耐冬花(たいとうか)⑨
「本当に申し訳ございません。事前に桜井さんがどんな質問をするか考えて、その答えをすべて暗記してきました。最初から桜井さんを騙すつもりだったんです。すべて、私が計画したことだったんです。だから、あらが出ないようにしっかり考えて覚えて来たんです。
ただ、生け花を見に行ったのは本当ですし、夫とさっきまでここにいた友田鈴子さんが一緒にいるのを見たのも本当です」
「美優子様、もしかして、あの友田様をご存じだったんですか!?」
高畑が声を上げると、美優子は頷いた。
「ええ、主人と関係を持っていることは、随分前から知っていました」
「美優子様……」
高畑ががっくりと肩を落とす。
高畑は美優子の夫の水人と鈴子が不倫関係であるのをずっと前から知っていたのだろう。水人と鈴子はイリーナ・ホテルのアルテミス像の前で頻繁に待ち合わせをしているのだから、気づかないわけがない。
高畑は以前、水人と美優子の結婚披露宴を担当した、と言っていた。そんな夫婦の不倫を黙認する形になってしまったことは、高畑自身も辛かっただろう。達也は見ていられなくなり、高畑から目を反らしてしまった。
目を反らした達也と違い、百合は相変わらず無表情のまま美優子と高畑を見ている。
「多分、ご主人は美優子さんと友田さんのお二人にあのカメリアの指輪をプレゼントされたんですよね? どういういきさつで同じ指輪をプレゼントしたかまではわかりませんが、美優子さんは何かのきっかけで友田さんも同じ指輪を持っていることを知った。しかも、友田さんがかなり日常的にそのカメリアの指輪を指にはめていることも。
そして、美優子さんはある計画を思いついたのではないでしょうか? それは友田さんも持っているこの指輪をなくしたことにして、友田さんが指輪を盗んだように見せかけるという計画を」
「そうです。私はずっと前から主人があの友田さんと関係を持っていることを知っていました。主人はずっと友田さんに夢中で、私には子どもを授かる機会さえほとんどなかったんです。もちろん、イリーナ・ホテルで頻繁に会っていることも知っていました。
だから、私はイリーナ・ホテルに行かなくなったんです。このホテルは大好きだったんですが、主人がこのホテルで別の女性と会っていると思うと、足が向かなくなってしまいました。
でも、私は主人が別の人を愛していてもかまわなかったんです。私は主人を愛していますし、自由に使えるだけのお金もいただいています。主人と結婚しているという事実さえあれば、私は良かったんです。
でも、ある日、イリーナ・ホテルの近くを通りかかった時、主人と友田さんが一緒に歩いているところを見つけてしまいました。そして、友田さんが私の婚約指輪と同じカメリアの指輪をはめていることに気づいたんです。
あの指輪は主人が私と婚約した時に婚約指輪としてくれたもの。オーダーメイドで同じものは二つとないと聞いていました。さすがに主人に問い詰めたんです。あの指輪をもらった時は、本当に嬉しかったので。
主人はいやいやながら、いきさつを話しました。私があの指輪をつけている結婚式の写真を見て、友田さんが嫉妬したそうです。そして、『私も同じ指輪がほしい』と言ったそうです。主人はまったく同じ指輪を作らせて、友田さんにプレゼントしたそうです。
私はそれを聞いて、さすがに許せなくなりました。私は結婚当時から痩せてしまったのと、はめるのがもったいなくて、あのカメリアの指輪は大事にしまっていました。でも、友田さんは日常的にあの指輪をはめているそうです。それがどうしても許せなくて……」
だから、鈴子の指輪は細かい傷がついてくすみ、美優子の指輪は新しいままだったのか。
美優子はイリーナ・ホテルのスイートルームで話を聞いた時、確かに「久しぶりにはめていこうかなという気持ちになったんです」と言っていた。
百合は美優子のこの言葉を覚えていたのだろう。鈴子が普段から会っている水人と逢引きする時にあのカメリアの指輪をはめていたということは、鈴子は頻繁に指輪をはめている可能性がある。
だから百合は「美優子の指輪は新しいが、鈴子の指輪は古くなっているだろう」と仮定して、栄一に鈴子の指輪を見せたのだ。栄一ほどの人物なら、自分の拾った指輪が新しいか古いかぐらいは覚えているはずだ。
達也は美優子が話しながら顔をゆがませるのを見て、美優子の辛さを直に感じてしまい、軽くめまいを覚えた。
