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ピアニスト桜井百合による謎解き小曲集  作者: 木原式部
第三章亡き王女のためのパヴァーヌ
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マンハッタンの少女⑨

 ――信じられない。


 達也は自室のキッチンで紅茶をいれながら、リビングのソファを見た。


 ソファには無表情の百合が座っている。


 大きな窓からはいつも通りの東京の夜景が見える。部屋のすべてがいつも通りなのに、そこに百合がいるだけでこんなにそわそわ落ち着かなくなってしまうものなのだろうか。


 落ち着かないのは百合がいるだけではないのかもしれない。達也は百合の家出ですっかり忘れていた自分の「成果」を思い出した。百合も栄一も顕も散々「知らない」と言っていた母親をモデルにした絵があった証拠だ。


 達也は上着のポケットにそっと手を入れる。これをいつ出せばいいのかタイミングに悩んでいた。


 今でこそ百合は無表情だが、多分相当ショックを受けているのだろう。その上、この証拠を見せるのは彼女にダメージが強すぎるのではないだろうか。


 百合は普段の言動から「強い女性」というイメージがあるが、意外と内面は繊細なのだろう。そうでなければ、人の心を動かすような素晴らしいピアノの演奏ができるわけがない。


(――でも、言わないと)


 今日の目的は百合にこの証拠を見せることだ。今日言わなければ、ずるずると言わないままになってしまうかもしれない。


 達也は紅茶をいれたカップをソファの前のテーブルに二つ置いた。そして、微妙に距離を置いて百合の隣に座った。


「ありがとう」


 百合の普段通りの凛とした声が響く。


「百合、大丈夫?」


「大丈夫って、何が?」


「だって、栄一さんと喧嘩したし。その、ショックを受けているんじゃないかと思って」


 百合は無表情のまま首を横に振った。


「そんなことない。ショックと言うか、パパに怒っているだけ」


 百合は紅茶を一口飲んだ。もう、瞳は涙で潤んでいない。すっかり普段の百合に戻ってしまったようだ。達也は意を決して、ポケットから証拠の紙を取り出した。


「百合、こんな時に悪いんだけど、話があるんだ」


「何?」


「僕の母さんの絵のことなんだけど」


「まだ、その話をしているの? 私、知らないって言ったじゃない」


「これ見ても、まだそれを言える?」


 達也は紙を広げて百合に渡した。


「これ……」


 百合が紙を見て、目を見開いた。


 その紙は新聞の記事をコピーしたものだった。小さな記事だが「西村財閥の西村顕氏が買ったエイデン・モーガンの絵が盗まれる」という内容がはっきりと書かれている。


「ごめん。やっぱり絵のことが僕の勘違いだと思えなくて。栄一さんに訊いても僕の父さんに訊いても『知らない』と答えるし。ネットで調べて出てこなくても、新聞記事なら残っているんじゃないかと思って、国会図書館に行って調べたんだ」


 イリーナ・ホテルからも近い国会図書館には、日本で刊行されたすべての書籍が保存されることになっている。書籍だけではなく新聞も保存する決まりになっており、古い新聞でもマイクロフィルムで保存してある。


 達也はこう考えたのだ。自分の父親だ、何かの事情で必要に迫られれば母親の絵を存在しなかったことするのも可能だろう。どうにかしてネット上にある母親の絵の情報を消すことはできるかもしれない。


 しかし、国で保管している新聞の記録までは消せないだろう。


 達也は母親の絵が盗まれたことが新聞に載っていたのをぼんやりと覚えていた。実際、国会図書館でその年の自分の誕生日後の新聞を調べたら、記事はちゃんとあったのだ。


 百合はしばらく目を見開いて新聞記事を見ていた。やがてあきらめたように持っていた新聞記事のコピーをテーブルの上に置いた。


「ごめんなさい、ウソついていたの」


「うん、いいよ。最初は驚いたけど、多分、百合にも事情があったんだろうと思って」


 百合は頷いた。


「でも、驚いた。達也も私と同じことをしたんだもの」


「同じこと?」


 百合はバッグの中から折りたたまれた紙を取り出し、広げて達也に見せた。


 その紙には達也と同じ「マンハッタンの少女」の絵に関する新聞記事が印刷されていた。


「これ、僕と同じ。百合、どうしてこの新聞記事を持っているの?」


「私もネットでいくら調べてもあの絵の情報が出てこないことを不思議に思ったの。それで、国会図書館に行って昔の新聞記事を調べてみたのよ。あの絵のこと、気になっていたから」


「そうだよね。だって栄一さんが解決できなかった事件は、僕の知っている限りあの絵を見つけ出せなかったことだけだし」


「それもあるけど、だって、私、達也に約束したから」


「えっ?」


「私、絵を取り戻すって約束したじゃない。『パパがダメでも、私が絶対に取り戻してみせるから』って」


 達也は思わず隣に座っている百合をまじまじと見つめた。


 やはり、百合は母親の絵が盗まれた時に言った言葉を忘れていなかったのだ。


「あの言葉、覚えていてくれていたんだ、ありがとう」


「うん。最初はパパも見つけられなかったから、もう無理だと諦めていたの。でも、達也が事務所で働き始めてから、やっぱり絵のことがどうしても諦められなくて、また調べ始めたの。


 そうしたら、ネットでいくら調べても何も情報が出てこないから不思議に思って。パパに訊いても『知らない』というからおかしいし。


 で、その時に中津川さんに会ったの」


「えっ!?」


 達也は驚いた。どうしてここで中津川が出て来るのだろう。「待って、百合。中津川さんって、もしかして、僕の母さんの絵がなくなったことと何か関係があるの?」


「実はそうなの。とりあえず、私が知っていることを全部話すから、聞いてくれる?」


「うん」


 達也が頷くと、百合は今まであったことを話し始めた。

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