顔を歪ませた。正直、達也は中津川に対してよい印象は持っていない。そんな男と自分が親戚だとはあまり信じたくない。百合がいうから、本当のことだろう。事実は受け止めるしかないようだ。


「中津川さんのお父さんも別の画廊で働いていたんですって。お父さんは昔美大に通っていて、達也のお母さんの叔父さんと交流があったそうよ」


「それ、母さんがよく話してくれた『湊人(みなと)叔父さん』のことだ。ニューヨークに住んでいて、あの絵を描いたエイデン・モーガンも出入りしていた画廊で働いていた人だよ。母さん、よく僕に『達也は湊人叔父さんに似ている』と言ってた」


「そう、その湊人さん。中津川さんのお父さんはその湊人さんと美大の同級生だったそうよ。でも、中津川さんが高校生の頃に行方不明になって、それきり会っていないと言っていた」


「行方不明?」


 何だか雲行きが怪しくなってきた。達也はあくまでもいつもの勘だが、もしかするとこの話はかなりややこしいことなのではないかと感じた。


「最近、中津川さんのお母さんが亡くなって、遺品を整理していたそうなの。そうしたら、お父さんの手帳が出てきて、お父さんが行方不明になる前に西村のおじ様に会いに行ったことが書いてあったんですって。ちなみにそこにはパパもいたらしいの」


「僕の父さんと栄一さん?」


「その手帳には達也のお母さんの絵のことについても書かれていたの。どうも、中津川さんのお父さんはその絵について何かを訊きに行ったらしいのよ。しかも、中津川さんが西村のおじ様に会いに行ったのは、あの絵が盗まれた達也の誕生日の少し前」


 これは何かの偶然なのだろうか。中津川の父親はあの絵の何かを訊くために達也の父親の元へ行った。絵はその後、何者かに盗まれ、中津川の父親は行方不明になる。そして、現在、達也の母親の絵の情報が消されている。


(――これって、どういうことなんだ?)


 あの絵が盗まれたことと情報が消されていることは、自分が思った以上に重大な意味を持っているようだ。


「中津川さんはあの絵のことを調べれば、行方不明のお父さんの情報も得られるのではないかと思って調べているそうよ。はっきりとは言わないけど、自分のお父さんが行方不明になったのには私のパパと西村のおじ様が絡んでいると思っているみたい。


 だから、まずは私に近づいてきたのよ。私はパパも西村のおじ様も行方不明には何も関わっていないと信じているけど。でも、これ以上の情報は今のところはないの。私も中津川さんもいろいろと調べてはいるけど……。


 このこと、ずっと黙っていてごめんなさい。この件には達也を巻き込みたくなかったの。達也に余計な心配をさせたくなかったから、黙っていたの。でも、達也が新聞記事に気づいてしまったから、もう、黙っていられない。


 実は今日、イリーナ・ホテルに来る前に、パパにもう一度絵のことを訊いてみたの。パパ、私がどんなにしつこく訊いても『知らない、覚えていない』としか言わなくて。だから私、頭に来て我慢できなって家出して来たのよ。パパ、今まで私に隠しごとなんてしたことなかったのに」


 百合は栄一との喧嘩を思い出したのか、彼女にしては珍しく眉をひそめた。


 百合が栄一と喧嘩して家出した理由も、結局はあの絵が原因だったのか。達也は百合に対して本当に申し訳ない気持ちになった。


 それに、中津川は父親が行方不明になったことに栄一と顕が絡んでいると思っているようだ。達也もあの二人が犯罪めいたことに絡んでいないと信じたい。


 しかし、絵のことを隠そうとしているあの二人の様子を見ると、絶対に信じ切れるかと言うとそうでもない気持ちがよぎる。


「ごめん。百合が一人であの絵を探してくれていて、しかも栄一さんと僕の父さんのことで悩んでいたなんて。全然わからなかった。栄一さんと喧嘩した原因も絵だったなんて。しかも、百合、中津川さんと会うのが嫌そうだったのに、無理に会っていたのも……」


「達也、誤解しないで」


 達也の表情で彼が苦悩しているのを悟ったのだろう。百合が普段よりは幾分優しそうな声を出した。


「誤解って?」


「私が中津川さんと会っていたのは、確かに達也に絵を返したいという気持ちもあった。でも、私はあの絵の真相を知りたいの。


 だって、おかしいじゃない。私たちは絵を覚えているし、新聞記事だって残っている。なのに、絶対その場にいたパパも西村のおじ様も『知らない』と言うし、他の情報が消えているのよ。明らかにおかしいもの。


 私はその真相が知りたいの。それにパパと喧嘩したのだって、真相を明かさないパパが嫌になっただけ。達也は関係ない」


「確かにそうだけど……」


「大丈夫よ。中津川さんとは絵のことを共有しているだけだし」


「いや、そんなことないよ!」


 達也は思わず大きな声を上げた。


 百合は本当に気づいていないのだろうか。達也の目から見て、中津川は「絵のことを知りたい」以上に明らかに百合に下心がある。


 自分に対しても「百合と頻繁に会っている」ことを暗に匂わせるような言動をしている。中津川が絵のことを知りたいのは事実かもしれないが、だったらあんなことまではしてこないだろう。


