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ピアニスト桜井百合による謎解き小曲集  作者: 木原式部
第三章亡き王女のためのパヴァーヌ
70/100

マンハッタンの少女②

 昨日、ラウンジ「リリア」の楽屋で中津川が仕掛けたらしい盗聴器を見つけた後。


 達也と百合はそのままイリーナ・ホテルにある日本料理店へと食事にでかけた。ちょうどその店の個室が空いていたし、どちらにしても今後を話し合わなくてはいけなかったからだ。


 楽屋には盗聴器が仕掛けられているから、込み入った話はできない。かといって、タイミングを考えずに盗聴器を外してしまうと、中津川に「盗聴器が見つかった」とバレてしまう。


 料理店に入った百合はスタッフに個室へと通されると、無言のままバッグから少し太いペンのようなものを取り出した。そのペンみたいなものを手に持ったまま、個室中を歩き始める。


「百合、どうしたの?」


 達也が話しかけても、百合は達也の声が聞こえないかのように無言のまま部屋を歩く。しばらく歩き回った百合はやがて立ち止まり、イスに座った。


「ここは大丈夫みたい」


「ねえ、百合、どうしたの? 何していたの?」


「念のため、盗聴器が仕掛けられていないかどうか調べていたの」


 百合が持っていたペンのようなものは、盗聴器発見器だったらしい。「今日はたまたま持っていたんだけど、電源入れておけばよかった。そうすれば、楽屋の盗聴器にも早く気づけたのに。油断していた」


 百合は「油断していた」とは言うが、普通ホテルのラウンジの楽屋に盗聴器が仕掛けられるとは思わないだろう。


 まあ、百合が母親の葵以上に有名なピアニストだったら、スキャンダルを狙う人間もいるかもしれない。しかし、百合は本業が探偵で、あくまでピアニストは副業だ。マスコミにスキャンダルを期待されるような人物ではない。


 その時、店のスタッフが料理を持ってきたので、会話は中断した。


 達也は上品に盛り付けられた先付(さきづけ)を見た途端、空腹を覚えた。ずっと「中津川に自分が柏木林太郎だとバレたかもしれない」という緊張感でいっぱいだったが、料理を見てここ最近ロクに食べていないことを思い出した。執筆に集中し過ぎたせいで、「食事」という行為を忘れていたのだ。


 今日イリーナ・ホテルに来た目的も、ラウンジ「リリア」でショートケーキを食べるためだった。


 百合と再び食事に行けることになったのは嬉しいものの、まさかこんな緊急事態になってしまうとは。やれやれ、と達也は心の中でため息を吐いた。


「どうして、中津川さんはラウンジ『リリア』の楽屋に盗聴器を仕掛けたの?」


 達也は運ばれてきた料理を口にしながら百合に訊いた。料理はどれも味も見た目も素晴らしいものばかりだ。中津川のことがなければ、百合とこんな料理を食べられて幸せをかみしめられただろうに、残念だ。


「私の周辺を探るためでしょうね。あの楽屋は私以外の人も使うけど、中津川さんが私以外の人の言動を探るとは考えられない」


「百合、あの中津川さんって何者なの? 僕のことも知っているみたいだったし、百合はあの人の誘いを断れないみたいだし、何か弱みでも握られているの?」


 回答が得られないとは思っていても、百合に中津川の正体を問うしかなかった。百合と自分が幼馴染だと知っているということは、中津川は自分があの西村財閥の長男だと知っている可能性が高い。いや、きっと知っているのだろう。


 しかし、なぜ中津川は自分が西村財閥の長男だと知っているのだろうか。


 達也は自分から「西村財閥の長男です」ということはほぼないし、実際に知っている人は少ない。


 もしかすると、中津川は自分の実家に出入りしている画廊の一人だったのだろうか。達也の父親の顕は時々絵画や骨とう品を買うことがある。だが、中津川のような人物が実家に出入りしているのは見たことない。達也は絵画や骨とう品には興味がなかったし、顕が達也を画廊の人間に紹介したこともなかった。


 まさか百合が自分を西村財閥の長男だと口外はしないだろうし、百合の父親である栄一も同じだろう。


 達也の問いかけに、百合は料理の箸を止めて俯いた。


 百合は相変わらず無表情だ。何を考えているのかは、その表情から読み取れない。ただ、百合の真っ黒い瞳には、いつもの凛とした輝きが(かげ)っているように見えた。


「ごめんなさい、それはちょっと……。私もいろいろと調べているところだから」


 百合がここまで隠すということは、本当に何かよっぽどの事情があるのだろう。


 達也は百合が自分に頼ってくれないのが淋しかった。自分が百合にとって頼りがいがないのが悲し。それでも達也は笑顔を見せた。


「うん、わかった。きっとすごい事情があるんだろうし。でも、困ったことがあったら、遠慮しないで何でも言って。僕はいつでも百合の味方だから」


 達也は言ってしまった後で、自分の顔が赤くなってくるのを感じた。今の言葉は自分の本心だ。しかし、小説の世界でならまだしも、現実に目の前にいる好きな女性に言ってしまうにはひどく気障(きざ)なセリフのように思えた。


 達也の言葉に百合は俯かせていた顔を上げた。百合と目が合った達也は目を反らしそうになったが、そのまま百合から目が離せなくなった。


 目の前にいる百合は、まるで自分よりもはるかに年下の少女のように見える。初めて百合と会った時の年齢に戻ったのではないかと思った。それくらい今の百合は弱々しく(はかな)いようにも見える。


 百合は中津川の件で、よほど厄介なものを背負っているのだろうか。


 百合の儚い表情は続かなかった。次の瞬間、百合は達也から目を反らしたが、その時にはいつもの無表情の百合に戻ってしまっていた。


「ありがとう。そう言ってもらえるとうれしい。でも、達也には迷惑かけないようにするから」


「いいよ、迷惑かけて。僕、最初に事務所に来た頃は百合に散々迷惑かけたし。気にしなくていいよ」


 栄一の探偵事務所で働き始めた頃、百合に迷惑をかけたのは本当だ。なにせ達也はほとんどのことを使用人にしてもらっていた財閥の坊ちゃんで、大学在学中に作家デビューまでしてしまったのだ。まともに働いたことがない。ちょっとした雑用も上手く行かず、最初は百合に散々迷惑をかけた。


 しかし、百合はやっぱり優しい。根気よく達也にいろいろなことを教え、今では事務所のほとんどの雑用をスムーズにこなせるようにまでした。達也は百合に感謝していたし、その代わりに百合の力になりたいのは本当だ。


「ありがとう。そうね、そのうちにきっと……」


 百合はそう言うと、料理の続きを食べ始めた。

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