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ピアニスト桜井百合による謎解き小曲集  作者: 木原式部
第三章亡き王女のためのパヴァーヌ
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マンハッタンの少女⑥

 *


 栄一は達也が肩を落としながら立ち去っていく姿を見ながら、一口コーヒーを飲んだ。


 そして、彼らしくない苦い表情を浮かべた。


 コーヒーが苦かったわけではない。達也に申し訳なかったからだ。


(――ごめん、達也君)


 達也が桃恵をモデルにした絵について、おかしいことに気づく。いずれこの日が来るのではないとは予想していた。達也の父親であり栄一の親友でもある顕も、この日が来るのを懸念していた。


 そして、とうとうやってきてしまったのだ。


 さて、これからどうしようか、とりあえず顕に連絡しなくてはいけない。顕には「達也が絵について聞いてきたら、俺に回せ」と言われていた。達也はきっと顕に絵の真相を訊きに行くだろう。それよりも早く顕に連絡しなくては。


 栄一は紙コップを近くのテーブルに置いて、ポケットに入っていたスマホを取り出した。そして、自分の娘である百合を思い出した。


 達也は「百合も知らない」と言っていた。どうやら百合も絵について何か気づいているらしい。


 百合は自分の娘ながら、大した人物だと思う。下手すると、自分や顕を出し抜いてあの絵の真相を暴いてしまうかもしれない。そうならない前に、先手を打たなくては。


 栄一は親友の顕に電話をかけ始めた。



 *


 その日、達也は仕事を終えると、すぐに事務所を後にした。父親の顕に会いに行くためだ。


 百合はずっと外回りで帰らず、栄一はドリンクコーナーでの出来事を忘れたかのように普通に仕事をしていた。達也も何もなかったような表情で仕事をしたが、栄一とまともに顔を合わせられなかった。「お疲れさまでした」と事務所を出る時も、栄一の方を見られなかった。


 なぜ百合も栄一も絵を「知らない」と言うのだろうか。何かしらの理由があるのは明確だが、その理由がわからない。きっと、今から会おうとしている父親の顕も「知らない」というのだろう。


 それでも達也は何かしらの行動を起こさざるを得なかった。


 今までなら空気を読んで自分も「知らない振り」をしていたかもしれない。百合にも栄一にも、絵を知らないと言わなくてはいけない理由があるのだろう。そう考えると知らない振りをする方が賢明だ。


 しかし、行動を起こせばいろいろなものが変わると体験した今、達也は何かしらの行動を起こさずにはいられなかった。


 本来知っているはずのことを「知らない」というなんて、かなりの大ごとだ。百合も栄一も何かしらの大きなものを抱えているのかもしれないし、それは辛いことなのかもしれない。


 余計なお世話かもしれないが、自分が行動することで少しは二人の辛さを緩和できないだろうか。


 達也は父親の顕がまだ仕事をしているであろう、日本橋にある西村財閥の本部へと向かった。


 少し前まで住んでいた実家に帰って父親の帰りを待っても良かったが、一刻も早く顕に話を聞きたかった。多分、使用人に絵の真相を訊いても、顕が手を回しているから「知らない」と言うだろう。だったら、本人に直接聞くべきだ。


 顕が本部にいるかどうかの確信はない。顕に「話があるから、どこにいるか教えてほしい」と連絡を入れても、絵のことを訊きに来たと悟られるかもしれない。まあ、多分栄一がすでに顕に絵のことを話しているかもしれない。それでも達也は父親に直接会って真相を確かめたかった。


 西村財閥の本部は、日本橋の一等地にある。


 近代的なビルが立ち並ぶ中に、突如(とつじょ)としてレンガ造りの巨大な洋館が現れた。それが西村財閥の本部だ。


 学校の歴史で習うあの「鹿鳴館(ろくめいかん)」を思い出させるような外観だが、実際に設計した人物が鹿鳴館をイメージしたと聞いたことがある。


 本部のフロアのいくつかは一般に開放されているが、達也はこの本部に入ったことがない。それでも、難なく本部の入り口のドアを潜り、ロビーに入れた。


 さすがに中にはモニターなど現代的なものも置いてあるが、基本外観と相違ないような内装が続く。白い壁や柱には細かい彫刻が施され、天井にはシャンデリアがいくつも垂れ下がっている。


 行きかう人々は基本オフィスカジュアルのような服装をしているが、いつ奥の階段からタキシードとドレスを着た明治の紳士と淑女が出てきてもおかしくない感じだ。


 達也は戸惑った。一瞬、明治時代の鹿鳴館に本当に迷い込んでしまったような錯覚に陥ったのだ。


 達也は自分を奮い立たせるかのように首を横に振った。今の錯覚はまるで自分の父親が仕組んだ罠のように思える。「絵のことなど忘れて、部屋で明治時代の小説でも書いていろ」とでも言っているようだ。


 辺りをきょろきょろ見渡すと、受付らしい場所を見つけた。達也は紺色のジャケットを羽織っている上品そうな若い女性に「あの」と声をかけた。


「すみません。西村顕は今日ここにいますか?」


「西村顕でしょうか?」


 女性は百合くらい無表情だったが、百合よりも遥かに思考が読み取りやすかった。明らかに怪訝(けげん)な雰囲気を漂わせている。


 それもそうだろう。達也は父親の顕と外見は似ていないし、若い男がいきなり財閥のトップの名前を口にしたのだ。不審に思うのは当たり前だろう。


 もしかすると、「西村顕を出せ」という不届き者が今までに何人もいたのかもしれない。


 達也はさすがに今の聞き方は悪かったかもしれないと反省した。今どきは防犯のために親子でも会社にいる人間にスムーズに会えないのが普通なのだろう。かと言って正直に「父親に会いたい」と言っても信じてもらえなさそうだ。


 達也がどうしようか悩んでいると、誰かが達也の肩を叩いた。


 ビクリとして振り返ると、そこには父親の顕が立っている。


 突然の大物の登場に、顕を知っているであろう人々が注目した。受付の女性も目を丸くしている。


「失礼。彼は私の客なんだ。――こっちに来い」


 顕は戸惑っている達也の腕を引っ張ると、そのまま歩き始めた。

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