美優子はずっと耐えていたのだ。夫に愛人がいても「自分は夫を愛しているから」「十分なお金をもらっているから」と。大好きだったイリーナ・ホテルに行くのもやめて、ずっと夫と愛人の関係に耐えていたのだ。
そんな美優子にとって、夫からもらったカメリアの婚約指輪は最後の砦のようなものだったのかもしれない。「夫が自分との結婚の証にくれた、世界にたった一つの指輪」だったのだ。
しかし、そんな指輪も実は同じものを愛人が所有していたのだ。
美優子の悲しみは計り知れない。達也は美優子に大いに同情したが、複雑な気持ちもあった。イリーナ・ホテルのアルテミス像の前で水人と鈴子を見た時の、あの愛情。不倫関係のあの二人の間に深い絆があるのは明らかだった。
愛し合っている者同士だというのに、家のせいで結ばれることができなかった。水人と鈴子も美優子とは違う辛さに耐えていたのだろう。
レースのハンカチの上のカメリアの指輪を見て、達也は耐冬花という言葉を思い出した。
椿は別名「耐冬花」と言う。椿は冬の寒さに耐えて花を咲かせるからだ。美優子も水人も鈴子はそれぞれずっと違った悲しみと辛さに耐えていた。
椿は冬に耐えて美しい花を咲かせるが、あの三人の悲しみと辛さには「花を咲かせる」というゴールが見えない。その事実が達也をもっと複雑な気持ちにさせた。
「だから、今回の計画を思いついたんですね?」
百合の言葉に美優子は頷いた。
「自分でもひどいことを考えたと思っています。友田さんは私と同じ指輪を愛用している。しかも、その指輪は表向きには世界にたった一つのもの。私が指輪をなくして友田さんが同じ指輪をつけていたら、友田さんが指輪を盗んだということになる。彼女や主人にダメージを負わせることができるのではないかと思ったんです。
今日、桜井さんと西村さんをアフタヌーンティーに誘ったのもこの計画のためです。友田さんには主人からの伝言だと思わせて『イリーナ・ホテルに来てほしい』と伝えました。
友田さんは普段からあの指輪をはめています。私と桜井さんと西村さん、友田さんが鉢合わせすれば、友田さんが指輪を盗んだ犯人に仕立て上げられると思ったんです。私が一人で騒ぐよりも、桜井さんと西村さんが一緒の方が信ぴょう性もあるし、あの人にもダメージを与えられると。
もちろん、後々に私の計画が狂言だったことはバレてしまいます。でも少しの間だけでも、あの友田さんに私の今までの辛さの代わりに何かをしてやりたかったんです」
美優子は言いながら、その頬に涙を一粒流した。誰かを陥れようとした計画を話しているのに、その涙は不純物がまったく含まれていない宝石のように美しく輝いていた。
達也は見ていられなくなり、美優子から視線を反らした。高畑も悲しそうな表情をして顔を俯かせている。百合と栄一の探偵2人は何の感情も交えていない、普段通りの表情だった。
百合と栄一が悲しみの表情を表さないのは、2人が冷酷だからというわけではない。この2人は依頼人の案件に真摯に向き合っているだけなのだろう。
「あの日に計画を実行したのは、生け花のデモンストレーションがあったからですね? 生け花を習っている友田さんがいつも水人さんと見学されると知っていたから。
その前にラウンジ『リリア』で達也と私の父の前で指輪を落としたのは、確実に指輪をしてホテルに来た、ということをアピールするためですね?」
「はい。でも、ラウンジ『リリア』で西村さんと桜井さんのお父様の前で指輪を落とそうと思ったのは、その時に思いつきました。本当はラウンジのスタッフの前で落とすつもりでした」
「美優子さんは私の父を、桜井探偵事務所の所長の桜井栄一をご存じだったのではないでしょうか? だから私の父の前で指輪を落としたのでは?」
百合の問いかけに美優子は頷いた。
「はい、私の主人の会社が桜井探偵事務所にお世話になっていますし、名探偵だというお噂はかねがね伺っていました。
あの時、桜井さんを見かけたのは偶然です。桜井さんほどの方に指輪を拾ってもらったなら、もっと信用されるだろうと思ったんです。でも、まさかそのせいでバレてしまうなんて、思いもしませんでした。やっぱり、悪いことはしないに限りますね」
美優子は栄一に視線を移し、そして達也に視線を移した。達也はふいに美優子と目が合い、何となく気まずくなって目を反らした。




