マンハッタンの少女⑦
達也は顕が普段使っている部屋であろう、本部最上階の大きな洋間に連れて来られた。
よくドラマや映画で見るような、大手企業の社長室とは趣が違う。まるで国の重要人物が客人を持て成す時の応接室のようだった。
部屋の中央の天井には大きなシャンデリアが下がっている。壁や柱にはロビーと同じ細かい彫刻が施され、アーチ状の大きな窓にはえんじ色の重厚なカーテンがかかっていた。
達也はもちろん、この部屋にも入ったことはない。顕は公私を混同する人間ではないのだ。仕事を家庭に持ち込むことはないし、家族を仕事に巻き込むこともなかった。
父親の顕はいつもこんな部屋で仕事をしていたのか、と思うと達也は父親の別の一面を見たような気がした。しかし、今はそんな親子の感傷的なシーンを味わっている場合ではない。
顕は部屋の奥の大きな机と対になっているイスに座った。机の上には大きなモニターやノートパソコンが置かれており、ここだけが辛うじて仕事をする場だと言うことを思い出させてくれた。
「今日はどうした? いきなり押しかけてきて」
机に座った顕は達也よりも目線が低いのに、まるで息子を見下ろすような威厳に溢れている。達也は萎縮しそうになったが、手のひらをギュッと握ってこらえた。
「父さんに訊きたいことがあって」
「何だ?」
父親は普段通りの表情をしている。特に焦っているようでもないしリラックスしているようでもない。
達也はもしかすると栄一は顕に絵のことを何も連絡しなかったのだろうかと思った。しかし、相手は日本有数の財閥のトップに立つ人物だし、連絡したのは日本一の名探偵だ。作家のひとりぐらい騙すのは簡単だろう。
「僕が小学校の時、誕生日に父さんが母さんをモデルにした絵をプレゼントしてくれたこと覚えている? エイデン・モーガンという画家の」
「いや、そんなことあったか? 知らないな」
顕は表情を変えずに言った。
やはり父親もそう言うのか。予想はしていたが、達也は自分が落胆するのを感じた。もしかすると父親だけは「覚えている」と言ってくれるかもしれないという仄かな期待があったが、それはもろく崩れ去ってしまった。
「あったよ。僕がネットでたまたまその絵を見つけて、父さんが誕生日にプレゼントしてくれたじゃないか。あの絵は本当にあった」
「いや、覚えてないな。お前、夢かいつもの妄想でもしていたんじゃないか? あの頃から小説みたいなものを書いていただろう?」
「そんなことない!」
達也は思わず、彼らしくもない大声を出していた。
百合にも栄一にも顕にも「絵のことを知らない」と言われて、自分でも知らない内にフラストレーションがたまっていたのかもしれない。
達也の反応を見て、顕は少し驚いた表情をした。
「そんなことない! 絶対に父さんは僕に絵をプレゼントしてくれた。僕、ものすごくうれしかったし、その後に絵を盗まれてショックだったからよく覚えているよ。
でも、ネットでいくら調べても、その絵のことがどこにも出てこないんだ。家から盗まれたことも。絶対ニュースになっていたはずなのに。百合も栄一さんも絵を覚えていないと言うし、どういうことなの?
いっそうのこと、本当に僕の勘違いだったらいいけど、そんなことは絶対にないんだ。絶対に絵はあった!」
達也は言いきると、肩で息をしながら顕を見下ろした。
これが達也にとって精いっぱいにらんでいる行為だったが、顕には「ただ単に息子が見下ろしている」としか見えないのだろう。
顕は少しの間達也を見上げていたが、やがて大きな声で笑い始めた。
達也はなぜ父親がいきなり笑い出したのかわからなかった。どういうことだ? 昨日今日と絵のことについて調べれば調べるほど、奇妙なことばかり起こる。
「父さん、何がそんなにおかしいの?」
達也が不機嫌そうな表情を見せると、顕はゆっくりとイスから立ち上がり、達也と目線を合わせた。
「いや、お前も変わったなと思って」
「変わった?」
「この間は栄一のところの百合ちゃんをかばってケガするし、今は俺に大声を出してくるし。お前、そんな男じゃなかっただろう? そんなに急激に変わるなんて、やっぱり一人暮らしさせて栄一のところで働かせて正解だったな」
「今、そんな話しているんじゃないよ! 絵の話をしているんだけど」
達也の言葉に返事をする代わりに、顕は達也の胸倉を掴んだ。
突然の顕の行動に達也はひるみそうになったが、ここで逃げ出したら真実がわからなくなってしまう。
達也は身体が震えそうになるのを必死にこらえ、顕の目をひたすら見た。
顕は乱暴な行為をしている割に、目元は優しく見えた。顕は厳しい男だが、根はやさしく慈悲深い人間だと達也は知っている。
「よく考えてみろ。いくら探しても情報がない、百合ちゃんも栄一も知らない、俺も知らないと言っているとはどういうことなのか。とにかく、俺は絵を知らない。お前もこれ以上、詮索するな」
「でも……」
「もう帰れ。これ以上話すことはない」
顕は達也から手を放すと、そのまま息子などずっといなかったかのようにイスに座り直し、ノートパソコンに何かを打ち始めた。
(――本当にあの絵はなかったのだろうか)
父親の言う通り、自分は妄想でもしていたのだろうか。母親をモデルにした絵は元々なく、盗まれてもいないし、百合も「私が絶対に取り戻してみせるから」と言っていなかったのだろうか。
しかし、顕の言葉が引っ掛かる。本当に知らないのであれば、「俺も知らないと言っているとはどういうことなのか」なんて言い方をするだろうか。
(――やっぱり、絵はあるんだ)
自分の記憶通り、絵はあった。しかし、百合も栄一も顕も何かの事情があって「絵は知らない」と言っているのだ。
事情が何かわからないが、それを自分が掴めば絵があったことを認めて、事情を話してくれるかもしれない。
達也は手のひらを強く握りしめた。とりあえず、絵があったという証拠を見つけよう。
「わかった、父さん。いきなり押しかけてきてごめん。僕、帰るよ」
達也はそのまま顕に背を向けると、部屋を出て行った。
西村財閥の本部を出ると、外は暗くなりかけていた。季節が進み、日が沈むのが早くなってきている。
達也はとりあえず自分の部屋があるマンションに帰ろうと思った。そして、歩きながら考えた。
あの母親をモデルにした絵があったという事実は、どうすれば出て来るのだろうか。
達也は散々ネットで調べたが、絵があった事実はまったく出てこなかった。今のネット社会でネット上に情報がないということは、「なかった」という事実の裏付けにしかならない。
何かに悩んだ時、今の達也なら真っ先に百合に相談するだろう。しかし、百合も絵を「知らない」と言っている。今の状態では、彼女に頼ることはできない。達也は自分の無力を思い知った。
(――こういう時、百合ならどうするんだろうか?)
考えながら歩いていると、ふと本屋の看板が目に留まった。マンション近くにある、よく自分が利用する本屋だ。
思いを巡らせているうちに、もうここまで来てしまったのかと達也はため息をついた。散々考えていたのに、まったく名案が思い付かない。
達也は気晴らしに本屋に寄ろうとビルに入ろうとした。そして、ショウウインドウ越しに並んである本を見て、達也は一つのアイディアを思いついた。