 いきなり大きな声を上げた達也を、百合は目を見開いて見上げた。


「達也、いきなりどうしたの?」


「百合が『絵の真実を知りたい』と言う気持ちはわかるよ、百合は本業が探偵だし、そういうのをはっきりさせたい気持ちはわかる。


 でも、だからと言って、あの中津川さんが百合を食事に誘うのは絵とは関係ないよ。盗聴器だって、百合のことが知りたいから仕掛けたのかもしれないし」


「盗聴器は私と達也の会話を聞きたかったからだと思う。中津川さん、私と達也の話からパパや西村のおじ様のことを知ろうと思ったのよ。あと、食事に関しては……」


 百合はここで一旦口を閉じた。


 ああ、やっぱり中津川は絵のこと抜きで百合を頻繁に誘っていたんだ、と達也は悟った。


 達也は百合が嫌な思いをするくらいなら、「絵のことはいいから、もう中津川と会うな」と言いたかった。確かに絵は戻ってきてほしいが、百合が嫌な思いをするくらいなら絵のことはあきらめていい。なにせ、一度はあきらめたものだ。


 しかし、ここで百合に中津川に会うなと言えば、今までの「絵を見つけたい」という百合の行為を無にしてしまう。それにこのまま絵を闇に葬るには事が大きすぎるような気がした。


 なにせ、中津川の父親が行方不明になった原因が、あの絵なのかもしれないのだ。


 達也はどうすればいいのかと考えたが、答えは単純だ。百合と自分があの絵の真相を暴けばいいのだ。


 百合は中津川と無理に会わなくてもよくなるし、上手く行くと母親の絵が戻ってきたり、中津川の父親が見つかったりするかもしれない。


 まあ、中津川の手助けをするのは少し複雑な気持ちだが、達也だって小さい頃に母親を亡くしているから、親がいない悲しみには同情する。


 しかし、それには自分の父親の顕と栄一を敵に回すことになるかもしれない。あの二人が何かしら後ろめたいことをやっているのであれば、それを暴いてしまうかもしれない。


 あの二人がなぜ絵のことを頑なに「知らない」と言っているのかはわからないが、後ろに何かしらの大きな事情が隠れているのはわかる。これから自分は百合と二人で日本有数の財閥のトップと日本一の名探偵を敵に回さなくてはいけないのだ。


 達也は寒気がした。今までの自分なら手を引いたかもしれないが、やはり百合が中津川と会い続けるのはいやだし、母親の絵の真相は知りたい。それに達也には自分の父親と栄一を信じたいという気持ちがあった。


 あの二人がどういう事情で絵に知らぬ振りをしているのかはわからない。その事情がどうしても悪い方向のものでないことを信じたかった。父親も栄一も自分にとっては昔から尊敬している人物だ。その尊敬が裏切られるような結果でないことを信じたかった。


 多分、百合も自分と同じ気持ちだろう。


 気づくと達也は少し離れて座っていた百合に近づき、彼女の手を握っていた。百合は目を見開いて達也と握られている手を交互に見た。


「百合、僕たちであの絵の真相を調べよう。そうすれば、百合はもう中津川さんと無理に会わなくて済むし、僕の父さんや栄一さんが絵のことを『知らない』というのがどうしてかもわかる。もしかすると、中津川さんの行方不明のお父さんも見つかるかもしれないし、あの絵も戻ってくるかもしれない。


 百合だって、栄一さんや僕の父さんが正当な理由なく絵を『知らない』と言っていると思いたくないだろう? 僕だって同じだよ。絵のことを隠そうとするには、何か事情があるはずだ。父さんや栄一さんの名誉のためにも、僕たちで絵の真相を調べよう」


 百合はしばらく手を握られていたまま、ジッと達也を見上げていた。驚いたように大きく見開かれた百合の黒い瞳に、自分が写っているのが見える。


 百合とは小さい頃から一緒に長い時間を過ごしていたが、ここまで近くで接したことは少ない。達也は百合が自分の部屋にいて、自分の近くにいて、自分と見つめ合っていることに仄かな幸せを感じていた。


「達也、わかった。わかったから、手を離してくれる?」


「あっ、ごめん」


 百合が伏し目がちに言うと、達也は慌てて百合から手を離した。さっきは夢中になっていたが、今更ながら自分のしたことに顔を赤くしてしまう。達也はごまかすように紅茶を一口飲んだ。


「ありがとう、そう言ってくれて。そうよね。私もパパや西村のおじ様が不当な理由で絵のことを隠していないと信じたい。あの二人は私にとって大切で尊敬する人たちだもの」


「僕にとってもそうだよ。だから、二人で頑張ろう」


「ありがとう。――達也も変わったわね」


「変わった?」


 そんなセリフ、この間も聞いた。自分の父親の顕に絵のことを訊こうと、西村財閥の本部へ行った時だ。顕は達也がムキになって話すのを聞いて「お前も変わったな」と言っていた。


「うん、変わったと思う。事務所で働き始めた頃は、まともに買い物もできなかったし、クライアントの話を聞いて具合が悪くなったりしていたじゃない。最近だと買い物や書類整理も完ぺきにできるようになったし、具合が悪くなることも少なくなってきた。


 パパ、達也が来てからすごく助かっていると言っていたし、私もすごく助かっている。それに今、『僕たちで絵の真相を調べよう』なんて言ってくるし。前の達也なら、そんなこと自分から言わなかったと思う。


 ありがとう。パパと喧嘩して落ち込んでいたけど、達也がそう言ってくれて元気が出てきた。頑張って、二人であの絵のこと調べよう」


「うん、頑張ろう」


 達也は大きく頷いた。

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