耐冬花(たいとうか)⑧
「栄一さん?」
突然の名探偵の登場に、達也は声を上げた。
「栄一さんというと、もしかして、桜井さんのお父様の?」
高畑が「イリーナ・ホテルの総支配人の高畑です」と丁寧なお辞儀をする。栄一は「桜井探偵事務所の桜井栄一です」とお辞儀を返した。
「栄一さん、どうしたんですか?」
達也が訊くと、栄一は「いや、それが」と百合を見下ろした。
「百合に『見てほしいものがあるから、すぐにイリーナ・ホテルに来てくれ』って言われたんだよ。百合、見てほしいものって、なんだい?」
「実は指輪を見てほしくて」
「そうでした。最初にラウンジ「リリア」で指輪を拾われたのは桜井さんのお父様でしたね。しかし、どうして? 西村さんもその時一緒にいらしたではないですか?」
「はい、達也もいましたが、実際に指輪を拾ったのは父ですから。笠原さん、申し訳ございません。この指輪、父に確認してもらいます」
百合が栄一に指輪を手渡す。栄一は指輪を目元まで近づけると、名探偵らしい鋭い目つきで指輪をじっくりと見た。
「この指輪、確かに俺があの時に拾った指輪だけど、違うな」
「えっ?」
栄一の声に達也は声を上げたが、百合はさも栄一の答えを予想していたかのような無表情だった。
「うん、違う。デザインはまったく同じだけど、この指輪の方が古いのかな? 長い間指につけていたような細かい傷がいっぱいついているし、少しくすんでいる。
俺がラウンジ『リリア』で拾った指輪はもっと新しくて、傷も全然ついていなかった」
(――それって、どういうことなんだ?)
達也は美優子と栄一の手元にある指輪を交互に見比べた。美優子は栄一の言葉を聞くと、青白い顔をし顔を手のひらで覆った。
「美優子様、どうされたんですか?」
高畑が突然様子がおかしくなった美優子に声をかける。
「ありがとう」
百合は栄一から指輪を返してもらうと、鈴子の元へ行った。
「お騒がせして申し訳ございませんでした。この指輪は友田さんのものですよね?」
百合が指輪を鈴子に手渡すと、鈴子は百合から奪い取るように指輪を受け取った。
「そうよ! さっきからそう言っているじゃない。高畑さん、もう私、帰ってもいいかしら?」
「あっ、はい! 申し訳ございませんでした」
鈴子はバッグを肩にかけると、駆け足で客室を出て行った。
「美優子さん」
鈴子が出ていくと百合は美優子の座っているソファの隣に座った。「なくしたと言っていた指輪、本当はどこにあるんですか?」
百合の声に美優子が手で覆っていた顔を上げる。
目元には涙があふれているものの、その目には不思議なほどしっかりとした光が宿っている。達也には美優子が何かしらの決心をしたかのように見えた。
美優子は持っていたバッグを開けて、中から小さなポーチを取り出した。
美優子がポーチを開けると、中には白いレースのハンカチが入っている。美優子はそのレースのハンカチを取り出し、百合の目の前でそっと広げた。
中からなくしたと言っていた、あのカメリアの指輪が出て来る。
栄一がさっき言った通り、ハンカチの上に乗っている指輪はさっき鈴子が持って行ってしまった指輪よりも新しそうだった。
「これは、一体……?」
高畑が目を丸くする。
「指輪は元々2つあったんです。一つは美優子さん、もう一つは友田さんのもの。美優子さんは指輪が2つあるとご存じだったんですよね? そして、本当は指輪をなくしてはいなかったんですよね?」
美優子は頷いた。
「本当に申し訳ございません。指輪をなくしたというのはウソだったんです。すべては私の狂言です」
美優子は再び目にいっぱい涙をためると、「本当に申し訳ございません」と深々と頭を下げた。
「私も実は最初から少しおかしいと思っていたんです。警察に届けないのは家庭の事情だと思えば納得できます。
でも、美優子さんが指輪をなくされた状況を説明された時、あまりにもはっきりと淀みなく話されているのに違和感を覚えました」
達也は美優子と指輪の話をした後、ラウンジ「リリア」で百合が言っていた言葉を思い出した。
――『ええと』『そうだな』『後は』『他は』。
――達也がさっきまでの会話で最初に言った言葉。
「さっきの美優子さんの話、どう思う? 何でもいいから、感想を聞かせて」と百合に言われた達也は、美優子の話の感想を言った。
その時、達也は美優子との会話を思い出しながらだったから、話の最初に「ええと」のような「場繋ぎ言葉」が入ってしまったのだ。
達也は百合に場繋ぎ言葉を指摘され、美優子が百合の質問に対して、まったく淀みなく答えていたことに気づいた。
しかし、達也は「美優子も百合や栄一と同じで、記憶力が優れている人間なのだろうか」と思い、そのまま深くは考えなかった。
百合が「フルール・ド・コルザ」の席の配置図を書いた時だけ美優子が「ええと……」と場つなぎ言葉を使ったことに気づいてはいたが、深く考えなかったのだ。
(――そう、だったんだ)
達也はやっと気づいた。美優子は単純に記憶力が良かったから、場繋ぎ言葉を使わなかったのではないのだ。
美優子は「百合に何を質問されるか」を予想し、それに対する答えを前もって用意しておいたのだろう。
多分、答えを念入りに考えて、暗記までしたのかもしれない。美優子は専業主婦で家事もそこまでしていないだろうから、時間はある。
百合が「フルール・ド・コルザ」の席の配置図を書いた時、さすがに席の詳細な数や位置までは把握していなかったのだ。だから会話の最初に「ええと……」みたいな場繋ぎ言葉を使ってしまったのだろう。
しかし、美優子はどうしてそこまで、念入りに百合への答えを考えて暗記までしてきたのだろうか。




